カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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ヒエラルキー

人間とは不平等なものである。

人は生まれながらに平等である、というのは、現実があまりに不平等であるからこそ、平等であって欲しい、平等であるべきだ、という願望から発せられた言葉なのだろう。

そして、平等でないからには、常に人はさまざまな序列の中に組み込まれることが避けられない。

この私自身とて、決してすべての人を平等に扱っているわけではない。

人の集団があれば、そこに序列ができ、また人間関係においても優先順位というものが生じる。地球の裏側の会ったこともない人間と自分の家族とが同等なはずがないのである。

しかし、時にそのような優先順位や序列を見たくない!と思うこともある。

仕事の立場において序列に組み込まれるのはしょうがない。田舎の地元の先輩後輩関係や学生時代の上下関係がいつまでも続くのもこれまたしかたがないし、どうということはない。他人よりも家族を優先するのもあたりまえである。

しかし、そうではない場面では、やはりあまりそのような序列は見たくないと私は思うのである。

そういう序列において、自分が明らかに下位に置かれていることがわかると、しょうがないと思いつつ、嫉妬してもいけないと思いつつも、やはりそういう序列に置かれることの寂しさ、不快さから逃れられなくなるのである。

だから人付き合いは難しい、私は孤独を選ぶし、これまでも選び続けてきたということなのだろう。

まあ、世の中そんなものであるし、自分がその程度の存在であるということだ。これは、いじけて言っている訳ではなく、自分も含めて、立派な人間や信頼に足る人間というものがそう滅多に見つかるものではないということが言いたいのである。

青年よ、あえて孤独の路をえらべ。感傷に浸って人間関係に執着するな!

新入生にはそうエールを送ることにしよう。

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