カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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サンデルを読んでる

気象庁によれば、ようやく近畿地方も「梅雨明けしたとみられる」と言うことらしいですね。昔みたいに梅雨明け宣言などせずに、少しぼかして表現するようになったところは進歩だと思います。未来は確率的にしか予測できませんので、梅雨明けしたと断定するのはそもそも無理な話なのです。

さて、すっかり夏のようで蒸し暑くてイライラ。釣りに行けないのにタコやカツオが爆釣でイライラ。仕事でもイライラ。テレビを見てもイライラ。まあ、テレビはほとんど見ませんが。



さて、冷静に・・・頭を冷やすために考えましょう。

以下、長文かつ哲学的内容を含んでおります乱文ですので、超ヒマで忍耐力のある方だけどうぞ・・・


私は、何についても本当のことが知りたいのです。自分が感じていることが本当かどうか、それが知りたい。意見ではなく事実を、正義ではなく公正を求めているのです。マスコミの皆さん、よろしくお願いします(笑)。その結果として明らかになった事実が私自身に不快なものであったとしても、それを認めるほうがウソを信じるよりマシと思います。

まあしかし、普通はそうではないと思います。大多数の人、ほとんどすべてと言って良いと思いますが、たいがいの人は、世の中に対する自分の認識が間違っているかもしれないとは思わないし、実際に間違っているような証拠をつきつけられても気づかないか都合良く無視するか、はたまた不機嫌になって自分の認識に都合の良い証拠を集めてまわるなど認知的不協和の解消に向かうのが一般的だと思います。

もちろん、そうしないと自我が崩壊する・・・と言うと少し大げさですが、自分が壊れてしまうのでしょう。

悪いのは自分ではなく、周りである、環境である、そう思わないとうつ病になってしまうかもしれません。防衛本能みたいものなのでしょう。しかし、どうも私にはその能力が少し欠けているように思います。もちろん、多少はありますが、そのことに気づくたびに自己嫌悪です。

では、真実から目をそらしているのは何の力によるものなのか・・・!?これは難しいですね。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスによれば、人を動かすには「エトス(信頼)」「パトス(共感)」「ロゴス(論理)」の3要素が重要だそうです。

なるほどそうなの?、とも思いますが、パトスとロゴスは相反するでしょう。「共感と論理はトレードオフ」と、あやしい脳科学者が言ってましたが、そっちのほうが正しいように思います(トレードオフとは、あちらを立てればこちらが立たずの意味です)。

共感もしくは反感でも良いですが、これらが強すぎると論理がゆがむか吹き飛びます。そのような状況はありふれています。

「愛は盲目」とはよく言われますが、そのようなものでしょう。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」も同じかもしれません。ニオイや音が過剰に気になるのも、そのニオイや音の物理的刺激の強さ・大きさが一定の限界を超えたために不快なのではなく、その発生源への嫌悪感(反感)のため、もしくはやたらまわりに嫌悪感(反感)を感じる狭量な性格のせいなのかもしれません。



また、アリストテレスの言う「信頼」の与える影響については、豊洲問題や原発問題などが参考になると思います。「安心」と「安全」は違います。「安心」には心理的な要素が含まれています。「安全」は科学的な基準です。したがって、誰が言ってたか忘れましたが、以下の式が成り立つようです。

「安心」 = 「安全」 x 「信頼」

いくら「安全」と言われても、そう言っている人を「信頼」しなければ「安心」はできません。逆に、本当は危険なのに「安全」だと言っている人を過剰に「信頼」しているから「安心」しているだけ・・・と言うこともあるでしょう。

なので、安心=安全となるのは、自分で安全基準を理解して判断する能力のある人だけであり、だからたいがいの人では安心と安全は一致しません。

そう考えると、アリストテレスの言うことも、なるほどと思えますね。いくら「論理」で正しいことを言っても、「信頼」や「共感」がなければ人は動いてくれないと。また逆に、論理的にデタラメであっても、信頼や共感さえ得られればどうにかなってしまうとも言えるかもしれません。最近人気のある政治家はそのことをよく理解しているようです。

しかし、私はそれがいやです。なるべくなら信頼(不信)や共感(反感)を排除して論理で納得したいのです。もちろん、すべて論理で納得するためには膨大な知識とその処理能力が必要ですから、実際には無理なのかもしれませんが・・・

だから人は、信頼や共感に頼るしかないのかもしれません。論理的な能力に欠けた人が物事の真偽について判断を下すためには、信頼できるかどうか、共感できるかどうかが大きなウエイトを占めることになるわけです。

