カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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ややショック!

今日はまだ3月で、まだ4月になっていないというのに、朝のNHKのニュース「おはよう日本」が一新されていた。

キャスター勢がみな入れ替わっていた。

最近は毎朝、朝食を食いながらNHKの「おはよう日本」を見ていて、まあスポーツになった時だけ他の局に変えたりしていたのだが(「大倉アナウンサーのイチオシスポーツ」など、どうでも良い)、この番組は、フジテレビほど軽薄ではなく、明るく元気だが軽すぎない落ち着いて見ることのできる感じの女子アナがいて、とても気に入っていたのだが・・・。

どうも土曜日の早朝のみに変わったようだ。まあ、どうせじっくり見る番組でもないから、どうでも良いと言えばどうでも良いのだが・・・

驚き・恐怖 | Comments(0) | Trackbacks(-)

寒かった・・・

今日は寒かった・・・気温も釣果も・・・。

今シーズンの私にとっての、たぶん最後になると思われるメバル釣りだったが、撃沈だった。

釣れたメバル(1匹)とガシラ(4匹)はまずまずの型だったが、5匹は寂しい・・・

しかし、何か最近は釣り堀でも何でも、さっぱり釣れないのに慣れてきた(爆)。

船メバル釣りはまた来年に期待しよう。本心を言えば、あと1回くらい行きたいが・・・ここしばらく週末はあまりにスケジュールがきつくなっているし、他の楽しみもあるので。船釣りばかりが楽しみでもないしねえ!

くまさん、Kさん、お疲れさまでしたー。

あ、Kさんはドタキャンしたことになっているんでしたっけ(笑)。

釣り | Comments(2) | Trackbacks(-)

また買っちゃったよ

仕事と関係の無い本をまた買ってしまった。

先日までに買った本を、すべてくまなく読んだわけではないが、ほぼ自分なりに読めたと思ったので、今日はたまたま昼に大きな本屋に行くこともあって、ついまた買ってしまった。

面白そうな順にならべると・・・

DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
(2008/01)
崎谷 満

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こういう研究も面白うそうだと思うなあ。今さらちょっと無理だけど。

アイヌ語地名で旅する北海道 (朝日新書 103)アイヌ語地名で旅する北海道 (朝日新書 103)
(2008/03/13)
北道 邦彦

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北海道の地名のほとんどはアイヌ語由来である。なかなか面白い。ちなみに、アイヌ語の地名というのは北海道に限らず日本中にある。たとえば四万十川のシマントもアイヌ語である。

どうしてかと言うと、アイヌ人というのは、ようするに縄文人の系統ということだろうと思う。

日本列島にはその昔、南方から来たのかサハリン経由で来たのかしらないが(この本を読めばわかる!?)、縄文人が住んでいた。

その後、大陸や朝鮮半島から弥生人系の人たちが稲作文化という強力な力を持って渡来してきて、縄文人と混血となりなったり、縄文人が日本の辺縁部分(北海道・東北、四国の太平洋側、九州の一部、沖縄など)に追いやられた、というようなイメージで私は聞いていたのだが、どこまで正確な話か忘れた。

本当は買いたかったのはこの本だが無かったので・・・

日本のアイヌ語地名―東北から沖縄まで (三一新書)日本のアイヌ語地名―東北から沖縄まで (三一新書)
(1997/10)
大友 幸男

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マクルーハン (ちくま学芸文庫)マクルーハン (ちくま学芸文庫)
(2001/12)
W.テレンス ゴードン、W.Terrence Gordon 他

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ちくま学芸文庫にしては、絵がいっぱいで文字が少ないからすぐに読めそうだ。マクルーハンの有名な言葉、「メディアはメッセージである」「メディアはマッサージである」。


倫理がわかる事典―読みこなし使いこなし活用自在倫理がわかる事典―読みこなし使いこなし活用自在
(2000/12)
鷲田 小彌太

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この人の書いた「昭和思想史」の西部邁の項目には大いに疑問を感じたし正しく理解されていないように思ったが・・・この本は良さそうだ。

倫理としてのナショナリズム―グローバリズムの虚無を超えて倫理としてのナショナリズム―グローバリズムの虚無を超えて
(2005/01)
佐伯 啓思

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私は倫理や道徳というものについて、とても関心がある。仕事と若干関係のあるところでは、生命倫理みたいなことが今言われていて、この講義なんかもあるが、今言われている生命や医療にかかわる倫理感やその倫理学みたいものには大いに違和感があるので、私も理論武装して、おかしな倫理観には、いずれ一撃をかましてやりたいと思っている。


P450の分子生物学P450の分子生物学
(2003/10)
大村 恒雄、 他

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専門書は高すぎるよ(涙)。

読書・勉強 | Comments(0) | Trackbacks(-)

どうなのか!?

コレステロール、低い方が危険=男性は高いほど死亡率減る?富山大など

3月28日20時1分配信 時事通信

 血中の総コレステロール値が低い人は死亡リスクが高いことが28日までに、浜崎智仁富山大教授、大櫛陽一東海大教授らの研究で分かった。特に男性の場合、総コレステロール値が高いほどリスクが低くなる傾向がみられた。

 大櫛教授らの別の疫学調査では、「悪玉」とされるLDLコレステロールで同様の傾向がみられた。

 4月から始まる特定健診では、LDLが一定値以上だと受診勧奨となるが、浜崎教授は「コレステロールを悪者にする説はもともと米国から来たもの。米国は心臓疾患や肥満が多く、体質が違う。不必要な人まで薬物治療の対象になる」と懸念している。

 同教授らは、コレステロールと死亡率に関する国内の疫学調査を検索し、「5000人以上を5年以上追跡」などの条件で5本の文献に絞り込み、延べ約17万3500人分を「メタ分析」という手法で解析した。 


たしかに、欧米人と日本人は、かなり体質が違うから、違うということもあるのかもしれない・・・。とりあえずは、もっと大規模な調査が必要だろうなー。

私自身は、血中コレステロールが、若干基準値オーバーもしくはギリギリ基準値の範囲というくらいであるが・・・。

あと、ウエスト何センチ以上がメタボとか言うような滅茶苦茶な基準が、学会の権威というか、お偉い先生の力でばらまかれているようでは、しばらくは、まともな事実が通りにくいのかもしれない。

私も専門でも何でもないので、ここらへんは本当のところはわからない。

自然と科学 | Comments(2) | Trackbacks(-)

何をしているんだか・・・

仕事について、ちょっとした目標ができて、そのために色々勉強しなければと思っているのだが・・・。

何年先になるかわからないが、何か仕事に関連した本でも書ければと、そんな無謀な夢を抱いているのだが、そのためには、あらためて専門書をひもといて勉強をしなければならないし、膨大な量の論文も読まなければならない。

まあ、読むのはたいしたことではないのだが、書くのは大変だろう。そして、書くのよりも出版するのがもっと大変だろう。無名な職場の無名な人間の本など売れるワケがないしね!

本や論文を読むのはたいしたことではないと言いながら、まあ論文のほうがちょぼちょぼ読んでいるが、本のほうはこの1ヶ月で5?6冊読んだが、すべて専門とはまるで関係のないものばかり読んでいた。これで良いのだろうかと思わずにはいられないが・・・

勉強で一番大事なのは、「意欲」だと思うが、私の場合、意欲の源が自分の興味や関心に傾きすぎて、もうちょっと利益とか損得みたいなものに配慮できたらと思うのだが・・・。

仕事がらみでいまさらだが、ちょぼちょぼ専門書のほうも読み始めている。

遺伝子遺伝子
(2006/02)
ベンジャミン ルーイン

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こういう分野は、本の内容がすぐに古くなって、新しい版が出るから困る。これは第8版である。また、都会の電話帳みたいに分厚くて困るし、値段も1万円以上もした。自腹である。専門書を自分の裁量で自由に職場の金で買えるような身分に早くなりたいなあ。給料が少々減ってもそれだったらば良いと思える。

哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

逃げているのは私のほう

世の中のいろんな物事や価値観について、中学の頃から私は議論好きで、いつもまわりには同じように議論好きな友人がいて、意見の違いからよくケンカしたりもめたりもしましたが、ともかく常に色々と議論をしていました。政治や宗教から生と死、人生についてとか、恋愛、男女関係、猥談に至るまで、それこそタブー無しです(笑)。

それが、大人になってから、なかなかそういう「遠慮無しの議論」ができる友人にはめぐりあえないというような話を先日書きましたが、これには私のほうに大きな原因があります。

もちろん、私の意見というのは、だいたいが何かに対する批判が中心になるので、ふと何かを批判した時に、思わぬところにその関係者がいたりして不愉快な思いをさせたり、やたらと物事に批判的なアブナイ奴と敬遠されたり、相手の価値観と衝突して感情的になられたりなどというようなことがあまりに多いので、いつしか私は人と仕事以外で議論するのを避けるようになりました。

ブログでは勇ましい口調で断定的に書いている私ですが、日常生活では他の人と意見が違っても、「あー、そうですよねー」などと調子の良いことを言ってしまい、後になってこのブログで「いや、そういう考えはイカン!」なんて書いたりしているという情けない状態なのです。

いつまでも子供ではいられないから仕方の無いことですが、子供のように素朴に自分の意見をぶつけたり主張したりできる人がうらやましいと思います。そういう人は強いんでしょうね、やっぱり。私はせいぜいこの場でいきり立つくらいの事しかできません(涙)。

哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

独創力

独創力とは何か、それがテーマの番組を見たと言う話を昨日書いたが、どうもあの番組ではまともな論点で論じられていなかったようなので、私なりにおちついて考えてみた。

(個人の持つ)独創力を考える場合には、それとセットで(社会を支配する)固定観念というものについてもあわせて論じなければならないと思う。

独創力というのは、辞書的な意味で言うなら、「人の真似ではなく自分独りの考えで独特のものを作り出すこと」ということのようだ。しかし、これでは独創と独特の区別がつきにくいから不十分な定義だと思う。

個人の発想によって社会の固定観念をゆるがすような場合を独創と呼ぶのが適切だと私は思うし、先日の番組で教授らが「独創的と思う」としてあげた人物たちも、だいたいがそういう業績をあげた人たちだった。

ただ、学生アンケートで1位だったのは、イチローだったが、これは前に書いた理由でちょっと違うと思う。

学者先生がたが上げたのは、ゴリラの行動の研究者は今西錦司 を、発生生物学者はメンデルを、火山・地質学者はウェゲナーをそれぞれ挙げた。

私が勉強させてもらっている社会思想史の学者は「特になし」だったのは笑ったが・・・。

科学の分野での独創力を持った人物というのは、わりとわかりやすい。それまでの科学の常識として信じられていたものが、実は事実ではなく、固定観念にすぎなかったということを見いだした人である。

生物の遺伝に規則性など無いという固定観念が支配する世の中で、遺伝子という概念にたどりついたメンデルも、大陸というものが動くはずが無いという固定観念が支配する世の中で大陸移動説を唱えたウェゲナーも、どちらもその後に正しさが証明され、彼らは独創的な人物であることがわかった。

誰も言っていなかったが、ダーウィンも独創的だろうと思う。当時は生物の種というのは神が天地創造によって作り出した被創造物であり、不変であると信じられていたところに、種の進化のメカニズムを発見した。

さらに言えば、ニュートンもそうだろう。

ニュートンで思い出したが、爆笑の太田がやはり勉強不足と思ったのは、ニュートンが万有引力の法則を発見したのは、リンゴが木から落ちるのを見て・・・と言っていたが、これでは50点以下の回答である。

リンゴが木から落ちるのを見て、地球には引力があるなんて、ニュートンじゃなくても誰でもわかるし、それだけなら何の発見でもない。

ニュートンが偉かったのは、もっと徹底的に考え抜いたからである。

木の高さからだとリンゴは落ちるが、もっと空高くからだとどうなるか?

