カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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品格なき人々

去年は「国家の品格」という本がベストセラーになったようだ。

国家の品格 (新潮新書) 国家の品格 (新潮新書)
藤原 正彦 (2005/11)
新潮社

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私はベストセラーになるとまず読まないが、この本はベストセラーとして取り上げられるようになる前に読んでいたので、良い本とわかった。ベストセラーでもたまには良い本もあるということのようだ。

ところで、この本が売れた影響でか、最近では「○○の品格」という本をちょくちょく目にするようになった。

アマゾンで検索してみたら、とりあえずこれだけあった。

女性の品格 (PHP新書) 女性の品格 (PHP新書)
坂東 眞理子 (2006/09/16)
PHP研究所

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親の品格 (PHP新書 495) 親の品格 (PHP新書 495)
坂東 眞理子 (2007/12/15)
PHP研究所

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会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1) 会社の品格 (幻冬舎新書 お 3-1)
小笹 芳央 (2007/09)
幻冬舎

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腐女子の品格 腐女子の品格
(2008/01)
リブレ出版

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ヤマダ電機の品格―No.1企業の激安哲学 ヤマダ電機の品格―No.1企業の激安哲学
立石 泰則 (2008/01)
講談社

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男の品格―気高く、そして潔く 男の品格―気高く、そして潔く
川北 義則 (2006/04)
PHP研究所

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これらの本はすべて「国家の品格」がベストセラーになった後に出されたものである。

そして、これらの本はすべて何かの品格について書かれたものなのだろう。

ところで、一番重要なポイントとして、ベストセラーになった本の後追いで似たようなタイトルの本を売り出す人たちに、果たして品格などあるのだろうか?品格について語りうる能力があるのだろうか?品格を口にする資格があるのだろうか?と、そんなことを問わずにおれない。

あっさり言って、私にはどうもそういう人たちはそもそも品格に欠けるのではないかという気がしてしょうがないので、これらの本を読もうとは到底思えないのである。

読書・勉強 | Comments(0) | Trackbacks(-)

感謝感激

今話題の中国ギョーザ!10人が中毒症状とか!?どんな毒かについては下に書いた通り。

ところであの餃子はCOOPが販売している餃子だったらしいが、COOPと言えばうちでも買っている。

私はYUKAにほどんど毎日弁当を作ってもらっている。自分も仕事しているのに私のために早起きして手間をかけてもらって感謝していて、本当に申し訳ないと思うくらいなのだが、それでよく「もうちょっと冷凍食品とかを適当に詰め込んで手抜きしてくれて良いよ」とか言っていたのだが・・・

彼女にもプライドがあるようで、そういう手抜きは好きではないそうで、ほとんどが手作り、たまにスーパーで買ってきた惣菜が、本当にごくたまに入っているくらいだ。尊敬に値する。

私はプライドの無い人間というのがあまり好きではない。もちろん変なプライドでも困るのだが。日本の製品が良いのは職人のプライドのおかげなのだ。最近のいろんな問題は日本人からプライドが失われたことによるのだと思う。

ちなみに、となりの家と共同で生協から毎週ものを買っているが、その中に今回の問題餃子と同じようにCOOPの餃子がどうもあったらしい。

そして、隣の家の人が「変な味がする」と言って返品していたそうだ。

もしYUKAがこういう冷凍食品をお手軽だと言って多用していれば、おそらく私も食べていたことだろう。そう考えると本当にYUKAには感謝感激である。

しかし、そもそもなぜ中国産の安かろう悪かろうな食品が大量に日本に入ってきているかと言うと、みんな安さと便利さに飛びつくからである。プライドが無いのだろう。

外食産業でも大量に中国製のものが使われている。今回回収さわぎになっているシリーズに業務用のものもあるということは、どこかで何らかの業務に使われているのだろう。

日本は食糧自給率も低い。輸入業者も消費者のニーズに応えようとして、文化のまったく異なる中国で安いものを作って安く入れているわけである。

今回の問題で、中国側の業者は「証拠はあるのか!」とひらきなおっているそうな。それが向こうの文化なのだろう。日本も最近ずいぶん近づいてきたような気がするが。

でも、そもそも文化が違えば衝突がおこって当然なのだ。別に中国を弁護するわけではないが。多文化共生は他文化強制から文化間の衝突へと向かう。程良い距離感を保つのが良識というものだ。

食品による中毒騒ぎや偽装などがあるたびに、これを機会に家庭できちんと調理することを中心とした生活様式というものを取り戻そうという健全な声があがらないものかといつも期待しているが、世の中はあいかわらずである。

ともかく私はYUKAのプライドのおかげで救われた。感謝しても感謝しきれない。

喜び・楽しみ | Comments(4) | Trackbacks(-)

有機リン系殺虫剤

昨日から報道されているが、中国からの輸入ものの冷凍餃子に大量の農薬が残留していて、中毒被害が出て大変なことになっているとか。

これはどうも有機リン系の殺虫剤だそうだが、有機リン系の毒物と言えば有名どころではサリンが強力な毒で、オウムのおこしたサリン事件で有名ある。

もちろん今回の殺虫剤(名前忘れた)はサリンほどではないのだろうが、でもこれも同じく有機リン系なので、程度の差こそあれ作用メカニズムは同じ、サリンと同じようにアセチルコリンエステラーゼという酵素を強く阻害する毒である。

体内にはアセチルコリンという神経伝達物質が副交感神経系を制御している。アセチルコリンはアセチルコリンエステラーゼという分解酵素によって適度に分解されてちょうど良い量に保たれている。

有機リン系の毒物はこの酵素を阻害するので、アセチルコリンが分解されなくなって蓄積する。そうすると、副交感神経が異常に興奮してしまう。

自律神経(人間の意志でコントロールできない神経)には交感神経と副交感神経とがあり、ほぼ逆の働きをしている。

交感神経は、まあ昼間の活動的な時に働く。神経伝達物質はアドレナリンやドーパミンなどである。一般に「闘争・逃走反応」というのをひきおこす。つまり、戦ったり逃げたりと臨戦態勢・戦闘態勢にあるときに興奮する神経である。

副交感神経はこれとは逆に、夜の静かな時に働く。「消化・休息反応」を媒介する。脈拍はゆっくりとなり、瞳孔も縮小し、気管支も収縮、休息に向かう。喘息の発作が夜に起こりやすいのはこのためでもある。そして胃腸の動きや腺分泌は活発になり、消化吸収を行う。

この副交感神経が異常に興奮するとテレビで報道されているように今回の餃子を食べた人のような症状がおこるという訳だ。

読書・勉強 | Comments(0) | Trackbacks(-)

天然バカ

テレビの化粧品のCM?

何かわからないが、やたら「天然!天然!」と青筋たてて絶叫しているおっさんがいる。

どうも社長のようだが、だいたい社長の露出が多い会社というのはうさんくさくて怪しいところが多いように思う。

まあ、それはどうでも良いが、天然だから良いかというと、それは短絡にすぎない。天然にもいくらでも毒はあるし、合成でもいくらでも体に良いもの、人体に刺激の無いものはある。

ああやって、天然・天然と叫ぶのは天然バカなのではないか?

迷い・不可解 | Comments(0) | Trackbacks(-)

釣り堀どっちが対決(5)【いろいろ】

福すけさんとれがーさんにいただいたネタを一つずつ手短に書いて行こうと思います。

【PE VS ナイロン】
【両軸リールVSスピニングリール】
【<青物限定>活き餌VS冷凍餌】

の3つだけ、どうにかちょびっと書けました。


【PE VS ナイロン】

PEラインは巻きグセがつきません。ナイロンは冬場など特に巻きグセがつきやすく、新体操のヒモみたいになります。

PEラインは雨の日に竿にまとわりついたり、風で穂先にからまったりすると厄介です。雨風の時にちょっと使いにくいかもしれません。

私は今やすべてナイロンの道糸です。真冬でもナイロンです。以前はPEラインを使っていましたが、扱いにくいのと雨の日とか竿にぺたぺたひっついたり、あと固すぎるのでやめました。

今では冬でもナイロンです。しかも海上釣り堀用のマーク入りのナイロン道糸を使っています。

理由は最近はナイロンもわりと良くなってきているように感じたこと(糸クセなど以前よりは若干ましになった)があります。とは言っても、やはり1匹釣るまではクルクルとなっていますし、時々イラっと来ることは多いです。

そういう点でイラつき具合だけを比べた場合、PEと実はそんなに変わらない気がしています。

私がナイロンにしている主な理由は、伸びるからです。

つまり、PEはまったく伸びないと言って良いと思うのですが、ハリス切れや竿にかかる衝撃が強すぎたり食い込みが悪いように感じるからです。釣り堀で竿を折ったことが過去に何度かありますが、すべてPEラインを使っていたものでした。マダイ1回、青物2回竿を折っています。(注・私が折ったのはマダイの時の1回のみ。あとの青物の2回はそれぞれYUKAとYUKAのおじさん)。

やはりナイロンのほうが衝撃を吸収してくれることと、食い込みも良い気がします。しかし、やっぱり伸びたり傷ついたり水を吸ったりすると弱るので、何度も使わないようにはしています。

だいたい50mほど巻きます。そして、使うたびに2?3mずつ短くして行き、3?4回使ったら逆に巻き直してこちらも2?3回使ったら半分くらいの長さに減ってしまっているので、その頃には交換しています。



【フロロハリスVSナイロンハリス】

これについては検証したことがまったくないのでわかりません。私はバカの一つ覚えみたいにグランドマックスばっかりです。あ、ピンク色のハリスも使いますが、差はわかりません。



【両軸リールVSスピニングリール】

最初は青物用に両軸リールを使っていましたが、今はすべてスピニングリールです。スピニングのほうが使いやすいような気がしますが、好みの問題でしょうか。スピニングリールのほうがドラグを効かせやすいように思います。

イカダ竿でやる時はチヌリールを使っています。チヌリールはサミングですが、私はやわらかいのイカダ竿を使っていますので、マダイくらいならば糸を出す必要はほとんどありませんから(ハリス2.5号以上)これで十分です。ただ、エサを飲み込まれた時に歯でこすれて切れることはたまにあります。

と、このテーマもあまりうまい比較はできずにこの程度ですみません。



【<青物限定>活き餌VS冷凍餌】

以前は青物狙いと言ったら生きアジを入れておくくらいしかできずに、それも退屈ですから、結局青物狙いというのをほとんどしませんでした。

ところが、いろんな人の釣りを見て、冷凍エサなどで誘って食わせるということを知ってから、青物も狙うようになり、その組み合わせの中で生きアジも使うようになりました。

生きアジの有効性が高いのは何と言ってもカンパチかと思います。カンパチに関しては冷凍エサよりも生きアジが有効というのが私の印象です。

あとヒラマサも生きアジが有効?というかシラサが良いとか良く言われることがあるように、ヒラマサも生きエサが良いのでしょうか?

あとワラサやブリ、ツバスはその時によっていろいろ違っている?そんな印象です。

と、青物釣りはいまだにわからないところが多いので、こんな程度しか書けません(汗)。

釣り | Comments(11) | Trackbacks(-)

メバル一本勝負!

