2007-02

宇宙戦艦ヤマト

私が子供の頃に一番夢中になっていたのは何かと聞かれれば、たぶん「宇宙戦艦ヤマト」ということになるんだろうと思います。

まあ好きでした。宇宙船とかのデザインが格好良くて夢中になっていたのですが、今振り返ってみると矛盾だらけのストーリーにもなかなか硬派なところがあって面白いですし、何より音楽が素晴らしかったと思います。

ところで YOU Tubeという動画サイトで一部見ることができるようです。

Tubeにはテレビというような意味があるそうで、これはチューブ=管という意味ですが、何の管かと言うとブラウン管ということで、だからテレビというような感じらしいです。

それはどうでもよくて、見つけた動画をブログに貼り付けたりできるそうです。

さっそく、最終回の名シーンを見つけたので貼り付けてみたいと思います。かなり画質が悪いのしかありませんでした。

地球か。なにもかもみな懐かしい。


沖田艦長の最後です。このシーンには泣きました。でもあとで生き返るんですが・・・。

もっと画質が良いのもありましたが、イタズラというかコラージュ化されています。


ちなみにこの最後に出てくるエンディング曲「真っ赤なスカーフ」は「あしたのジョー」と並ぶ私のカラオケの十八番です。

さて、もうひとつ、私が一番印象にのこっているシーンもありました。これは第一話です。

明日のために


私が子供の頃はまだこういう「硬派」なものが少しは残っていたんですが、最近は一体どうなってしまったんでしょうかね。

構造改革とは何か?

構造改革が盛んに叫ばれています。さて、この構造とは何でしょうか?たぶん何の気為しに使われているんだと思いますが、これはどうも「日米構造協議」の「構造」に由来するんではないかという話です。

では日米構造協議とは何か?まあこの本を読むとわかります。これ、じつは明らかなというか意図的な誤訳なのです。

「構造協議」は英語ではStructural Impediments Initiativeであり、正しく訳すと「構造的障害イニシアチブ」ということになります。

つまりアメリカにとって邪魔な日本の構造的な障害を、アメリカがイニシアチブを取って変えさせるための協議ということです。

そして今までやられている改革がじつはこの協議でアメリカから言われたことが、そっくりそのまま実現されているのです。

私が今の「改革」に大きく疑問を抱き始めた、そのきっかけになったのはこの本。

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる 拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる
関岡 英之 (2004/04/21)
文藝春秋

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去年読んだ本のなかで一番インパクトがありました。

しかし、テレビで政治番組はたくさんあれども、また新聞もたくさんあれども、ほとんど「改革」の正体について取り上げられないのは何故か。

一つはスポンサーの関係。広告代理店や外資のスポンサーの意向が入っている。もう一つはマスコミは日本の構造を長年「利権」だとか言ってとにかく自民党的なものを潰すことならなんでも無条件に良しとしてきたために、アメリカの要求によって日本の構造が破壊されることを「良いこと」と思いこんでいるため。この二つが主でしょうか。

とにかくサンデープロジェクトだTVタックルだ太田総理だと、テレビではいろんな政治番組や討論番組がありますが、そのような事情もあって、この本の著者のようなタイプの人はほとんど声がかからないようです。

そもそもこういう、スポンサーのついた政治討論番組で、本当に肝心な政治の議論、タブーの無い政治のまともな議論がなされるはずもないのです。

政治に多少なりとも関心のある人はこの著者の話していることを是非聞いてみていただきたいです。ちょっと長いですが・・・。

「拒否できない日本1」


「拒否できない日本2」


難しいのは、こういう事を言っても「陰謀論だ」とか「反米主義者だ」とか「話が難しい」と言ってあまり興味を示す人が少ない点なんですよね。

上の話で面白かったのは、すべて日本人が「消費者」として目先の「安さ」や「利便性」にとびつくことが結局、地域の共同体も寂れてバラバラにさせている原因でもあり、日本の属国化をすすめているという点です。

誕生日おめでとう!

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誕生日、おめでとう♪

魚の絵は上のやつは私が書いたが・・・下手くそすぎる。

ちなみに、実物はもうちょっとましなカードを作った。これは作成途中の未完成のもの。

細木数子を信用すべからず

細木数子の占いは当たるらしい。

このサイト」を見ればよくわかる。

まああの占いは彼女が発明したわけではなく、パクリという話だが。

ところで彼女の番組にでる芸能人がどうして皆彼女にああまでペコペコするのか、皆さんご存じだろうか?

彼女の占いが当たるからとか、彼女には特別な力(パワー)があるとか、まさかそんな事を思っている人はいないだろう。

そう、皆、彼女とか彼女の能力に怯えているのではなく、その背後にいる人たちに恐れを成してペコペコしているのだ。

彼女は極道の女なのだ。彼女の後ろにはズラリとヤクザがひかえている。電話一本でヤクザを動かせる。今まで私が見た中では、彼女にペコペコしなかったのは、自分自身がヤクザみたいなハマコーくらいだろう。

彼女はそのヤクザを使って、自分の批判をする人間の口封じなどをこれまでさんざんにやっている。だから皆、怖がってペコペコしているのだ。

しかし彼女は、ときどき正しいことも言う。女は女らしくとか、仁義礼智信とか。

しかし、仁義礼智信を説いておきながら一方でホリエモンを立派な男だとさんざん持ち上げて、あまり税金が高いと優秀な人たちは海外に逃げるから税金は安くしろとか平気で矛盾したことを言っている。

以前からこの女は一体どういう頭の構造をしているのか、ずっと不思議に思っていた。

彼女はヤクザの情婦であると同時に女ヤクザなのだ。売春婦を管理しバクチ麻雀を打ち、ヤクザの若者の指をつめさせ、歌舞伎町でエロ本店を経営させ、ヤクザをつかって右翼をだまらせ、自分の批判をする人間を脅して口封じをしたりと。

そういうキタナイことをやっていればこそ、どんなやり方で金儲けをしようと、また自分と同じく暴力団とのつながりが取りざたされているホリエモンのことを持ち上げていたのも、頷けるというもの。

最近聞いた話だと、暴力団対策法ができあがってから、暴力団関係者はみな水面下にもぐってしまい、ITや金融に流れた、そして六本木ヒルズあたりに跋扈している少なからぬ者たちが、そういう関係者または関係者と深いつながりのある人たち、だそうな。

したがって、「ヒルズ族」ではく「ヒルズ賊」と書くのが正しいのかもしれない。

私は暴力団を一切なくせとか、そういう不可能なきれいごとを言うつもりはないし、むしろ昔ながらの任侠道をわきまえたヤクザならばそれなりの存在意義もあったとすら思うところがないわけでもないが、しかし、細木数子はかなりヤバイ、ああいうのに好き勝手言わせておくのはかなり危険だと思うが。

ちゃんこ鍋

昨日の晩飯はちゃんこ鍋でした。先日、天王寺のフープとかへ行った時、そこの地下に、あの有名な チンコ大にんぐバカ ちゃんこダイニング若がテナントとして入っているということで、一度行ってみたいねという話をしていました。

しかし、どうもレシピが出回っているようで、それならば作ってみようということで家でやってもらったところ、滅茶苦茶美味かったです。

私はこれを「ちゃんこダイニングYUKA」と呼んでいます。「若」より「YUKA」のほうが美味しいと思います。って若は食ったことないけれども・・・

美味しすぎて写真を撮るのを忘れてしまったので写真は無し。

「不都合な真実」は真実か?