たとえば、月の高さまで持ち上げるとどうなるか。そもそも、月は何故地球に向かって落ちてこないのか・・・

そこまで考えて、月が地球に向かって「落下」してこないのは、地球の重力と月が地球の周りを回ることで生じる遠心力とな釣り合って、月は地球の周りを回ることによって落下しないということに思いを至らせ(これとて、かなり大雑把でいい加減・不正確な説明だが・・・)、それを数学的に表現することで「万有引力の法則」の発見に成功したのだ。

そういうことも知らないで、よくもあんな口の利き方をできたものだ。議論に加わるにも資格が必要だろうと思う。京大で勉強するには京大の入学試験にパスしなければならないのと同じく、ああいう場で議論するには、やはり議論に必要な最低限の礼儀と最低限の良識くらいは身につける努力くらいしておくべきだと思う。

それに、学問をする上で一番大切なのは、「無知の知」つまり、自分にはたくさん知らないことがある、もしかして自分は間違っているかもしれないということを知っているという謙虚さである。

私はいつも断定的な口調でばかり書いているが、誰よりもそのことをわかっているつもりである。

話をもどすと、固定観念というのも、しかし実はあまりバカにしてはいけない。

自然科学の分野においては、固定観念というのはどんどん改められるほど良いが、社会科学の分野においてはそうとは限らないところがある。

社会思想史の教授も言っていたが、社会科学の概念というのは、自然科学のように検証することが不可能である。

だから、何が正しいのかわからない。マルクス主義も間違っていたし、固定観念(イデオロギー)にすぎなかった。今のアメリカ流の経済学も、おそらく同じ可能性がある。

しかし、だからと言ってすべての固定観念、宗教や歴史的価値観や文化にまつわる固定観念までも否定してくつがえすような、そういうことを急激にやって良いかどうかとなると、かなり疑問である。

だから、社会科学の分野においては、あんまり独創的なことをやるのは、非常識の奨励になりかねない場合があるし、いたずらに社会を混乱させるだけということにもなりかねない。

独創性というものをむやみやたらと持ち上げるべきではないのだ。

読書・勉強 | Comments(0) | Trackbacks(-)

マツザカの醜態こそ戦後日本人の姿

もっとブログではじけてくれ!というリクエストを頂いたので、誰かに遠慮するのはもうやめて、メジャーファンから嫌われることを覚悟の上で、今日はもうやけくそで書くことにした(笑)。

このところ、テレビではメジャーの開幕戦を放送しているようだ。どうやら日本でやっているようで、ちょっと目についてしまった。

私は昔は熱狂的に野球が好きだったが、最近はプロ野球もプロ野球選手の大半も嫌いになってしまい、中でもメジャーは大嫌いなので、普通ならばまず絶対に見ないのだが、テレビのチャンネルを落ち尽きなくひっきりなしに変えるという悪癖があるため(最終的にはテレビを消す)、たまたま目についた。

そして、ふと見ると、ベンチにいるマツザカのアップだった。その時の松坂のあまりの醜い様子に、大きく失望した。というか、もともと何の期待もしていなかったのだが、あらためて唖然とした。

薄汚い茶色とも何ともつかない色で染められたあの頭髪。口には意地汚くガムをほおばり、ひっきりなしにくちゃくちゃと音を立て、チンパンジーの如く落ちつきなくアゴを動かしている。

またメジャーでは、ガムを噛むのをやめたかと思うとひまわりの種かなにかをほおばり、その残骸をそこらじゅうに吐き散らかすみっともなさ。何だろうかこれは。

彼みたいなのに、ただメジャーで活躍しているというだけで、最近の野球少年達があこがれているのかと思うと、正直、絶望的な気持になる。

朝青龍にしてもそうだが、勝負に勝ちさえすればあとは何をしてもどうふるまっても良いなどという風潮に、一体いつから日本人は染まってしまったのか!?

まあ、外国人の真似ばかりしたがる習性というのがあるのかもしれない。

マツザカにしても、メジャーリーガーに憧れるあまり、彼らのやっている醜い行為まで真似せずにはいられない、そういうみっともなさを格好良いと勘違いしている愚かさは、見ていられない。

自らすすんで日本人としての美風を捨て、二流アメリカ人になることに喜びを見いだすなさけない男。それがマツザカの、いや、戦後日本人の一般的な姿かもしれない。

二流アメリカ人、二等白人みたいにふるまって喜ぶ日本人はかなり多いし、マツザカがもてはやされる限りは、そういう人種が今後も増殖して行くことだろう。

しかし、アメリカ人に自らケツの穴を差し出すような真似だけはやめて欲しいものだ。

哀愁 | Comments(2) | Trackbacks(-)

「爆笑問題」の問題

テレビを見て腹が立つと言えば、まあ昨日もだったが、NHKでやっていたこの番組。

爆笑問題のニッポンの教養

私は三ヶ月に1回ほど、京都まで行って、今の自分の専門とはまったく関係のない文系の分野の勉強をさせてもらっているのだが、それでお世話になっている先生が出ていたので、見ようと思ったわけだが・・・

私は爆笑問題の太田というのは、一番嫌いなタイプ、利口ぶるバカの典型だと思っていて、昨日見てもやはりその私の認識は正しいとさらに確信を深めたが、とにかく何も知らない何も勉強していない、わかってもいないくせに、自信だけ過剰で、それも演技かもしれないが、口先だけで屁理屈をこね回すから、深い議論にはならない、駄々っ子みたいなどうしようもない奴だとしか思えない。

彼みたいな奴の口先だけで屁理屈をこねまわしている偶然出た言葉に勝手に想像力を働かせて彼が何か立派なことを言ったかのように錯覚してしまう人というのが世の中には多いようだ。

それでも確かに、その場に思いついた適当な内容の言葉でも、下手な鉄砲数打ちゃ当たる的に、時折鋭いことを言っている場合もあった。

それは、科学というものの認識の仕方についてである。

太田はバカだから、科学というのは万能でありすべての真実をいずれは解決してくれるものと思っていたようだ。

しかし、そんな訳はない、むしろ限定された問題にしか答えることはできない。将来にわたって、答えは増えてゆくかもしれないが、結局は人間の認識の話になるので、信じるかどうかというレベル、宗教やイデオロギーと同レベルであるということに、太田は偶然気づいたようだ。

まあ、太田のほうがどうでも良いが、この太田にかみついた学生が1人だけいて、かなり声がうわずっていてアブナイ感じだったが、言っていることはなかなかしっかりしている、まともな事言っている、私が太田に言ってやりたいと思ったことを言ってくれる学生がいて驚いたのだが、その学生は何と、私がお世話になっている先生の講義を聴いて感動したという学生だった。なるほどね。

テーマは「独創力」ということだった。

「独創力のある人は誰か」と聴衆である京大生らにアンケートをした結果、1位は何とイチローだった。

京大生もどうかしているんじゃないかと思った。

独創力というのは、その人のオリジナリティーというか、それまでの常識を覆すような新しい転換点を見いだした人であり、多くはその当時の常識と衝突するために成功できない、後になって認められるような発想を持ったものだと思う。

たしかに、振り子打法というのは独創的なのかもしれないし、最初は認められなかった。でも認めなかったのはせいぜい土井監督くらいで、その次の仰木監督は認めれくれたわけだし、自分を貫いたイチローの姿勢はすばらしいと思うが、フォームを変えていた成功しなかったかどうかは不明である。

それから、イチローは、彼自身が野球の世界で結果的に成功しただけであって、振り子打法が野球そのものの常識やあり方を変えたり覆したわけではない。王選手の一本足打法とか野茂のトルネードとか村田兆治のマサカリ投法とか、たしかに一見してどれも独創的と言えるのかもしれないが、同じような部類のものだろう。

どれも、彼らなりの独自性ではあると思うが、独自性=独創性かというと、ちょっと違うのではないか?

個人の持つ独特さが創造性と何か結びついているのでなければ、独創とは言えないだろう。プロ野球のあり方に何か転換点を与えるようなインパクトを残したと言えるのでなければ、ただ変わったフォームで成功しただけでは、独特ではあるが独創とは言えないのではないか!?

たとえばスキーのジャンプで、昔はみんな2枚のスキー板を必ず平行にして飛んでいたが、いつしかクロスさせるようになった。あれを考え出した人というのは、誰かしらないが、あれを成し得た能力こそ独創力だと私は思う。

私はイチローはむしろ職人だと思っている。そして独創家よりも職人のほうが私は立派だと思っている。

独創家や革命家というのは、社会の常識を混乱させるところがある。真実も大事だが、秩序も大事である。それに、個人の独創が、どこまでその個人のみのオリジナリティーから出たものと言えるのか。

それは、その個人の属してきた集団における歴史、過去の土台があって、その上に築かれるものである以上は、たとえ古い常識を覆すものであったとしても、独創性の根元のすべてをその個人のみに求めるのは、行き過ぎた個人主義だろうと思う。

ところで番組に参加していたのは以下のメンバーであった。

●尾池和夫総長(地震学)   ●佐伯啓思(社会思想史)
●阿辻哲次(中国文化史)   ●中辻憲夫(発生生物学)
●鎌田浩毅(火山学)     ●山極壽一(霊長類社会生態学)
●小山勝二(エックス線天文学)

ほとんどが理系の教授ばかり、科学者ばかりだったが、たった2人の文系の教授のほうが私からして、まともなことを言っているように思えた。

最近、理系の人間の発想の狭さに嫌気がさしているところだったので、なおさらなのかもしれない。

理系人間というのは、理屈を過信しすぎているし、技術的知識にどっぷり漬かりすぎている。

しかし、理屈というのは前提が必要。その出発点をどこに置くかによって、同じ理屈を用いても、到達する結論はまるで違ってくるということがある。

重要なのは、理屈の前提となる「常識」のほうである。

太田が無意味な言葉を連発してがちゃがちゃ騒いでいたのは時間の無駄で、ああいうのが無ければもっと良いのにと思ったが、ああいうバカ騒ぎのほうが視聴率は取れるんだろう。学者のまじめな話など誰も聞きたがらないのかもしれない。

しかし、爆笑問題の議論はかなり幼稚であまりに無知すぎるところはあったが、学生時代の私も、かなりああいう感じで、友人らといろいろな事について議論していた。

いや、中学の頃から私はそうだった。音楽やら文学やら、政治やら哲学やら自然科学やらSFやら・・・ともかく、そういう自分の関心のあるものについて、熱のこもった議論をしてくれる友人が、たいてい何人かはいた。

ところが、就職したあたりから、どうもそういう友人・知人がまわりからいなくなってしまった。

と同時に、人間も大人になってくると、かなり考え方が固まってきて、例えば政治の話題について議論などしにくくなってくる。イデオロギーが固まってくるから。

場合によっては差別やら拒絶やらを招く可能性すらある。

何かを不用意に批判してしまった時に、その間接的な関係者がいたりして、不愉快な思いをさせてしまったり、対立するイデオロギーを刺激してしまって恨まれたり差別されたり・・・

この前の参議院選挙で与党から当選した候補の親が同じ職場にいたりとかいうことも後で知ったりして(全然部署が違うのであうことは無いだろうが)、うかつに政治家の悪口も言えないと思った。

かと言って、汚職政治家を弁護したりガソリン税の暫定税率は下げるべきではないなどと言ったりしてしまうと、私自身が薄汚い政治家のような目でみられてしまう(実話)。

だから、職場では私は政治や歴史などイデオロギーに関係することに関して話すことは、かなり慎重である。

とてもじゃないが、このブログで書いている程度ですら、言うことはできない。

大学関係者というのは左がかった人が多いが、私はそういうのとは反対の思想であるから、私の思想が知れ渡ると、仕事上の不利益を被る可能性すら無いとは言えない。

しかし、私はそういうことをしゃべって恨みっこ無しの議論をしたいのだが・・・やはりみんな感情的になったり根に持ったりされてもこまるから、学生時代のような議論は期待しても無駄なのだろう。

それが時々こみ上げる虚しさの原因であることには気づいていたが・・・。

怒り | Comments(0) | Trackbacks(-)