2008年1月25日(金)

名田屋乗合船

船からのメバル狙い

潮@明石?中潮
満潮?10:50、20:51  干潮?3:08、15:42  
日出?7:02、日入?17:21  
天気?晴れ時々曇り、北西風が少しあるくらい、波はたいしたことない、気温はこの冬一番の冷え込み
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去年の年末くらいから明石方面でメバルが上がりだしていて、私も行きたいなあと思っていた。しかし、なかなか行く機会がなかったし、1人ではどうも腰が動かない。

そんな時、仕事の合間をぬって、この日ならばという感じでKさんが金曜日に明石にメバル釣りをしに行くということを教えて頂いた。

私も金曜日に明石なら、帰りに職場に寄って仕事して帰れるし、できなかったぶんは翌日に休日出勤すればどうにかなる、この日ならば私も行けるということで、すぐに同行させていただくことにした。

水曜はどこも好調だったが、木曜は大荒れでどこも出船せず。最初の予定では何度かタチウオでお邪魔したことのある「釣り船きもと」にしようと思ったが、金曜日も出船しないとのことだった。

そこで、なおしま丸か名田屋乗合船か迷って、先に連絡の取れた名田屋のほうに決めた。ここは平日が5000円と格安になっている。明石港から出ている。

エサが有料になる場合もあるが、メバルガシラ狙いの場合はエサ付きである。ただ駐車場が1台500円、氷が200円という感じであるから、まあ車は一台で行けば1人当たり250円なので、実質5450円、これでも十分に安い。

おとなり林崎漁港から出船している釣り船きもとは平日も土日祝日も変わらず6500円(駐車場無料、エサ・氷つき)であるから平日だと約1000円の差ということになる。

名田屋の難点は、電話の対応に出てくれる女将さん?実際にはあんがい若かったが、この人の対応がちょっと私にはあわない感じだった。色々聞いてもちゃんと教えてくれない。

そして、ポイントカードは2回目から渡しますだって!?何じゃこりゃ?正直にはじめてと言って損した。というか、「初めてなので何か注意点などありますか?教えてください」という文脈で言ったのだが、その返事も「いや別に」だったし。

まあ、そんな対応も値段を考えると仕方ないかと思う。もう一つの特徴は、ここの釣り座が、何と申し込み順であるという点だ。

私らは前日の夜の7時頃に予約したので、最後の最後であった。おまけに、他の船は休みが多くて、そのぶんここに集中したのだろう、ほとんど満席だった。

これでは平日に来た意味が半減するというもの。まあここでも平日価格ということで自分を納得させるしか無かった。でもずいぶん安いのは確かである。

どうにか狭いながらもKさんと二人並んで右舷の中央部に座ることができた。

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エサのシラサ(20匹くらい?でちょっと少な目なので、シラサでよく釣れる時期は買って行ったほうが良いかも。)とガシラ用に冷凍イカナゴを受け取り、6時半に出船。オモリは30号とのことだったが、前日の電話で女将に聞いた時は40号と言っていたので、急遽40号のオモリも買ってきたのに、騙された。

まあ30号のオモリならたっぷり1袋10個入りを持っているので困りはしなかったが。それで船頭さんがサビキでと言ったので、私は最初からサビキでやることにした。

一方のKさんはシラサでやられることにしたようだ。

さて、明石港を出て船は10分少々走って対岸の淡路島近くが最初のポイント。7時前くらいから釣り開始となった。

きもとが出船しないから、かなり荒れているのかと思ったが、風もたいしたことなく、波も全然であった。ただし、ものすごく寒い。この冬一番の冷え込みとか言っていた。今回は防寒をしっかりしてきたつもりだったが、時間とともに船体からの冷たさが伝わってきて、少々キツイ部分もあった。

それはともかく、最初に着いたポイントは、もう岸から数十メートルくらいのところで、水深は浅く、5?10mくらいしかない。

しばらく流して、たまにガシラを釣る人はいるが、サビキでやっている私やその隣の人には、超ミニメバル、大きさにして5センチも無いようなのが連で釣れだした。

もちろんリリースだが、こんな小さいのしかいないのだから、無理だろう。たしかメバルは大きいのから食ってくるんじゃなかったっけ?知らないが。

そうこうしているうちに、ポイントを少しずつ移動しはじめて、水深が10?20mくらいのところへと移っていった。

そうしてしばらくすると、何と待望の強烈なブルブル感が!20センチ前後のまずまずのメバルが釣れだした。メバルはよく引く。

どうもエサ釣りよりもサビキのようが良さそうで、私と私の隣の人が好調に釣れ出す。エサ釣りのKさんにはアタリが無いようで、しばらくしてKさんもサビキにチェンジされた。

そこから最悪のタイミングでKさんはお祭りを連発。しかも、隣の人ではなく、隣の人をはさんでその隣の人と連続お祭りで連続仕掛けパー、このホットなポイントでの時合いにまったく釣りができていなかった。

これはどうやら、隣の隣の人が、ガシラ狙いで底をひきずっていることが原因だったようだ。

船はポイントに入ると船尾のほうから進んで行く。ということは、仕掛けが底をひきずってお祭りする場合は、より船尾側にいる人間が悪いということになる。

Kさんはメバル狙いでメバルは底から若干浮いているから、仕掛けをひきずらない。ガシラ狙いの人が底をひきずって、そのためにお祭り連発のようであった。

船尾側の人が底をひきずったら、船首寄りの人が迷惑する。実はその人とは私も一度お祭りしているのである。たしか船尾から2番目に座っていた人だったと思う。私から2人もはなれているのに大迷惑である。底を引きずりたかったら船首に入ってくれと言いたい。

まあ私は釣れていない時間帯の最初の1回だけだったがKさんは、一番ホットな時間にまったく釣りができていなかった。たぶん30分くらい。

Kさんが釣りできていない間に私はまずまずのサイズのメバルを8匹は釣っただろうか。

実はこの日、あまりおおっぴらには書けないのだが、Kさんが言い出されて、ゴルフで言うところのチョコレートを握るという奴?そういうことに私はまきこまれてしまっていた。

正直乗り気ではなかったのだが、ここで一気に引き離したので、まあ一安心であった。さらに、先日辨屋でご一緒した時に、となりでガンガン釣られた時にたまったうっぷんが少々晴れるような気もした。

しかし、物理的障害で釣りができなくなっていた訳だから、真剣勝負してリードしているわけではないから、正直言ってよく考えると気持は複雑であった。

何より、Kさんはかなり頭から湯気が立ち上るくらいにカッカ来ている。Kさんは私から見て(誰から見ても!?)かなりおこりんぼだとは思うが、1,2回お祭りしたくらいで理不尽に怒るような人でもない。

気分次第で感情的になるわけではなく、それなりに理があって怒るのだが、今回はどう考えても、仕掛けをひきずって、それを何回も繰り返す船尾寄りの釣り人が悪いに決まっている。

だから怒るKさんに道理があると私も思うが、しかし怒ったままでご機嫌ななめだと私が困るのである。帰りの車中をともに過ごさねばならないこちらの身にもなって欲しい。

私とて、怒られるのが好きなわけではない。まともに叱っていただけることも多く尊敬している部分も少なくないが、時に頭ごなしに怒られて気分悪いこともある。ただ、その場合はこうやってブログで反論したり仕返ししたりできるのでバランスが取れているという訳だ(笑)。

それはともかく、あんまり釣果でも引き離すと後が怖いからちょっと考えないといけないかなあと思っていた。実は、チョコレートの握り方のルールとして、釣果が2倍・3倍になった場合、結果も2倍3倍にすると決めていたのだ。

そして、朝一のラッシュの後は、8対0である。これは・・・

その後、何カ所かポイントを移動して、水深が5mくらいしか無いところや30m近いところを回ったが、まあ私もKさんを甘く見ていたというか失礼したと思うが、着実に追い上げてくる。

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後半、船頭さんが「ここからはガシラはいないからメバル狙いだけでやってー」というポイントになったのだが、それ以降はKさんもお祭り地獄から開放されたようで、まともに釣りができるようになったようだ。時々、バタバタ釣れるポイントを通過するのだが、そういう時には着実にかけてくる。

しかも、Kさんは25センチをらくらくオーバーするくらいのサイズのを釣り上げた。この大きなやつ(ボブ級と言うらしいが、何故かは不明)を釣られて、ご機嫌も回復されたようだ。

さて、昼過ぎからちょっと風が出てきて、時々雪がつらついたりしていた。そういう事もあってか、2時までの予定だったが、1時半で終了となった。

そんなこんなで、終わってみればメバルについては私17匹対Kさん12匹(13匹?どっちか忘れた)という結果であった。

私はメバル以外にガシラ2匹と妙なハゼの仲間1匹を釣って20匹ではあったが、今回の対決はメバルのみの勝負だったので、最初はダブルスコアは楽勝で釣り代が浮くような結果かと思われたが、そうはならなかった。

おそらく朝のラッシュ時に普通に竿を出していたらKさんのほうがたくさん釣っていたということだろう。さすがである。こういう人にたいして気を遣う必要など不要だと悟った次第である。気を抜くと簡単に抜かれてしまうだろう。

Kさんは私に勝ち誇った釣行記を思う存分書いてよいぞと言っていたが、そう考えると正直、勝ったと言っても素直には喜んだり自慢したりはできないのである。

さて、今回は船がかなり混んでいたので、やっぱりちょっと釣りにくかった。私はどんなタックルでやったかと言うと、色々調べた結果、長めの磯竿でやるのが良いということだったので、先日釣り堀の大イカダ用に買った青物竿リバティーISO3号4.5mをメバル用におろすことにした。

この竿、大イカダで釣るにしても、4.5mという長さは大イカダの真ん中の釣り座に入った時は使えるが、コーナーよりの場所からだと他の釣り人に邪魔になるので、ちょっと使いにくいのと、あといつも使っている3号4mよりもやはり少し固いので、あまり良くなかった。

船メバル用に5.3mを使う人も多いようだが、それだとちょっと長すぎて、慣れていないともてあますかと思ったから、4.5mのこの竿にしてみた。

使ってみた感じ、オモリ30号ならぎりぎり行けると思った。オモリ25号くらいならベストかと思うが。今回みたいに水深5?25mくらいのところしか行かないならオモリ20号でも良かったのでは?と思うが・・・。

それはともかく、昼釣りならば外ガイドでもどうにかなるかと思ったが、しかし夜釣りで混んでいたりすると、やっぱりきついかもしれない。

風でなびいてきた隣の人のしかけが竿のガイド部分や糸とお祭りするということが1?2回あった。

あと、名田屋ときもとを比較してみると、(と言ってもきもとでメバル狙いはしていないのでちょっと無理がある?)ポイント移動はもしかして名田屋のほうがまめかもしれない。

あと、操船はきもとの船長のほうが上手いように感じたが、名田屋の船のほうが揺れにはかなり強そうだった。船自体はきもとのほうが新しくて軽量のFRPのようで、名田屋は木造船みたいだが、木造船のほうが重たいから揺れないのかな?

船の装備や大きさはほぼ同等という感じだろうか?どちらも電子レンジやポットのお湯が用意されている。そして屋根もついているのだが、メバル釣りのときには屋根が邪魔になる。竿を立てて魚を取り込めないので、屋根は本当は無いほうが良いかもしれない。

私は今回、屋根と仕掛けが2回もお祭りした。1回は外すときに針が折れたし、もう1回はサビキの皮が取れた。まあメバル以外には屋根はあったほうが良いので、取り込みを工夫するしかないだろうが。

それから、名田屋の船は竿を横向きで固定して置けないので、チビラークがあったほうが良い。何か作業するのに、竿を立てておくと屋根と仕掛けがお祭りするし、横向きで置くと風や揺れで隣とぶつかる。

この点、竿を横向きにした時に竿尻を差し込む場所のあるヤザワ渡船なんかは便利であった。

と、名田屋の印象をつらつらと書いた。これまで行ったことのある「漁幸丸」「釣り船きもと」「ヤザワ渡船」「名田屋」のどこをホームグラウンドにするかは、ちょっと迷っているが、メバルに関しては大阪の船よりは明石の船のほうが良いかもしれないとちょっと思った。

(仕掛け)PE1号、サビキ6本針(ハリス0.8?1号)、オモリ30号、カウンター付き手動リール、磯竿3号4.5m

(結果)メバル13ー20cmを17匹、ガシラ2匹、変なハゼみたいの1匹

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釣果としては、大漁とまでは行かなかったが、我が家とYUKAの実家のちょうど2軒ぶんくらいは釣れたので良かった。

刺身に煮付けにと、堪能した。

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ごちそうさま?♪

釣り | Comments(4) | Trackbacks(-)