今朝のNHKを見ていたら、ドキュメンタリー映画「不都合な真実」について、アカデミー賞の2部門を受賞したことのからみで放送していた。

これはクリントン時代に副大統だったアメリカ民主党のゴア氏が制作して世界中をまわってあるいている。

クリントン大統領と言えばモニカ・ルインスキーさんとの「不適切な関係」で有名だが、その当時の副大統領が「不都合な真実」を語っているという訳だ。でも別にこれは女性スキャンダルを暴露した映画という訳ではない。

環境問題、地球温暖化に警鐘をならすドキュメンタリーだ。

たしかに、アメリカが京都議定書を批准していないことなど、温暖化対策でエゴ丸出しであることについては批判されるべきであろうし、地球は温暖化傾向にあり、その原因として二酸化炭素の影響が否定できな以上は、先回りして削減しなければならないのはその通りだろうと思う。

しかし、私にはどうにも納得行かない部分が少なからずある。

この「不都合な真実」は本になっていて、日曜日に書店でじっくり立ち読みしたのだが、重要な視点がいくつか欠落していると思う。

不都合な真実 不都合な真実
アル・ゴア (2007/01/06)
ランダムハウス講談社

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一つは、地球温暖化に二酸化炭素がどれだけ貢献しているのかはっきりしない点。二酸化炭素と関係なしに温暖化している可能性について考察がない。

たとえば、私は日曜日に「あべのの歴史」という本も買ったのだが、その本によると、今から1500年ほど前は大阪などほとんど海の下だった、私の今住んでいる上町台地は海に突き出した半島というか岬だったのだ。

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1500年というと46億年の地球の歴史からするとほんの一瞬昔の話だ。それくらい近い昔には今から海面が10mほども高くなるくらい地球が温暖化していた。もちろん二酸化炭素の濃度は今よりもずっと低かったのにだ。

ということは、地球は大阪市内一帯が海面下に水没するくらいまでには温暖化する可能性がある、人間の活動とは別にそれくらいのことは、千年単位ではおこりうるということになっている。

まあ人間の活動でそのサイクルが狂って温暖化が早まっているということも考えられるので、だから私は二酸化炭素の削減に反対ではないし何もしなくて良いとは思わないが、その削減方法にしても、ほとんど効果がないものばかり。

まず何より今の人類の文明そのものを停止するくらいのことをしなければ二酸化炭素の濃度を減らすことは不可能なのに、そのことについてあまりにも楽観的すぎる。

環境対策技術を進歩させてそれが産業になり利潤を生む、そうすればなんとかなるなんて書いてある。あまりにおめでたすぎる。

二酸化炭素については悲観的なくせに、その対策となると、文明批判もなにもなしに、文明の力で何となると超楽観的な事を言っている。だからゴア氏の言っているのは所詮は偽善と売名行為にすぎないのではないかと思ってしまう。

環境破壊は人間の傲慢さが招いたとするならば、その対策ができるのだと構えるのもこれまた人間の傲慢の一種だと思うが。

二酸化炭素の排出を少々削減するくらいのことは技術的には可能だろうが、大気中にすでに増えてしまった二酸化炭素を減らすというのは、本当に思いきったことをしなければ無理だ。また技術的に可能でも政治的に不可能ということもある。

むしろ、みんなが省エネをこころがけたり車に乗るのをやめたりすれば何とかなるかのような幻想を振りまいて現状を湖塗しようとするほうが罪が重いと思うが。

もしこの本に書かれていることが本当に不都合な「真実」ならば、それこそ、地球環境を守るのは人間の命よりも大切だ、くらいの気持ちにならないと守るのは無理なところまで来ているのに、この本を推薦している人たちは「地球環境破壊によって人間の命が危険にさらされている、だから環境を守れ」とか言っている。その矛盾に気づいていない。上っ面のきれいごとに流されている証拠だろう。

劇的に二酸化炭素を減らすようなことをすれば、そのことによる産業の停滞や失業その他で、これはこれで間接的にせよ莫大な人命を失わせるに違いないし、また人命がたくさん失われなければ、つまり地上の人口を極度に抑制しなければ、地球環境は守れないところまできている(ただし、それはあくまで二酸化炭素が温暖化の主な原因という説が正しいとするならばの話だが)。

「二酸化炭素が温暖化の(主な)原因なのだから、それを何とかしろ」というのならば、本来そういう意味のことになるはずだと思うが、そういう事を言う人はいない。

ただ、こういう話が技術とか物質的な豊かさをひたすら追い求める現代人にたいして何らかの修正をほどこしてくれるならば、良い傾向ではないかと歓迎している。

だいたいそういう点で世界一悪いのは日本人とアメリカ人だろう。今後は中国やインドのように莫大な人口をかかえる国々がその後を追ってくるだろう。日本やアメリカがさんざんそういうことをやってきて、これから中国やインドに近代化するななどと言えるのだろうか?

アメリカは歴史がない国だからひたすら技術や物質的な豊かさを追い求めるのは彼らの「性」としてしかたないだろうが、日本までそれを先頭きってひたはしってきたというのは、まあ戦前は事情があったからしかたないにしても、戦後はあまり褒められたことではない。

ヨーロッパはまだましだった。ヨーロッパの近代化は、ある時期になるとそれがあまりにも歴史的な景観を破壊して町並みを滅茶苦茶にしてしまうということで、そういうものを守れという運動が盛り上がったりしたが、日本の場合はひたすら自然や田園風景や町並みを破壊して、国土を醜く荒らすばかりである。

開発するにしても景観との調和だとか田園風景を守って行こうなどという発想はなかった。

自分たちが享受している豊かさに対して、多少はやましさを感じるくらいがまともな神経の持ち主ということだろうと思うが。

本気で二酸化炭素をどうにかしようと思えば、世界中の火力発電所をすべて潰し、いくら国民の生活が疲弊しようともアメリカや日本あたりはその国力を何分の一かに落とさせて、中国やインドはいくら餓死者がでようとも決して近代化させないようにする、それくらいの事をやらなければ無理だろう。

ゴア氏が一番見落としているのは、温暖化の原因が二酸化炭素のせいだと言えば言うほど、その対策は過激にやらなければならなくなるどころか、何をしても無駄という話になってしまう事だ。でも彼はそうは言っていない。

二酸化炭素の増加が、いくつかある地球温暖化の原因の一つにすぎないという程度ならば、その影響は「環境技術の進歩」とか「排出に関する国際条約」のようなものによって少なくとも人間活動による温暖化の部分を防ぐことはできるかもしれない。

しかし、これから起こる温暖化がすべて人類活動による二酸化炭素の増加のせいだと言うのならば、もう何をしても無駄、人類の文明を根底から破壊するくらいのことをしない限りは無駄だという話になる。

ゴア氏はそこらへんの矛盾には気づいているのだろうか?

まあ防げるかどうかわからないけれども、今からできることはやっておこうという程度なんだろう。そうでも言わないとパニックになるだろうから、そう目くじら立てることもないのだろうが。

だからこそ私はもっとまともな検証が必要だと思うのだが。

そして同時に、少なくともこれまで人類は進歩ということを疑ってこなかった訳だが、そういう姿勢にそろそろ疑いを持つ、それくらいの事は必要なのではないか?

とにかく物質や技術以外の何かで心を満たすための方法を今から準備しておいたほうが良い。この物質文明そのものが地球の環境を破壊しているのだから。おそらく人間の心も蝕んでいるのは間違いないと思う。それくらいの文明批判を展開してほしいものだ。

ところで日本の歴史の産物にはいくらでも我々の心を満たしてくれる物質以外のものがたくさんある。近未来の文明崩壊にそなえて、今からそういうものを大切に守っておくべきだろうと思う。それができれば、少なくとも日本に関しては、江戸時代の生活レベルにもどったとしても、人々の心は豊かに生活して行けるだろうと思う。

2.26事件

今日は2.26事件の日。

折しも最近は教育基本法が改正されて、愛国心教育を認める方向へ少しすすんだようだが、果たして今の大人達が子供に愛国心を教えられるのか?

政治家たちに愛国心はあるのか?財界人はどうか?そもそも大人達に愛国心があるのか?

日本は税金が高いから海外に逃げるとか言っている財界人や経済人その他の言い分を認めている政治家が、子供に愛国心など教えられるのか?