人相が・・・

ブログでは、いつも何かに腹を立てたり悩んだりしているような私だが、実際はそうでもない。

たまたま、ふと感情的になったりしたことを書いてしまうので、そこだけ読めばそう取られてしまうのかもしれないが・・・

ここ1?2年、何かに怒ったり、不安を抱いたりということが、激減して、精神的にかなり安定している。

これも、YUKAや釣り友の皆さんのおかげと感謝している。

あいかわらず、テレビなどを見て腹がたつことは多いが、逆に言えば、腹が立ったり怒ったり不愉快に思うのは、ほとんどテレビというか自分とは直接かかわりのない世の中一般に対してだけであって、私の生活そのものは、かなり充実しているほうであり、楽しい毎日をおくらせてもらっている。

それが反映されているのか、自分の顔つきが変わってきたように思う。

私は鏡を見ても自分の顔をあまりよく見ないのだが、写真なんかであらためて見ると、ちょっと最近は人相が良くなってきたような気がする(笑)。

それで、あらためて鏡を見るときに注意してみたら、以前よりやはりマシになっている。

太ったから?いや、それとは別にである。目つきがマシになってきた気がする。

私は人を顔で判断する(美男美女が好きということではない)ところがある。人相というやつか。

やはり性格・人格は顔に出るし、占い全般はうさんくさいものが多いが、人相占いは当たるように思う。

顔には無数の神経がはりめぐらされており、顔の筋肉の動きはそれら神経によって制御され、その神経は脳とつながっている。顔つきというのは表情とも関係している。だから、人相と性格に何らかの相関関係があっても全然不思議ではない。

ところで、人相占いで一番重要な顔のパーツな何かと言うと、目だそうな。

目がその人の7割を決めるとか読んだことがある。目つきの悪いやつは性格も悪いということらしい。

私は数年前までずっと、本当に目つきが悪かった。今でも悪いと言われるかもしれないが、自分としては、これでもずいぶん良くなったように思う。

仕事に関して、考え出すと不安な要素が無いわけではないし、今年から来年にかけては転機となるかもしれず、微妙な年であるから、その結果によってはまた冬の日々がやってくる可能性もあるが、とりあえず現在は私の40年近い人生のなかでも、珍しくかなり精神的に安定して(これでも!)充実している時期であるのは間違いない。

喜び・楽しみ | Comments(2) | Trackbacks(-)

不愉快なCM

ソフトバンクの携帯のCMが私は大嫌いである。

もう、どのタイプのCMもことごとく嫌いだが、特に不快なのは、子供がダダをこねるやつである。

ああいうガキにビシッと注意できないダメ親の見本だよ、あれは。「まだ早い」としか言えないバカ親だ。他にいくらでも駄目な理由があるだろう。

ああいうガキは私ならば張り倒してやりたいところだが、張り倒す前にもっとちゃんと諭すことだっていくらでもできるだろう。そうやって言ってもわからなかったら、その時点ではじめてぶん殴れば良いのだ。

自分で金を稼ぐこともできない子供に、勤労とか努力とか創造とかの喜びを教える前に金さえ払えば対価が得られる消費者にしてしまってはいけないだろう。それは自分で金を稼げるようになってから、順番がおかしいんだ。

まずは努力すること、勉強すること、そしてそれができたらそこで身につけた能力を使って自分で金を稼ぐこと、そして最後に、そうやって稼いだ金を消費することによって対価を得ること、そういう順番で身につけてゆかないと、ろくでもな人間になるだろう。

むやみやたらと、自分で稼ぐこともできない子供にモノを買い与えるべきではない。

まずは何でも我慢させる、自分の欲望を抑えてコントロールすることを教えないと、絶対に苦労する。私の親くらいの世代はそういうことをわかっていたはずなのに、最近はどうなっているのか!?

ああいうCMが世の中の常識や健全な価値観をぶしこわしている。

他のCMも全部不愉快だ。キャメロン・ディアスも大嫌いである。

怒り | Comments(2) | Trackbacks(-)

メバル釣り、またしても撃沈!

2008年3月22日(土)午前6時半出船〜午後2時半帰港

釣り船きもと

潮@明石〜大潮
満潮〜7:40、19:38  干潮〜1:27、13:54
日出〜6:00 日入〜18:13
080322shio.jpg
オモリ25号、道糸PE1号、サビキ仕掛け+下バリつけてシロウオ

天気〜快晴。風もなく穏やかで暖かい。

さて、今回は1人で船釣りチャレンジである。考えてみたら、船に1人で行くのははじめてではないだろうか?

今回は土曜日に出撃することにした。というのも、土曜日はYUKAが友達らに会いにでかけて1日じゅう留守にするので、釣り以外で遊んでくれる友達のいない(笑)私は、1人で釣りでも行くしか無いという訳である。

で、ここ半年ほど、ちょっと金遣いがあらくて、どうもレジャーの資金(収入源は主に私のバイト)の財政が逼迫してきたので、本当ならば和田防でガシラでも狙うのが良いところだが、何せ、今はメバル釣りに夢中なので、迷わず船メバルとなった。

去年はかなりバイトが増えてレジャー資金の収入も大幅増だったのだが、たくさん使えば底を突くのも早くなるというものだ。安月給のサラリーマンとして、身の丈を忘れてはいけない。

まあ、メバル釣りもシーズンがあるだろうし、いつまでも行くわけではないので、今月中くらいは頑張って通いたいと思っている。

ということで、明石の林崎漁港にある釣り船きもとに連絡して予約を入れた。

くじ引きで呼ばれたのはずいぶん後ろのほうで、引いたくじも、ケツに近かった。22人いて、17番くじだった。

もう良さそうな場所はまったく残っておらず、船首寄りしか取れなかった。このところずっと、先っちょぱっかり(プンプン!)。

080322kimototuriza.jpg

それにしても、くじを引く順番はどうやって決められているのだろうか?予約順か?最初に引いたひとほど良い順位をゲットしているように思う。何か細工があるのだろうか?それとも私の妄想だろうか?

このところ毎回釣り座が船首よりばかりなので、ホントちょっとイラっと来た。全然釣れないし(これは下手だから!?)、揺れが大きいし、竿受けを立てにくいし、手すりみたいのが邪魔だし、海面から高さがあるから抜き上げにくい。何も良いことが無い。

とまあ、イライラしてもしょうがない。さっさと乗船して準備をする。今回はサビキオンリーでやることにした。

しかし、ガシラも釣れればラッキーだし、エサ釣りも捨てがたいので、シロウオを買って、一番下のオモリのところに針を追加、そこにシロウオを付けてやることにした。

今回のサビキ仕掛けは、Kさんに岡山方面の釣具屋のオリジナル仕掛けを通販で買ってもらって分けて貰ったものを使用。秘密兵器である。

結論から言うと、かなりのポテンシャルを感じたが、残念ながら、場所のせいにしたくは無いが、釣り座が悪かったのか、イマイチ能力を発揮できなかった。

順番に思い出して書いて行こう。

080322kimoto1.jpg

まず出船して、いつも通り対岸の淡路島の沖のところ、「くざき」だか何だか忘れたがそういう名前のポイントへ。

ここは船の数ばっかり多くて、あまり釣れたためしな無い。

080322kimoto2.jpg

名田屋で来たときに、バタバタと何匹か釣れたが、きもとで来てここでメバルが釣れたことが無い。釣れても1匹とかである。水深は30〜40mくらいのところを中心に狙う。

今回はここでは、極小のガシラ、持ち帰るかリリースするか迷うサイズ15センチが2匹釣れた。とりあえずイケスに投入。たくさん釣れたらリリースするつもりだったが・・・。

今回は珍しくここではあまり粘らず、1時間ほどやったらば、すぐに移動。鹿ノ瀬沖?と思われるポイントへ移動した。ここは水深が15mもないくらいで、浅めである。

着いてすぐ、何と、必殺サビキ仕掛けの要部分に1匹メバルがヒット!20センチオーバーの中型が釣れた。

しかし、飲み込まれた針をはずそうとペンチで針をつかんでひっぱったら、肝腎のサビキ
のスキンがはずれてしまった(涙)。

さて、その後は何回も流すが釣れず。船尾側では、ダブルトリプルと釣れたりしているのを苛立ちながら眺めるのみ。

ここで1時間ほどやっていると、潮が止まってしまったらしく、また移動。明石大橋方面へ半分ほどもどった浅いポイントで釣り開始。水深は10m弱であった。

ここでは中サイズのガシラが1匹釣れた。30分ほどやって、また鹿ノ瀬方面へと戻った。そしてここではまた、後ろのほうはポツポツと釣れているが、船首側はダメ。

何回か流しているとようやく私にもアタリがあって、まずまずの良型メバル25センチをゲット。慎重にタモですくう。うれしかったー。

その後しばらくして、何と、竿が満月にしなるような大きなアタリで巻き上げてきて、強烈な引き。一瞬根がかりしたのかと思うほどの引きだった。そしてすごい走り回る。もうすぐ魚体が見えるかなあと思ったころに、横走りして、隣の人の道糸を巻いてしまし、すぐにプツンと切れた(涙)。

一体何だったのだろうか?超巨大なメバル?桁違いの引きだった。せめて何の魚だったのか見たかった。そして、切れたのがまたしても要部分の仕掛けだった(涙)。

ここまで、私の周囲では、私はまだ釣れているほうだったが、私の両隣の人はボーズで、その隣の人も1匹だけ。私の真後ろの人はボーズで、まあ船首側ではガシラとメバルあわせて釣っている人でも3〜4匹だった。隣の人は、かなりぼやいておられる(笑)。

そしてお昼をすぎてしばらくしてから、また移動。いつもは舞子〜大蔵海岸あたりの沿岸のポイントへ移動するパターンなのだが、今回は違った。

明石大橋を超えて東側へ。そして淡路島の岩屋あたりの沖数百メートルのあたりに。はじめてのポイントで期待したが、すでに他の船がごっそり来ている・・・こりゃ、ダメかなあと思った。

そして、最初は水深20mくらいのポイントをしばらく流していたが、私は釣れず。船の上でもたまにガシラが釣れるくらいであった。

そこらあたりを4〜5回流した後、ちょっと場所をずらして今度は水深45mほどのポイントを流しはじめた。

すると、一投目、いきなりアタリ、ググーンと強烈な引き。巻き上げ途中も何度か締め込みつつ上がってきたのは、27センチの良型メバル。嬉しかった。これもタモで上げる。たっぷりお造りが取れそうな感じだった。

そしてその次の流しでは仕掛けが底に着いてすぐにググっとアタリ!が、引いたのは最初だけで後は重たいだけ。釣り上げてみたらまあまあのサイズのガシラだった。ガシラはやはりあきらめの良い魚だ(笑)。波止釣りの時とまったく一緒でおかしかった。引き味はメバルには到底かなわないが、まあ美味しい魚なので嬉しい。これは一番下に付け足した針のシロウオに来た。

そしてその後2〜3回流したが、ふと気づくともう2時で終了。寂しい釣果となった。それにしても、船首付近に乗っていた人のなかでは、ガシラメバルあわせて10匹釣ったものはいなかった。左舷側はわからないが、右舷側では一番後ろの人がそこそこ釣っていたくらいで、まあ渋かったのかもしれないが、多い人はメバルだけで20匹釣っていたということのようなので、またしても大敗北であった。

一体何が違うのか。船こそ場所という気がしてならないが、しかし船の流れ方はその日によって違うようだから、あまりどこが良いかわからない。どちらかと言うと後ろから流れて行くほうが多いようだが、風向きによっては右舷と左舷のどちらかによっても違うだろうし、ポイントによっても船の向きが違うから、そういう要素もあるだろう。

考えてもよくわからないから、もうちょっと通ってみるしか無いのかなあ、やっぱり。

帰りに給油所で燃料を入れるため、寄り道(笑)。前にも一回あった。満タン入れたらどれくらい入るかと聞いたら、何と1500Lだって!すごいこと・・・。燃料だけで1トン以上も入るとは、びっくりだ。

(結果)メバル22〜27cmの3匹、ガシラ15〜20cmを4匹

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この日の竿頭は、釣果報告欄によると、メバル20匹とな!せめて竿頭の半分は釣りたいということで、10匹は釣りたかった(涙)。メバルは20センチくらいのが1000円近いから、10匹釣れればまあもとは取れるだろうし(笑)。