若さという未熟さ

数日前に有る方からメールが来て、「とにかく何事も若い人たちの考えで何でもやっていただきたい」ということが書いてあった。

そういうちょっとした一言に妙に敏感になってしまうところが私の悪いクセである。

実は私は、世の中の重要な事を、あまり若い人にまかせて欲しくないと常日頃から思っている。大阪府知事も若すぎるんではないだろうか。もちろん対立候補がより良いと言うつもりもないしそれは言えないことだろうし、また、単純に年齢が低い=若いという意味でも無いが・・・

それはともかく、戦後の日本社会が平成の御世に入ってからガラガラと崩れ始めたのは、戦前を知っている世代の人たちがだんだんと社会の中枢から引退しはじめたことが背景としてあるのだろうと私は思っている。

世代交代するたびに世の中が悪くなっている、というか少なくとも良くはなっていないだろう。特に平成以降は。

そこで、それなりにお年を召された方々には、簡単に若者にまかせるとか今時のやりかたでやって欲しいとか、私は言って欲しくないと日頃から思っている。

人生の先輩方には、若者のうわついた考え方を叱る義務すらあると私は考えている。

今、怒られることに慣れていない人間が多くて、むやみに若者を叱れなくなっているところがあるが、だからこそ、なおさら上手く叱ることができる先輩がもっと出てきて欲しい。

「今時の時代にあったように」若い人たちの考えるようにやれば良いという先輩方の寛容な考え方は、下の世代には一見してありがたいが、そういうことをずっと言い続けて戦後60年以上がたち、「時代はどんどん悪くなっている」ように思う。

若者にまかせていては、世の中悪くなるばかりだと私は思う。

先輩方には未熟な若者をもっとうまく叱って頂きたい、あまりものわかりが良くなってほしくない。

と、こんな生意気な返事をメールで返してしまったら、そのことが日記に書かれていた。不快には思われなかったようで、ちょっと安心。

哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

釣り堀、どっちが対決(4)【1本竿 VS 2本竿】

釣り堀には竿を何本持っていってもかまいませんし、何本用意しても大丈夫ですが、一度に使える竿は1本だけです。2本以上を同時にイカダの中に入れて魚を狙うのは、普通は禁止されています。これだけは絶対にやめましょう。

ただし、釣り堀によっては二本竿オーケーのところもありますし、貸し切りに限り全員が同意すれば二本竿オーケーの場合もあります。

そういう場合に二本竿と1本竿のどちらが良いか。私の個人的な意見ですが、2本竿のほうが釣れない、というか釣りにくいと思います。

まず自分だけを見れば竿2本の面倒を見るのは結構面倒です。いきおい、ほったらかしになります。

それよりも1本の竿でこまめにエサやタナをかえてり、手持ちで誘ったりすることのほうが釣果につながるでしょう。

釣りに於いては、アイディアや持ち手が少ない人、引き出しが無い人ほど2本竿をありがたがるものだと言うと怒られるでしょうか。

2本竿したいなーと思う瞬間があったら、「その前にもっと考えることがあるのではないか!?」と謙虚に他の人の釣り方を参考にして勉強する姿勢を持つのが良いかと、少なくとも私はそう考えて現在に至っています。

まず竿を2本だしたから1本の時より釣れる確率が2倍になる、とは行かないのは間違い有りません。実際は無事釣り上げられる確率で言うと、釣り方にもよるでしょうが、1本より低くなることすらあるというのが私の考え方です。

全体としても2本竿は有害になる場合が多いと思います。まず簡単に考えられるのは、お祭りの多発によるバラしもしくは不快感、手返しの悪化などです。

活性の低い時に、ひさびさにアタリが出た、しかしそれをお祭りでバラしたとすると、もう魚は釣れません。

また、青物がかかった時、他の人は竿をあげなければなりませんが、2本竿をしている人は2本の竿を同時にあげることなど不可能です。そうなれば、お祭りする確率ははるかに高くなるでしょう。

祭ればバレる確率もあがりますし、仕掛けがぐちゃぐちゃになり使い物にならず、自分の手返しも落ちて釣りになりません。

それから、魚たちは結構我々の入れているエサをよく見ているものです。釣れない時というのは、そういうエサにたいして、警戒している場合もあります。また、エサに興味を感じなくなっているということでしょう。

そういう時に、さらにエサがたくさんぶらさがっていたとして、魚にとってはむしろその状態というのはプレッシャーになってしまうのではと思われます。

竿を2本だしたからと言って、釣れる確率は決して2倍にはならないでしょうし、上記のことを考えると、結局は1本で釣りをするよりも釣れないのではないか、控えめに言っても、大差ないのではないかと思います。

それならばみんなが気持良く釣りができて、お祭りやバラしのリスクの少ない1本竿で釣りをするほうが、はるかに楽しいものになるだろうと私は考えますが、皆さんはいかがでしょうか?

これはプロパガンダで言っている訳ではありません。私の釣り友らと貸し切りで釣りをする場合、それが貸し切りの場合に2本竿オーケーの辨屋さんであっても、2本竿でやろうと言う人は誰1人いません。

少々釣り堀に通って、多少なりとも2本竿も1本竿も経験してみたことのある人ならば、みんなわかっているということなのだろうと思います。

釣り | Comments(2) | Trackbacks(-)

ルールとは(1)

釣り堀にもルールみたいなものがあります。釣り堀は数人から十数人くらいが狭い領域を竿で囲みながら釣るため、皆が好き勝手やると滅茶苦茶になってしまうから、他の釣りよりはルールが多いのだろうと思います。

ただ、釣り堀でのルールというのは、とくに権力による取り締まりも罰則もあるわけではないので、実際には乗り合わせた人たちの良識に委ねられているという状態です。

それでもどうにか成り立っているのは、日本だからです。以下、釣り堀とは全然関係無い話になります。釣り堀とルールの話はまた別の機会に書きたいと思います。

ルールと言えば、今ハンドボールの再試合のことが話題になっています。クエートが反則しまくりだったのに、審判もグルになって勝たせたということのようです。この話は興味深いです。日本と同じくもう一つの被害国が韓国であるというのも皮肉です。

韓国のスタンスはむしろクエートに近いところにあるのではないかと思うからです。それは日韓共催のサッカーワールドカップで韓国がどういうスタンスで、どう国際的に認識されたかを知っている人には私が何を言いたいのか、すぐわかってもらえるでしょう。

しかし、日本のマスコミは不思議と韓国に過剰なほど気を遣いますので、知らない人も多いかもしれません。まあマスコミがいくら隠そうとも、今ではネットで調べればすぐにわかることです。

それはそうと、しかし国際試合で日本などが勝ち出すと翌年からルールが(欧米人に有利なように)改変されるというのは、バレーでもスキーでもF1でも何でも、過去の歴史を振り返れば、実にありふれたことでした。クエートや韓国が特別という訳ではない、むしろ彼らのほうが国際的な感覚を持っているのかもしれません。

そもそも日本人ほどルールに従順な国民は、世界中さがしても、ほとんどいないのではないかと、むしろそう思います。

今アメリカ大統領選挙が行われていますが、もともと懲罰を受けていて選挙人を出せないことになっていた州で勝ったもんだからヒラリーも、今になってやっぱりあれはおかしいとかルールを変更させるようにゴネだしています。

草野球を思い出してもおもしろいです。私は子供の頃、野球がものすごい好きでしたが、事情があって少年野球チームに入れなかったので、かわりに友人や先輩後輩らとともに草野球をそれこそ毎日のようにやっていました。審判などいませんでした。

主審というか球審は、なんと攻撃側のチームが出して、ストライクだのボールだのの判定をやっていましたが、お互いにかなりフェアにやっていて、ほとんど問題ありませんでしたし、むしろ見方に厳しいくらいの者もめずらしくありませんでした。

だから、試合は何の問題もなく進みましたし、みなきちんと野球のルールを守っていました。きわどい判定の時に微妙なことはありましたが、だいたいは皆がルールに従順で、ちゃんと3アウトでチェンジ、三振すればアウトでした。

ルールに従わないとか妙なゴネ方をするやつはその場から排除されるという感じでした。遊びでも何でも、ルールを守らずにズルするやつは、誰からも遊んで貰えなくなります。それは、そういう反則行為を平然とやるような人間が、子供であっても少数派だったからです。

ところが、留学した友人の話ですが、むこうは草野球で子供達だけで野球をやっていると、まず3アウトではチェンジにはならない。あきらかにアウトになっても、「セーフだ」と塁上に居座ってしまう者が少なくない。

三振してもバッターボックスから出てゆかない。しかたないからピッチャーは投げなければならない。ヘタすれば3アウトではなく5アウト6アウトくらいまで行かないとチェンジにならない、それくらいルールというものを守るよりもルールは力関係でその場その場で決まるというような状態だと聞きました。

ルールをそのように捉えているのが子供にあっては多数だから、ルール違反者が排除されずにそれがまかり通るのでしょう。

だから、大人なり誰か審判みたいな中立の人間がいないとゲームが成り立たないのだそうです。アメリカという国の外交姿勢も、いや、世界中のほとんどの国の外交姿勢がこの調子ではないでしょうか。

日本人は、まじめにやっていさえすれば、きっとまわりは評価して認めてくれると信じて疑わないところがあります。それは、日本国内限定ならば、だんだん怪しくなりつつあるとは言え、未だにそこそこ成り立っています。

しかし、それを国際社会でも期待してしまうところが幼稚です。もちろん一般の国民がその程度なのは仕方有りません。むしろ国内の常識に沿って行動してしまうのが普通でしょう。

ところが問題は、政治家や外交官という立場の人間がそういうことをわかっていないということ。そして、国民もわかっていないので、国際社会流のルール感覚を適用すると国民がそういう政治家や外交官を非難するということがあります。

元大蔵官僚でその後は経済学者に転じたミスター円とか言われた榊原英輔という人がこんなようなことを行っていました。「外国とタフな交渉をして、相手国からいやがらせめいたことをされたりするのは覚悟しているが、背中から撃たれるのだけは我慢ならなかった」と。

背中から撃たれるというのは、日本人の場合同胞が他国とガチンコでハードな交渉をやって相手が攻撃的・感情的になってくるのを見ると、「相手国様を怒らせるとは何て失礼なことをするのか」と見方を非難しだすのだそうです。

相手国だって自国のために一生懸命交渉している、しかも裏技まで使っていろんなことを相手はしかけてくるのに、日本のために一生懸命交渉していている自分が、同じ日本人から非難される、「背中から撃たれる」ということをしきりに言っていました。

そうやって相手に気遣って「いい人」になりたい日本人がものすごく多いのだそうです。

日本人は自分たちが世界でかなり特殊な感覚を持っている国民であることの自覚が足りないのではないかと思います。

国際化と言って外国の文化をまねしたりそれに寛容であることを誇ったりするまえに、まず自分たちの文化への自覚の不足を何とかしろと言いたいです。

そもそもルール感覚の異なる人たちとつきあうのは、かなり辛いことです。それは、ルールをまじめに守ろうとする側の人間がだいたい割を食うことになります。そういう批判すら、差別だと言って封じようとするくらいに偽善的な日本人もまた多いので困った者です。

これから、どんどん国際化が進むと、まじめな日本人は割を食うことになるでしょう。そうなった時に、外国のコピーが得意な日本人は、自分たちのルール感覚、ルールへの厳格さを捨て、彼らのルール感覚、つまりルールそのものをめぐって常に政治ゲームを展開させようとする感覚へと変わってゆくかもしれません。

そして、ルールをめぐるゲームに勝利するような人間がルールを決める、既存のルールを破壊して勝った者が都合良くルールを決めるような社会に、どんどん日本も変わってゆくのかもしれません。

やはり世の中がもっとグローバル化して日本人も本当に国際化すれば、今のようにルールに厳格な日本人というのは、むしろいなくなるでしょう。

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上島釣具、セール中

水曜日上島にPEライン1号を、有るお方に頼まれて自分のとあわせて500m買いに行った。PEラインは上島では普通70%オフで、その時もそうだった。

翌日、今度はチビラークをおなじお方にたのまれたので、また仕事帰りに上島に寄ったのだが、この日からセールだったようで、チビラークは半額、そして何とPEラインは80%オフになっていた。一日早かったー。