もし本当に子供達に愛国心が根付いたら面白いと思う。それこそ2.26事件の青年将校らの愛国心を教えてそれを見習わせてみればよろしい。

そうすれば今の政財界の人間など片っ端からテロで抹殺されるだろう。

ホント、どうせならそれくらいの愛国心を教えてみたらどうか。

まあ無理だろうが。それくらいの皮肉の一つも言いたくなる。

だいたい一庶民に国を救うなんてことは能力的にできっこない。だから愛国心があろうがなかろうが、そんなのはどうでもよい。

それこそ、金を稼ぐ能力、政治的な能力、そういうものを備えた立場の高い人間が愛国心を持って行動しなければ、国は支えられない。

しかしそういう恵まれた人間ほど愛国心がなく、私欲におぼれて国を食い物にしたり売り渡したりしている。

だからダメなんだ。

おめでと、ござんす

今週にはYUKAの誕生日がやってくる。

というわけで、昨日は一足早くプレゼントを買いに・・・。

うちの場合はお互いに何が欲しいか聞いてそれをプレゼントすることにしている。今回はカバン(バッグ?)が欲しいということのようなので、一緒に買いに行ってきた。

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天王寺にあるHOOP(近鉄あべのファッションビル・フープ)とかいうところ。

なんというか、こういう店は私には退屈でしかたがない。本屋もレコード屋もない、私が見たいと思うものを売っている店が一切入っていない。

それこそカバンだの服だの何だの、身につけるものばかりだ。そういうものに凝って、着飾ることで心が満たされるのか?ある意味うらやましい単純さだ。

モノや技術だけでは心は満たされない。これはまさに虚栄の世界という気がする。

まあそんな事はどうでもよくて、気に入ったカバンが手に入ったからYUKAはよろこんでいたようで、それは何よりだ。

帰りに、近くにあるユーゴー書店というわりと大きな書店に寄ってもらって、店内をブラブラと本を見て歩いて、ストレスを解消した。大きな書店の店内をぶらついて色んな本を手に取ってみる、そんな時間がとても楽しい。

読む時間もないのについつい5冊ほど買ってしまった。教育問題についての本など。

知人の教育関係者が参議院に教育問題について話に行くから、あんたの事も紹介するから一緒に行かないかと誘われたが、私なんかが教育問題についてまとまった話ができるわけもないし、おそれおおいからやめておこうと思っている。

ダ・ヴィンチ・コード

映画「ダ・ヴィンチ・コード」をレンタルしてきた見た。

ダ・ヴィンチ・コード (UMD Video) ダ・ヴィンチ・コード (UMD Video)
トム・ハンクス (2006/11/03)
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

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これは滅茶苦茶面白かった。たしか小説がベストセラーになったようだが、私の悪いクセで、ベストセラーと聞くともう読む気がしなくなるために敬遠していた。

だいたい政治も含めて多くの人に支持されるものに良質なものは無いというのが私の経験則になっているが、この経験則はよくはずれる。

まあ単なる天の邪鬼でしかないのかもしれない。

ところで、このダ・ヴィンチ・コードは私の興味をわりとよく知っている知人から「君はこれを絶対面白いと思うはずだから、是非読んだほうが良い」と言われていたのだが、他に読みたい本が山ほどあるから後回しにしていた。

それが、映画になり、DVDのレンタルも開始になっていたので、借りてきて見たという訳。

それを昨日ようやく見た訳だが・・・滅茶苦茶面白かった。

謎解きストーリーになっていて見るものを惹きつける、そういう技術的な面白さもなかなかのものだが、根底にあるテーマがものすごく興味をそそった。

ヨーロッパは日本と同じく古い歴史と伝統が息づいている訳だが、ヨーロッパ人と日本人は正反対なところがあって、ヨーロッパ人では歴史や伝統を大切と思っている、日本人はそれを古くさいと思って新しいものに飛びついて国をどんどんおかしく改造しているということがある。

ところで、そんな日本人と正反対のヨーロッパ人には日本人から想像もつかないコンプレックスがある。

それはつまり、ちゃんとした王統、王家がないということ。つまり日本の天皇みたいに歴史の深い、神話の過去まで遡った王権がどこにもないということが彼らの大きなコンプレックスになっている。

それを求めている、その事の現れがこのダヴィンチ・コードのヨーロッパでの大ヒットの原因の一つになっているということだ。キリストには子供がいて、その子孫が代々続いている、そういう王家がひそかに存在し続けているという話。

そのストーリーの少なからぬ部分が歴史的研究から導き出された史実にも基づいている、それをミステリー仕立てで面白く読ませるものが大ヒットしたというのはどういう事か。

つまり、ヨーロッパの大衆は日本の天皇のような存在を求めている。そういう大衆の欲望が少なからずあるのだということを示している。実に興味深いストーリーだった。

まあそんな背景に全く興味がなくても、謎解きミステリーとしてもなかなか良質に作られているので、厳格なカトリックとかの教会関係者でなければ、楽しみながら見ることはできるだろうと思う。

私は宗教を信仰しようと言う気持ちはほとんど無くて、そういう敬虔さには大きいく欠けているが、宗教そのものの思想性や歴史などにはとても興味があるので、そういう視点からもとても面白い映画だった。本も買って読んでみようかな。

ダ・ヴィンチ・コード(上) ダ・ヴィンチ・コード(上)
ダン・ブラウン (2006/03/10)
角川書店

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メバル美味すぎ!

メバルがたくさん釣れたので、おすそわけしたら、大根と白菜とネギなどの大量の野菜に変わって返ってきた。

それにしてもメバルは美味しい。あれだけ大きいのは波止で釣ったことが無かったから、今回はじめて食べた。メバルがこれだけ美味しいとは知らなかった。

煮付け、みそ汁なんかも美味しかったが、お造りが滅茶苦茶美味くてびっくりした。お造りで食べたのははじめて。

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魚の処理は私の役目なので、ちょっと包丁さばきと盛りつけがイマイチでアレだけれども。味は良かった。

先日、海恵で釣ったソイのお造りよりもさらに美味しかった。

大きいのは今日でなくなってしまったが、まだ小ぶりのが残っているので、明日は唐揚げの予定。

今日はウエシマ釣り具でメバル仕掛けを物色してきたが、店内がゴチャゴチャしていて、欲しいのが見つからなかった。

もういちど行く気マンマンだが・・・3月15日前後に出張があり、その前は準備で忙しいだろうし、21日から24日までは北海道だしで、次はその後かな。

また平日の天気の良い日にスクランブル発進と行きたいが・・・。

弟よ、頑張れ

弟の結婚式の日取りが決まったと電話があった。

12月9日らしい。おしいなー、あと1日早かったら真珠湾攻撃の日だったのに。

それはそうと、その日程に、おじさん、おばさんらからクレームつきまくりとか。

冬は吹雪いたりして車で行くのがこわいから、もっと早い季節にしろなど。

特に母の姉が一番文句を言っているらしい。それで母はもう切れちゃって、しばらく放っておくとか言っている。

電車で来てくれれば良いのに、車で来たいと。でも冬は怖いと言っているらしい。

それに対して母は、「あんた一人の都合で日程は変えられない」とか、直接言った訳ではないが、そう思って、もう知らんとか言っている。

しかし、それだけお祝いしてやりたいという気持ちを持ってくれているのだから、もうちょっと相談したらどうかと言っておいたが。

それにしても、私の結婚式も札幌であげたのだが、あれも2月という真冬だった。でも、その時はこんなクレームはつかなかったけれど。

結局、弟も結婚するのが遅くなったので、叔父さん叔母さん歳をとってしまい、お爺さん、お婆さんになってしまったからだろう。中にはあの世に行ってしまったおじさんおばさんも少なくない。

父方の兄弟と違って母方の兄弟はみんな仲良かったのに、歳をとるとお互いに頑固になるのか意地っ張りになるのか・・・

まあ弟もこうした面倒なことをパスするのが最初の洗礼だと思って頑張って欲しい。

結婚というのは二人だけの問題ではない。「愛し合う二人だけの世界」などというのはこの世には存在しない。あらゆることが他者との関係性の中にある。それを自覚するのが結婚ということだろうと思う。面倒なことはパスというのでは、結婚生活も早晩、暗礁に乗り上げるものと思われる。

結婚とは、社会に対して自分たちの関係を宣言し、社会の最小単位としての家族を構成して社会人としてスタートをはじめる、それが結婚だと思うので。

結婚して他人のぶんまで責任やリスクをひきうけることを知ってはじめて社会の構成要員として認められるものだろうと思う。そう自覚して、今後次から次へと襲ってくるであろう難題に、二人で協力して立ち向かって行って欲しい。

メバル・リベンジ成功!