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お彼岸には墓参り

土曜日は船メバルに行きましたが、玉砕でした。

お彼岸に釣りなんかしている場合ではなかったようです。例年ならば、お彼岸の前後に田舎に帰って父の墓参りに行くのですが、今年は行けませんでした。昨年末に弟の結婚式で帰りましたし、このところ遊びすぎて財政が悪化していますので・・・。

それにしても、私はもっと母を大事にしないといけないなと思いました。ふと気づいたのですが、田舎に帰る目的が、母に会いに行くとかではなく、いつもだいたい父の墓参りをしなければ、という気持が強いのです。

亡くなった人への気持というのも大事だとは思いますが、今生きている大事な人への気持ちも大切にしなければならないと、ふと思いました。

人間は愚かですから、失ってはじめてその大切さがわかるというものです。子供に命の大切さを教えるとかそんなことばっかり言っていますが、言葉で教えようなど至難の業です。皮肉なことですが、大切な人の死を通してしか命の大切さというのはなかなか実感できないものだと思います。

最近の子供は、人は死んでもゲームのリセットボタンを押すかのごとく、簡単に生き返るとか生まれ変わると思っているようです。そういう感覚の染みついた子供らに、言葉で何を言っても無駄です。ましてや「きれいごとに酔いしれている大人たち」の言う空疎な言葉などが心にとどくはずが無いのです。

それはそうと、今回はヨッシーさんの墓参りに行ってきました。先日の大雨での釣りの時に、私は正直、ヨッシーさんのことは全然頭になかったのですが、ヨッシーさんとはたぶんほとんど面識も無かったれがーさんが、釣りの帰り道に「迫間浦に入るトンネルの前でヨッシーさんのことが頭に浮かんだ」なんて言うもんですから。

去年まではわりと釣行のたびにどこか意識しているところがあったのですが、このところは・・・なんか、もっと世話になっていた私のほうがヨッシーさんのことをすっかり忘れていたというので、どうにも私はやっぱり薄情者だなあと、つくづく自分の性格に嫌気がさしてしまい、まあその解消?にはならないでしょうが、一周忌以来お墓参りもさせてもらっていないので、良い機会だと思って行ってきました。

場所は忘れましたが、「城陽霊園」というのだけ覚えていましたので、最近は施設名さえわかればカーナビですっと行けます。京滋バイパスもつながっているので、楽です。宇治西ICで降りてしばらく下道を走り、ジャパンでお線香とロウソクを買い、道端の花やで花を買ってから向かいました。

若干ナビの案内がおかしくて、変な砂利道を通ってしまいましたが、無事到着。お彼岸の期間だからか、お参りに必要なものは霊園の売店で売っていました(爆)。

霊園の中での場所は覚えていたのでまよわず行けました。

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ヨッシーさんのお墓には花がいっぱい供えてあり、私らのもむりやりねじ込みました(笑)。水がからっぽになっていたので補充しておきました。

あと、誰が置いたのか缶ジュース(アクエリアス)がお供えしてありました。

お参りしながら、頭には千の風だか言う歌の歌詞が頭に浮かびました。

「そこに私はいません?♪」

たぶん海!?それか、まあ家族のところかなあと思いつつも、心静かにお参りしました。

さて、帰りに宇治の駅近くで食事してから、ひさしぶりに茶団子を買って帰りました。

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やっぱり美味しいですね。

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うらやましくないのだ(改)

今日も傳八屋で誰かが爆釣しているらしい。

しかし、そういうのを聞いても全然うらやましくないのである。

たくさん釣れたとか釣れなかったとか、そういうことを考えるのに、もう疲れたのである。

明日は船でメバルを釣ってくる。1人で、誰と比較されることもなく、のんびりと釣ってくる。

そう、他の人をうらやましいとか、自分は釣れなかったとか、そういうことをもう考えたくないのである。

だから船・・・?いや船もそういう点ではあやしいところがあるから、今年はもう波止釣りでのんびり暮らすかなあ、釣りは。

私はやはり孤独な人間だ。何をするのも1人が気楽で、それがまたよく似合う。そして、それで別にかまわないのである。

どうもこのところ気分が憂鬱である。ここ数日で、すがすがしい気持になったのは、東京での2?3時間だけだった。

早く春にならないかなー。なんだか気が重くてしょうがない。明日のメバルが爆釣すれが、少しは気分も良くなるのだらうか!?

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ちなみに、前回釣り堀で玉砕したから気分が悪いのではない。何となく人生は虚しいなあと思う今日この頃である。


・・・というのは、三味線です。チャンチャン♪いやー、人生は楽しいねえ。

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ついに私の実力発揮!雨と涙の傳八屋

2008年3月14日(金)傳八屋

潮@五ヶ所〜小潮 満潮〜8:39 干潮〜2:48、16:13
天気〜雨風で大荒れ 日出〜6:05 日入〜18:00

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ずいぶん以前から、はなカラけさんという時々コメントくださったりメールのやりとりを何度かさせていただいた方から、スクランブルでご一緒していただけるような話になっていた。

いつのまにかれがーさんもご一緒していただけることになり、14日(金)が出撃と決まったのだが、どうも天気が悪い。

そして、金曜日ならば前日はニコニコデーなので傳八屋は避けて辨屋にしたいところだったのだが(いつもガラガラでお客さんはよくわかっておられるようだ)、このところメバル釣りに金を使いすぎていて懐具合がちょっと寒めである。なので、特選券を使いたかったこともあり、また、皆さんの希望もなんとなしに傳八屋の傾向だったようで、今回は傳八屋になった。

私は金曜は過去に1度だけ行ってその時にあまりに低活性だったので、二度と来ないつもりだったが、れがーさんはあまり気にならないようで、実際にたくさん釣られている!やはり上手い人は関係ないのだろう。

さて、話をちょっと戻して、今回も道中をれがーさんとご一緒していただくことに。つばき屋にも泊まらず、交通費も折半できるので、いつもよりも、ずいぶんと安上がりである。このところ釣り資金がかなり減少ぎみなので、これは助かる。

つばき屋に寄って朝飯を食い、その後傳八屋の事務所ではなカラけさんとお会いする。私と同じ年齢だそうだが、思ったより若い感じであった。とても礼儀正しい方でした。今後ともよろしくお願い致します。

さて、金曜日はただでさえ空いているのに、この日は天気も悪く、ガラガラであった。イカダは3基のみ使用。全部で20人弱だったか。

ところで最近、私は珍しくも釣り大会で優勝などしてしまったために、一部、あくまでごく一部だとは思うが、私のことを釣りが上手と誤解している人が出てきたようである。例えば、このじんゆうさんとか(笑)。

以前はそんな人は皆無であったが、ともかく、今回の釣行で、やはり私が上手いなんてことは無いことが証明された、実力発揮してしまった。

と、自分からこう言っておくと、「いや、そんなことないですよ、船長は上手ですよ」とたいていの人は言ってくれるので、わざと謙遜したふりをしているだけである、ということでも無い(ウソ)。

本当に私は自分で自分が上手いなどカケラも思っていないのである。釣り堀はウデというより経験ではないかと思う。しょっちゅう釣り堀に行っている人はやっぱりよく釣る。理屈はわかっていても、その理屈を状況にどうあわせるか、そこが鍵なのだろう。

一見正しい理屈でも、あてはめる状況がズレていれば釣れない。技術的知識よりも経験的知識が重要となるが、最近は何事も技術的知識に偏重しがちな世の中になっている。

情報や知識は必要であるが、それだけでは十分でなく、智恵こそが大事なのである。

と、どうでも良い話はやめて、はなカラけさんも、もしかして誤解されていたかもしれないが、今回の釣行で本当に上手なのは私ではなく、れがーさんであることがわかられたことだろう。

まあ、もちろん言い訳しようと思えばこれほど言い訳できる日も無いのは確かである。天気は悪く気温も低めで(寒くはなかったが)、風もそこそこあり、時折横殴りの雨がたたきつける。アタリもへったくれもわからない。

「へったくれ」など、わかりようも無いのは当然だ、というツッコミはやめてもらいたい!と本人を目の前にしては到底言えないことを、ここで書いておく(爆)。

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さて、11番の大イカダに10人ほどであがったのだが、最初の放流まで誰も竿が曲がらず、最初の放流後も2〜3匹、そして2回目の放流では青物ゼロ!と、あまりにひどい低活性であった。

私はと言うと、最初の放流後にようやくマダイを1匹、しかし後が続かず。れがーさんも前半は苦戦していたが、後半は、いろいろと探ってポツリポツリと魚を追加されている。

つまり、上手な人は釣れるわけである。しかし私は釣れない。やはり下手なのだ。

とは言え、イカダでまともな釣果をあげたのはれがーさんだけなので、れがーさんが異常なだけかもしれない(笑)。

あと、私みたいに気分で釣りをする人間は、自信を無くしたらもうダメである。精神状態が釣果に影響すると自分では思っている。私の釣りは脳でしているのだ。

今回は、れがーさんが釣れた後で、どうやって釣れたかを聞き、それを真似ばかりしていた。

こうやって後追いでやるときはまずダメである。低活性なのだから、同じことを続けても釣れ続かない。だから真似しても一歩遅いのである。自分で答えを見つけないと。

れがーさんと私の共通点は、あまり道具にこだわらないことだろうか。私も道具立てとか仕掛けはあまり本質的でないように感じている。

それら手段にはある程度柔軟性を持たせて置いて、その場の状況でどういう釣り方が良いか、どんな仕掛けにすべきかを判断する。この状況判断が一番大事だと思う。それにはやっぱり頭で釣りをするから、頭の状態は良くしておかなければならない。そのために、道具は何でも良いのであって、後はその使い方を調整するだけの話だと思う。

今回は、その頭のキレの差が出たということだろうと私は勝手に判断しているが、正しいかどうかは不明。

2回目の放流後、ボケをつけて手前のコーナーで底近くを探っていると、ガツンとアタリがでた。そして、えらく軽く上がってくると思ったら、水面近くで急に走り出すというまるでスズキのような引きを見せてくれたのは、何とマツカワガレイだった。

50センチ近くあり結構大きい。1キロくらいか。なかなか肉厚で美味しそうである。

それにしても、雨で頭が働かない。また、風も強く、そのせいかわからないが、やたらと根がかり連発である。イカダ竿がほとんどダメである。

先日の独り言で根がかりしてもほとんどはずれると書いたが、今回はどうもダメであった。最初は潮の流れのせいで側面にかかっているのかと思ったが(7m以上沈めると、ほぼかならずひっかかる)、何度かひっかけて、引っ張って切ろうとした時に、手応えを感じて、ひっぱりあげると、根がかりの原因になっていたと思われる仕掛けをごっそり釣り上げた。

そして、しばらくすると、なんと、半分腐ったカンパチが浮いてきた。ものすごい悪臭を放っている。こっちが潮下なのか、私の目の前に停滞してしまった。

しょうがないから、自分のタモではなくイカダに備え付けのタモで救って外海に捨てたが、以前にこれの汁がイカダの木の上にしたたって、ずーっと臭かったことがあったので、その恐怖を思い出した。

これで足元をようやく探れるようになったが、アタリは出なかった。

れがーさんの足下でシマアジが浅めのタナを回遊していて、時々れがーさんが釣り上げていた。私もお邪魔して、1回かけたが、すぐにバレてしまった。それ以降はまったく何をしても食わなくなってしまい、申し訳ないことをしてしまった。

その後はひたすら撃沈。結局、2時までに何と2匹であった。

私とれがーさんは当然延長、というか最初からそのつもりであった。この雨の中、私ら2人も本当によくやる・・・。

私も案外釣りが好きなんだなーと、つくづく自分にあきれる。

はなカラけさんはお帰りになられた。夕食の時間までに帰りたいそうで、もちろんこの雨だし、無理に引き留めても悪いし、そうしていただいたほうがこちらも気楽であった。

私とれがーさんは道中を乗り合いで来たのでどっちかが延長したかったら、一心同体になるしかない(笑)。

実は私1人だけ上がって陸で待っていようかともちょっとだけ思ったのだが(笑)、とても2匹で帰る気にはなれなかったので、実際は迷わず延長に突入した。

ちなみに、延長したのは11番イカダに我々2人と、隣の8角形のイカダにもうお二人であった。

さて、延長開始。・・・ところがである。こんな日よりで、活性も低いのに、そう簡単に釣れるはずはない。と思いきや、れがーさんは実に快調にポンポンと青物から鯛からイサキから次々に釣り上げる。

私は・・・生きアジをつけっぱなしで隅のほうにほったらかしてあった青物竿が知らぬ間に突き刺さっており、それでようやく青物を初ゲット!

