カーク船長の娯楽日記

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自己本位

ガラパゴス携帯からスマートフォンに変えて、バッテリーの減りが速いとか、大きくて邪魔だとか防水防塵ではないなどの理由で、釣りの時に意外に役に立たずに軽く失望していたところですが・・・

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良い点もありました。

電車内で読書するにはスマートフォンが楽であることに気づきました。

Amazonなどで電子書籍をダウンロードでき、中には無料なものも結構あります。青空文庫など著作権の切れたものがKindle用になって提供されていたりしています。

これを以前からiPadで読んだりしてましたが、電車の中で読むにはiPadminiでも少々大きいです。それが、iPhoneだと、以前のガラケーよりでかくても、iPadよりは小さいので、片手で持って読書がしやすいです。

夏目漱石などは書いたもののすべてが無料で読めてしまいます。

夏目漱石はだいたい今の私くらいの年齢で亡くなっています。50年も生きていなくても、立派な作品をたくさん残していて、前の1000円札が夏目漱石で良かったのに、野口英世になってしまいました。

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野口英世は、今で言うことろのオボ○タさんに近いところのある、かなりうさんくさい人物なので、お札にするのは国の恥ですから、やめたほうが良いです。

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なので、とりあえず夏目漱石をかなり読みましたが、高校時代に読んだのとは感じ方が違いました。これも加齢現象なのか・・・

夏目漱石は、高校〜浪人生時代にかなり読みまして、昔は小説が好きだったのですが、今だと小説を読んでもむしろぴんとこないです。不思議なものです。普通は逆みたいですが。

ただ、小説でも「こころ」など結論をわかっていて何度読んでも好きな作品で、これは今読んでも良かったですが(むしろ若い頃より)、昔は好きだった前期三部作の 『三四郎』、『それから』、『門』 あたりは、なんかぱっとしない感じでした。

それより、漱石が書いた評論がなかなか面白いです。

特に、「私の個人主義」あたりなど。



印象に残った文章を1つ抜き出しますと・・・

いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もない。



この作品は、夏目漱石が学習院大学の学生のために講演をした時の速記録を改稿して出版した評論です。

高校時代に受験対策として現代文の勉強のために読んだ記憶がありますが、当時はあまり意味がわかりませんでした。タイトルだけ見て、漱石は自分勝手な個人主義者なのかと思っていたほど。まあ、読めば違うとわかりますが。

漱石の言う個人主義は、自分勝手な個人主義ではありません。

彼が彼の「個人主義」を見出した最初のきっかけは、英文学の研究のために英国に留学していた時に気づいたこと、つまり、英国人と日本人とは違うのだと言うこと、のようです。

面倒なので簡単に、そして私流に解釈して言ってしまうと、イギリス人と日本人の感性、感覚、価値観などは違うものであり、どちらが優れているとか言うものではない。

なので、英国人が素晴らしいと感じるものを素晴らしいと感じる理由もふくめて、日本人が同じように思うとは限らないし、その必要もない。

まず、このことを英国での英文学の研究から感じて結論づけて、それで少し救われたようです。このことに思い至るまでには、漱石は英国人の偉い先生が解説する英文学のすばらしさに同じように共感できるとは限らないことにかなり悩んでいて、ノイローゼ寸前までなっていたようです。

しかし、英国人と日本人は違うし、違って良いのだと思うに至って、救われたと言うことです。

そして、当時の日本(今でもかわってませんが)は外国のものをありがたがり、外国の偉い先生の言うことをうのみにして、またその権威を引き合いに出してものごとを論じたり結論づけたりするが、そんな日本人の風潮についても批判しています。

その後は、外国人と日本人が違うように、自分と他人も違うことを理解した上で、漱石流の個人主義に行き着いたのかと思います。

生きて行く上で、「他者本位」ではなく「自己本位」で自分の「個性の発展」に努め、他者からそれを妨害されない、そして他者の個性の発展も妨害しないことが大切だ、と言う考え方になったようです。

ここで漱石が言っている「自己本位」は自分勝手と言う意味ではないのはおわかりかと思います。価値判断の基準が自分の内面にあると言うことなのではないかと思います(私の意見ですが)。

判断基準が自分の外側にあれば、誰かが言っている、みんなが言っていると言うことで行動が決まります。それは「他者本位」と言うことになるかと思います。「自己本位」はその逆でしょう。

あと、漱石の言っている「個性の発展」と言うのは、個人が幸福に満足して社会で生きられるために大切と思うこと、大切に思う生き方のために努力することだと思います。

これが、漱石の言う「私の個人主義」の意味のようです。たぶん。私の解釈と、一回読んだ程度のまとめなので、あやふやな部分もあるかとは思いますが、大筋では間違っていないのではないかな!?