そのセールの案内のハガキが今日届いていた。

クリックで拡大↓
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まるで上島のまわし者みたいな私・・・

今年はフィッシングショーに出店しないようだ。

私もチビラーク買おうかな!?でもホント買い物するなら今がチャンスかも。電動リールの高いやつものきなみ30%オフである。まあ私は買わないが。

また、5000円の商品券を4500円で買えるらしい(1人2枚まで、使えるのは3月1日以降)。

ちなみに、某日、メバル釣りに行ってきた。釣行記は明日の晩か月曜日の予定。

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釣り堀、どっちが対決(3)【大きい針 VS 小さい針】

これは、一時あちこちの掲示板で話題になった時の内容も参考にさせていただきました。針については私は迷いっぱなしでしたが、最近ようやくおちついてきました。

昔はグレ針の小さいのを使って飲み込ませることを第一に考えていましたが、シマアジには良いと思いますが、マダイだとバレやすいです。

最近はシマアジ狙いにはグレ針の小さめのやつ、マダイ狙いにはチヌバリの普通サイズまたはマダイ王というがまかつのマダイ用の針6号を使うようになりました。

(大きい針)

大きい針はしっかりかかって、かかると深く刺さってバレにくいです。しかし、食い渋った時に大きい針に大きいエサだと、余計に食いが悪いです。

そういう時に、ハリスを細くするより先に針を小さくするのがまずやるべき事かと思われますし、皆さんにもそう聞きます。


(小さい針)

小さい針に変えてエサも小さくつけるとアタリが出ることがあり、また食い込みも良くなる気がします。その一方、貫通力が弱くなるのか、深くささりにくいのか、特にマダイなどの場合はバレやすいために、どうしてもバラしが増えます。

私のように、そういう時にやわらかい竿のズボ釣りでやる場合は、なおさら針がしっかりかかりにくくて、バラしが多くなります。

以前はバラしがあまりにも多い原因が分からずにそうとう悩みましたが、あまり小さい針を使わないようにすると、バラしは減りました。

出せるアタリは少し減ったような気がしますが、結果として釣果は安定したようにも思います。

バラすとその結果、余計に食いがしぶくなって魚が警戒して釣れなくなるということになります。

小さい針で飲み込ませて釣るという方法もあると思いますが、冬などはどんなに小さくしても「あま噛み」くらいしかしなくなることも多く、こういう時は針を小さくするのにも限界があるように思います。

自分の好みもあると思いますが、季節や魚の活性・自分のタックルなどに応じて程良い大きさを見つけることが重要かと思います。

これも状況判断によって、その時の状況に適した針の種類や大きさを決めるようにするしかないだろうと思います。

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釣り堀、どっちが対決(2)【大きい VS 小さい】

ここでは、ハリス、オモリ、針についてひとまとめにして、それらの大小による対決としたいと思います。物議をかもしたいので、少々挑発的な書き方もしてみたいと思いますが、ご容赦願います。

食い渋った場合に、いろいろとやることはあると思いますが、そういう場合にハリスの太さはあまり下げずに、それ以外の工夫をする場合と、ともかくハリスを細くする場合とあります。

魚が食い渋った時にすることとして、誰もが一度は考えるのが、ハリスを細くするということではないでしょうか。しかしハリスを2号以下に落とすのは、私の考え方ではあまり意味はなさそう、浮いているシマアジの場合のみ時に有効なくらいではないかと思います。

(マダイの視力)

まず、魚ですが、案外目が悪いです。ものの本によると、マダイの場合で人間に例えるとだいたい視力が0.1?0.2くらいだそうです。だからマダイはあまりハリスの太さは気にしなくてもよさそうな気がします。

経験的にも、マダイの場合、ハリス4号とハリス2号で大きな差があるとは思えません。むしろそれ以外のところ、ズボつりなら穂先の硬さとかそういうことのほうがマダイには大きく影響するように感じます。

(青物の視力)

視力が良い魚としては、カツオ、マグロ、カジキなど大型の表層回遊魚が代表的らしく(たぶん高速で泳ぐから遠くが見えないと危険だから?)で、だいたい視力にして0.3?0.6とのことでした。

ちゃんと調べていませんが、同じく速く泳ぐワラサなんかも目は良いのではないでしょうか?

このことから興味深いことが分かります。目が良いならば、ハリスを少々細くしても変わらない、どっちみちハリスは良く見えてしまうということです。

たとえばハリス8号を4号くらいに落としたとしても、どっちも青物には見えている。だから、ハリス1号以下くらいの極細にすれば見えないから少々警戒していても食いつくかもしれませんが、しかし、そんな細ハリスで青物は釣り上げ不可能でしょう。ドラグゆるゆるで30分も1時間もやればどうかわかりませんが。それはほとんどルール違反みたいものです。

だからむしろ、青物を釣る場合には、ハリスのことを忘れて補食するほど活性の高い朝一番とか放流直後に釣るか、それ以外の場合は、ハリスへの警戒心を忘れさせるように、誘ったり挑発したりして魚の活性を上げて食わせるかけひきこそ重要なのだと思います。

そもそも、青物がかかった場合には他の人に竿をあげさせる訳ですから、それを「権利」だと開き直るのは問題ありだと考えます。ただ青物を上げるのに時間がかかることに対しての寛容さは人によりまちまちです。

私自身はなるべく早く釣り上げて他の人たちをあまり待たせないように日頃から努力していますし、細ハリスで青物は狙いません。そういう努力が見えずに、青物がかかるとえんえんやりとりする人には腹がたちますが、初心者とかなら、まあ今後に期待ということで、暖かく見守ることもできます。

あと、少々青物を走らせるくらいなら興奮して活性が上がりますが、あまりにも延々と走らせて弱らせると、むしろ他の青物は警戒して沈んでしまい、活性は下がりますので、このことへの配慮も考えるなら、やはり青物はそれなりの早さであげるほうが良いと言えるかと思います。これは私の観察したところでもそうですし、それは信用ならんと言うならば、某名人の話すところでも、そういうだと言うことでした。

また青物狙いを、釣り上げるのにあまりにも長時間かかるようなタックル(細ハリスや極やわタックルとかドラグゆるゆる)でやるのは犯罪的です。良い年をした大人が「自分が釣るためならば他人の迷惑などどこ吹く風」的な発想をするのはやめましょう。

また、マダイ狙いに間違って青物が来てしまった場合、慎重にやりとりして多少時間がかかるのはかまわないと思いますが、万が一そういうことがあっても良いように、竿と仕掛けのバランスに注意することと、あまり安物のリールを使わないくらいのことは、考えておきましょう。

青物をかけると他の人に仕掛けを上げさせて釣りをやめさせる訳ですから、もちろんバラしてはもともこも無いのに違いありませんが、しかし10分も20分も他の人たちに釣りをさせないというのもマナー違反だと思います。これは、青物がかかって竿を上げないのと同罪です。

なぜこんなことを言うかというと、上げるのにどれだけ時間をかけても良いのならば、最初に青物をかけた者勝ちになります。

そうなれば、例えばハリスを滅茶苦茶細くして、人より先にかけて、あとはのんびりやるという釣り人が出てくるような事態を招きかねないのです。細ハリス競走になってしまいます。

そういう事態を避けるためにも、青物はそれなりの時間内に上げるべきとのルールは必要と私は考えます。

(シマアジの視力)

ちょっと話がそれてしまったので、もどりますが、同じく高速で泳ぐアジ系の魚も、たぶん目がよいほうだろうと思います。釣り堀ではシマアジがそうかと思います。

それにしても、魚かしの牧野さんはハリス5号でばんばんシマアジを釣り上げます。シマアジですら、ハリスの太さが関係ない場合が少なくないということでしょう。

ただ、見えているシマアジの場合、かなり警戒している時でもハリスの号数を落とすと、たしかに食いつく場合もあります。

(細ハリスってどうよ?)

柔らかい竿にハリス道糸通しなど繊細なタックルでバランスさえ整っていれば、それなりにハリスの号数を落としてもハリスを切られずに釣り上げられるとは思いますが、どうしても走らせてお祭りしたり、釣り上げるのにあまりにももたついて周囲に迷惑をかける場合もあります。そうなるようなら、自分には無理と悟ってやめるのが大人かと思います。

特にシマアジはよく走りますしよく引きますから、自分が安心してやりとりできるより細くするのは問題かと思います。

私としては、イカダが空いている時とかウデに自信がある人ならば少々細くしても良いとは思いますが、その場合も細ハリスで釣っていることを正直に、もしくは自慢げに口にするのはゆゆしき問題です。

それを誰が聞いているかわかりません。タックルバランスも考えないウデも未熟な初心者が「細ハリス」という所だけを真似して、みんなそういうことをイカダの上でやりだしたらどうなるか、そこまで考えてものを言う必要があります。

ウソをつくことを奨励している訳ではありませんが、細ハリスの使用はつつしむ、最悪それしかなくてやった場合も、それを公言すべきでないと考えます。

そして、やるからには、細ハリスだということは自分だけしか知らない訳ですから、そのために慎重にやりとりしてモタついて走らせたりして、周りから「こいつは下手くそ」と思われるくらいは仕方ないのだという覚悟でやりましょう。


(ハリスを落とす前に)

ちなみに、浮いているシマアジの場合でも、ハリスの号数を落とすよりも先にすることはあるのかと思います。オモリを軽くするとか、ノーシンカーにしてみるとか。エサのつけかたなどです。

軽いオモリもしくはフリーでゆっくり落とすことがエサの自然さをアピールして食いつく場合もあるでしょう。エサの種類を選別したり付け方も大きく影響するのは何度も目の当たりにしたことがあります。

ハリスを細くするのことを考える以外に、いろいろと工夫しなければなりません。

エサのつけかたも重要です。これがハリスの太さよりも重要になる場合が少なくありません。特にシマアジ狙いで、エサにシラサやオキアミをつける場合、つけかたで明らかに食いが違うことがあります。

私は普通のズボ釣りやウキ釣りでは通常はハリス4号ですが、やや柔らかめの竿を使っているので、もう少しハリスの号数を落とすことがあります。それにしても3号までを目安にしています。

一方、イカダ竿(西海8号など)の場合はもっと柔らかいのでハリス2.5号までを限界と考えています。

そして、ハリスの号数を落とすよりも、オモリの号数を落とすことも考えてみましょう。ズボ釣りならオモリを軽くするだけ、ウキ釣りでもゼロ釣法というのもあります。

もちろん、潮の速さとかもありますから限度があるでしょうし、潮が速い時など仕掛けが流されてお祭りして他の釣り人の迷惑になることもあります。生きアジつけて軽いオモリにするのはアジが走り回って犯罪になるのと似たところもありますから、周囲の状況判断だけはしっかりしたいものです。

私の少ない経験から言うと、釣り堀でも人生でも、「状況に応じた判断」こそ最も重要で、具体的な状況という「前提」を考えない理屈や理論はたんなる空理に終わります。

長くなってしまったので、針の大小については次回にまわすことにします。

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第1回 釣り堀どっちが対決【ウキ釣り VS ズボ釣り】

「釣り堀どっちが対決」というのを今後ちょくちょく書いて行こうかと思います。多少独りよがりな書き方や独断が少なくないかとも思いますが、広い心でお読み下さい。

ちなみにテーマも募集しております。

第1回の今回は【ウキ釣り VS ズボ釣り】です。釣り堀ではウキ釣りとズボ釣りの2種類があると思います。どっちが良いか。その答えは、「好みによる」です(笑)。

私はいちおう、両方やります。一昨年まではズボ釣りオンリーでしたが、去年からウキ釣りがメインになりつつあり、最近またズボ釣りが増えたりと、振り子運動をしております。

(ウキ釣り)