2007年2月22日(木) 船のメバル釣り@漁幸丸

船釣り

エサ〜シロウオ、シラサ、サビキ
オモリ30号

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天気〜曇り時々晴れ  気温〜暖かい  風〜弱い南風

港〜神戸  潮〜中潮
満潮〜9:49 22:37  干潮〜3:32 16:31
日出〜6:37  日入〜17:48

070222shio.jpg


出船:午後2時  帰港:午後9時
釣り時間 午後2時半〜午後8時

先日の船メバルはさみしい結果に終わった。しかし何と驚いたことに、その数日後から同じ船で爆釣しだしている。これを見て、いてもたってもいられない気持ちが・・・。

で、来週くらいに行きたいなあと思っていたところ、「地元の男前」さんから突如電話がかかってきて、「明日行くけど・・・」とのお言葉が!スクランブル!!!

このタイミングの何と絶妙なことか、たまたま次の日の午後からなら休める。実は夕方にやることはあったのだが、簡単な操作だけだから、いつも暇そうにしている人にやらせることにして、私は釣りに・・・。

ということで、帰りに中通しのメバル用の竿(4800円)を買って帰った。

当日は昼まで仕事をして、昼過ぎに職場を出る。2時までには時間があったので、フィッシングマックス二色浜店に立ち寄って店内を物色していると、突如「カーク船長!?」との声が!

なんと、しんすけさんだった。前からこの日を狙っていたようで、同じく漁幸丸を予約していたそうな。偶然にもご一緒することになった。にぎやかで楽しくなりそうだ。

前回と同じく、右舷の中央部分が空いていたのでそこに釣り座をかまえる。2時過ぎに出船。前回は小島・加太方面のポイントだったが、今回はどこを走っているのかよくわからない。

30分ほど船を走らせてポイントへ到着。風がないせいか、もやがかかって視界があまり良くないのでどこなのかさっぱりわからない。

水深はだいたい50mほどのポイントで、シラウオをエサに釣り開始。1投目では左舷側でメバルとソイが釣れたらしいが、こちら側はなし。

船頭さんの「仕掛けあげてー」の合図で上げてみると、ちっちゃなハゼがついていた(笑)。

しばらくすると、船尾の人がわりと良い型のメバルをあげられた。あと、私の隣の「地元の男前」さん、というか面倒なのでsakamotoさん(仮名・帽子にそう書いてあった)ということにしておこう、この方↓もまずまずのメバルを釣られた。

070222sakamoto.jpg


そしてしんすけさんも、まずますの型のメバルを釣られた。

しかし私は釣れない。ちょっと焦る。そしてようやく待望のアタリが!しかし釣れたのは20センチほどのまずますのガシラだった。

このあとも私にはメバルが釣れず、「メバルを釣りに来たのにガシラ」とさんざんいじめられ続けた。ひそかに「今にみておれ・・・」と思った。というのは冗談だが、まあ暗くなってからが本番ということのようだったので、焦らずボチボチやることにした。

途中、こんな巨大タンカーが目の前を通った。
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大きすぎてフレームに入りきらない。

こんな船も通った。船とか飛行機とかを見るとなんかうれしくなる。
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しばらくやってから、ポイント移動のため、ふたたび船を走らせること20分ほど。

ふと見ると、明石海峡大橋が見える。ここでしばらく釣りをしたが、私は釣れず、全体にあまり釣れなかった。水深の深いところは手巻きリールはきつい。ここはだいたい60mくらいあった。そして夕方になって、数釣りのポイントへ移動。たしか5時すぎだったと記憶している。

場所については書いて良いのかよくわからないので一応書くのはやめておこう。書いても良いならあとで追記を書くかもしれない。

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さて、ここへ来てから爆釣タイムのはじまり。ここは水深も浅めで、30センチ近いような大型は釣れないが、数が釣れるところらしい。薄暗くなってきたあたりから、サビキが良くなってきて、特に緑色のサビキに良く食ってきた。

25センチ以上の特大サイズは釣れなかったが、20センチ前後のまずまずのが中心にたくさん釣れだした。一時はホントに一投に1匹の割合で釣れた。一度に3匹ついてきたこともあった。

ここは水深が10数メートルくらいしかなく、手返しも早くできて釣りやすかった。

私としてはあわててやっているつもりはなかったのだが、手際よくてきぱきやると 近藤水産 sakamoto さんから「必死やな!」と揶揄されたが・・・必死ではなく、あれが私の普通の姿なのです。というか、実はやっぱり必死でした。楽しくてつい夢中に・・・

しかし、たぶんこの3人の中ではサビキなんかを一番たくさんやっているのは私だと思うので、サビキの手返しならそれなりに慣れていたということだろうと思うが、まあ必死でムキになってたと言われればそうかもしれないが、しかし、実はあれでもかなり余裕の動作なのだが。

そうは言いつつ、別に私一人が釣っていたわけではなく、皆さんも結構たくさん釣られていたので、本当に良い日に来ることができた。

しかし、ふだんから釣りに関して勝ち負けなんてことを嫌っているのに「船長に負けるのだけは我慢ならない」とか言われて、ちょっと怖かった(ウソ)。

ところが、近藤さんがふと言った一言

「ヨッシーさん連れてきたら喜ぶやろなー」

ちょっとしみじみ。

さっきまで「船長に負けるのだけはムカつく」と言って目をギラつかせていたのが、見る見るうちに穏やかな表情にかわった。

ヨッシーさん、ありがとうございます。

これで一安心。この隙にたくさん釣ったるでー、とばかりに頑張った。

夕方の5時半頃から8時まで、退屈することなく釣れ続けて、バケツにやまもりになってきた。ありがたいことだ。

そして8時で釣り終了。そこから泉佐野の港まで1時間ほどかかって到着。たぶん私よりたくさん釣った人が一人おられたようだったのが、時間がないと言って急いで帰られてしまったので、私が「竿頭」ということになり、2000円の割引・・・となるはずが、今回はタダ券を使わせていただいたので、それはなくてちょっと残念。

まああまり贅沢は言ってはいけない。とても状態の良い時に釣りに来ることができて最高の1日だった。

(結果)メバル(20センチ前後)45匹、ガシラ1匹、ハゼ1匹

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大型のメバルは釣れなかったが、20センチほどのお手頃サイズがたくさん釣れてとても良かった。

ところで、私が数をたくさん釣りたがるのは、私のあさましい性格ということもあるけれども、実はYUKAの実家やおじさんの家に魚をおすそわけすると、とても喜んでくれるということがある。

日頃から人様を喜ばせるような事を何一つしていない私としては、自分が遊んで楽しんだだけでなく、その結果を届けさせてもらうことで喜んでもらえるというのは何よりうれしいことだ。

今回のメバルも、YUKAの実家と姉夫婦、おじさんの3家族におすそわけできて、ものすごく喜んでもらえたとさっきYUKAからメールが入った。これもまた釣りの大きな楽しみの一つだ。

ところで、今回は全然酔わなかった。前回は酔って寒くて煙たくて、その3重苦に参ったが、今回はその原因のすべてが取り除かれた。

前回酔った原因は三つあって、少々風があったこと、前の日から便通がなかったこと、出船直前に食い過ぎた事、この三つの原因すべてが今回はなくなっていた。

風もなく、朝には快便だったし、昼飯は11時半頃におにぎり2個だけにしておいた。まあこれはちょっと足りなくて、今回は釣りの途中に腹が減って参ったが・・・。

そして今回は風が全然なくて暖かいし、また前回排気ガスが煙かったのは、あの日の風が上から下にたたきつけるように吹いていたためだそうで、今回はほぼ同じ場所に座ったのに煙たくなかった。

あと、念のため飲んで置いた酔い止め(前回しんすけさんに頂いて飲み忘れていたアネロン)も飲んだということもあるのかもしれない。

とにかく全く酔わなかったし、楽しく釣れたし、たくさんも釣れたし、おすそわけで喜んでもらえたしで、最高の1日となった。

船釣りにもはまりそうな予感が・・・。

緊急出動!