そして、信頼や共感の力が強い人はなんでもかんでも信じて大変な目にあうでしょうし、疑心や反感の強い人は、理屈もへったくれもなく何も信じられず不安にさいなまれるか、自分の感情や感覚を信じ切って自己中心的に生きて行くかのどちらかでしょう。

自己中心的な人は、自分が自己中心的かもしれないとは思わないようです。「私って自己中心的すぎないかしら?」と思ったことのない人は、自己中心的な性格である可能性が高いでしょう。

誰だって自己中心的なふるまいをすることがあります。そういうときにそれを自覚できないと言うことは、筋金入りの自己中心的性格でしょう。自分の振る舞いを客観的に振り返ることが一切できない性格と言うことです。

いずれにしろ、共感・反感や信頼・不信が論理を大きくゆがませるのはよく目にすることです。別に理系が論理的、文系が非論理的と言うことではないです。感情的かどうか、共感・反感や信頼・疑心の強い性格の人ほど、論理がゆがみやすいと言うことです。

とか自分の頭で考えても限界がありますから、この話とはズレますが、何が正しいのか!?について考えるために、ひさびさにサンデルの本を読んでいます。通勤の途中の電車で読んでいるので、なかなか進みませんが・・・



それをお金で買いますか――市場主義の限界 | マイケル・サンデル

英語のタイトルは「What money can't buy.」ですから「お金で買えないもの」と言う意味です。

日本もそうですが、アメリカでは今やなんでもお金で買える社会になっているようです。サンデルはこれを「市場勝利主義」と呼んでます。

市場原理主義などと言う言葉を聞いたことがあるかと思いますが、ここで取り上げられているのは、今までお金で取引されてこなかったようなものまでお金で買えるようになりつつある。果たしてそれは正しいのか!?と言うことです。

どんなものが「市場化」されているか、序章で紹介されているもの((アメリカ国内だけではないですが)を列挙してみると・・・

・刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
・一人で車に乗っていても相乗り車線を利用できる権利:ラッシュアワーの間8ドル
・インドの代理母による妊娠代行サービス:6250ドル
・アメリカ合衆国へ移住する権利:50万ドル
・絶滅の危機に瀕したクロサイを撃つ権利:15万ドル
・主治医の携帯電話の番号:年に1500ドルから
・1トンの炭素を大気中に排出する権利:13ユーロ
・子供を名門大学へ入学させる:?
・額(あるいは体のどこかほかの部分)のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
・製薬会社の安全性臨床試験で人間モルモットになる:7500ドル
・民間軍事会社の一員としてソマリアやアフガニスタンで戦う:1月に250ドルから1日1000ドルまで
・議会の公聴会に出席したいロビイストの席を取るため、連邦議会議事堂の行列に徹夜で並ぶ:1時間に15~20ドル
・あなたがダラスの成績不振校の2年生なら、本を読む:2ドル
・あなたが肥満体だとすれば、4ヶ月で14ポンド痩せる:378ドル
・病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだときに死亡給付金を受け取る:ことによると数百万ドル(保険内容による)

次の章では、「行列に割り込む権利」についてくわしく書かれています。私も体験した例で言えば、USJに行った時に、人気アトラクションに乗るには行列がものすごくて待ち時間が長いのですが、余計にお金を払うと別レーンを歩いて行列をパスしてほとんど待ち時間無しにアトラクションに乗ることができます。「ユニバーサル・エクスプレス・パス」とか言うサービスです。

さすが、アメリカ由来の遊園地は何でも金だなあと驚嘆したのを覚えています。迷わず利用しましたが(汗)。

所得の格差も拡大している上に、このようにお金で買えるものが増えているわけですから、持つ者と持たざる者の生活上の利便性の格差が所得の格差以上に拡大しつつある社会になっていると言うことでしょう。

では何故こんなことになってしまったのか!?

実はこれは難しい問題です。私が上で書いた、「共感や反感」よりも「論理」を優先した結果でもあるからです。

つまり、そんなものを金で売り買いするのはけしからんと言う発想は、ある種の道徳心、価値観にもとづくものです。道徳は完全に論理で説明することが難しい部分があります。

私も常日頃、道徳心や正義感のようなものは危険だと思っています。でも、すべての道徳や正義を否定しているわけではありません。ここが難しいところです。法律に違反しなければ何をしても良い、とも思っていません。ならば道徳か?正義?ここらへんになると、あいまいです。道徳や正義を導き出す価値観はひとそれぞれとか言われることもあります。

そして、アメリカでは特に、多様な価値を認めようと言う発想のために、公の場、とくに、政治の場では特定の価値観を強く主張できなくなっています。なので、法律を決めるのに、特定の道徳や価値観に基づいて決めるとはなかなか行かないわけです。