ウキ釣りは竿の長さの届かないイカダ中央付近も狙えます。ただし、釣れている人のほうにウキを飛ばすのは絶対にやめましょう。迷惑です。

また、やられて迷惑に感じた場合、さりげなく言ってみましょう。まちがっても最初からキレたりせず、まずは丁寧に言ってみるのが先です。

ゼロ調法というようなのがあり、オモリをごく軽いものにして、グレ釣りの時に使うようなウキを使うと、魚に違和感を感じさせないようにして食い込ませる釣り方もできます。

ウキ釣りではタナ(狙いの深さ)を変えるためには、ウキ止めの位置をずらさなければならないため、少々面倒です。この点ではズボ釣りに利点があります。


(ズボ釣り)

ズボ釣りも、竿の長さまでなら平面的に探ることはできますが、こちらも、特に長い竿の場合に左右に振ると両隣の人の迷惑になるので絶対にやめましょう。迷惑です。

また、やられて迷惑に感じた場合、(以下略)。

ズボ釣りでは、タナを変えるにはリールを巻いたり糸を出したりするだけですむため、垂直にさぐるのが楽です。

一方で、平面的にさぐる場合、余程長い竿でなければイカダ中央付近は狙えません。そういう長い竿は迷惑になる場合が多く、また逆に長すぎてネット際や足元をさぐるのは不便です。

食い込みを良くするには穂先をグラスソリッドに変えてやわらかくする方法もあります。あまりやりすぎるとアワセがききにくかったり、やりとりにもたついたり、穂先が破損しやすくなったりします。

アタリが出たら送り込んで食い込みを良くしたり聞いてみたりと、手持ちでやることが重要になります。


以上、「第1回 釣り堀どっちが対決」終わり。

あまりたいした内容ではありませんでしたね。ごく初心者の方くらいしか参考にならないかもしれません。

第2回以降の予定としては

【大きい針 VS 小さい針】

【細ハリス VS 普通ハリス】

【1本竿 VS 2本竿】

などの予定です。実は数日前からちょっとずつ書いていて、もうだいたい書けているのですが。順次推敲してアップしてゆく予定です。

そして大いに物議をかもして行きたいと思います。

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利口ぶるバカ

常識的な人間関係や家族関係を保ち、普通に仕事したり家庭を守ったりしている常識人に、バカはいないと思っている。日々の堅実な暮らしぶりから常識を身につけ、状況に応じて行動しているかぎり、そういう多数の人たちというのはバカではない、むしろ良識ある人々だと思う。

それよりも、むしろ文化人や知識人、学者やニュースキャスターのようなタイプの人間のほうがバカである。彼らのことを私は「利口ぶるバカ」と呼びたい。

彼らは何かというと紋切り型のきれいごとや一般的テーゼみたいなことを言う。彼らには「徳の過剰は不徳に転ず」と言ってやりたい。

道徳でも何でもそうだが、「状況」の設定なしに理想の文句をたれるのはバランスを欠いた偏った考え方にすぎない。福沢諭吉の言うところの、「私徳」や「私智」である。

そういう屁理屈をまきちらかしているのが、知識人たちだろう。そういう人たちとはかかわりたくない。

本当に大切なのは、これも諭吉の言説を借りると、「公徳」および「公智」である、ということは先日書いた。「公徳」や「公智」は実生活の中から常識として徐々に身につけられてゆくものが多い。

私の周りには理系の人間が多く、彼らは「専門バカ」ではあっても「利口ぶるバカ」ではない。

・・・かと思っていたが・・・

ところが気をつけなければいけないのは、良識ある常識人だと思っていた多数の人々が、突如として「利口ぶるバカ」になる瞬間がある。

それは、テレビの見過ぎ、新聞や週刊誌の読み過ぎ、ワイドショーに感化されすぎなどの場合である。そのくせ、それらのメディアから表面的なことしか吸収できていないのだから始末に悪い。

さっきまで常識的なことを言っていた、普通のまともな人だと思っていた相手が、突如としてテレビに出ている「利口ぶるバカ」たちの遣い回されたフレーズを発することがある。

そういう時に私は、薄ら笑いをうかべて話題をそらすのが精一杯である。

常識や良識は、所属する集団(家庭・学校・会社・地域社会などの共同体)との安定的な関係を保ち、そしてそれらの集団が長期的に存続するために必要とされるものである。

そこには、人間相互の関係と、歴史とがある。共同体と歴史をないがしろにして解体に至らせる理屈こそが、利口ぶるバカの発する言葉なのである。彼らは社会の改革者を僭称する破壊者である。

利口ぶるバカ達の言説が日本人の良識・常識を根こそぎにしてきた。

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しょーもない!

結局、昨日文句を書いた月刊「現代」という雑誌を買って読んだのだが、まあまともなことを書いているのもあるが、多くはくだらない文章で腹が立つ。

ああいう文章を書いて金を貰っている奴がいることにたいしては、汚職政治家よりも腹が立つ。

ああいう文章を読んで、「なるほどねー、ふーん、そうかもねー」と思う者が少なくないと思うと、もう絶望的になる。

俺は何でこんな雑誌買ったんだろうか。買った自分が一番おろかしいのかもしれない。

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依存は大敵!?

月刊「現代」という雑誌を立ち読みしていたら、こんなことを書いているおばさんがいた。桐野夏生とかいう直木賞作家だとか?書いた文章の全部を読んだわけではなく、パラパラめくっていて、最後のほうにこう書いてあるのが目に入った。

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依存は大敵

いずれにしても、もっとも重要なことは、本人が妻からも会社からも自立していることではないでしょうか。「妻がいないと暮らしていけない」とか「仕事から離れると何をしていいかわからない」ようでは話になりませんよ。誰にも依存せずに自らの足で立つ。実は非常にハードルが高いことではありますが、泣いても笑っても、定年はやってくるのですから、50代のうちに本気で自立しておかないと、冗談でなく熟年離婚の憂き目にも遭いかねません。依存は大敵です。

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この文章の前半部の『「妻がいないと暮らしていけない」とか「仕事から離れると何をしていいかわからない」ようでは話になりませんよ。』というところが目に飛び込んできた。

私はこういう事を言う人間はかなり幼稚なエゴイストにしか思えない。

まあ、「妻がいないと暮らして行けない」ということの意味が、たとえば炊事洗濯など家事をやってくれる人間がいないと不便で暮らして行けないという意味ならば、私もたしかにそういう男はなさけないと思うし、熟年離婚されてむしろ当然だろうとも思う。

しかし、そうならないための処方箋が「自立すること」というのは、ちょっとおかしい、むしろそうではないと思う。

「妻がいないと暮らしていけない」ということを別の意味で捉えられるようになることが、大事なのではないかと私は思う。

要するに、妻に限らず家族の存在が自分の心の支えとなっている場合に、その心の支えがあるからこそ自分は生きていると思えるのであり、そういう意味で妻がいないと生きて行けない、正確に言えば、妻や子供たちがいないと生きている甲斐がないということ、そう思える夫婦関係や家族関係を築くことが、大事なのだろうと思う。

「(炊事洗濯家事のために)妻がいないと暮らして行けない」と依存するのも、「(熟年離婚されないために)自立しておく」というのも、どっちも自分のことしか考えていない、そういう発想には精神の卑しさというものを感じざるを得ない。

なんでもかんでも行動する原理が「自分のため」というのは幼稚すぎる。実は私はずっとそういう考えだったが、それがむしろ自分を不幸にしてきた。何をしても満たされない。

もちろん何かするのに自分のためという事も少なからずあるのは確かだが、それだけではそんなに頑張れないし、逆に自分のためだけにどこまでも頑張れる人間というのは私はキモチワルイしお近づきになりたくない。

また、「仕事から離れると何をしていいかわからない」くらいに仕事にのめりこんでしまうのも、自分のためにしか仕事をしていない、自分の充実感だけを求めて仕事をしているから、定年になったとたんに、家族とも会社とも人間関係が途絶えてしまうのだろう。

そうならないためには、仕事をするにあたっても、どこか自分の大切な人のためとか、人間関係を大事にしつつやるという発想の欠如こそが問題なのではないか?

また、熟年離婚うんぬんの話で言えば、やはり「老後の楽しい生活」を目標に置いて生きるのは、間違っているとは言わないまでも、私はそんなの馬鹿げていると正直思う。

人生トータルで見て充実して暮らすことのできる期間をどれだけ多く過ごせるかのほうが大事だろう。

自立という名の孤立ではなく、周りの大切な人たちのため、という視点を常に失わなければ、孤独な定年後の生活に陥るという事態も有る程度は防げるのではないかと思うし、それこそが処方箋ではないのか?

自立という薄っぺらい関係で、老後の孤独がいやせるものかどうか・・・この女の言うことは、かなり眉唾だろうと私は思う。

自分以外の何か、それが家族であっても仕事であっても何でも良いとは思うが、そういうエゴではない何かのために充実した人生をるほうが、ひたすらエゴにこだわって自分のためだけに生きるより、充実感と満足感の得られる人生になるのではないか?と思うが、まだまだ私は青いのだろうか。

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魚の生臭さをどうするか

昨日にひきつづき、「食べる魚の全疑問」という本から・・・

Q&A 食べる魚の全疑問―魚屋さんもビックリその正体 (ブルーバックス) Q&A 食べる魚の全疑問―魚屋さんもビックリその正体 (ブルーバックス)
成瀬 宇平、高橋 素子 他 (2003/04)
講談社

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魚はなぜ生臭いのか。海水魚の表面には、浸透圧を調節するトリメチルアミンオキサイドという物質が多いらしく、それが魚の死後に微生物によって分解されてトリメチルアミンになる。

このトリメチルアミンが生臭さの原因物質らしい。そしてこの物質は、白身魚よりも赤身の魚に、普通の部分よりも血合いの部分に多く含まれているそうな。ちなみに淡水魚には含まれていないので、淡水魚は海水魚のような生臭さは無い。

また、白身よりも赤身のほうが生臭いということになっているようだ。

我が家では釣った魚の基本的な調理(下処理)は私の仕事なのだが、魚を調理した後に手に生臭いニオイがついて、私はそれがいつも気になってしかたない。この臭いは石鹸で洗ってもなかなか落ちない。

その原因がこの、トリメチルアミンという物質だったのだ。この物質はアルカリ性なので中性洗剤で洗ってもなかなか落ちないし、揮発性の物質のためごく少量でも生臭い臭いを発するということらしい。

食器についた生臭さも、中性洗剤ではなかなか落ちないことがあるのはそういう理由らしい。

アルカリ性も揮発性も、どちらも酸性のもので処理するのが効果的だそうだ。簡単な方法としては酢を使えば、臭いは消えるということらしい。

手や食器の臭いが気になるならば、うすめた酢(濃い酢だと手が荒れる)につけてから洗剤や石鹸で洗うと良いらしい。

そして、たとえば魚の食べ方としても、酢じめだとか柑橘類の絞り汁をかけたりするような食べ方は、魚の臭みを消すために実に合理的だということになるのだろう。

科学的な知識などなくても、経験の蓄積から生まれた伝統的な食べ方には意味があるということだろう。

長い歴史を経てなお残っている慣習には、凡人には計り知れない「叡智」が含まれていることが少なくない。

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魚の豆知識

カニ味噌とは何か!?

魚の豆知識と言っておきながら、カニは魚ではないが(笑)。

カニ味噌を、まさかカニの脳味噌と思っている人はいないだろうか!?あんなに脳味噌があったら、カニは天才である。

私はたぶん肝臓だろうと思っていたのだが、それでは正解ではなかったようだ。

正解は「肝膵臓」だそうな!