我がエンタープライズ号が緊急通信を受信!

エンタープライズ号、南へ進路を取れ!

面舵一杯、全速前進!

ということで、今からスクランブル発進!!!

あいさつ

挨拶って大事だと思う。

私はもともとろくに挨拶もできないタイプの人間だった。

どうも集団での人間関係があまりうまくゆかないと悩んでいた時期もあったのだが、その原因が「挨拶がきちんとできない事」だと気づくのに、20年ほどかかった。

私はかなりシャイで奥ゆかしい性格のため、顔見知り程度の人と職場の廊下ですれちがった時など、思わず目を伏せてしまいがちだったのだが・・・

そういう事がまわりまわって「なんかあの人、ちょっと怖い」とか「とっつきにくい」「雰囲気が悪い」みたいに思われて人が近寄ってこなくなる。

なかには「あいつは何かやましい事を考えているんじゃないか」などと思ったりする人もいるようだ。

まあさすがに私もこの歳になるとどうにか最低限のあいさつくらいはできるようになって、そういう点ではましになったのだが、それでもいまだにちょっと照れくさいことが多い。

友達とかなら素直に挨拶が口から出るが、職場の違う部署の顔見知り程度の人だと今でもかなり躊躇してしまう。

そういう私の話はどうでも良くて、最近、事務仕事をしてくれる若いスタッフが新しく来たのだが、この女性がまた、挨拶が出来ないタイプだ。去年の春に大学を卒業したばかりだから、結構若いが、若さやはつらつさがほとんど感じられない。

私の知る限り、女性の事務のスタッフで挨拶がちゃんとできないというのははじめてだ。むしろ男性のほうが理屈で考えてそういうことをできないタイプが多く、女性はきちんとした生活体験から挨拶の重要性を無意識に自覚して自然にそういう事ができるものだと思ったいたのだが。

やっぱり大学までの間に「勉強」しかしていない(もしくは勉強すらしていない)からだろうか。

彼女が来たのは以前いた事務の女性が突然やめてしまって、急遽採用されたからだけれども、その人が元気というかハキハキしていて、こっちがモタモタしていると逆に尻を叩かれるくらいしっかりした人だったという事があって、どうしても比較してしまうからかわいそうなのだが・・・。

こっちから「おやほうございます」と言うとようやく「むにゃむにゃ・・・」と返しているんだか何だかわからないリアクションをしてくる。

帰りも「お先に失礼します」も言わないで、いつのまにかいなくなっているという感じだ。

たぶん昔の私もこんな感じだったのだろう。

私は自分と同じ欠点を持っている人間は特に苦手だ。自分の嫌なところを見せつけられているようで。

だからなるべく私と性格が似ていない人のほうが合う。

前の事務員さんは、私とちょうど正反対すぎる性格で、これはこれでちょっとキツイ部分もあったが・・・。あの押しの強さと物事のドライな割り切り方、なんでも損得で考える考え方にかなりイラだったりしたことも少なくなかったが、思っていることを何でもはっきり言うタイプだったから、そのぶんこっちもはっきりものを言えたし、少々の事を言っても根に持たれることもなかったし、まあ活気はあったから良かったが・・・。

今では、ただでさえ性格が陰気な人間ばかりが多い職場に、また一人そういうタイプが増えてしまったという感じで、残念だ。

と、ただこんなところでグチを言っているだけの私という人間も、やっぱりまだまだダメだなあと思う。

ソイは美味かった

先日、海恵で釣ってきたソイ・・・。これが美味かった。

半分はYUKAの実家へ行ったが、残り4匹をたっぷり堪能した。

2匹は薄造り。これをポン酢でいただいたが・・・絶品!ちょっと私の包丁さばきが下手くそで見栄えは悪かったが、味は最高だった。

あとの2匹はアクアパッツァとかいうやつ。これまた絶品。アクアパッツァはマダイやスズキ、イサキなどで作ってもらったことはあったが、ソイも美味しかった。

やっぱり根魚は美味い!

それにしても先日のメバルが残念だった。今回のソイは前回(私は釣れなかったけれども)釣れていたメバルとほぼ同じくらいのサイズ(30センチほど)だったので、メバルもきっと美味しいのだろうなあ。

その後の漁幸丸はかなり釣れているみたいだし・・・何とかリベンジしたいものだ。

週末土日はとうぶん釣りに行けそうもないから、来週の平日にでも、天気の良さそうな日の午後あたりにリベンジしたいが、都合がつくかどうかは未定だ。

無秩序へと向かう日本

最近では以前にもまして、弁護士が重宝されるようになってきました。今後ますます弁護士は活躍の場を広げるようになる事でしょう。

これは社会がどんどん悪くなっている証拠です。規制緩和によって政府の事前調整をやめれば経済犯が頻発したり安全性が犠牲になったりします。

そして道徳の破壊も社会を不安定にして犯罪を誘発します。

規制緩和と道徳破壊によってひたすら自由を拡大すれば犯罪が増えるに決まっています。結果的に法律だけがどんどん網の目のように張り巡らされるわけです。

しかし法律の制定には時間がかかりますから、変化の早い社会では法律が追いつきません。従って決着は法廷へと持ち込まれ、裁判が増えるでしょう。

また、法律はルール違反を犯した人間を処罰する(ことによって犯罪を抑止しようとする)ものにすぎませんから、被害者の救済は行われません。

そこで被害を回復したいと思えば民事訴訟でもおこして損害賠償請求するというように裁判で闘わなければならなくなりますから、これまた裁判が増えるでしょう。

結局、法廷が戦いの舞台となって、泥沼の闘争が延々と繰り広げられ、最終的には有能な弁護士を雇ったり情報を収集できる側が勝つ、弱肉強食の世界になるわけです。


秩序の維持のためには「道徳」と「行政による規制」と「法の処罰による犯罪抑止」などがあるわけですが、道徳は破壊されてすでに残骸しか残っていませんし、エコノミストによって叫ばれた規制緩和により事前調整能力が破壊されてしまった現代においては、ひたすら法を強化するしかなくなっているわけです。しかし法律だけでは社会の秩序は維持できないのです。

これからは(道徳や規制による)事前調整をやめて、事後チェックで十分だという乱暴な意見がまかり通っています。正気の沙汰とは思えません。

これはまぎれもなく日本がろくでもない国になりつつある事の証だと思います。

規制を緩和して新規参入を増やして競争させれば良くなる・・・そんな単純思考の人間が大手をふってえらそうな事を言ってきたのです。彼らはこのニュースをどう捉えるのでしょうか?

<バス業界>労基法違反、行政指導4倍に 規制緩和後に急増

タクシー業界だって規制緩和して滅茶苦茶になったでしょう。

日本はもともと規制が多いというのは半分はデマです。色々な規制がアメリカなど外資が日本で商売するのに邪魔だからなくせとアメリカに言われるがまま緩和しているというのが半分。残りの半分はアメリカかぶれのエコノミストたちがアメリカの真似をしたがるというのが半分だと思います。

あとは経済人・財界人が規制緩和をビジネスチャンスと捉えて促進してきたということもあるでしょう。結局彼らは自分の目先のビジネスの事しか考えていないのです。その代償として社会がどれだけ混乱に陥ろうが知ったことではない、混乱してくれればそれこそむしろビジネスチャンスだと思っているような人も少なくないでしょう。そういう状況であればこそホリエモンやら村上ファンドが「活躍」できたのです。

彼らがやった事は「法律違反」としてはたいした罪ではないみたいですから、またすぐ出てくるでしょう。そして再び祭り上げられて「活躍」しだすのではないかと思ったりもします。まあ弁護・擁護する人は後を絶たないでしょう。


ところで経済の話だけでなく、今、大学の数も規制緩和でどんどん増えています。これから少子化で子供が減るというのにです。そして大学どうしに競争させてダメなところはつぶれて良いところが残るという発想なのです。