そして、こうした「漱石流の個人主義」を通して自分の個性の発展を目指すすにあたって、同じように他者の個性の発展も尊重しなければならないと言うことを、学習院の学生に講演しているわけです。

他者の個性の発展を阻害するものとして、漱石は「権力」と「金力」の2つを挙げています。

権力は濫用されることによって、そして金は社会を堕落させる使われ方によって、漱石流の個人主義を阻害しかねないものだから、権力と金力を持つ者は人格者でなければならない、少なくとも人格をみがかなければならないとしています。

学習院の学生相手の講演だったので、彼ら学生が将来に権力と金力の両方を手に入れることになるでしょうから、どちらも使い方を間違えると、他人の生き方を抑圧することにつながると説明しているわけです。

内容の要点は以下の部分かと思います。


今までの論旨をかい摘んで見ると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三ヵ条に帰着するのであります。

 これを外の言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。それをもう一遍いい換えると、この三者を自由に享け楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。もし人格のないものが無暗に個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。そうしてこの三つのものは、貴方がたが将来において最も接近し易いものであるから、貴方がたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくては不可いだろうと思います。


まあ、権力も金力も無い私には、人格など無関係などとひらきなおっても良いでしょうが(笑)。

しかし、この評論を読んでいて1つ夏目漱石と自分の共通点を発見しました(笑)。

夏目漱石は、あきらかに「自己本位の人」だと言うことで、私も同じと言うことです。

この「自己本位」とは、自分勝手とかそういう意味ではなく、漱石の言葉で言うことろの「個性の発展」の基準、私流に解釈すると、価値観や人生観、行動の基準を自分の中に求める人と言うことです。

自己本位の逆は、「他者本位」だとすると、他者本位の人の行動パターンとして、「誰それが言っているから」とか「みんなやっているから」とか言う理由で物事を考える人のことかと思います。

明治時代の日本と言う国も、欧米列強に追いつけ追い越せの時代ですから、他の国がやっているから、どこの国もやっているから、と言うことで近代国家になり植民地を獲得し、一流の国になった気分に浸っていたわけで、まあそうしなければ逆に植民地にされていたでしょうから、これは避けようななかったからしょうがないのかとは思いますから、私的には断罪する気などはないのですが・・・

しかし、戦後の日本と言う国の形成もアメリカに言われるがままの部分もあり、近年に至ってはグローバルスタンダードのかけ声に従って国内の構造改革に精出す姿や、他国の顔色をうかがう外交姿勢などは「他国本位」丸出しだと思いますし、それはどうも心地が悪いですね。

個人の話にもどしますと、私でも以前から気づいていたことですが、どうも世の中には「自己本位の人」と「他者本位の人」がいるようです。

そして、私はわりと「自己本位」の度合いが強いようで、私と真逆な「他者本位」の度合いが強い人の考えや行動が理解できません。

自分と似たものは同じ欠点が見えて不快に思うことあり、自分と違いすぎる人は理解不能で不快に思うことありで、そうしたことが争いを生む要因の1つなのだろうかなと思いますが・・・

そもそも、漱石のように自己本位の人でなければ、漱石の言うことは理解・実行できないのではないでしょうか?

他者本位の人の中には、みんなの意見を強烈に押しつけて来る人がいます。それが単に「その瞬間の多数意見」にすぎないものなのに、です。

多くの人が感心を持ったからと言って、それが大事とは限らないと私は思ってしまいます。

昨日書いた、ベッキーの不倫騒動や有名人の失言などで騒ぐのが典型です。

とにかく私が一番嫌いな思考パターンである「みんながやっているから」と言うのは、漱石流の個人主義から言えば、よろしくないものであると思われます。

自分が嫌いなものを批判するのに、偉い人の権威を借りてやるのは卑怯な気もしますが(笑)、そもそも、漱石は「自己本位」を通すにあたっては、「人格」の形成と向上が必須であるとしているので、そういう点からそれば、私自身に自己本位を通して自分の個性を尊重する資格はいまだに無いと言うのが結論です(爆)。

まあでも、漱石は、「権力」と「金力」を行使するにあたって、「人格」が大事だと言っているのであって、私みたいに何の権力も金力も無い人間は、さしたる義務も責任もないから、人格をみがく必用もないかな!?

それから、漱石の言う「人格」というのがイマイチどういうものかわかりません。引用部分を参考にすれば、人格の形成とは「倫理的な修養を積むこと」と言う意味でしょうが、倫理的とはどういうことかと言うと、彼の文章からは、他者の個性の発展を邪魔せず、権力を濫用せず、金力で社会を腐敗させないことと言うことしかわかりません。

人格→倫理的→三箇条に必用→人格→倫理的→三箇条に必用→人格→・・・

堂々めぐりで、イマイチよくわかりません。

「人格」や「倫理」が何かイマイチよくわからないのは、私が人格者でも倫理的でもないからかもしれませんね。

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