カニには肝臓は無く、肝臓と膵臓の両方の機能をあわせ持つ「肝膵臓」という臓器があるということらしい。それがカニミソの正体らしい。

さっき本棚をながめていたら、こんな本を見つけた。

Q&A 食べる魚の全疑問―魚屋さんもビックリその正体 (ブルーバックス) Q&A 食べる魚の全疑問―魚屋さんもビックリその正体 (ブルーバックス)
成瀬 宇平、高橋 素子 他 (2003/04)
講談社

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「全疑問」とは大きく出たものだ。

ついでにもう一つ。おめでたい話があったので、離乳食についてものっていた。

離乳食に魚を使う場合、白身魚が良いらしい。それも、あまり脂ののっていない白身が良いらしいから、天然のマダイやヒラメとか、タラあたりが良いのではないだろうか。

では、何故脂っこい魚や赤身がダメか。

まず脂っこいのがダメな理由というのは、脂質の代謝というのは複雑でややこしいので、離乳期の赤ちゃんに食べさせると消化器系に負担がかかり、消化不良などをおこしやすいので、やめたほうが良いらしい。

あと、赤身の魚、たとえばサバやらイワシやらカツオ、マグロ、ハマチなどなどがダメな理由は何かと言うと、こういう魚にはヒスチジンという物質が多く含まれ、それを材料にして微生物がヒスタミンを作り出す。ヒスタミンはアレルギーを誘発する物質で大人でもジンマシンになったりするし、ひどいとショックを起こす。赤ちゃんは特に敏感なので避けた方がよい、ということらしい。

離乳食としては、まあどうせ勉強されるだろうと思うが、この本によれば、生後4?5ヶ月以降から、野菜や果物を裏ごししたもの、すりおろしたもの、7ヶ月頃から野菜や果物く加え、消化吸収が良く脂の少ない白身の魚や鶏のササミなど、ということらしい。

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今年で40,知っとるケ!

今年は西暦だと2008年、元号で言うと平成20年である。

実は私は上洛したのが平成元年なので、関西在住の年数と平成の年数が同じなのでわかりやすい。

田舎に住んでいたのが19歳まで、その後半年間だけ関東に住んでいたことがあるので、実質田舎に住んでいたのは20年も無いことになる。

ということで、つまり今年は、自分の故郷で暮らしていた年月よりも、関西に出てきて暮らしている年月のほうが長くなる、その逆転の年だということである。

そして私は今年の8月で40歳になる。厄年に突入である。また、人生すでに終盤戦に突入、もし何事も無く無事に生きたとしても、残りは実質3分の1くらいだろう。

一応今の職場は定年が65歳なのだが、余所は60歳のところが多いし、そもそも定年などなくなって期限付きの職ばかりになっているから、今後どうなるかも知れない。

まあ仕事を頑張るのは60歳までと考えて置いたほうが良いかもしれない。いや、それより先にボケたら辞めねばならないだろう。それが筋というものだ。

いずれにしろ私の人生、実質的には残り3分の1と考えて、もうちょっと必死で生きなければならないなあと思う今日この頃である。

楽しいことは一通り経験したので、あとはもうちょっと何かの役に立ちたいと思っている。

しかし、辛いことも一通り経験したので、もう辛い人生はご免被りたいとも正直思っているから、辛いこともしたくない(笑)。

しかし、「人生辛いのがあたりまえ」なのであろう。

そんな考え方は夢も希望も無いと言われるかもしれないが、夢や希望がなくてもとりあえず元気に生きているんだから、私は人より偉いのではないか!?それか、バカなのか、どっちかだろう。

夢や希望というニンジンをつねにぶら下げられないと生きられないというのは、むしろ活力が弱い証拠ではないだろうか。外からの刺激無しには生きられないのは、薬物依存みたいなものだ。

日々を淡々と暮らす。そういう人生を私は送りたい。って、残り3分の1を必死で生きるんじゃなかったのか!?

このように、人間とは矛盾した生き物である。その矛盾の間でどうバランスを取るか、それが人生のやり過ごし方かなあと思う今日この頃。

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おめん

今日(1月20日)は用事があり京都へ行って来ました。用事が早めにすんだので、YUKAが前から行きたがっていた「おめん」でお昼を食べることにしました。

ここは、うどん屋さんだと思うのですが、何度か来たことがありますが、駐車場がいっぱいで、むかいのコインパーキングも満車ということがあり、いつも入れずに挫折していました。

すぐ近くに銀閣寺があるので、観光客が多いところだからかもしれません。

ちなみに私は学生時代にこの近所にすんでいて、この店があったような気がしていましたが、来たことはありませんでした。

うどんにしてはちょっと高価できれいな店です。

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写真はちょっとピンボケですが、

私は「おめん」とサバ寿司のセットを、YUKAは「おめん」と天ぷらのセットを頼みました。値段はそれぞれ1700円と1800円、ちょっと高いです。

サバ寿司、美味しかったです。肉厚のサバ。たぶんノルウェー産だとは思いますが。2切れしかありませんが、かなり大きく、十分食べ応えありました。

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ちなみに「おめん」とはつけ麺式のうどん(かまあげ?)で、お湯にはユズが入っており店内はユズの香りが漂っていました。その麺を付け汁(関西風ではない)につけて食べるのですが、いろんな種類の薬味を入れて食べます。美味しいです。

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薬味は、ゴマとしょうが、きんぴらゴボウ、ネギ、菜の花、白菜、ほうれん草、大根千切りなどなど。
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なかなか美味しかったです。ただ、だんだんと汁が薄まって最後のほうで味が薄くなって行くのがちょっと気になりましたが・・・。

普通のうどん屋と思って入ると高価なのでびっくりします。美味しかったです。

最近じつはラーメンを全然食っていません。どうも脂っこいものを食うと気持ち悪くなるようになってしまいました。

京都に行くとなんかほっとしますね。

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真の競走は切磋琢磨

=自然淘汰というイデオロギー=

私も、競走というのはやはり大事だと思うし、平等というのは能力のある者にとっては居心地の悪い状態であるとは思う。しかし、最近の新自由主義者らの言う競走はちょっと違うと思う。彼らが言っているのは、生存競争のことで、これはやりすぎると良いことが何も無い。

たとえば先日、ワタミの社長が細木数子の番組に出ていて、この社長など、私からすると、グッドウィルの社長とあまり変わらない人種にしか思えない、従業員にプレッシャーをかけまくって儲けているだけのニセモノとしか思えないが、最近は政府の中央教育審議会?何か忘れたが、公的な機関のご意見番みたいなのをやっているらしい。恐ろしいことだ。

彼みたいな金儲けしかできない人間は黙って居酒屋の経営だけやって、税金をたくさん払っていればそのほうが余程社会への貢献になるということをまず理解させる必要がある。

そのワタミ社長が、学校どうしに競走をガンガンさせて、潰れるところは潰れてそれで良いじゃないか、それが自由競争ではないかと、教育に商売の原理をまるごと持ち込む暴論を吐いていた。いや、商売の原理としても、その自然淘汰めいた競争原理は間違っていると私は思う。

だいたい、相手が潰れるまでやる競走というのは一時的なものにすぎない。弱肉強食では強者が弱者を食って、それでおしまい、その後は強者による独占支配がやってくるのであり、そうなると競走は消滅する。

だから、競走というのは、誰かが誰かをつぶし合うようなものになっては意味がないのである。

また、よく言われるように「結果の平等」ではなく「機会の平等」という議論もあるが、これもよく考えると的はずれである。

「機会の平等」を担保するためには、ある程度「結果の平等」に配慮する必要があることもある。二者択一の問題ではない。

本当の競走とは、おたがいが良きライバルとしての対等な競走であり、切磋琢磨できる関係のことである。これこそが建設的な競走だと私は思う。

たとえば小学生と大学生が競走するような競走は卑怯以外の何物でもない。

弱小企業と大企業が同じ土俵で競走するもの間違っている。そんなもの、大きいところが小さいところを食っておしまいである。

本当の競走というのは、お互いの切磋琢磨、レベルに差がありすぎるというのならば、ゴルフのハンディや柔道の階級制のように、何らかのルールを定める必要がある。

弱肉強食でルール無き競走は何も良いことが無い。ただ、その時一番強い立場にいる者が有利になって世を支配するしくみを作ってしまうだけである。

そんな簡単なこともわからないワタミ社長のような競走バカが、何故日本人に増えてしまったか。

それは、能力のある者や強い者の中には、平等というのが我慢ならないということが一つと、もう一つは日本人の欧米かぶれが深刻なレベルに達していることがもう一つ。

戦後の日本というのは世界の歴史にこれまで存在してこなかったほど、経済的な平等を成し遂げたと言って良いくらいの社会を築いた。

おそらく、ワタミの社長やら竹中平蔵氏みたいな人たちは、そういう経済的な平等社会が嫌いなのだろう。中流階級がもっとも分厚くて、所得再分配をきっちりやる経済的に平等な社会というのが我慢ならなかったのだろう。

だから、改革というものに乗じて、または必要の無い改革を煽って、自分たちに都合の良い、偽の競争社会を作ろうとしているのだと思う。

それから、弱肉強食の生存競争のような種類の競走を好む習性は、やはり日本人のものというより、欧米人の、アングロサクソン系の人々に深く根付いた世界観である。

それは実は「進化論」から来ている。

ダーウィンの「進化論」を皆さんご存じだろうか。キリスト教徒は進化論を信じていないが、しかし欧米人には根深いのが、生存競争で強い者が生き残り、それが進化の原動力となっているという考え方である。

「サバイバル・オブ・フィッテスト」つまり、「自然淘汰説」「最適者生存説」である。

生物には色々な突然変異がおこり、その環境に最適な、もっとも強いものが生存競争によって(自然淘汰によって)生き残るというダーウィンの説である。

しかし、これは実は正しくない。これは実はほとんどイデオロギーなのである(部分的にはあてはまる場合もある)。

そうした進化論がイデオロギーであることを見抜いたのは、弱肉強食・優勝劣敗のイデオロギーに染まっていなかった日本人の進化学者である。

その名を木村資生(きむら・もとお)と言い、私の大先輩にあたる人で(苗字は同じだた血縁関係は無い)、すでに亡くなっているが、ノーベル賞級の発見をした人である。

ただ残念ながら、進化論というのはノーベル賞の対象になりにくい(化学賞または医学生理学賞、どちらも進化論は対象になりにくい)ので受賞はできなかった。そして、亡くなると受賞できない。

それはともかく、ノーベル賞に準ずるような関連の賞はたくさん受賞しており、当初はダーウィンの祖国イギリスの学会などからは猛反発されたが、その後ようやく認められて現在に至っている。

木村資生の進化論を一言で言えば「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト」である。

ダーウィニストが言うように「強い者が(競走の結果として)生き残る」のではなく、「もっとも運の良いものが生き残る」つまり、すべては偶然によるものだという説である。

これを「中立説」と言う。現在では「自然淘汰説」よりも信憑性の高い説として、進化を研究する学者の間では常識になりつつあるが、西洋の社会の哲学が未だに「自然淘汰説」を信じていて、どうもその説が頭から離れないために、「とことん競走して強いものだけ生き残る経済システムこそ善である」というイデオロギーが蔓延しているのではないかと思われる。

この「中立説」の正しさを証明したのが、実は分子生物学的な解析である。

遺伝子におこる突然変異というのは、実はほとんどが個体の生存にとって有利でも不利でもない「中立」な突然変異ばかりである。

そういう突然変異が集団の中に蓄積するかどうかは、ほとんど偶然によって決まる。

そうして、一定の環境にあっては生存に有利でも不利でもない変異が蓄積してゆく。

その後、生存環境が激変したり集団が隔離されるなど、環境に変化がおこった時にはじめて、その遺伝子の変異が生存に有利になったり不利になったりする、その時に進化がおこる、というような説である。

欧米人がいかに自然淘汰をイデオロギーとして信じ込んでいるかについては、木村氏のインタビューのこの部分を読むとよくわかる。

 以前、メイナード・スミスらに「背の高さで、1mm、2mmの違いに、自然淘汰がかかると思うか。表現型レベルで中立のものがあっても不思議ではないのではないか」と話したことがあります。そしたら、「1mmでも、2mmでも、淘汰はかかる」と、猛烈に反対されました。どう考えても、そんなものに淘汰はかからんと私は思います。自然淘汰への彼らの思い入れには一種の信仰みたいなところがある。


最近の格差騒動の背景には、そういう「信仰」にかぶれだした人間が日本人にも増えつつある、特にエコノミスト連中やベンチャーだ何だと言う連中に多いということなのかもしれない。

