カーク船長の娯楽日記

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議論できない日本人

私は実はかなり議論するのが好きな人間です。

大学時代までは友人といろんなことを、酒を飲みながら、それこそ朝まで議論したものです。

若かったので、将来の人生のこと、女性のこと(笑)、そして政治や社会のことなど。

高校までは北海道と言う土地柄もあって政治的にかなり偏った変な考え方でしたが、大学に入学してからは完全にノンポリ学生でした。

でもやっぱり政治の議論が大好きで、友人相手だと遠慮無く自分の考えを主張できるので、仮に議論でこてんぱんに負けたとしても、そういう議論をすることじたいが楽しみでした。

ところが、社会人になるとそうは行かない。

まわりにいる人間が、友人ではなく利害関係者であることが多くなるし、そういう人を相手に何でも議論することなどできません。

酒の席で政治の話をするなど、危険ですらあります。



政治の話よりも経済の話ならまだできる場合があるので、先日うっかりと経済の話をしたら偉い目にあったこともあります。

私が、マスコミでよく言われる(もともとは財務省発)「国の借金」と言う言い方には多くのウソや間違いが含まれていると言うことを説明するために、そもそも政府の財政において「赤字であることが必ずしも悪いわけではない」と言うと、あるおじさんが突然激怒しはじめました。

「赤字がいいわけないだろう!企業が赤字経営を続ければ潰れてしまうんだ!赤字は絶対にだめだ。国が潰れてしまう!」

と突然怒り出したのです。

そうなると、もう冷静にこっちの話などできません。

ようするに、何が正しいかを議論で知ろうと言う人などおらず、自分の信じていることと違うことを言う人間がいたら、話もきかずに激怒する、ほとんど宗教の信者と同じです。

学生時代に友人とよくやった議論での私の態度は違いました。

私より賢い人間ばかりだったので、議論ではいつもこてんぱんに負けてばかりでした。なので、考え方を変えた訳です。

議論とは、そこで勝って自分の正しさを証明したり、自分のプライドを守るためにするものではなく、自分の間違いに気づくためにするものであると。

本当の議論と言うのは、それに近いもので、議論を通じてより正しい答えに近づくのが目的なのです。

でも、実際の議論は往々にしてそうはならず、いかに自分の主張が正しいかをゴリ押しする場のようになりがちです。今のマスコミ上での政治の議論がそうです。

私は、自分の考えが絶対とは思っていないので、議論して相手の言っていることが納得行くものであれば、それまでの自分の考えをあっさり捨てて、考えを変えます。

例えば私は以前には、国の借金が膨大だから、とにかく無駄を省いてできるだけ早く消費税を増税して財政再建すべきと思っていました。

でも、議論と言うか、いろんな人の話を聞いた上で自分でいろいろ調べたりなど勉強していくうちに、「自分の考えは何かおかしい」と思って、最終的には考えを変えた、間違いを修正しただけです。

自分の考えは間違っているかもしれない。

そういう謙虚さがあれば、自分と違うことを言っている人の話も聞いてみようかと思うでしょう。でも、そういう人は案外少ないものです。

自分の信じていることが間違いとわれば、自我が崩壊してしまうのでしょう。人間の心とは案外に脆いものです。

しかし人と違うことを言う人の意見はもっと尊重されたほうが良いと思います。少数派の意見と言うのは貴重です。

もちろん、ただ変な人だから少数派になっているだけと言う場合もありますが、少数なのに堂々と意見を言うのはかなりの覚悟がいることです。

そういう覚悟を持ってみんなと違うことを言う人の話は、ちょっと聞いてみる価値があるというのが私の考えです。

でも、日本人は議論ができないと言われます。

実際、テレビでよくある討論番組でやっているのは、議論ではなく、詭弁や強弁によって「いかに自分の意見をゴリ押しするか」「どうやって相手にイエスと言わせるか」と言うことでしょう。

そこでは、何が本当に正しいのかと言うことなど置き去りです。

そういう人の言うことを本当に信用して大丈夫なんでしょうかね。

相手におもわず「YES」と言わせてしまえば勝ちだと思っている人たちを信用して、本当に大丈夫なのかどうか・・・

選挙では、自分の所属している団体があるような人は、そこでプッシュしている候補なり政党なりに投票すればそれで良いでしょう。

問題は、私のような無党派層です。

今や、選挙結果は無党派層の動向できまる時代です。

今後の日本がどうなるかは、いわゆる無党派層がどう投票するかできまってしまうのです。

そう考えると、簡単に投票などできないと思うのが普通の感覚でしょう。

おいそれと判断はできない、かなりしっかり勉強して、その上で、自分が首相になったつもりで日本の将来をどうするか考えた上でなければ投票できないと考えるのが普通だと思います。

と言うか、私はそう思うので、やっぱり責任取れないものにたいしては辞退せざるを得ない。

だから投票には行かない。

それが結論です。

・・・と言うのはウソで、実際には、選挙結果が1票差できまったことなど過去に一度も無いし、今後も無いでしょう。

だから、自分が投票しようがしまいが、結果を変えることはできない、そう考えると、投票に行く意味はありません。

マクロ的にみると、誰も投票に行かなくなれば選挙が成り立ちませんが、ミクロ的に見れば1票差で結果が左右されることは無いので選挙に行く意味は無い。

マクロとミクロでは違うのです。

そして、個人個人はミクロ的に見た合理性で行動するより他にない。

それが結論であります。
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