だいたい少子化なんだから数を増やさなくても遅かれ早かれ大学間の競争ははじまるのですから、そこに数まで増やすというのは正気の沙汰とは思えません。

バカも休み休み言ってくれと。そんなに大学を増やしたら、受験生の競争がなくなってしまうだろうと。

そして潰れたら、そこの経営者や職員はまあ仕方ないとしても、学生が一番困るでしょうし、不良債権みたいものがものすごく増える訳です。それが日本の経済の足をひっぱりかねない事にだってなるかもしれないでしょう。

大学の数を今どんどん増やしているのは「無駄な投資」です。

すべきなのは、大学の数を減らす方向、統合・再編して職員の数も徐々に減らす方向へ持ってゆくことです。そして、あくまで徐々に長期計画でそういう方向へすすめて行くことが重要なのです。


今は規制緩和というイデオロギーに取り憑かれたエコノミストや財界人が政府にたいして影響力を持ちすぎています。特に財界人はオリックスの宮内氏みたいに、それを自分のビジネスチャンスとして最大に利用しています。

他人の既得権を批判して規制を緩和させておいて、今度はそれにかわって自分がその利益にあずかる。そういう恥知らずな人間がトップにいるような、そんな人間ばかり増えている今の財界人がこれ以上政治に口をはさむことを許し続けるならば、日本は腐ってゆくだけです。

内閣改造より幹事長更迭が先では?

◆首相、中川幹事長の閣僚批判に反論

「これをおしゃべりととられちゃうんだよね」。安倍晋三首相は20日午前、閣議を待つ国会内の大臣室で閣僚に笑顔で語りかけ、自民党の中川秀直幹事長の「(首相が)入室したときに起立できない、私語を慎まない」との閣僚批判にやんわりと反論した。


要するにこれは、中川幹事長が首相をダシにして、自分に「絶対的忠誠」を誓わせようとしたのを首相が批判したという事なのだろう。

本当に閣僚の態度を改めさせたいのなら、わざわざマスコミに聞こえるように言う必要は何も無かったわけだし、そんな事すればむしろ「安倍総理は閣僚にすらナメられている」という印象を強めてしまうだけなのだから。

つまり、中川幹事長が「若造で威厳不足の総理をしっかり補佐する幹事長」という己のアピールを露骨にしようとしたという事だろう。なんでこんなのを幹事長にしたのか。

摂政にでもなったつもりなのだろうか?何をえらそうに言っているんだ。

そしてこれを一番不快に感じていたのは安倍総理なのだろう。他の閣僚達も「ふん、何を思い上がっているのやら」といった感じだったし。

あの幹事長は明らかに首相の足をひっぱっている。内閣改造よりも幹事長を変えたほうが良いと私は思う。

それから最近の自民党の議員は露骨に「勝ち馬に乗る」タイプが増えている。この人は首相になりそうだとわかったら露骨にゴマをする。そうやって権力にすり寄る。結局今までは派閥順送りで大臣とか役にありつけたのが、今度はそれが無理となったら、「勝ち馬にのる」「権力にむらがる」ことでポストにありつこうとするのだろう。

何か派閥を壊したことが立派であるかのように言われているが、派閥が問題なのではないということはこれで明らかだろう。自民党を変えたら良くなったというのは勘違いだ。

とにかく、首相はそういうタイプの人間をしっかり見極めて、信用できる、能力のある人間を使うようにしなければならない。今までは派閥にそういう人事をある程度まかせられたが、今はそれができなくなってしまったのだから。

醜い国

新聞から引用。

【溶けゆく日本人】モラル破壊の惨状(3)“自己中”マナー

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 ■電車は自分の部屋?

 雑多な人々が時間を共有する電車内の狭小な空間は、現代社会の1つの縮図なのだろう。

 人目もはばからず抱擁する男女、朝食代わりのパンをほおばる若者、お年寄りを平気で立たせる人々…。通底するのは「自分本位」という4文字。電車内で化粧をする女性を「僕はぜんぜん気にならない」「自己中でいこう」と自著の中でしたためたのは堀江貴文被告だが、そこに「公共意識」や「思いやり」の文字はない。自分が気にならないことを、心底気になる人が実は数多いる、そんなことは少なくないのだ。

 事件は一昨年、東京都渋谷区の東京メトロ広尾駅で起きた。あらましは、こうだ。

 4月27日午前11時35分ごろ、広尾駅ホーム上のベンチ。無職女性(65)から「こんなところで化粧をするんじゃないわよ」と注意された飲食店の女性従業員(22)が、背後から無職女性の肩を揺さぶってふらつかせ、入線してきた電車の先頭車両に接触させて、胸や腕の骨を折る重傷を負わせた。

 「化粧用のスポンジで汗をふいていただけ。本当は化粧をしていないと言おうとした」。傷害の疑いで警視庁渋谷署に逮捕された女性従業員はこう供述したという。

 駅のホームや列車内での化粧の是非には、世代間で意識の差がある。

 ポーラ文化研究所が平成12年に行ったアンケート調査を基にまとめた「おしゃれ白書」によると、電車の中での他人の化粧が「気になる」という人は79%で、「気にならない」の13%を大きく上回った。ただ、年代別でみると、ほぼ30代を境に若い世代に「気にならない」という回答が目に立つようになる。

 「気にならない」にも首を傾げざるを得ないが、それよりも増して、8割近く「気になる」人がいるということを「自己中でいこう」と意に介さなくなっているのではないか、そこに日本社会を蝕む問題の根深さがある。

                 ◇◆◇

 「うちの息子が車掌に注意されたそうだが、客を怒鳴るとは何事か」

 これは、列車内の床に座り込んでいるのを車掌に注意された男子高校生の親から、JR北海道の担当者に実際にかかってきた電話の内容だ。

 同社は、列車内や駅ホームの床に座り込む「ジベタリアン」の高校生が減らず、頭を悩ましている。床(地べた)にベタッと座るからジベタリアン。道内の列車には、防寒対策で乗降扉前にデッキと呼ばれる客室と仕切られたスペースがある。ここに高校生が座り込み、他の乗客の乗降を妨げることが問題化しているのだ。

 同社は、学校と警察と合同で、通学列車に乗り込んでの「乗車マナー添乗指導」を11年秋から年に2回、定期的に行っている。昨秋は延べ50本の列車内で約600人を注意。このうち約430人が座り込みで、大半が義務教育を終えた高校生だった。

 ラッシュ時に列車内が猛烈に混雑する首都圏では考えられないが、他のJRも地方路線では同様の光景がみられるという。同社お客様サービス室長の武田茂さんは「運転本数が少ない路線ではホームの端に座り込み、足を線路の上に投げ出す高校生もいて、列車が緊急停止したケースもある」と話す。

 高校生は、なぜ座り込むのだろう。添乗指導の際、高校生に直接問いかけたところ、「立っているのが疲れる」「席が空いていない」など、ごく単純な理由が大半だったという。「注意すればそのときはやめるが、目が届かなくなると、また座り込むので、イタチごっこ」。武田さんのため息は深く、そして重い。

                 ◇◆◇

 京王電鉄(東京)は、公募による「マナー川柳」を通じ、車内のマナーに関心を持ってもらう取り組みを5年以上、続けている。沿線の幼稚園や小学校に運転士や車掌が出向き、交通安全指導と合わせてマナーについての講義を行う試みも12年以上、続けている。

 こうした取り組みによる効果は出ているのか。同社広報部は「効果を数値で表すのは難しい。ただ、お客さまに快適に利用していただくためには、費用や労力がかかっても地道に取り組んでいきたい」とする。裏を返せば、「やらざるを得ない」のが実情だ。

 日本民営鉄道協会のアンケート調査「駅と電車内の迷惑行為ランキング」(今年度)によると、「駅や電車内でのマナーは改善されたと思うか」との質問に、31・2%(昨年度24・7%)が「以前より悪化した」と回答した。

 鉄道事業各社は啓発ポスターのほか、車内・駅放送で利用者にマナーの向上を呼びかけているが、東京メトロの関係者は、対処の難しさを、このように指摘した。「化粧や飲食などの行為は実害が分かりにくい。放送であれもこれも注意しては、逆に『うるさい』『くどい』という苦情にもなりかねない」