自分たちの経済活動に理不尽な自然淘汰的な世界観を持ち込むのは勝手だが、教育問題にそれを持ち込んで口をだすのはやめてもらいたい。

教育において学校間での競走を否定しないが、本来競走が必要なのは学校経営者よりもむしろ生徒たちのほうである。

そして、学校は商売としてやるような機関ではない。基礎教育は英会話学校や予備校のような実利的なものとは根本的に違うものだということを知れ。

(参考)「分子進化の中立説」については「木村資生博士・生前のインタビュー」を参照。

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人生、辛くてあたりまえ

職場の小さな売店には、雑誌やちょっとだけ本なども置いている。

空いている時にパラパラと立ち読みしたりするのだが、さっきたまたま「ことわざ・故事・俗語辞典」というのを見ていて、ははーんと思った。

「ネコババ」するという言葉があり、これは、拾った者を隠して自分のものにするというような意味だが、これがなんと「猫糞」のことらしい。

糞をババと言うのは関西弁かと思っていたが・・・

ようするに、猫は糞に脚で砂をかけて隠すことから来ているらしい。知らなかった。

次に、小さな雑誌を立ち読みした。

PHP」という雑誌。

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この、「自分の励まし方」というタイトルに強く惹かれて、思わず手に取ってしまった。そして結構読み込んでしまった。

しかし読んでみた私の結論は「やっぱり自分で自分は励ませない」というものだった(笑)。

このPHPというのは、PHP研究所というのがあり、別に怪しげな団体ではない。PHP新書というのもあるのはご存じかどうか、松下幸之助が設立したか何かだったと思うが、出版やら何やら色々な事業をやっているところらしい。

この雑誌には、「千の風になって」の大ヒットで知られる秋川雅史のインタビューがのっていて、まあ、あの歌じたいは私はどうもスピリチュアル臭くてあまり好きではないが、このインタビューではなかなか良いことを言っていた。

「生きていくのは、辛いのが当たり前」

自分の歌の能力を維持するための日々の厳しいトレーニングの話から、声がでなくなって絶望した2年間のこと、そして、今の日本は豊かになってちょっとしたことにも我慢ができなくなってしまいストレスに弱くなってしまったことなどなど。

以下、立ち読みした記憶なので一語一句正確な引用ではないが、こんな感じのことを言っていた。

今の日本は豊かになった忍耐力が弱くなってしまったように思います。それが不必要なストレスを産みだしている、つまり辛いこと苦しいことに出くわした時に、それに耐える力が無いからストレスに感じてしまう。

どう考えても戦時中を過ごした人たちのほうがストレスが大きかったはずなのに。

苦しい状況に陥った時に、頑張って耐えるんだと自ら励ますのは大切ですが、一方で「人生は苦しいことのほうが多いのだから、今が普通なんだ」と思うのも方法です。

まったく、その通りだと思う。ただ、私の場合、人よりもちょっとしたことが辛いと感じやすくデリケートにできているので、まあストレスには人一倍弱い。

私はYUKAがいるおかげで、かろうじて生きていられるというようなものである。

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早釣り大会か!?

昨日のビッグフィッシングという釣り番組で、海上釣り堀のことをやっていた。

この番組でも海上釣り堀チャンピオン杯みたいのをやっているようで、最初が「釣堀紀州(牧野さん登場!)」、次が昨日やった「水宝」、そして最後に淡路島の「じゃのひれ」でやるとのこと。

神戸のサンテレビだから兵庫県の釣り堀が多くなるのは、まあ仕方ないとして、・・・というか、誰に聞いたか忘れたが(たしか牧野さん?)、この3つの釣り堀はみんな仲がよいというかコネがあるという話らしい。

どこでやるかは、まあ良いとして、問題はルールというか制限時間のほうがちょっと気になった。

番組では、釣り時間が正味2時間半と言っていたが、これはなんぼなんでも短すぎじゃないか?もちろん、たくさん釣っていた人も多かったし、短時間でたくさん釣れるような工夫を釣り堀側がしているのかもしれないが、それにしても、ただ放流された魚を早く手際よく釣り上げるだけになってしまうのでは?

それは「早食い大会」ならぬ「早釣り大会」にしかなっていないのではないか?「大食い」と「早食い」は微妙に違うだろう。

釣り堀というのは、放流後の高活性がちょっと落ち着いたくらい、魚が警戒しだして食い渋りはじめたくらいから後の釣りというのが一番面白いし、それこそがウデと技の見せ所、釣り堀を競技として競う価値があるとしたら、その部分を除いてしまっては意味が半減するのではないのか?

早釣り大会、早釣り名人戦と言うならかまわないが。

釣り堀で釣りをするからには、いくら競技だとか言われても、普通の釣り堀代金を払う以上は、普通の釣り堀時間くらいは味わいたい。表彰式や集計があるから、牧野さんがやっているチャンピオン杯みたいに1?2時間短いというなら、まあ仕方ないと思えるが、釣り時間が3時間も無いというのでは、あまりにせわしない気がする。

と文句を言うなら参加しなければ良いだけの話かもしれないが・・・。

ちなみに、今は釣り堀よりも船でメバル&ガシラ釣りがしたい気分である。

しかし、イカナゴが出てきてからのほうがメバルも美味しくなるということらしいし、今月末から来月上旬は忙しいしで、しばらくはおとなしくしておこうと思っている。

気分も少々憂鬱な感じだし。どうも私の場合日照時間が短くなると鬱ぎみになる傾向が強く、1月2月というのはあまり気分が良くない。

そういうときに遊びに行っても楽しくないし、他人に失礼なことをしてしまうかもしれないので、YUKAとぼたん鍋を食べにでかけるくらいにしておこう。

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福沢諭吉を読み直す

福沢諭吉・・・誰でも知っているでしょう。1万円札の肖像にもなっています。

彼の考え方というのは、丸山真男のような進歩主義的な思想家によってかなり都合良く引用され、ゆがめられた形で誤解されて広まっているようです。

実際の彼はかなりのナショナリストであり、また決して自由・平等を金科玉条として掲げるような思想家でもなければ、西洋かぶれの実学論者などでもないのです。

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ところで、諭吉の著作『文明論之概略』の中で、「文明開化したとは言えない4つの例」みたいなものがあげられており、その一つがどうも現代の日本ではないかと思えます。

「自由も同権もそれなりに実現されているが公の利益も自国のなんたるかも人間交際の味も知られていないような社会、これを果たして文明開化した社会と言えるものか?」という意味のことが書かれた部分があります。

ここで指摘されている「文明開化したとは言えない状態」に、まさに今の日本があてはまっていると思います。

現代の日本には「公(おおやけ)」という概念が欠落しています。ひたすら私欲の追求ばかりです。世論も所詮は自分の事しか考えていないというレベルのものです。そして、自国のなんたるかも考えようとしない。

それからここが諭吉の考え方の中でも見逃されがちな大きなポイントのようなのですが、「人間交際の味も知られていない」ということです。

日本人は昔から「人間交際」ということにおいて劣っているとは言わないまでも、問題が多いということのようです。

その理由が以下の引用部分で説明されています。

「この徳義にも智恵にも、各二様の別ありて、第一、貞実、潔白、謙遜、律儀等の如き、一心の内に属するものを私徳といい、第二、廉恥、公平、正中、勇強等の如き、外物に接して人間の交際上に見わるる所の働きを公徳と名く。また第三に、物の理を究めてこれに応ずるの働きを私智と名け、第四に、人事の軽重短小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働きを公智という」(文明論之概略/ 福沢諭吉/ 岩波文庫)

要するに人間交際のためになる「公徳」が「私徳」よりも、そして「公智」が「私智」よりも大切であると言っています。

人間交際能力が格段に劣っている私のような人間にとっても、とても勉強になります。

ここに書いてあるのはどういうことか。

まず、「徳義」を「私徳」と「公徳」の二つに分けています。

そして、「私徳」の例として以下の4つをあげています。

貞実、潔白、謙遜、律儀等の如き、一心の内に属するもの=「私徳」

 貞実?誠実なこと
 潔白?いさぎよく心がけがれていないこと
 謙遜?控えめな態度でふるまう、へりくだること
 律儀?義理がたく実直であること

これらの徳は、自分の内面の問題であって、行き過ぎるとむしろ人間交際にとってマイナスとなりかねない、自己満足の徳である、ということでしょう。そういうタイプの人間を諭吉は「腐儒者」と呼んで嫌っています。

次に、「公徳」つまり以下の4つにあらわされるような徳こそ大切だとしています。

廉恥、公平、正中、勇強等の如き、外物に接して人間の交際上に見わるる所の働き=「公徳」

 廉恥?恥を知る心のあること。
 公平?えこひいきしないこと。
 正中?不偏不党であること。
 勇強??(辞書にのっていない)

このように、人間交際において重要となる「公徳」こそが大事な徳だと言っているわけです。


さらに、二つの「智恵」のうち「私智」とは

物の理を究めてこれに応ずるの働き


これはおそらく技術的な知識、理論から導かれる論理などそういったたぐいのものでしょう。合理的なものの考え方のことだと思います。


そしてもう一つの「智恵」のうち「公智」とは

人事の軽重短小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働き


これは、状況に応じてどうふるまいどう考えるのが良いかを選別するための智恵ということで、おそらく「経験的知識」、理屈から導かれるものではなく経験によって身につけられそこから判断されるもの、TPOに応じたふるまいのことだと思われます。

その他、丸山真男などいわゆる戦後の進歩的な知識人らによって、いかに諭吉がゆがめられて伝えられたか、実際の諭吉はむしろ保守主義者であり、ナショナリストでもあったわけです。

たとえば明治の開国の当時、外国の真似ばかりして日本人の大切な心をおきざりにしている人間を諭吉は「開化先生」「改革者流」「欧米の心酔者流」と言ってさんざんコケにしていることからもわかる通りです。

そこらへんは、またの機会にとりあげたいと思います。

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新年釣り会・宴会

2008年1月12日(土) 海上釣り堀「傳八屋」

潮@五ヶ所?中潮
満潮?8:30、19:56  干潮?1:53、14:12
日出?6:59 日入?17:03
 
天気?小雨後晴れ、朝のうちは無風だが、天気回復とともに昼頃より強風

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さて、今回は新年会の幹事のうちの1人をさせていただいた。何人かいると楽だと思っていたが、連絡の行き違いなどあり、ちょっとヒヤヒヤした部分もあった。それでもどうにか無事終了できて一安心である。また、釣り大会ではなく、宴会メインの釣り会という形にしたので、釣果の集計が無くてこれは楽だった。

釣りのほうだが、今回も前夜につばき屋に泊まろうと思って電話したら、何と満員ということで、ちょっと困った。前日まで忙しくて、ちょっと寝不足だったからだ。

それと重なり、また早めに現地についておこうと思ったので、いつもより早く1時半に家を出たから、2時間くらいしか眠れなかった。

早く出たおかげで4時頃につばき屋に着いたところ、太郎さんと近藤さんが来ていてしばらくお話をしてから、私は受付もしなければならないのでちょっと早めに傳八屋の駐車場へ。

残念なことに雨がシトシト降っている。もちろん大降りではないのでたいしたことは無かったが、ちょっと困った。

さて今回28名の参加ということで、大イカダ2基となり、7番と8番を使用させていただいたが、ここは9番の小イカダが間に挟まれているので、行き来が不便であったのがちょっと残念だった。

私は8番イカダのほうで、釣り座は抽選で決めて、だいたいこんな感じだった。

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失礼な話だが、お隣のしんさんGR3名の方のうち、しんさんしか名前がわからず、あとのお二人、特に私の隣の方のお名前がちょっとわからない。

さて、今回は渡船の順番が最後の最後ということで、イカダに乗った時にはすでに7時半近くになっていた。10分ほど用意の時間を取り、7時35分にヨーイドンで釣り開始とした。

