カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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思うこと

(1)テロ対策!?

日本一高いビル内の百貨店、サミット中休業 テロ警戒

今日からG7の伊勢志摩サミットがはじまると言うことで、それを受けて、三重県志摩市にある主会場の志摩観光ホテルが近鉄グループで、「大阪を代表する近鉄の施設もテロの対象になりかねない」として休業を決めたということらしい。

そうえいば、ちょっと前までロシアも入れてG8だったのに、またはずされたのね(笑)。

それはともかく、三重県で行われるサミットのテロ対策で、大阪の近鉄百貨店が休業とは過剰反応のような気も・・・。

そもそも、テロの意味をわかっているのだろうか!?と思います。テロとはテロリズムの略のようですが、もともとの言葉はドイツ語のテロル(Terror)に由来する言葉であり、「恐怖」と言う意味です。

したがって、テロとは、「暴力行為あるいはその脅威によって、敵対者を威嚇すること。」です。暴力の脅威によって威嚇されてしまえば、テロリストの思うつぼ、威嚇されただけてテロの目的のは半分くらいは達成ということになります。

いくらテロでも、狙ったすべての人に危害を加えることはできません。ですから、実際には「テロがあるかも」ということによる威嚇によって、数万、数十万という大量の人々を恐怖に陥れることが目的でもあるわけです。

テロリストは、多くの人々を威嚇して恐怖におののかせることにより、平和な日常生活を破壊して、不安に陥れることを狙っているわけです。

ですから、テロの頻発する国や地域などでは、テロリストに負けないために、恐怖や不安にうちかち、日常生活をくずさないこともテロとの戦いの一つということらしいです。

そう考えると、近鉄百貨店のように過剰に反応してさっさと休業を決め込むと言うのは、どこにいて誰なのかもよくわからないテロリストの目的の何割かを達成させてあげているようなものになるのではないでしょうか。

テロリストのやること・狙う場所は予想不可能だから怖いのです。本当にテロをやろうとしている者がいたとして、近鉄がだめなら他のどこかでやるだけです。

所詮、平和な鳥かごのような社会で暮らしている日本人には、テロとの戦いなど無理なのだと思います。でも、一番深刻なのは、日本人自身が、日本がどれだけ安定して平和な社会であるかをさっぱり自覚していない点にあるのではないかと思います。



(2)オバマ何しに広島訪問?

オバマは広島に何しに行くのでしょう?米国内の世論に配慮して謝罪はしないそうです。広島で核廃絶の願いを発信するようです。しかし、本当に核廃絶が可能だと思っている人はどれだけいるのでしょうか!?

今、核兵器を持っている国がすべて核廃絶をしたとして、その後それを最初に破った国がでてきたらどうするのでしょう?北朝鮮のような国が国際的な合意を守るでしょうか?そして、その国が滅茶苦茶な国だったら、唯一の核保有国になったとたんに今より恐ろしい状況になってしまいかねないのではないでしょうか?

核兵器と言うのは比較的簡単な技術で作れるようです。テロリスト的な集団が持った場合はどうでしょう?1度できあがった技術をなくすと言うのは無理だと思います。

そして、もっと不可能だと思うのは、今現在の核保有国が本気で核廃絶などするはずないと思うからです。と言うのも、世界の覇権を持っているのは核保有国ばかりです。そのような国々が、多少の核軍縮ならいざ知らず、その既得権を本当に手放すと思っているのでしょうか!?

核廃絶といいながら、実際は自分たちは少々の核軍縮をして廃絶に向けたポーズだけ取りつつ、自分たち以外の国には核保有をさせないための方便として「核廃絶の願い」が利用されるだけでしょう。

それから、被害者の方々にあまりこんなことは言いたくないですが、核の悲惨さを世界にアピールすれば核廃絶につながると信じているなら、それはあまりにナイーブな一昔前の女子高生みたいな考え方ではないでしょうか。

実際には、核兵器がいかに悲惨で恐ろしい被害をもたらすかを広めれば広めるほど、核保有国には都合が良い部分もあるでしょう。核兵器による威嚇の力が威力を増すからです。

核兵器をそう簡単に使えない時代になっているのは間違いないとは思いますが、相手を威嚇するパワーは未だにすごいものがあるでしょう。まあ、日本みたいに、1度落とされているのに、他の国の核保有に鈍感な国もありますが。

核兵器による被害が悲惨なら、こんな恐ろしい目にあいたくなければ、核兵器を持っている我々に逆らうなどしてはいけないぞ、と言うことを相手に感じさせることも可能になるでしょう。

なので、「原爆被害の悲惨さを訴える」とか「核廃絶の願い」とかは、気持ちの問題としてはよくわかりますし、うぶな高校生くらいには通じるかとは思いますが、実際の冷酷な国際社会にはおそらくその思いは届かないどころか、都合良く利用されるだけなのではないでしょうか。

学級委員や生徒会長みたいなタイプの人が政治的影響力を強く持っているのは日本くらいでしょう。

それからもう一つ。オバマは謝罪しないとのことですが、それで良いのでしょうか?

