カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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これがヤマト・・・!?

こんな本を買った。

「ヤマトことば」

宇宙戦艦ヤマト 愛と勇気の金言集 ヤマトことば宇宙戦艦ヤマト 愛と勇気の金言集 ヤマトことば
(2010/10/02)
ヤマトことば研究会

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気の利いたタイトルにはなっているが、アマゾンのレビューに「安手のビジネス教訓本みたいな解説でがっかり」とあったので不安に思いながらパラパラとめくってみた。

自己啓発本とか、ビジネス教訓本のたぐいは反吐がでるほど嫌いなので・・・

が、全体に文字が少なく、名言と言われている言葉も、ワンフレーズのものが多いので、そこから教訓めいたものを一般の人が見いだすのは無理があるだろう。

昔のヤマトファンが懐かしく思いながら、名言&迷言を楽しめるようにはなっている。

デスラーの「ガミラスに下品な男は不要だ」と言うセリフとともに部下を一瞬にして床下に落下させて処刑した名シーンなどが思い出される。

それから、ヤマト3で印象深かった迷言2つもしっかり収録されている。

南部の「一発、ぶちこんでみましょうか」というセリフと、土門の「この星を占領しましょう」というセリフ。どちらも見ていて吹き出した記憶がある。

しかし、私が一番名言と思っている言葉が、どこを探しても見あたらない。

これこそ、宇宙戦艦ヤマトという作品の精神をもっとも象徴していると思われる言葉である。少々長いのではぶかれたのか、編者のイデオロギーにはあわなかったのか(たぶんこちらだろう)、どこにも痕跡が無い。

そのセリフとは、少々長いが、以下の太字の部分である。

時に西暦2199年。地球はいまや最後の時を迎えようとしていた。謎の星ガミラスの遊星爆弾による攻撃は、地球を放射能で汚染し、人類絶滅の日まであと1年と迫っていた。

圧倒的なガミラス艦隊の前に地球人類の最後の望みは、沖田提督率いる地球防衛艦隊を残すのみであったが、地球防衛軍側の最後の戦力を結集して臨んだ冥王星海戦もガミラス艦隊との戦力差は明白であり、地球艦隊は敵にほとんど損害を与えることすらなく一方的に1隻また1隻と撃沈されて行った。

もはや地球側の艦隊は沖田艦長の指揮する旗艦《英雄》と古代守の指揮する駆逐艦《ゆきかぜ》の2隻を残すのみ。

 沖田「我々の艦隊はあと何隻残っているか?」

 通信士「本艦の他、駆逐艦が1隻だけです」

 沖田 「誰の艦だ?」

 通信士「護衛隊長・古代の艦であります」

 沖田「もうこれまでだな。撤退しよう」

 通信士「艦長!逃げるんですか?」

 沖田「このままでは自滅するだけだ。撤退する。進路反転180度。」


撤退する《英雄》。しかし《ゆきかぜ》はそれに続こうとはしない。


 沖田「古代、わしに続け」

 古代「僕はイヤです。
     ここで撤退したら、死んで行った者に顔向けできません」

 沖田「いいか古代、ここで今全滅してしまっては、
    地球を守るために戦うものがいなくなってしまうんだ。
    明日のために今日の屈辱に耐えるんだ。それが男だ」

 古代「沖田さん、男だったら、戦って、戦って、戦い抜いて、
   1つでも多くの敵をやっつけて、死ぬべきじゃないんですか」


 沖田「古代、わかってくれ・・・・・・」

 通信士「古代の船がついてきません」

《ゆきかぜ》はガミラス艦隊のど真ん中へ突撃し、次々に敵艦の主砲による集中砲火をあび、宇宙の彼方へと沈んでゆく・・・



実際の映像でも見ることができる。



中学の頃、友人Yとはいつも政治や哲学や文学などで激論をかわしていた。彼との議論ではヤマトについても良く話題にのぼっていた。

中学生の時点で彼は、ヤマトという作品には反米精神が暗示されていることや、戦前の特攻精神のようなものを美化する点があると指摘していた。

たとえば、地球が遊星爆弾で放射能汚染にみまわれるのは、原爆投下を揶揄しているのだとか、第二作目の彗星帝国は欧米の植民地主義を皮肉っているその他。

当時は、なるほどそうなのか、それは危ないアニメだなあと、そんな認識で、一端はそういう考えとは反対方向に向かった私だったが、年を取って、やはり自分はこちら側であることがだんだんとわかってきた。