まずはいつも通りウキ釣りでマダイ狙いからはじめるが、アタリが出ない。隣ののぶささんが快調にマダイを2匹ほど釣り上げる。

私は横で釣られると焦ってしまうので、今回もヤバイと思ったが、そこで冷静さを取り戻すようにして、イカダ竿に持ち替えて、丹念にいろんなエサとタナをさぐることにした。

そうすると、エサをシラサにして、見えるか見えないかくらいの深さ4?5mくらいで、微妙なアタリが出だした。

しかし、ごく小さなアタリというか、どうも加えたり吐き出したりしているような雰囲気だったので、シマアジかなーと思って適当なタイミングであわせてみたら、見事シマアジが釣れた。

こんな感じで2匹連続シマアジが釣れた。

その後は、何と朝のウチから青物ラッシュっぽくなり、特に東側の釣り座の人たちが何本か青物を上げた。

私はの入った北側の列は4人並んでいて、私はちょっとコーナーに追い込まれた釣り座だったので、青物を狙うには不利と思って、ちょっとやってすぐあきらめて、また小物狙いでコーナーを攻めることにした。が、アタリは出なかった。

その後、8時半頃に最初の放流。マダイやら何やらがたくさん放り込まれた。

あちこちで竿が曲がる。今回マダイなどは、南西のコーナー以外ではどこもそこそこ釣れていたように記憶している。

私もウキ釣りにもどして偽あにじるしアマエビでマダイを狙うが、2回連続空振りをしたらその後はアタリが出なくなってしまい、他の人たちが次々に釣られるようになってしまった。

しばらくやってもアタリが出ないので、またイカダ竿に持ち替えて、放流前と同じく浅めのタナにシラサを入れてやると、シマアジがもう1匹釣れた。しかし、その後はアタリが止まってしまった。

朝のウチシマアジが3匹釣れたが、マダイが釣れていない。そこで後はマダイを狙うことにした。

偽あにじるしをつけて、いろんなタナをさぐっていると、8m少々でアタリが出て、ここからポツポツとマダイが上がりだした。

一時は短時間に3匹連続で釣れたが、それを最後にアタリは出なくなり、その後は吉野の浜ちゃんあたりが快調に釣られるようになった。

さて、2回目の放流は青物。みんな狙っているが、どうもあまり釣れない。私はと言うとツバスが2匹のみであった。

早々に青物をあきらめ、マダイを追加。しばらくしてアタリが遠のく。となりの、たくさ&のぶさご夫妻も良くアタリを出されているが、食いがあさくて、ウキが沈んでも針がかりすることがなくて苦労されている。

とは言いつつもイサキを快調にあげられている。

私もイサキが釣りたいと思ったので、生ミックをつけて円月殺法をしてみたところ、ラッキーなことに1匹イサキが釣れた。

その後、浜ちゃんK村さんJackyさんやよしじいさんあたりが青物を何本かあげられたが、どんどんと風が強くなってきて釣りにくくなり、私も追加することはできなかった。

(結果)マダイ8匹、シマアジ3匹、ツバス2匹、イサキ1匹

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(アタリエサ・タナ)

マダイ?偽あにじるしアマエビ・8?9m
シマアジ?シラサ・4?5m
ツバス?魚かしキビナゴ・小イカ・9m
イサキ?魚玉・6m

と、こんな感じで、後半かなり尻すぼみであったが、初釣りはまずまずであった。




そして2時半すぎに最後の便でまた迎えに来て貰ってひきあげた。

ところが、今回、YUKAを伊勢市駅まで迎えに行かねばならなかった。予定時間は4時だった。

船着き場で魚を締めて貰って引き揚げてクーラーに魚を積んだりしてようやく迎えに行けるとなった時間は3時半だった。こりゃー遅刻だなあと思って行ったが、幸いにして道が空いており、4時10分には駅についた。

しかし、なんと駅の反対側についてしまったので、そこから反対にまわるのにさらに数分かかった。

この間、風がふきすさぶ寒空の下、YUKAを待たせてしまい、彼女はすっかり体が冷えてしまったようである。これはまずい。彼女にはあまり体を冷やして欲しくない。

そこで、急遽、伊勢道に乗って玉城ICまで行き、玉城温泉に入って暖まってから宴会場に向かうことにした。幸い宴会は7時からとのことだし。

伊勢市駅から玉城温泉まで、あっという間に着いたので、良かった。そして暖まった後にはまぐち屋へ向かい、6時半頃に到着。

宴会は近藤水産改めKさんがしきってくださり、楽しいうちに宴がすすんだ。

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ところが、私はここへ来て積み重なった疲れがどっと出てしまい、酒をついてまわったり、皆さんにご挨拶することが十分にできなかった。反省である。

そして、翌日も釣り会はひきつづき行われたのだが、私とYUKAは用事があったので参加せずに帰らせていただいた。

釣り | Comments(6) | Trackbacks(-)

ぐったり

昨日の午後から今日の午前中いっぱいまで、忙しくて疲れた・・・仕事そのものは、なかなか良くできたと思うが。

まあ、もっと忙しく働いている人は世の中にごまんといるとは思うが、どうも私は体力が無いのか。

そんなわけでどうにか仕事を一区切りつけて、今日の午後からは、ちょっと時間的余裕ができたのだが、爆釣団の事務関係のことをちょびっとだけ(団員のかたとメールのやりとりと掲示板の体裁変更など)しただけで、もう余力が無くなってしまった。

これから夕方までの仕事の合間には、ボーっと休憩しているのが精一杯なので、釣行記を書くのは無理そうだ。

爆釣団通信の第3号も書こうと思っていたが、これも後回しになる。

すべて明日以降の話になりそうだ。今日は早く帰って眠りたい・・・。

哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

多忙につき・・・

釣行記は明日の夕方以降になる予定です。

哀愁 | Comments(2) | Trackbacks(-)

異文化交流は文化摩擦を生む

異文化交流が、主にマスコミによく登場する「進歩的文化人」らによって奨励されて久しい。

ところで、マスコミの朝青龍に対する報道ぶりが異常に加熱している。

上に立つ人間を悪者にしてよってたかって批判したがるというマスコミの習性も関係していることと思うが、しかし、朝青龍問題の根本は、モンゴルの文化と日本の文化の摩擦である。

モンゴルでは上に立つと威張り散らして良いと社会的に認められているが、日本では逆に謙虚になり人々の手本となる行動をとらないと醜いとされる。

そういうことを朝青龍にちゃんと教育しなかった親方や相撲協会の責任が第一だが、今後、あらゆる文化交流がすすみ、異なった文化の混在がすすむと、それによって摩擦が増えることが予想される。

グローバリズムがすすむとその反動で民族主義が台頭してテロが増えることと似ている。

進歩的文化人はむやみやたらと異文化交流をあおり、それを単純に素晴らしいこととしか言わない。そしてその結果として、このような摩擦がおこっても、面白おかしく朝青龍を非難してすましている。

異文化交流によって文化摩擦がおこった場合、少数側というか叩かれる側はたいてい「自分たちは差別されている」と主張して弱者の側に立つことで、道徳的な正義をふりかざす。

中身をよく見ずに、安易に「弱者」に見方するふりの自分に酔いしれるタイプの偽善者が日本人には多いので、「被害者」であることを強調するのが一番有効なやりかたである。

ところが、そうした偽善者の典型である進歩的文化人らこそが、無邪気に朝青龍をバッシングして差別している。

朝青龍は自分を差別されているとか被害者だなどとは言っていない。だから気づかないのだろうか。日本ではそう言うのが一番有利なやりかたのはずだが、そんな卑怯な態度を取らないだけ、まだ朝青龍のほうが立派なのかもしれない。

というか、これも日本人の文化を理解していない証拠かもしれないし、また「弱者」の側にたつことが何より不名誉だと考えるモンゴル人の文化ゆえなのだろう。

朝青龍問題が文化摩擦であることに気づけば、朝青龍バッシングこそある種の差別、異文化と深く交流せざるを得ないという相撲界の構造が生んだ不幸な結果であると理解できるはずだ。

私とて、不当な差別に怒りを感じるくらいの人並みの神経は持っている。ただ、偽善者になることが何より嫌いなので、「善意」を示すに際しては人よりも慎重なだけなのである。

ともかく、問題は、この「差別」を生む構造に気づくかどうかである。異文化交流の弊害にも思いを至らせるべきではないか。

進歩的文化人らは、朝青龍問題が文化摩擦であるとまずきっちり認識して、やたらと異文化交流のたぐいを煽らないこと、異文化とは、接近しすぎず、かつ、離反しすぎない、つまり交流においては節度を保つことが重要だと気づくべきだ。

朝青龍問題に関して言えば、相撲界は外国人力士に頼らずに相撲を盛り上げてゆくやり方を見つけだして実行する以外に、このようなトラブルの解決方法および予防方法は無いのではないか。

怒り | Comments(0) | Trackbacks(-)

久々の更新?

ずいぶん長いことこのブログを更新していなかったような気がしたが、数えてみるとたった3日にすぎなかった。

いろいろと言いたいことはあるが、書き出すと長くなってしまうので、途中まで書いてやめるということの繰り返しだった。

短い文章を書くと誤解され、そういう誤解のないように書くと長くなって、それはそれで曲解されたり読まれなくなるもとである。

長すぎず短すぎず、簡素すぎずくどすぎない、そういう文章が書ける人というのは、生まれながらの文才というかセンスを持っているのだろう。

これは、どれだけ勉強したとかとはほとんど関係ない、一つの才能だと思う。

どうせ誰にも理解してもらえないと思うと、世の中を呪ったり見下したりしがちになる。

しかし、難しいことというのは、なかなか理解されないし、単純化された不正確な情報ばかりが蔓延している世の中である。

多少、ものごとを色々考えたりすると、苛立ちばかりがつのり不愉快になるというものだ。

迷い・不可解 | Comments(0) | Trackbacks(-)

初詣・平成二十年

今頃な話題だが、一応行ったので書いておくことに・・・

と言っても、行ったのは1月2日だった。元旦は身内の来客があって、料理でもてなした。私も鯛の姿造りなどを作ってみたりした。結構うまくできて好評だったので写真でも撮っておくんだった・・・。

それはそうと、要するに元旦はその準備の関係などあって初詣に行けず、2日になったという訳である。

行ったのは例年通り、家から一番近くて一番大きな神社である「住吉大社」。

二日の午前中だったが、この時期にしてはわりと空いていて、どうにか太鼓橋を渡ることができた。

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さて、例年恒例のおみくじ。この5?6年ほど、ずっと大吉であった。一昨年だけ、最初は大凶だったが、2回目ひきなおしたらすぐに大吉が出たということがあったが・・・。

今年は何と、いきなり大凶を引いてしまった。割り箸みたいな棒に書いてあった番号は「15」であった。

ともかく、大凶とは気分が悪いので、隣の列に並び直して、すぐに引き直した。

すると、なんと、割り箸みたいな棒に書いてある番号がまた「15」だった!これはまた大凶に違いないと思って見なかったことにして、すぐにひっこめてもういちど出したら何番か忘れたが「中吉」だった。

中吉と言っても、たいして良いことは書いていなかった。

今年はおみくじでズルしたし、また初詣に行ってはじめて知ったが、今年から厄年である。どうも新年早々、ちょっと気分が悪かった。

厄年というのは、べつに迷信めいたことを信じるわけではないが、おそらく、これくらいの年齢から体調に変化をきたしたり、親が高齢になっていることなどからも、家でいろいろあるという、そういう年齢にさしかかった、ということなのではないかと思う。

私の父が最初に倒れたのもたしか厄年のときで、それも本厄の年だった。母が「厄払いをちゃんとしなかったからだ」と言うのを子供だった私はバカにして聞いていものだが、そういうものを頭からバカにするのも子供っぽい。要は肉体的な変化に注意が必要な年齢にさしかかったという事と思って、気を引き締めてゆく必要があるということだろう。

ところで、去年の初詣の時にも書いた(ここ)が、住吉大社は海にゆかりのある祭神を祭ってあるということで、それにちなんだグッズ?も売っており、こんなものを買ってきた。

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大漁旗とお守りである。

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ルアーの形をしたお守りなんてのがあって、面白い。

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