原爆投下がもし「人道に対する罪」であるとすれば、時効がありませんので、アメリカは永遠にその罪から逃れられなくなります。

過去にアメリカが原爆を使ったことには謝罪も求めないし、人道に対する罪であるかどうかも不問にするのは、果たして正しい態度なのでしょうか?

アメリカでは、戦争を早く終わらせるために原爆投下が正当化されているそうです。そういう世論が一部にあるのは間違い無いでしょう。米兵の犠牲者を減らしたとか言う理屈です。そのためには日本人の非戦闘員である一般市民は大量に死んだのはしょうがないと言う意味にもとれるでしょう。謝罪とは真逆の開き直りです。

こういう理屈を認めると言うことは、大量破壊兵器を使用しても良い場合があるのだと認めることになります。

大事なのは核廃絶とかよりも、2度と核兵器を使わせないような環境作りではないかと思います。これとて、本当に可能かどうかわかりませんが、少なくとも私には現実味があると思います。

そのためには、「戦争を早期に終結させるために原爆を使用したのは正しかった」という言説を許したり、「アメリカに原爆投下の謝罪や責任を求めない」「原爆投下が人道に対する罪であるかどうかも問わない」とか言うのは非常に危険なことだと思います。

それなりの理由があれば再び核兵器を使うことが正当化されることにもつながりかねませんので。

少なくとも、2度と核兵器を使わせないと思うのなら、アメリカ国内の一部にある「戦争を早期に終結させるための使用だった」と言う原爆正当化の理屈は徹底的につぶしておかなければならないのではないかと思います。

唯一原爆を使用した国であるアメリカがいつまでも世界を支配していて、過去の原爆使用が何ら批判されないと言うのでは、いつまた原爆が使用されるかわからない状況であると言えるのではないでしょうか?戦争に勝ちさえすれば、正義の立場に立てるとなれば、いつまた正義の奪い合いのための戦争がおこらないとも限りません。

原爆を使って戦争に勝った後に相手が悪の国だったとか戦争を早く終わらすためだったとか言えば原爆投下が非難されないのなら、また日本がどこかの国に原爆を落とされるかもしれません。

なので、本気で2度と核兵器を使用をさせたくないのなら、国際社会が、特に、核兵器を持っていない国々などは、もっともっとアメリカの原爆投下を非難しなければならないと思います。


(3)選んだのは誰だ!

都庁には都民その他からものすごい抗議の電話があいついで、業務に支障が出るほどらしいですな。でも、文句を言う相手が違うのではないでしょうか?

むしろ、文句を言いたいのは都庁の職員のほうでしょう。

どうして俺たち都庁の職員の上司に、あんなせこいやつを選んだのだ!東京都民のみなさんよ!

と、彼らはそう言いたいのではないでしょうか。

と言っている人がいましたが、まさに私も同じことを考えてました。選んだ奴が悪いでしょう。

でも、民主主義と言っても最後は多数決です。たくさんの人が投票する訳ですから、結果に対して各個人が負う責任の重さは、全体の人数が多いほど小さくなるわけで、現実には1人1人の責任はほぼゼロです。

マスゾエがだめ知事だとしても、マスゾエの投票した人の責任はほぼゼロ。投票者各個人が責任を問われることもありません。

もっと言えば、自分が誰に投票しようが、選挙が一票差で決着することが無い限りは、結果は変わりませんので、選ぶ権限も実質的にはゼロです。

投票する人びとの各個人の実質的な影響力はゼロ、1人1人の責任もゼロ。これが民主主義なんですね。

なので、1人1人の国民が政治を動かしているのではなく、1度に多くの国民に影響力を持つ一部の人たち(マスコミ・知識人・文化人・あと最近では芸人のご意見番みたい奴)が世の中を動かしているにすぎないと言うわけです。

言論の自由ですから。自由となれば弱肉強食、言論における力を持つものが支配する世の中になるのは当然です。

だから、世の中も政治も良くなるわけないのです。

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