中ブリよりは大きく、大ブリよりは小さい、まあ8キロ弱という感じだろうか、一応、ブリには分類されるくらいの大きさではあった。

もうすぐ4時で延長も終わりというその時まで、このブリ1匹のみであった。一方のれがーさんは、定期的にヒラマサだのカンパチだのを、しかも鯛用の仕掛けて釣り上げる。

そして終了間際にはイサキの巣を見つけたようで、これまた次々に、時折マダイまじりに釣り上げる。

こうやって、次々に釣り上げるのを見せつけられるほど、精神衛生上悪いものはない。

私も正直な正確なものだから、そんな気持がつい出てしまい、若干イラっと来てしまい、少しキレぎみであったが、れがーさんが気をつかって(気を遣わせた!?)、イサキが釣れるようにかなり手取り足取りしてくれたが・・・釣れない!

時刻は何と4時を過ぎていたが、迎えの船が遅れていたので何とか2匹釣らせて貰って(れがーさんはマダイまじりに5〜6匹は釣っただろうか!?)、4時半近くにようやく迎えの船がやってきた。

遅れてくれたおかげで、どうにかイサキ2匹を釣ることができた。ラッキーと言えばラッキー、だったかもしれない。

(結果)マダイ1、イサキ2、マツカワガレイ1、ブリ1

巨大カレイ!エンガワがものすごい分厚かった。お造りでグー・グー・グーググー(エドはるみ風)

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裏側はこんな感じ。

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放流したぶんはだいたいその日に釣れているみたいで、食いつきは良い魚のようだから、ヒラメよりは良いかも。

ところで、結果5匹だったのだが、れがーさんにはトリプルスコアと引き離された。隣で釣っていたのだから、これは実力の差である。

それよりも何よりも、私は釣りをするたびに自分がイヤになる。自分が釣れないとイライラし、それだけならまあ良いのだが、他の人が釣っているのを見ると、やはり強烈な羨望というか嫉妬心のようなものがメラメラとこみあげてくる。

様々な人間の感情の中でも嫉妬心というのはかなり下劣な感情である。時には身を滅ぼすことになりかねないものである。

そういう嫉妬心を感じたらどうするか。私の場合はとりあえず「うらやましい!」という気持を素直に口に出してみることにしている。

そのおかげで、それがプレッシャーになったのか、イサキを釣らせてもらえた(爆)。

れがーさんも、このように精神的にかなり未熟な私におつきあいいただき、どうもありがとうございました。

このリベンジは明石の海ですることにしよう。

土曜日に1人寂しく、朝便で釣り船Kもと、半夜でNS丸という豪華二本立てでもやって、メバル釣りを極めようか、なんてちょっとだけ思ったりして。体力的に無理かな。

最近船に傾きつつある理由が実はもうひとつあって、釣り堀ではどうしても「釣らなきゃプレッシャー」を感じてしまって、時々何をやっているのか訳わからなくなってきている、というのがある。

私は上で書いたように、嫉妬心が強く負けず嫌いなところがあるので、そういう点で釣り堀はつらい場所である。

最近はたまたまよく釣れることが多かったので、コンプレックスは解消されたが(最初の1年はひどかった。自分はダメ人間なのではないかと思ったほど)、どうも釣行記を書いて後に残してしまっているために、記録としてそれなりのものを残したいと強く思ってしまう。

掲示板などでも、「○匹しか釣れなかった」などと皆さん平気で書いているが、そういうのを見ると、ますます自分も釣らなきゃプレッシャーを感じてしまう。

今回のように延長して5匹しか釣れなかった場合、「延長までしてたった5匹!?」と思われるんじゃないかと、どこかそういうプレッシャーを感じて楽しくない。

いつのまにか、1匹でも多く釣ることしか考えていない自分をいつも発見してしまう。もちろんそういう気持が上達の源泉でもあるのはその通りなのだろうが、何か違うのではないかと思う今日この頃である。

という感じで書いているが、これはたぶん今回は釣れなかったからであって、また次回に爆釣でもしたら、たぶん自慢げに釣行記を書くのだろうなと、そういうふうに自分の性格を分析している(大爆発)。

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上島釣具またセール

さて、上島セール情報です(笑)。すっかり上島釣具のまわしものみたいになっていますが、最近はどうしたのか、セールをよくやっているようです。

いや、もしかして以前からやっていたのかもしれませんが。

先日、ダイレクトメールを送ってもらうために住所をメモしてきたからセールの案内が来るようになっただけで、以前からやっていたのかもしれません。

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また5000円の金券を4500円で売っているようです。前回は1人2枚まででしたが、今回は1人6枚(3万円)まで買えるようです。ということは3千円お得ということになります。上島、大丈夫のか!?

シーボーグも30%オフだそうです。うーむ、安い。しかし、このところ釣り資金が不足しているので、今回は静観しようかと思っていますが・・・金券だけでも買っておこうかな。

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東レ スーパーL EXが7割引きって! 先日ある方にたのまれて買ったばかりでしたが・・・。

という感じです。チビラーク・ロングでも買っておこうかな。

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通信圏外へ

月・火と通信圏外へ旅立ちます。

先週の金曜日の、嵐でさっぱり釣れないスクランブル釣行記はしばらく後になります。

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上島での出来事

昨日、仕事帰りに上島釣具に寄ったら、店長がシマノの営業さんらしき人といろいろ話していた。

上島の社長は、シマノの営業に「おたくは儲けすぎだ」みたいに責めていた。もちろん冗談半分でだが。

「台湾あたりで作らせて高い値段で売って、丸儲けやねー」みたいに言っていたが。その後、アルファタックルのことをやたらPRしていた。

上島の店長に言わせると、質はそう変わらないのに値段が違いすぎる、シマノやダイワは儲けすぎている、という理屈のようだった。本当だろうか?

それに対してシマノの営業マンは、がまかつさんほどじゃないですよ、と言っていたが・・・。

上島の店長、客には腰低いが、業者には結構言うんだなあとおもしろがって見ていた。

平日の夕方に行くと、空いている時に、面白い会話が聞けるときがある。先日の商品券は、2日間で○○○円売れたとか・・・

そして、そんな話を聞きつつ、必要な小物類を買って帰ろうと思ったら、店が空いていたこともあってか、めずらしく、

店長「○○さん、いまちょっと時間ありますか!?」
私「は?まあ」
店長「是非、みて欲しい竿があるんですよ!最近、船釣りされているんでしょ!」

と、ものすごい勢いで勧誘してきた。そして2階へ。以前よりはずいぶん片づいて広くなっていた。

そこで2種類竿を見せて貰った。

一つは上島オリジナルらしいが、万能竿というかアジ釣りとかに良さそうなということだったが、3mくらいのわりと柔らかめの竿。

しかし、これはメバル釣りにはちょっと無理そうだし、アジ釣りなら持っているのでやれそうだと伝え、買うとしたらタチウオ用かなあと言うと

もう一つ、アルファタックルの「ショートブレード」という竿を強烈にプッシュしてきた。

笑ったのが、オススメのポイントが「頑丈さ」ということだった。むしろ、最初にすすめてくれた竿のほうをタチウオ用にしたいくらいだ。あちらはグラスが多そう。ただ、ちょっと長いか。

こちらの竿は、ものすごい強さで曲げてみさせてくれた。上島の店長が竿先を引っ張って私に竿を思いっきり立てさせて「丈夫でしょう!?強いでしょう!?」とアピールしてくれた。

この日は暖かいこともあったが、汗だくになってしまった。

あまりのアピールに、いらないとは言えず、「今日はお金持っていないから・・・」とだけ答えるのが精一杯の私。

「下(1階)に置いておきますから、是非買って下さい。もっと安うしますから!」

うーん、ちょっといらないなあ。しばらく竿やリールを買う予定は無いし。

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おじさんで何が悪いか!

ついに私も叔父になった。いや、正確には伯父と書くらしい。

ようするに、弟のところが無事に出産を終えたとのこと。弟が出産したのではなく、嫁さんだが。ごくろうさま。3200グラムの男の子。

母からのメールには、3200kgと書いてあったが(笑)。キログラムな訳ないだろう。

予定よりずいぶん遅れていたのでちょっと心配していたが、ともかく無事出産を終えて一安心である。

ところで叔父と叔父の話にもどると、生まれた子供から見て、父・母(この場合は私の弟)の兄の場合を伯父、弟の場合を叔父と書くそうだ。

だから私は伯父というわけ。

そういえば、YUKAの姉夫婦にも子供がいるが、この子から見たらどうなるのだろうか?YUKAが叔母さんということになるから、私は叔父さんかな?

どうでも良いが、この子に私のことを名前で呼ばせるのはやめてほしいといつも思っている。

私の下の名前にさんづけで「○○さん」と呼ばせている。やめてくれと。「おじさん」と呼ぶのが正しいし、私もそう呼んで欲しい。○○(苗字のほう)のおじさんと、そう呼ばせれば良いのにと、いつも思っているのだが、それが普通だろうと、そういうことを主張するのも邪魔くさいので放ってあるが。

年齢的にも私は立派におじさんとして役割を演じることのできるくらいになっている。

釣り場では時々「にいちゃん」とか呼ばれるが、それはじいさんが多いからだろう。

私はむしろ、小さい子供には「おじさん」と呼んで欲しいのである。

これでもずいぶん若返っているのだ。というのも、私の大学時代のあだ名は「トッツァン」とか「じじい」だった(告白!)。それに比べれば、子供に「おじさん」と呼ばれるなど、ありがたいくらいである。

言うことや動作がじじくさかった、ということなのかもしれない。

当時の口癖は「もう人生に疲れた」「生きることは虚しい」だったから(笑)。

一度入った他の大学をやめてまでチャレンジしたのに、最終的に入りたかった学部には入れず第二希望しかかなわなかったため、もう敗北感でいっぱいの学生時代だった。

あと、まあ私は一浪した後に一回入った大学をやめてから入学したから、二浪と同じわけで、若干年上だったのは事実であるから、老けて見られたのかもしれない。

でも、子供がいるわけでも無いのに「とっつぁん」とか、いくら何でも「じじい」は無いだろうと思っていたのだが・・・

そんなことはどうでも良い。ともかく、伯父さんと呼ばれる身分になったことを、私は大いに喜びたい。そんな心境である。

弟および弟の嫁さんよ、おめでとう!