この古代守の言葉こそヤマトという作品の中で最高の名言だと思うのだが、まあ、現代の日本人がそう思うはずもなく、この国の精神も敗戦後60年以上もたって、完全にアメリカ人と同化してしまったということだろう。

面白いことに、もう一冊買った本がそのことを証明している。12月に公開されるキムタク主演のヤマト実写版の小説化されたものである。

「Space battleship ヤマト」

SPACE BATTLESHIP ヤマト (小学館文庫 わ 9-2)SPACE BATTLESHIP ヤマト (小学館文庫 わ 9-2)
(2010/10/06)
涌井 学

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キムタク主演でヤマトを実写映画にしたもの。この映画のHPを見た時も思ったが、このノベライズ本を読んでさらに確信したのは、日本人の変節ということだろうか。

パラパラとめくってみると、やたらと「自分は生き残る」とか「生きて還る」というセリフが目に入ってくる。これだけで、もう嘘臭い、読む気が失せてしまった。

日本人は本当に単純バカだと思うのは、なんか戦前が悪いとなったら、じゃあその反対をやっとけば良いみたいな安易な考え方をしがちだからである。

アメリカ映画でも特攻するものはよくある(インディペンデンス・デイ他)し、自己犠牲の尊さを説くような映画はむしろアメリカ映画のほうが多い。さすが戦争をする国であるだけに、そこらへんは抜かりが無いのである。

日本は、戦後はそういうことをとにかく考えたくもない、そういう人ばかりなので、状況によっては自分が犠牲にならなければならないとか、特攻みたいことをしなければならないこともある、とかいろんな局面を想像してみるということができなくなっているのだろう。

だから、登場人物に、いきなり戦う前に「俺は生き残るよ」みたいな間抜けなことを言わせてしまうのではないかと思う。戦いは相手を殺すのだから、自分も死ぬ覚悟でやるのが最低限の礼儀?ではないのかと思うが。


映画では、さらに「日本人が初めて世界に挑むSFエンターテインメント」なんてあるが大笑いである。こういうことを言う者の世界と言ったら、せいぜいハリウッドのことだろう。

特攻していた日本人が、ここまで「まとも」な価値観になりましたよと、でもご報告申し上げたいのだろうか?

この映画のHPを見ると、主題歌をエアロスミスのボーカルなんかに歌わせて、まるっきりハリウッド映画の劣化コピーでしかない雰囲気がプンプン漂っている。アホか。

日本人が世界に出て行くなら、まず自分たちのアイデンティティーを確認することが先である。世界の人々と区別なく同じようになって真似しても、世界では逆に通用しない。

ヤマトというのはSFエンターテインメントなどではなく、音楽劇でありかつ浪花節なのだ。

世界のものまねをして世界進出したいなら、何もヤマトでやらなくても良いだろうに。

友人Y。今、彼がいてくれたら、ひさしぶりにまたこの話題について激論をかわしてみたいのだが・・・。

彼とは高校卒業まで親しくしていたが、その後、私より先に大学に入ってすさんだ生活をしていたようで、私がなんとか大学に入学できた頃には突如として失踪してしまって、その後は連絡がつかなくなってしまった。

彼とほとんど連絡をとらなかった1年少々の間に、彼に一体何があったのか!?

果たして、生きているのかどうなのか?ネットで名前を検索しても、まったくヒットもしない。
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