 実害がなければ放っておく? 苦情が出そうな注意はできない? こんな世相を示す疑問とともに浮き上がるのが、交通機関がマナーの向上を呼びかけなければならないという惨状。モラル破壊の病巣がある。(頼永博朗)

                   ◇

 【メモ】京王電鉄が公募している「マナー川柳」の最優秀作品(一部)は次の通り。

 ・自己チューが 車チューで携帯 通話チュー

 ・カラコロと 空き缶車内を 一人旅

 ・寝てるふり 本を読むふり 知らんぷり

 ・良心と 一緒にポイと 捨てるゴミ

 ・終わったと ホッとしたら 次の曲

 ・ドア付近 てこでも動かぬ おじぞうさん  


海恵デビュー

2月18日(日)

兵庫県家島の海上釣り堀海恵

天気〜曇り時々晴れ、北風が少し
気温〜ちょっと肌寒い。水温は9℃とか・・・こりゃ厳しい。

当日の潮@家島〜大潮
満潮〜11:39、22:07
干潮〜4:12、17:25
日出〜6:44  日入〜17:47
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先週、はじめて船で釣りに行った時、プーさんが来週は友人と水宝か辨屋かどちらかに行くような事をおっしゃっていたので、私もご一緒させていただくことにした。

結局、少人数で小イカダに入れてくれる海恵ということになったようだ。ここは水宝の隣にある家島の海上釣り堀で私ははじめて。

前日はかなり雨がはげしく降っていたのでちょっと心配だったが、夜明けにはやむ予報だったので、どうにかなるかと思っていた。

前日の土曜日は昼で仕事を終え、帰宅して釣りの準備をはじめた。前回、釣りから帰って道具を洗うのを忘れていたことに気づいた。リールがカピカピになっていた。

一通り準備が終わった夕方5時頃、猛烈な睡魔に襲われて、ちょっと昼寝を2時間ほどしてしまったのだが、これがえらいことに・・・。

夜の11時すぎに布団に入ったが、まったく眠れない・・・うーんヤバイ。結局3時までほとんど眠ることができなかった。

私の家からだと出船の港(姫路フェリーターミナル?)まで100キロちょっとなので、まあ2時間もみておけば大丈夫かという感じでいたら、かなりゆっくり走っても、ほぼ2時間でついた。家から傳八屋まで200キロなので、だいたいその半分くらいだから近い。

加古川バイパス中地インターを降りて姫路釣り具に寄ったら、まだ閉まっていた。コンビニで買い物をしているあいだに姫路釣り具も開いたので、エサを買うことに。アオイソメとシラサ(大)と生ミックとキビナゴ(小)とイカナゴを購入。

魚かしは事前に牧野さんに電話して代引きで送ってもらっていた。しかし送料と代引き手数料が800円以上もかかっていたのでショック。次からは三重に行った時に買っておくことにしよう。

家島方面では水温がかなり低いので、いまの釣り物は事実上マダイとソイのみ。現在の放流はこの2魚種だけになっている。

そのかわりワラサ1本のおみやげつきということらしい。マダイ3匹もおみやげかと思っていたら、これはボウズ保障ということのようで、私の勘違いだった。

さて、乗り場につくと、プーさんの友人2名とご挨拶。お一人の方は去年の夏のバーベキュー大会の時に同じイカダでご一緒したことがある。プーさんとは違って寡黙な方のようで、その時はご挨拶もできなかった。早上がりされたということもあるが。

さて、はじめての海恵、この時期は青物が釣れないということで、水宝同様にかなり空いているようだ。それで我々4人と2人のご夫婦らしきお二人との乗り合いで6人を小イカダに入れてくれた。ゆったり釣れる。

ここは合図で一斉にスタート開始なので、朝一はゆっくり準備ができる。確か8時頃スタートだったと思う。ただ、終了が12時半なので釣り時間が4時間半と短いのが三重の釣り堀とくらべて残念なところだ。

まあそのぶん早く帰れるから、日曜日とか翌日が仕事の場合は後が楽でありがたいが。

さて、はじめての場所だが、乗り合いのご夫婦らしきお二人がダッシュで東側に入られ、プーさんとお連れさんの一群はなんとなしに西側に入られたので、私は空いていた北側に入ることにした。

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朝一、一応マダイ狙いからスタートするも、反応なし。いつも通り偽あにじるしを使うがアタリがでない。最初の30分くらいでイカダ内の東側でマダイとソイが1匹ずつあがったのみ。私はアタリすらない。うーん、家島の釣り堀で朝一に釣れないとヤバイ!

スタッフが来て、昨日の大雨で潮の色が変わって水潮っぽいと言っていたが、しばらく立ってやっぱりこのイカダはこれはあまりに活性が低すぎるということで、全員がそっくりそのまま隣のイカダに平行移動するように促された。

最初に入ったイカダは昨日使っていないということで良かれと思って入れてくれていたようなのだが、あまりに活性が低いということで、昨日使ったイカダに入れ替えてくれた。まああくまで空いている時のごく例外的な措置らしいが。

そして移動すると、いきなりアタリが・・・。結構バタバタとソイを中心に上がった。ただし私はアタリ1回を空振りして、そこからしばらく応答なしだったが。ご夫婦がなかなか快調に竿を曲げているし、皆さんパラパラと釣り始めた。

プーさんも、どちらかというと竿先よりも口先のほうがよく動いている感じがあったが、それでもまずまず魚をゲットされているようだった。スタッフのおじいさんといろいろと話をされていた。このおじいさんもよく喋る人だった。

私は朝一からのマダイ狙いをやめてソイ狙いにチェンジ。キビナゴをつけて底近くを狙っていると、ようやくアタリがでて、ソイをゲット。これでボーズは逃れた。全体的にパラパラとソイがあがる。キビナゴでアタリが出なくなったので、イカナゴに変えたらもう一匹ソイが釣れた。

家島の釣り堀は釣り時間が短いので時合いを逃すと大変なことになる。そのことがずーっと頭にあったので、かなりプレッシャーが強かった。たしか最初の放流はソイだったが、その放流までソイ2匹のみだったと記憶している。

9時頃だったか、ソイがタモに2杯放流された。ここはやっぱりソイ狙いということで、小ぶりのキビナゴをつけて底近くをひたすら狙う。しかいなかなかアタリが出ない。

しつこく誘ったりして狙っていると、ようやくはっきりしたアタリが出て無事ソイをゲット。しかし入れ食いとか連続ヒットということがなかなかない。一匹釣っても同じ場所を探っても次のアタリはまず出ない。

それどころか、どうも底網が不安定なのか、同じ深さでも根がかりしたりしなかったりする。どうも潮下に入ってしまったようで、とにかくイカダ竿の軽い仕掛けでやったりすると、もう即流されて横のネットにひっかかるので釣りにくい。

しかたないから軽い仕掛けはあきらめて、さぐり釣りにオモリ1.5号くらいでやったらずいぶんましになった。しかし繊細なアタリは取れないし、これでもたまに8mくらいで根がかりする。9m以上落としてもかからない時もあるのだが、潮が流れるとこれでも足下側のネットにかかる。

仕方ないので、さらにハリスにガン玉を打ったら、まあ多少ましになったが、それでもちょっと竿を手前に寄せたりするとかかってしまう事もあった。という感じで、ちょっと釣りにくかった。小イカダ6人でゆったりしていたからウキ釣りにしてイカダ中央を狙ったほうが良かったかもしれない。だれもそれをやっていなかったし。

それはともかく、そういう感じでちょっと苦労してしまった。さて、しばらくすると今度はマダイの放流。ここはボーズ保障とかがしっかりしている分、放流は少ないのだろうと思っていたが・・・まあ多くはなかった。

しかしマダイもなかなか釣れない。全体にはパラパラと釣れ始めたが、やっぱり私の釣り座はアタリがでない・・。と釣り座のせいにしてはいけないかもしれないが、乗り合わせたご夫婦は好調に釣り上げている。特に奥様のほうがかなりの腕前のようで、合わせる瞬間にイカダが衝撃で傾くくらい見事にバシっと合わせてゲットされている。

