カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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変わりすぎ・・・

子供の頃は21世紀など遙か未来の話、そんな時代まで自分が生きているとは想像もつかなかったが、気づいてみれば今年は2011年、21世紀に入って、はや10年が経過したことになる。

中学生くらいの頃に想像していた未来とはまるで違う現実がおしよせてきている。

科学技術の進歩は当時予想されたものよりかなり遅れ、技術革新がすべてを解決する訳でもなく、科学技術万能の社会はやってこなかった。それどころか、技術がひきおこす弊害(の予想)に悩まされ怯える時代・・・

この点で変わったのは、昔は技術が起こした現実(=公害問題)に悩まされるということだったが、現在は、技術が起こしているかもしれない(まだ起こっていない)問題=環境問題、という点だろうか。

しかし、自らの経済活動やテクノロジーが引き起こす弊害に怯え続ける人類という位置づけは昔と何も変わっていない。

逆に、変わりすぎて私にはついて行けないのが、「日本人の価値観の変化」である。

とにかく変われ変われ、チェンジチェンジといって、自分では適応しているつもりなのかもしれないが、正直、自分を見失っているようにしか見えないが・・・

日本が経済発展していた時期は、むしろ金銭のことを軽蔑する風潮もどこかにあって、金より大事なものがあるというのは常識だったが、最近は、とにかく経済・経済と、不調だから言われるのかもしれないが、明らかにかわっている。

1つの大きな原因は、子供まで消費者にしてしまったせいではないかと思われる。

現代は「消費社会文化」が全盛の時代。金さえ払えばサービスが受けられて当然、消費することで何か一人前になれたような気分になる。

しかし、消費というのは一番虚しい行為である。

人間としての人生がどれだけ充実したものであるかどうかは、もちろん価値観にもよるだろうが、どれだけ消費したかではなく、どれだけ生産したか、ということではないかと思う。

なので、小さい子供にはまず生産するよろこびや学習する楽しみ、何かを作り出すことのすばらしさを教えるのが先だろうと思うのだが、めんどくさいのでとりあえず金を渡してそれでモノやサービスを与えてごまかしているが、小さい頃から消費する快楽ばかり教えてどうするのか。

どれだけ消費したかで人生の充実度は測れない。消費ばかりの人生は虚しいものである。

自分が死ぬときに、どれだけ楽しんだか、どれだけ遊べたかで満足して死ねる人は良いかもしれないが、実際には人はそれだけでは満足できないはずである。

私自身のことを考えてみても、平和で豊かな時代に生まれ育ったために、一般的な意味での人生の楽しみ、消費する快楽その他ならば、もうほぼ十分に体験して満足している。

だから、楽しんだかどうかではなく、もっとその先のこと、何をどれだけ作れたか、残せたか、問題をどれだけ解決できたか、生産できたか、発見できたか、理解できたか、ということに関心がある。

しかし、気づいてみると、人一倍、何も生産できていない、何も残せていない、何を発見も理解もできていない自分がいる。

そろそろ真剣に考えておかないと、残された時間が無駄になってしまうかもしれない。
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