特定の価値観、道徳心がダメならば、あとに残されるのは金銭的な損得しかありません。お金の価値は定量可能ですから、ある意味で論理的です。

ここでもまた「リベラル勢力の自爆現象」が観察できます。「多様な価値観を認めよ」と言っていたのはもともとリベラルな人達ですが、その結果として、貧しい人達の暮らしが余計に苦しくなっています。ちなみに日本でも見られるリベラル勢力の自爆現象としては「政府のむだ遣いをやめろ」と言う主張にもとづいて緊縮財政が状態化してデフレ・景気悪化で自殺者が増加、貧しい人が増えてたくさん死んでいる現象です。



話がそれましたが、価値観の相対化のようなことが一因となって、市場万能主義(サンデルは市場勝利主義と言ってますが)が勢力を広げてきたようです。

だとするなら、やはり道徳、正義と言ったもの、それを決める価値観の構築が重要になってきます。そして、その価値観を構築するのにも、なるべく論理的でなければなりません。でなければ、共感や反感でしか人々はまとまることができません。

鎖国して価値観のあわない人間を排除できる社会であるならば、共感や反感、信頼や疑心に基づいた価値観で社会のルールを決められるかもしれませんが、現代ではそれは不可能です。そうならば、価値観を構築するために、論理が必要になってきます。

それをやろうとしているのがサンデルなのかもしれません。そう思ってサンデルの本を何冊か読みました。しかし、サンデルは自分で言っているように、「コミュニタリアン」だそうで、要するに「共同体主義者」と言うことですが、どのような価値観を選択するかは、最終的にはその人たちの属する共同体が(自発的に?)形成してきた価値観であると言う考え方のようです。たぶん。

要するに、価値観というのは文化的に決まる部分が多いので、普遍的な価値観と言うものは必ずしも存在しないと言うことかもしれません。ならば、論理だけで価値観は構築不可能と言うことになります。

ここへ来て、またわからなくなりました。なので、またサンデルをヨンデルと言うわけで、うまくオチがついたからこれで終わります。

本当はこちらを読みたかったのですが↓



値段が高いし電子書籍版が無かったので。早川書房ではなく、ナカニシヤ出版だから、ヘタしたら文庫化もされないかも!?残念。それにしても、ナカニシヤ出版とは懐かしい・・・

ちなみに、この本のタイトルにある「完全な人間を目指す」と言う部分ですが、これはいわゆる自己啓発系のような意味ではなく、遺伝子操作などバイオテクノロジーを使って人間の能力を高め、外見も完璧にしようとすることの意味だと思われます。まだ読んでないので、たぶんですが、サンデルですし、生命倫理に関する議論かと思います。

書評をざっと見て取り上げられている例を並べて見ますと

「多くの音楽家たちが演奏時に、緊張を和らげるために鎮静剤を使用している」と言うのが目に付きました。他には以下のような例が挙げられています。

あるカップル(女性同士)はともに聾であり、そのことを誇りにしていた。
「聾であることはひとつの生活様式にすぎないわ。私たちは聾者であっても何の問題も感じていないし、聾文化の素晴らしい側面を子どもとともに分かち合いたいと思っているの。」
彼女たちは、聾の子どもを妊娠したいという望みをかなえるために5世代にわたって聾である精子提供者を探し出し、その計画は成功した。
この話がワシントン・ポスト紙に報道されると数多くの非難が殺到した。

ある不妊カップルが卵子提供者を募る広告をハーバード学内紙ほかに掲載した。
提供者には身長5フィート10インチ以上、運動が得意で家族病歴がなく、SATの得点が1400点以上と言う条件が付けられた。
報酬は5万ドルであった。
この広告には何の非難もなかった。


テキサスの愛猫家ジュリーは愛猫ニッキーの死を嘆き悲しんでいた。「彼はとても美しく、猫離れした頭の良さだったわ。彼は11の命令を聞き分けたのよ。」
ジュリーは**クローン社の広告を思い出し、ニッキーの遺伝子サンプルと5万ドルを送った。
数ヵ月後、遺伝子上はまったく同じ猫、リトル・ニッキーを手にした彼女は「まったく同じよ。違うところは1つも見当たらないわ」と賛美した。
現在は3万2千ドルに値下げされ、返金保証制度もあるという。



何かがおかしいとは思いますが、なぜおかしいのか、なぜだめなのかを説明するのは難しいですね。はたしてサンデルがどういう議論をしているのか、興味ありますが、本の値段がちょっと高い!
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