母も喜んでいるだろう。よかったよかった。私もそういう点ではずいぶんと肩の荷が下りて楽になった気がする。

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犬神家の一族

犬神家の一族 通常版犬神家の一族 通常版
(2007/07/06)
石坂浩二、松嶋菜々子 他

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リメイク版「犬神家の一族」

横溝正史原作の金田一耕助シリーズで特に有名なのが、この「犬神家の一族」だろうか。

最近亡くなった市川崑監督が、2006年にリメイクしたバージョンが先日放送され、録画して置いたのを日曜日にみた。

私は中学?高校時代に金田一耕助にはまっており(あの頃は早川SF文庫や小松左京などのSFをごっそり読んでいたが、金田一耕助シリーズも愛読書の一つだった)、角川文庫から出ていたシリーズを、たぶんほとんど読んだと思う。

そして、ほとんど内容を覚えていないということに、今更驚かされる(笑)。

それはともかく、SF一辺倒?でもなかったが、まあ探偵物みたいのも好きで、シャーロックホームズはほとんど読んだりもしたが。でも、あとは、アガサ・クリスティーとかエラリー・クイーンだかは2?3冊読んだら疲れてギブアップした。赤川次郎はバカにして最初から読まなかった。尻をふく紙には固すぎる(当時我が家はボットン式便所だった)ので買わないと言っていた。

ところが、金田一耕助シリーズは特に魅力的に感じて次々に読み進めた。魅力というのか、なんとも言えないドロドロした部分がある。

これは、瀬戸内海?どこかわからないが、あのへんの古い因襲がまだ残っている地域で、しかも時代が終戦直後?せいぜい昭和30年くらいまでである。

そして、家族関係が複雑で混乱した家がよくでてきて親子関係や親族関係などがきわめてややこしい場合が多い。そこでさらに独特の因襲とそれらがからんでドロドロした人間模様を背景にした殺人事件が繰り広げられる。

北海道で生まれ育ち、ごく平凡な家族構成の家に育った私みたい人間からすれば、これは同じ日本の話なのか?という、まさにそんな感じで興味深く読んだわけだ。

金田一耕助も、でしゃばって事件を未然に解決しないから良いのだ。すでにおこってしまったことを解き明かすだけで十分である。

そして、映画化されたものもいくつか見た。もちろん中学?高校時代だったので、劇場まで行ってみたものなど一つもなく、すべてテレビで放送されたのを見ただけだが、原作を読んだイメージに近いのが石坂浩二か古谷一行かなあという感じだった。

いや、この2人の役者のイメージがそもそも結構違うから、たぶん映像で石坂浩二と古谷一行を見慣れて、そのイメージがついてしまったのかもしれない。

なにせ、この2人以外が金田一耕助をやるとキモチワルイ、何か違うもののように感じるくらいである。

いずれにせよ、このリメイク版の映画は石坂浩二が金田一を演じていたので、安心して観ることができた。ただ、老けたせいか、若干、ノッポさんみたいであった。

市川崑監督の76年版も石坂浩二が主演で、こちらもずいぶん昔に見た記憶があって、全然内容は覚えていないが、あちらのどこに不満があってリメイクしたのだろうか?

この作品の出来が映画として良いのか悪いのかよくわからないしイマイチじゃないか?という部分も無いわけではなかったが・・・

でも、今回は「犬神家の一族」についてはほとんど結末もわかってずっと見ていたが、それでもなかなか面白く最後まで見続けることができた。

それは単に金田一耕助に愛着を感じているからだけなのだろうか?

ただ、なんかかなりアッサリ味に仕上がっているのでは!?という印象だった。もっとオドロオドロしいネットリ風の雰囲気が、イマイチ出ていない。そこが少し残念。

ところで、いろいろ調べていたら今の金田一耕助の姿が定着したのは、ずいぶんと後になってからだったようだ。最初はトンデモだったようだ。

金田一耕助より

「初代」金田一耕助である片岡千恵蔵については、スーツにソフト帽でピストルを振り回している姿が時折り揶揄の対象となるが、ここでの金田一は、戦前の因習にとらわれた封建的な動機による殺人を、戦後の民主的な精神によって断罪する「民主主義の使者」として描かれており、アメリカ帰りという設定ともども、スーツ姿は民主主義の象徴として必然であった。

何が戦後の民主的な精神だ!大笑いだ。その象徴がスーツ姿とはもう腹が痛い。GHQに洗脳されまくりな戦後の日本人というのは、ホントにバカばっかりになったようだ。まあ、戦争に負けたせいでそうなったのだろう。そのツケが今に至るまで尾を引いている。

今は戦争する前から負けている。ちゃちな海賊になめられるのも、日本が反撃してこないとわかっているからなのだ。他の国の船にあんなことはしない。日本はいじめられているようなものだ。戦わないで逃げてばかりいる卑怯者だからだろう。戦う意志のまったくない奴はどこまで逃げてもいじめられ続けるだろう。

何の話!?

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極端すぎるね

職場の敷地内は禁煙になっているのだが、そのせいか、周辺部分には吸い殻のポイ捨てゴミがすごく多い。

職場の職員(おばちゃん)とか近所のおっちゃんが時々吸い殻拾いをしている。

捨てている者の何割かは同じ職場の職員なのだろう。

そうかと思うと、あらゆる共用スペースの電気を次々に消して歩く奴もいる。

たぶん、地球温暖化でCO2がどうとか言われ出して「目覚めた」タイプの人なのかもしれない。

そういう人はおそらくコマーシャリズムに流されやすい、世間では何が流行っているとか、そういう流行ものに飛びつくような一面のある人なのではないか?

クロカンRV車とかが流行っていた頃はオフロード走るわけでもないのに、そういう重くてでかい車に必要もないのに流行ものに飛びついてガンガンCO2を出しまくり、そして温暖化がどうとかなってプリウスが評判となったら今度はプリウスに乗ってエコ気取りか!

ゴミを捨てて歩く奴も、次々に電気を消して歩くやつも、どっちもどうかしているんじゃないか?

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読書感想文(1)

神は妄想である―宗教との決別神は妄想である―宗教との決別
(2007/05)
リチャード・ドーキンス

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つい先日買って、分厚い本なので、飛ばし飛ばししか読んでいないが、だいたい要点というか論旨はわかった。

ドーキンスは、やはりかなり幼稚で未熟で非人間的なガリガリの合理主義者で私の一番嫌いなタイプの人間である。たしかに幅広い知識と教養を持っている人だとは思うが、人間への理解の底が浅いのではないか?

この本は、ユダヤ教およびそこから派生したキリスト教とイスラム教、いわゆる一神教を痛烈に批判し否定する内容である。

神が存在しないという理由を科学的および理論的にほぼ証明している本とも言える。

また、アメリカ社会では強烈な一神教の弊害というものもあるだろうし、アラブやイスラエルの動向がアメリカに影響をおよぼして、世界情勢を混乱させているのも確かである。

歴史的にもこの同根の一神教はさまざまな災厄を人類にもたらしてきたのは確かであろう。しかし、だからと言って、それが無ければどうだったか。

既存の体制の不備や失策をことごとくあげつらって、もしそれがなければどんなに素晴らしいかと思ってしまうのは、かなり幼稚なことである。

大概はそういうものでも、歴史的に形作られたものが無くなれば、とんでもないことになる。

警察の不祥事が絶えないからと言って警察そのものを無くせと言うようなものである。軍隊があるから戦争になる。だから軍隊をなくせば良いと考えるのとほとんど同じである。犯罪を取り締まる警察がいなくなれば犯罪もなくなると考えるようなものである。

西洋およびアラブ諸国は、一神教があったから、道徳があり社会の秩序が形成されたのだ。彼は、道徳についてこの本で論じてもいるが、ドーキンスみたいなレベルの物事をスラスラと理解できる人間が世の中にどれだけいると思っているのか。

彼はそういう点ではとてつもなく楽観主義である。正しいことは誰でも理解できると誤解している。

宗教が無ければ、何故人を殺してはいけないかをいちいち理屈で説明しなければならない。それが如何にめんどくさいことであるかは、ちょっと考えればわかるだろう。

宗教があれば、神を信じていれば、神が許さないから、ということでとりあえずはオーケーなのである。神を信じなくなれば、その理由を一から構築しなければならない。それは大変なことだ。

ごく普通の欧米人からすれば、無神論者とは平気で人殺しをしかねない人間という意味にとられかねないのであるが、それはそういう理由があるからだろう。

宗教にいいかげんな日本人である私ですら理解できることが、ドーキンスには理解できない。いや、したくないのだろう。それは、当事者として宗教の弊害をあまりに見すぎたからということもあるのかもしれないが・・・

しかし、やはり、彼は理屈で考えて正しいと思える通りに世の中を変えなければすまないと思う設計主義・合理主義という病気に取り憑かれているのだと思う。政治で言えば改革派の連中と同じようなものだろう。

まあ、でも、自分が正しいと思っているからと言って、それを何でも言うのが良いとは限らない、ということなのかもしれない。私にもそういうところが昔からある。ある種のKYである。

そのために、蛇蝎の如く嫌われたこともある。最近ではずいぶんとそれを反省し、むしろ貝のようになっているのだが・・・

ドーキンスを見ていると、昔の私のようだ。本当に幼稚な人間だ。

ちなみにドーキンスと言えば、「利己的な遺伝子」という本が昔結構評判になった。

利己的な遺伝子 <増補新装版>利己的な遺伝子 <増補新装版>
(2006/05/01)
リチャード・ドーキンス

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人間は遺伝子の乗り物にすぎない、自然選択というか淘汰の単位は種や個体ではなく、遺伝子である、生き物は遺伝子の配列をひたすら後生へ伝えるための乗り物にすぎないという説を説いている。

彼はダーウィン主義者である。自然淘汰だのなんだのをものすごいことであるかのように考えている。しかし、進化においては淘汰がすべてではない。

ダーウィンを超えた進化学者、故・木村資生によれば、分子レベルで生じる突然変異は自然淘汰に対して有利でも不利でもない「中立」なものがほとんどである。

そして、どの変異が多数として集団に定着するか、それは遺伝的浮動、つまり偶然によるのである。

自然淘汰がすべてではないのである。ダーウィン主義はイデオロギー化している。

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メバル惨敗

2008年3月9日(日)船メバル釣り@釣り船きもと

潮@明石〜大潮
満潮〜8:43、20:53 干潮〜1:55、14:22
日出〜6:18 日入〜18:02  

天気〜晴れ、風ほとんど無し、波もほとんど無し

080309shio.jpg

さて、メバル釣りにはまってしまい、このところ釣りと言えば頭の中はメバルばかり・・・

先週もメバル釣りに行ったが、今週もメバル釣りに出撃である。今回は朝便の出ている釣り船きもとで出撃。

しんすけさんとKさんとご一緒していただけることになった。ありがたいことに、Kさんが車を出してくれた。

ただ、私の家まで来てもらうと帰りにかなり余計に時間を取られることになると思ったので、職場の駐車場で合流することにしてもらった。

出撃の前日、土曜は休みだったので、朝から釣りの準備をする。昼くらいにできあがった頃から、何故か胃がむかむかしてきた。

そして、午後からは寒気もしてきた・・・夕食も食欲が無く、いつもの半分くらいしか食べられなかった。そして、異様な寒気。

うーん、これは間違い無く熱があるにちがない。しかしYUKAにバレると心配をかけるので、ちょっと胃腸が荒れているみたいで食欲がないと言っておくのにとどめておいた。

こっそり熱を計ると38℃近くもありビックリ!風呂に入ると異様な寒気がした・・・。

こりゃ参ったナーとちょっと悩みつつ布団に入るが、寒気と胃のむかつきでほとんど眠れず。

3時45分に目覚ましで起きて、ここで熱を計ると37℃少々にまで下がっていた。

寒気もほとんどしなくなっていた。たぶん大丈夫だろうと見切り発車。家の近所のコンビニで、少し高そうなドリンク剤を購入して飲む。完全にドーピングである。

それが効いたのか、だんだんと元気、というかまあ普通に動き回れるくらいには回復して、どうにか釣りは支障なくこなせた(笑)。

たぶん、このところスポーツクラブに急にまじめに行き始めて、ちょっと頑張りすぎたせいもあるのかもしれない。

私の通っているジムは、風呂が無く、シャワー室しか無いので、もしかして湯冷めしたのかもしれない。今週はあまり無理をしないようにしよう。

ということで、話をもどして、3人で明石に到着。今日は20数人と、わりとにぎわっていた。

今回は残念ながら、かなり後ろのほうの順位だったが、入れたところは、左舷の前よりのところで、ここは、後ろが広いので、そういう点では、そんなに悪くなかった。

080309kimoto.jpg

ただ、くじを引いて番号の若い純から釣り座を決めてゆくのだが、不思議と右舷が人気だった。この時は何か意味があるとは思わなかったのだが・・・

今日は天気も良くて風も無いから船も揺れないだろうし、酔い止めも不要かと思ったが、酔い止めの主成分は抗ヒスタミン薬だから風邪薬みたいもので、これも体調不良にも効果あるかと思って(!?)、一応飲んで置いた。

さて、時間が来て出船。明石海峡大橋をバックに雲間から朝日が顔を出す。絶景かなー。

080309bridge.jpg

最初はいつも通り対岸の淡路島の沖数百メートルのところへ。過去の経験から、ここはあんまりメバルが釣れない。というのも、もうものすごい数の船がここに集まっている。ほとんど釣られていないのではないか?

