カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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読書疲れ

iPhoneおよびiPadにて、電子書籍を読みすぎて目がおかしくなった(笑)。

文字を大きくできるので読みやすいので、調子に乗って電車の中やら帰宅後にひたすら読みふけっていたら、目がしょぼしょぼ、左目がぼやけて見えにくく・・・

と言うことで、昨日あたりから一休み。

またまた数日で2冊も読んでしまったためで、ちょっと夢中になりすぎたので反省。

ジョージ・オーウェル「1984年」



中盤までは面白く読んだが、終盤の、拷問まがいのことをされて洗脳されて行く過程は、はっきり言って読むのが苦痛でしんどかった。

昔に読んだはずですが、こんな話だったっけ!?

新訳版だから、と言うこともないと思うが、昔ならたいして刺激にもならなかった部分が、今では苦痛に感じたりするのかもしれず。想像力や読解力が昔より増したのかも。

「1984年」が思ったより早く読み終わったので、また電子書籍を購入。今度は小松左京の代表作(と私は思いますが)、「果てしなき流れの果てに」をば。



電子書籍なので紙の本のように実物があるわけではないが、いちおう表紙があり、この表紙が懐かしい。昔私が持っていた文庫本の表紙と同じなので。

今、書店で紙の本のほうを買うと表紙が違っている。



昔ながらの表紙が見られただけでも懐かしかったから半分ほどは満足かな。

内容は、これまた昔読んだはずだが、まったく覚えておらず新鮮な気持ちで読めたが・・・でもなんとなく壮大な話、先日読んだクラークの「幼年期の終わり」に通じるようなテーマもあることは覚えていたが。

話の展開が時間と空間をまたいでおり、時間軸は恐竜が跋扈する中生代白亜紀の過去から現在〜近未来〜遙か未来〜時間の存在がなくなるその先を、そして場所も地球上の日本〜どこかよくわからない恒星系の惑星〜「宇宙の外」とかだったり(笑)。

まさに時空をまたいで登場人物が右往左往して話が展開するので、さっさと読まないと忘れてしまって訳が判らなくなるので、一気に読んだ。

高校時代に読んだ時には途中で訳がわからなくなってまた戻って確認したり、メモしながら読んだりとかだったが・・・今回はまあどうにか戻らず読めたので、やはり読解力は増しているのかな!?話の内容は完全に忘れていたが。

そして、不覚にもラストでうっすら涙ぐんでしまった。昔は1ミリたりとも涙など出なかったが。これも老化現象だろうか。

先に書いた通り、話の舞台があっちこっちへ飛躍するが、書かれた当時の日本(1960年代)が舞台になっている部分が多く、しかも関西(大阪南部〜和歌山)なので、なじみのある地名がたくさん出てくるから、その点は高校時代よりもはるかに読みやすかった。さすが関西人の小松左京。

話の設定としては、クラークの「幼年期の終わり」と共通の部分があり。この宇宙には知的生命体の進化や維持を管理する「管理者」的な存在がおり、人類の進化に対してもその高度な知性を持つ存在(エイリアン?)が関与しているというような部分など。

おどろいたのが、現代の人類が過去に連れ去られてネアンデルタール人と交配させられていたと言う描写だった。この小説が書かれた当時から知られていたっけ!?

現代人のうち、アフリカ系以外(つまり白人および黄色人種)はネアンデルタール人の遺伝子をかなり持っていることがわかったのは、つい最近のことで(ネアンデルタール人の骨からDNAを採取して分析した結果)、この小説が書かれた当初は、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は交配できないと考えられていたと思うのだが・・・

当時から現代人がネアンデルタール人の血も引いていると言う説があったのだろうか!?いずれにしろ、この部分はさすが小松左京!とうなってしまった。

話をもどして・・・人類の進化が宇宙の高次の存在により管理・促進・調整されてきたと言う設定が前面に出ている作品が、クラーク(とキューブリック)の「2001年宇宙の旅」ですが、具体的にどういう存在が管理者なのかは説明なしで、モノリスと言う石版が人類進化の触媒になっていたことが示されていただけ)。

「幼年期の終わり」のほうでも、そうした「管理者」的な存在は間接的かつおぼろげにしか出てこなかった(テーマの本筋でもなかったし)。

しかし、この作品ではその正体まで説明されていて、宇宙そのものが生命体のように意識を持っている複雑な存在であるかのようなことになっていている。その説明はわかりにくいが。

ちょっと手塚治虫の「火の鳥」の設定なんかを連想したが、あれともまた同じではなく、でもいずれも後のSFに影響を与えた部分があるのかなあと思って関心した。

それにしても、小松左京は知識が豊富すぎて参ることを思い出した。この作品はまだマシなほうだが。時間や空間についての説明ではわけわからん部分も多い。説明過剰と言うかなんというか。

しかし、その小松左京にしても、近未来の日本がどうなっているかの予測ははずれまくりの陳腐すぎだったのにはおどろき。

書かれたのがちょうど50年前、そして、この小説のラストが2016年(今年!)の日本と、なんとも偶然だが、小説の途中で1970〜2016年くらいの日本がどうなっているかの描写が延々と書かれている部分があり、その部分(もちろん小松左京の執筆当時の予測)が実際の歴史とまるで違っている点が興味深かった。

小松左京ほどの知識を持った人、しかも科学だけでなく政治・哲学・文化・文学の分野で幅広くそして深い知識を持った人ですらも、50年後の日本がどうなっているか予測をはずしている、単に当時の延長でしか予測していないのがおどろきだった。

したがって、彼より遙かに愚かなマスコミに出てくる今現在の知識人が将来にたいして有用な知見を有しているとはとても思われまない。あまり知識人の言うことを真に受けないほうが良いだろう。

まあでも、ひさびさに読めて楽しかった。この調子で電子書籍をもっとガンガン読んで電車通勤の楽しみが増えたと思っていたが、そんなことをすると目がボロボロになるのでほどほどにしておこう。

次はどっちかを読む予定。

ジェイムズ P.ホーガン 「星を継ぐもの」


フィリップ K.ディック 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」


しかし 「星を継ぐもの」を読んでしまうと、これはさらに続編があるので長丁場になりそうだし、「電気羊・・・」のほうにしておこうかな。

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