ということで、ここはガシラ狙いに。サバを忘れてきたので、Kさんにもらいたいところだが、なかなか素直にくれない(笑)。一いじり、二いじりくらいされて、ようやく頂けた(感謝)。

ところで、Kさんは自分が良い人と思われているようで困ると言っていた。それはおそらく辨屋の仕事を手伝っている時のためだろう。かなりお客さんにとって心強いスタッフの1人となっているのは誰もが知っている通りである。

ただ、Kさんによると、それは、親切モード、良い人モードになっている時であって、いつもそうではないということだった。

Kさんが「良い人モード」の時ばかりでないのは、それは誰より私がよく知っている(笑)。

まあ、これほど身方にすれば心強いが敵にすれば恐ろしい人を私は他に知らない。

「ものすごく親切で細かい気遣いと世話を焼いてくれる超良い人モード」か、「罵詈雑言をあびせさせたら関西ナンバーワンの超ガラ悪い人モード」のどちらかで、その中間が無い。

私が日頃どれだけ容赦のない言葉をあびせかけられていることか・・・(それは私に原因があるとか言わないように!)

私に対しては、親切な人:ガラ悪い人=1:9である。というのは冗談で、まあ公平に見て3:7くらいの比率だろうか。でもそれで良いのである。根は情の深い人だとわかっているし、あの顔つきであんまり優しくされるとブキミであるから、罵倒されるくらいが私は気楽でありがたい。

・・・というのは全部冗談です。

話をもどして、このポイントには2ー3時間くらいいただろうか。そこでの釣果はガシラ2匹だけだった。Kさんはガシラを4匹くらい釣っていたと思う。

さて、その後は鹿ノ瀬沖?よくわからないが、ずいぶんと姫路方面へ船は走り、播磨臨海工業地帯が見えるあたりまで行った。

そこではもサッパリ釣れず、私だけがいつまでもメバルボーズである。どうしてもっと釣れるところへ連れて行ってくれないのかと、きもとの船長へ不満が高まる。

それでも、一生懸命頑張って、途中1回だけダブルが来たりして、どうにかガシラ1匹とメバル4匹を釣り上げた。

今日はほんとにメバルの活性の悪い最悪の日だと、その時までは思っていたのだが・・・

ところが・・・である。

そもそも、私ら3人も、同じく右舷に入った10人以上の誰を見ても、まあ釣れていてもメバルが5〜6匹程度だったので、てっきり全然釣れていないのかと思ったのだが、なんと、人気のあった左舷では、20匹以上も釣っている人が何人かいたらしい。

見てきたKさんの話によると、イケスが真っ黒だったそうだ。これを効いて大ショックだった。

この鹿ノ瀬沖のポイントは、よく釣れる場所だったのだ。そういうよく釣れる場所に釣れてきてもらっていながら、釣れないのを船長のせいにしていたことを私は猛烈に恥じた。

でも、どうして右舷ばかり釣れたのだろうか。上手な常連さんがたまたま固まっていただけなのだろうか?わからない。

その後、明石市役所沖のポイントに移動、たくさん釣った人はサビキということだったようなので、サビキに変えてやると、1回アタリがありバラした後、すぐに1匹メバルが釣れた。

しかし、ここでの1時間ほどでは、この1匹のみだった。

猛烈にくやしい1日だった。これは、釣り堀など行っている場合ではなく、リベンジしなければと燃えている。

しかし、なかなかメバル釣りには行けない。次の予定は釣り堀は決まったが、メバルはまだ未定である。

あー、早くメバルリベンジしたいものだ。

・・・とこんな状態だと、釣り堀撃沈してしまう可能性が高いので、いまのうちに頭を釣り堀モードに切り換えておかねば・・・

ということで、ご一緒してくださったしんすけさん、kさん、どうもありがとうございました。

それから、皆さんきっと心配してくれていると思うので、心配をかけないように念のために書いておくと(笑)、不思議と熱のほうはもう下がって体調も回復、軽い頭痛がかすかに残っているだけで、今は元気なのでご心配なく。

(結果)メバル19〜22cmを5匹、ガシラ15〜19cmを3匹

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メバルの型がどれもまずまずだったのが、せめてもの救いだった・・・味は抜群!新鮮なうちに二人で食べてしまうには、まあ丁度良い量と言えばそうなのだが・・・

この日の釣果情報によると、30匹釣った人が1人、29匹釣った人が2人ということだった・・・。

せめて最高釣果の3分の2、いや、半分は釣れるようになりたい(涙)。

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底の取り方

みなさん、釣り堀ではマメに底取りされているようです。話題の掲示板にレスをしようと思ったのですが、せっかく底取りオモリを作って盛り上がっておられるのに、底取りオモリをほとんど使ったことのない私がコメントするのも失礼かと思い、遠慮して自分のところに書きます。

私はどうもずぼらな性格のためか、底取りオモリはほとんど使ったことありません。はじめて行く釣り堀とか、ヨーイドンスタートの場合に時間があったら開始前にやるくらいでしょうか。

でも、底取りはします。どうやるか。

やり方は単純で、普通に釣りをしていて、どんどんタナを下げて行って、ひっかかったらそれが底という感じです(笑)。

いや、でも、その時に強くアワセなければ、かなり高い確率ではずれますし、ひっかからない場合も多い(穂先の角度で底についたのがわかる)ですので、これで十分行けていると自分では思っています。神経も集中できます。

また、この経験から行くと、底の深さはしょっちゅう変わります。いや、イカダの底の形状がしょっちゅう変わるというより(それもあるかもしれませんが)、潮の流れとかでどこまで落とせるかが変わるということなのだと思います。

もちろん、仕掛けによっても底は変わります。正確には底が変わるのではなく、底に当たるまでに出る糸の長さが変わるということなのですが。

つまり、釣りの時に使っているオモリと底取りオモリはだいたいが重さが違うので、正確には計れていないのではないかと思うからです。

重たいオモリをつければ、糸は垂直に出ますから、深さ10mなら正確に10mの糸が出ます。

しかし、普通は潮に流されるために、垂直ではなく、若干ナナメに糸が出ます。深さ10mで糸の出る角度が1度変わっただけで、どれだけ糸の出る長さが変わるか・・・計算しようと思いましたが、面倒なのでやめました(笑)。

大事なのは、正確な水深ではなく、使っている仕掛けでどれだけ糸を出すと底につくかということですから。

ともかく、一番正確に「底」を取る方法は、やはり使っている仕掛けで、底をひっかけてみるか底に付けてみることです。

特に、イカダ竿で釣りをするのが中心になる場合は底取りオモリで計った底はほとんど参考になりません。

イカダ竿でやる場合だとオモリが軽いので、道糸から針までの仕掛け全体が潮に流されてナナメになるのだと思います。

だから、底(というか根がかりするまでの深さ)というのは、潮上の釣り座だと深くなり、潮下だと浅くなります。

潮上で深くなるのは、仕掛けがナナメに出て対面側に流されているため、潮下で浅くなるのは、同じく仕掛けがナナメに出ることで、底に着く前に手前の網にひっかかるためでしょう。

底を狙う場合、一旦底まで仕掛けを落として、それからちょっと巻いたくらいという感じでやるのが、一番正確な気がします。

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「法治国家」は「幼稚国家」

テレビを見ていると、政治家が「日本は法治国家だから・・・」だの言っている。

それは、今の日本の国家の体制はそういうふうになっているのだろう。しかし、法律というのも所詮は人間が作ったもの、中には悪法もある。

悪法かどうかを判断する基準は何かというと、それは人々の常識である。

常識というのは世論とは違う。世論とはその瞬間瞬間に移りゆくもので、私に言わせるとあんなもの糞以下であるが、常識は長い歴史を経て人々の考え方として定着したものである。

社会というのはルールによって治められるべき、という考え方には大賛成である。

しかし、そのルールが、法律だけ、法律第一主義というのには、私は断固反対である。

法律に違反していても、道徳的に正義というような場合はいくらでもある。

ルールというのは、その下部構造として、常識に基づく道徳というものがある。そして、その上に、議会で制度化された法律がある。

法律というのは議会で議論されてから決められるもので、時間がかかるし、変化の多い時代には社会とのズレも生じる。

新しい法律がまにあわなかったり、古い法律がいつまでも残っていたりということもある。

法律がすべてならば、法律に違反しない限りは何をしても良いという考え方を助長し、法の抜け穴をつくような不道徳者が跋扈する。

もっとひどいのになると、法律違反としてばれなければ良いということにもなる。今の経済がそんなことになっている。真面目な勤労者が馬鹿を見るようになっている。

規制緩和して事後処罰の社会というのがその典型である。

このように、法律というのは、どんなに頑張っても穴だらけなのだ。

最近では何でも世論で決めろという流れになっているが、世論というのは(すべてとは言わないが)大半が、多数派のたんなる欲望やその場の気分、深く考えずにとりあえず聞かれたから答えただけ、という程度のものと言って差し支えない。

法律もそんなもので決められがちである。

しかし、ルールというのは、何らかの形での「エゴや欲望の制限」を含むものである。ルール造りを世論にまかせると、「エゴや欲望を制限」するのはルール違反ということになりかねないから危険なのだ。

まさに、今の憲法からして、人々の欲望を礼賛するような内容になっている。

しかし、そうなると世の中滅茶苦茶になる。すると今度は一転して世論が言うのは決まって「法律を厳しくせよ」「犯罪には厳罰で処せ」というもの。

本当に世論の幼稚さにはあきれ果てる。

法律にその穴をなくそうとすれば、網の目の如く規制でがんじがらめの強制をするしか無くなってしまうのである。おそるべき超管理社会みたいものである。

規制の緩和と強化という両極端の間で振り子運動するばからしさに気づくべきだ。

そうならないために、法律の穴をふさぐ役割をするのが、常識にもとづく道徳である。

道徳というのは、人々が自分で自分を律するものである。厳しい道徳観を身につけた人間が多ければ、法律の穴があろうが、社会は安定する。自分で自分を律するわけだから、他者からの強制でもなく、心も自由でもある。

そういうことをろくに考えたことも無い、非常識な人間が政治家になり、「日本は法治国家だから」などとしたり顔でものを言うのだろう。

そんな政治家に投票する有権者もどうかしているし、爆笑問題が司会しているような幼稚な政治討論番組を見る人も理解できない。

ああいうのにしょっちゅう出て、ペラペラと軽口たたいているような政治家連中は、どの政党であろうが、消えて無くなって欲しい。そうすれば日本も善くなるだろう。

いや、世論が幅をきかせているうちは無理だろう。

怒り | Comments(0) | Trackbacks(-)

準備元旦・・・ではなく万端

明日はメバル漁に出撃予定である。楽しみなのである。

船の釣りというのは、釣り堀に比べて準備が少ないので楽だ。

今回はちょっと新兵器を用意した。

(秘密兵器・その1)エイチ・ワイ・エス 日吉屋 FIVE TWO スーパーグリップ NO.900

先日、しんすけさんに教えて頂いて(感謝)、アマゾンで購入。注文したら在庫無しで、入荷次第メールにて連絡となっていたが、突然発送しましたメールが昨日来て、さきほど届いた。まあ何にせよ間に合って良かった。なかなか良い感じ!
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アマゾンで購入はこちらから↓ 定価は高いが値引きされていて1800円少々だった。
エイチ・ワイ・エス 日吉屋 FIVE TWO スーパーグリップ NO.900エイチ・ワイ・エス 日吉屋 FIVE TWO スーパーグリップ NO.900
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不明

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(秘密兵器・その2)サビキ用のヒラヒラ

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エサとサビキとで、いちいち仕掛けを根こそぎ変えるのはもったいない。サビキを使っていてエサにしたくなったら、ハゲ皮をひきちぎるのが私のやりかただが、これがあれば、再度サビキにもできる。

また、エサ釣りの仕掛けでも、全部にエサをつけるのが面倒な時は、いくつかサビキにすることもできる。

・・・と思ったのだが、果たして活躍するだろうか!?

何にせよ、楽しみである。大きいのがたくさん釣れると良いなーーー。

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テレビ人の意識の低さ

昨日の晩、釣り番組「四季の釣り」というのを見ていたら、海上釣り堀を取り上げていた。

そして思ったのは、「あー、この番組もかー」ということだった。

釣り堀は、和歌山の三光丸とか言うところ。

キャスターの伊丹章君と、フィッシングアドバイザーとかいう人と、釣り堀初めてのサポーターとか言う合計3人で、イカダの乗って釣りをしていた。

で、何が「あー、この番組もかー」と思ったかと言うと、釣り堀を取り上げている番組やビデオのたぐいすべてに共通する欠点が見られることだった。

欠点というか、まあ私が一番大事と思っていることがほとんど取り上げられていない。

釣り堀で一番大事な事は何か。

「ルールとマナー」である。

たくさん釣れますよとか楽しいですよとか、そんなことしか放送しない、そして行ってみたらトラブルに巻き込まれたり、自分がルールやマナーの大切さを認識していないために、自らトラブルの種をまいたり・・・

こういう番組は、そういうことになりかねないものばかりだ。

とりあえず、たいていは「竿は一本で針も一本、撒き餌は禁止」くらいのことは説明している。しかし、サラリと軽すぎる。

この番組でひどかったのは、青物をかけた時。誰も竿を上げない。

青ですコールもなく、誰か1人が青物をかけても、他の二人は平気でそのまま釣り続けていた。そして、何と、ダブルヒット、その後トリプルというか、まあ最終的に全員で青物をほとんど同時に釣り上げた。

たった3人で乗っているから、これはまたまたトラブルにならなかっただけ、自分たちの状況が普通の釣り堀ではありえない状況であることをわかっているのか?

ほとんどの釣り堀では誰かが青物をかけた場合は他の人は竿を上げることになっている。竿を上げるのがルールであることを説明もしない。

貸し切りなら追い食いとか勝手かもしれないが、そこらへんのことをちゃんと説明するならまだしも、何の説明もなく、まあたった3人で勝手な釣り方をしている。

だいたい、小イカダとは言え、たった3人で釣りをするなんて、普通はあり得ないことだ。3人しか乗せずに貸し切り分も放流すれば、そんな状況なら誰でもたくさん釣れてあたりまえである。誇大広告だろう。

小イカダに10人乗せてガチンコで収録してみれば良い。絶対に2?3人はド貧家な者が出るのである。そういうところまで見せて本当だろう。

まあ、客を呼び寄せる宣伝としての意味もあるだろうから、別にそこまでしろと言いたいわけではない。

しかし、客を呼び寄せるからには、ちゃんと教育的な配慮をしてくれと、影響力の大きいテレビなのだから、そこんところをちゃんと考えてくれよと言いたいのだ。

もっとルールとマナー(ゴミの始末まで含めて)とか、乗り合いのイカダで注意すべき点とか、そういうこと触れることが少なすぎである。

番組をつくるなら、そこれへんはしつこいくらいにやってもらわないと困る。協力する釣り堀屋からも一言あって良いのじゃないか!?

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新玉の季節!

ようやく、待ちに待った新玉の季節がやってきた。

新玉(しんたま)とは何か。たんに、新タマネギのことにすぎないのだが。

これが何故うれしいかと言うと、釣り堀で釣った青物をようやくタタキで(美味しく)食えるようになる、ということだからだ。

ちょっと前まで、タマネギは美味しくなかった。生で食べるのはきつかったので、タタキがイマイチだった。

しかし、新玉で作るタタキは格別に美味いのだ。

ということで、やはり今月中にスクランブル発進して釣り堀に行かねばならない。

青物を釣ってタタキを作らねばならない。ツバスでも良い。ブリならなお良い。シマアジでもカンパチでも、何でも良い。真鯛でも良い(え!?)

出撃の準備は着々とすすんでいる。メバル釣りだけが釣りでは無いのだ!!!

わはははははは・・・

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船、釣りサンデー、など

最近、船での釣りをするようになって、海での事故みたいなものを若干は意識するようになった。

というか、あれだけ毎日イージス艦と漁船の衝突事故の話ばかり報道されていれば、たいがいはすぐにチャンネルを変えるとは言え、この私でも意識せざるをえない。

ところで、こんなニュースもあるようだ。

明石海峡で貨物船2隻とタンカー衝突、3人行方不明

ここらの海域と言うと、船釣りのポイントも近い。

昨日買った雑誌「釣りサンデー」によると、この時期の明石ではイカナゴ漁が最盛期を迎え、海上交通がかなりの混雑を増すらしい。

そのために、特別に警戒をおこなっていると聞いた。しかし、この事故である。

人間というのは、かならず間違いを犯すもの、ミスを犯すものである。

まあ私は気が小さいので(というか規則でもあるので)船に乗るときはちゃんと救命胴衣を着用しているが、今のはベストタイプで、邪魔くさいし夏は暑いだろうから、もうちょっとコンパクトな、ふくらむタイプのやつを買おうかな。でも高いんだよなー。

ところで、雑誌「釣りサンデー」と言えば、今月号で休刊になるらしい。

残念だ。まあでも月刊になった時から、いつかこういう日が来るのは避けられなかったのかもしれない。

釣り情報というのは速報性が大事なので、まあ今だとネット発の情報には負けるのだろう。

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いじめの原因は平和主義と民主主義

最近は、職場のいじめ、なんていうのも増えているようだ。昨日のNHKでやっていたが。

それにしてもマスコミの報道に関する飽きっぽさ、刺激性の強いできごとに次々に飛びついては、流れて忘れてゆく忘れっぽさにはおどろかされる。

一時さかんにやっていた、学校のいじめ問題はどうなったのか?

そんなに忘れっぽいから、かつては「自己責任」だの「小さな政府」だの言っていた小沢一郎が、「生活が第一」なんて調子の良い逆のことを言いだして、その都合良い変わりぶりが気にならないのかもしれない。

まあ、それはどうでも良い。

最近、いろんな人の話を聞いていて、いじめに関して私が一番面白いというか、説得力を感じた説が、「いじめの原因は民主主義と平和主義」というものだった。

もちろん、いじめというのは昔からあっただろうが、昔のいじめは、あきらかな「弱い者いじめ」とか「差別」のような、わかりやすいものが中心だったのでは?と思う。

そして、そういうわかりやすい「弱い者いじめ」とか「差別」みたいなことはしてはいけないという歯止めというか常識もあっただろう。

ところが、現代のいじめには、若干違ったところがある。

いじめられる対象が、かならずしも弱い者とは限らないということらしい。

みんなの空気が読めないやつとか、先生の評判が妙に良いやつ、なんか元気よくほがらかで頑張っているやつが、他の多数の生徒の嫉妬を買っていじめ(無視)にあう、ということも珍しくない。

一つはマスコミでやっているように、一生懸命頑張っている人への嫉妬心(ルサンチマン)を煽って凡人のひがみ根性を正当化するような報道が(ワイドショーを中心として)多数であるということの影響もあることだろう。

もう一つは、昔ならば、あいつ、なんか気取りやがって、とか、こいつ何か気に入らないとなったら、たとえばぶん殴るとかけっとばすとか、まあ暴力まで行かなくても、口げんかするとか、男の世界ならば、そういうことがまず先にあったような気がする。

女子はそういうことができないから、その負のエネルギーが陰湿化し、昔から女子はいじめばかりしている、というイメージが私にはずっとあった。

ところが、現代では、男も暴力や争いごとを禁じられている。とにかく人と争ってはいけない、暴力はいけない、ケンカはいけない、平和主義で行けと、日本という国が周辺諸国からいかにボコボコに叩かれていじめられても、じっと我慢しているくらいだから(笑)、そういう考え方が完全に浸透したのだろう。

だから、暴力やケンカを封じられた男も、昔の悪い意味での女みたいになり、陰湿ないじめに走るのだろう。

もちろん、ひたすら殴り合いの暴力学級みたいのが良いとは言えないが、何か気に入らなかった時に、いきなり殴るんではなくても、口げんかであってもケンカのしかたがある、戦い方があるということを、わかっていないのではないか?

口げんかでも相手を泣かせるほどにダメージを与えることはいくらでもできるし、未熟な子供同士なら、そういうことをしながら、お互いに成長してゆくものだろう。しかし今はとにかく争ってはいけない、相手の心を傷つけてはいけないという教育しかされていない。だから、人の言動に免疫がなく、すぐ傷ついてしまうのだろう。

マスコミでも、やたらと「あの有名人や政治家は、私を傷つける発言をした、許せない!」みたいは発言ばかりであることからもよくわかる。

心があまりにナイーブな人間ばかりになってしまったようだ。

まあ、私もテレビ人の発言にいつもムカムカしっぱなしではあるが、しかし「傷つけられた」なんて女々しい(女性の皆さんすみません!)言い方はしない。

いずれにせよ、たとえ口げんか程度でもあらゆる争いごとの芽からすべてきれいに刈り取ってしまうような学校の環境とか、そういう平和主義がエネルギーをくすぶらせていじめを陰湿化させているのだと思う。

それから、もう一つ、いじめの原因は、民主主義とヒューマニズムの合体だという話。

民主主義というのは多数決である。多数者によって少数意見が排除されるしくみだが、少数意見だけでなく、少数者そのものが排除されることにもなっている。

また、そもそも多数意見が別に必ず正しいという根拠など何も無いわけである。そういうものを必要以上に素晴らしいかのように祭り上げる戦後の世の中もどうかしている。

多数意見が、多数者のその場の気分であったり単なる欲望であったり流行にすぎないものということが多くあり、そういう世論にもとづいて少数者を異端とみなし排除することにつながる。

学級でなされているのも、なんとなくそういう雰囲気だろう。あいつは何かちょっと違うんじゃないか?先生にひいきされている、なんか目立っている、KYだ、気に入らない、そういうたまたま多数者の側にいる者たちが気に入らない少数の人間が、偶然にいじめの対象となる。

そこにプラスされるのが、人間礼賛主義という意味でのヒューマニズムであり、このヒューマニズムというのは、人間性というものへの軽信にもとづいている。人間のやることは何であれ素晴らしい、人間の欲望を叶えることは素晴らしいのだ、という発想につながりやすい。

そして、多数決とヒューマニズムが結びつけば、少数者は人間ではない、人間に値しない、だから徹底的に排除していじめて良いという感覚になる。

まあ、一つの解釈として、なかなか面白いと思った。私は平和主義も民主主義もヒューマニズムももともと少々疑いの目で見ているので。


ところでここから、ちょっと話はそれるが、いじめられている者に身方したりすると、自分までいじめにあうということがある。

最近聴いた話だが、YUKAが子供の頃、同じクラスにみんなから無視されている子がいたらしい。

その子はどうも教師から気に入られて、その未熟な教師がその子をえこひいきしたために、みんなから無視されるようになった、ということらしい。

しかし、YUKAはそういういじめみたいなのがイヤで、自分だけはその子に積極的に話しかけたり、先生にたいして「先生がひいきするからあの子がいじめられている、やめてください」と言ったりしたらしい。

それでもYUKAはみんなからいじめにあったりはしなかったそうだ。なかなか素晴らしいと思う。

おそらく私ならば、自分もあいつと一緒にいじめられてはかなわんから、まあとりあえず無視しておこう、という感じで行動したことだろう(笑)。

いや、私の反抗的な性格から考えて、その教師に徹底的に逆らった、敵意は教師にむけられたに違いない。そのために友人を扇動したりと、そっちのような気がする。

私は殴り合いのケンカは弱い(というかしたことが無い)が、実はかなり反抗精神のかたまりみたいな人間なのだ。だから、やられたらば必ず何か一撃くらわせないと気が済まない。しかし暴力は苦手なので、仕返しはけっこう陰湿な方法になる(笑)。

反抗心が強いので、「今の世の中で一番強い者」=「マスコミ世論」に一番反発してみせたい、という気持が強い。

いずれにせよ、YUKAは私よりも遙かに人格者であること、しかもそれが子供の頃からそうであることを知ったのであった。

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