私もえび団子の素を持ってきているのを思い出して、早速黄色を試してみるとようやくアタリが出て、マダイを1匹ゲット。立て続けに3匹ゲットした。しかし私の釣り座では、マダイのアタリはそこからパッタリと止まってしまった。その後も他の皆さんはパラパラと釣られていた。

ところで、ここはスタッフが常駐しているので、時々様子を見に来てくれる。初心者のかたにはかなり親切にサポートもしてくれる。スタッフが割とよく目を光らせているので乗り合いにありがちなトラブルも無いという点で正徳丸に似ているかもしれない。

そのおじいさんがえび団子の素で昨日たくさん釣った人がいたということを教えてくれた。三重とこちらと両方に行く釣り人が少なからずいるためだろう、家島方面でも魚かしは徐々に知名度を上げているらしい。

海恵のスタッフのおじいさん(たぶん大将ではないと思う)は魚かしに興味津々だった。海恵は姫路釣り具ともつきあいがあるらしいから、後一押しすれば姫路釣り具でも魚かしを置いてくれるように頼めそうな感じだったが。

魚かしも営業スタッフがいればこちら方面にも売れるのではないだろうか。牧野さんは営業にはちょっと奥ゆかしすぎる性格みたいだから、誰かかわりに売り込んであげてはどうかと思う。そうすれば我々も便利になるし。

そして海恵のおじいさんスタッフは、えび団子だけでなく、黄色団子や赤団子にも興味を持ったようだった。「これは子供が見たら食べ物と間違えるね」「美味しそうで食べてしまいそうになる」「何か小麦粉みたいなニオイがするわ」などとしきりに言って、ずーっとニオイをかいでいた。

あまりに熱心に、そして長時間ずーっとニオイをかぎ続けるものだから、今にもこのおじいさんが魚かしを食べてしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしたが、食べられずにすんだので一安心。

さて、その後はたまーにアタリがあるくらいで、あいかわらず根がかりが多くてイライラしながらも、何人かの方から電話をいただいたり、プーさんとお話したり(お連れさんは私同様にわりと寡黙な方々だった)と、まあ楽しい時間をすごすことができた。

日が照った時はセオリー通りにシラサを試してみたら即アタリが出て、やったーと思ったらバラしてしまった。その後はまたアタリがなくなってしまった。

さて、あまり活性が上がらないからか、昼前にもう一度ソイをタモ一杯ぶん放流してくれた。しかしこれまた最初の放流ほどは活性が上がらず、渋いままだった。

が、アオイソメでしきりに誘っているとひったくるようなアタリがようやく出て、これは割と型の良いソイが釣れた。

その後、キビナゴ小でこれまた誘っていると、小さいアタリがでてまたまたソイが釣れたが、これは何と波止釣りのメバルくらいのサイズで、プーさんからリリースサイズだからリリースしろと言われたものの、貴重な釣果なので遠慮無く持ち帰った(あたりまえか)。

そうしてふと気づくと12時をまわっており、もうすぐ終了時刻である。最後はシラサに託してさそったり色々とやっていると、これまたようやくアタリが出て、喜んだものの、すぐにはずれた。そこから終了までアタリを出すことはできなかった。

ただ、おみやげにワラサ(こちらではメジロと呼ぶ)1本か寒サバ2本かヒラメ1枚を選べるというサービスがあって、私はワラサにしたが、寒サバが刺身で食ったら滅茶苦茶うまいという話を聞いてで迷ったし、ヒラメも結構良いサイズだったのでこれまた悩ましかった。

でもヒラメはさばくのが面倒だし(慣れてないので下手くそなため)、サバは2本だとちょっと少ない(3本ならサバにしていた)ので、まあ無難なところでワラサにしておいた。

最近釣り堀に行っていなかったのでYUKAの実家方面からも期待されていたのだが、特に期待されていたマダイも思ったほど釣れずに残念だった。

また、ソイもたくさん釣っておすそわけでもしたいと思っていたが、私の家とYUKAの実家で分けるのが精一杯なくらいしか釣れなかった・・・ってよっと欲張りすぎだったか。

来月に入ると中旬には出張とその準備があったり、下旬には田舎へ帰ったりする用事があるので、釣りに行くなら今月中だが・・・まあ無理しないでおこう。

(結果)マダイ3匹、ソイ8匹。あとおみやげのワラサ1本。

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(アタリエサ)マダイ〜えび団子の素黄色、ソイ〜キビナゴ・イカナゴ・アオイソメ

数としては貰ったワラサも入れて12匹で十分なのだが、ソイがちょっと小さい魚なので、ボリューム感を出すためにマダイをもう何匹か釣りたかった。

さて、今回ひさびさに家島の釣り堀に来たが、三重と比べて色々と特徴がある。個人的な事情を言うと、家から近いというのが何よりありがたい。なんせ、往復距離が三重までのほぼ片道ぶんで済むというのはありがたい。

その他の特徴としては、やはりスタッフが常駐しているという事で、まあ正徳丸ほどではないしても目がゆきとどいているから、トラブルに巻き込まれる心配は少ないように思うし、スタッフはみな親切だ。

ただし、私が個人的に趣味ではないと思うのは、超巨大イカダが中心であるという事。これが一番ひっかかる。あと、渡船代3000円が釣り代と別にかかるということと、釣り時間が短いことがちょっと残念だ。

ただ、釣り時間が短いというのはつまり早くあがれるということで、距離が近いことも会わせると、かなり楽ということがあって、一概にマイナス要素とは言い切れないが。

あとは魚かしが入手しにくい事。しかしこれも、たぶん後一押しすれば、姫路釣り具あたりに置いてくれるんではないかと思う。海恵のスタッフがあれだけ食いついてきたんだし。ほんと、今にも魚かしを食べてしまいそうな勢いだった。

皆さん、水宝や海恵に行かれる際に「姫路釣り具」や「まるは釣り具」に寄られたら、店員さんに「魚かしは置いていないのか!?」と聞いてみることを習慣にしていただけると、ありがたい。

明日は・・・釣り

明日は兵庫県家島の釣り堀「海恵」に行くことに・・・。

はじめてだ。隣の水宝には何度か行ったことがあるのだが。

ウワサによると、ワラサ1本とマダイ3匹のおみやげつきとか・・・。

ほとんど釣りしなくても良さそうだ。でもそれだけくれるということは、そのぶん放流が少ないということなんだろうなあ。

まあでも今回はソイをたくさん釣りたいので、ソイ狙いで行こう。マダイとワラサは自動的についてくるのだろうから。

ソイだけで20匹は釣る予定(爆)。

なんでかと言いますと・・・

はじめて新車で車を買ったのが去年の3月。

それからもうすぐ1年になるが、その間、一体何人の人に「何でマツダなんか買ったの?」と言われたことか・・・。覚えているだけでも4人。もっとかな。

面白いことに、そう言ってくださった方の全員がトヨタの車に乗っている。

トヨタもレクサスなんか出して私のような中間層に手の届かない車に力を入れるようになったので、ちょっと反感を抱いていたりもする。だから是非ともレクサスはコケて欲しかったが、LSが出てからは絶好調みたいで不愉快だ。

今や車も軽自動車か超高級車かの二極化が進んでいる。私の欲しい中型セダンでそこそこ走るというある意味「中途半端」な車が一番少なくなっている。

車全般について実用的・合理的な価値以外の部分がどんどん削り取られて消滅している。まあ所詮は車やモータースポーツなど「文化」ではなかったということだろう。好きにしてちょうだい。

マツダの車は、コンセプトそのものは良いと思うけれども、やっぱり細かい造りに粗い部分が多くて、神経質な私にはちょっとむいていない部分が多いということがわかったが、やっぱり全体としては気に入っているので、まあ良いけれども。

何が言いたいかというと、大幅に値引きしなくても売れるように、もうちょっと丁寧に作り込んで細部を仕上げて欲しい。

YUKAは「次はもう絶対にトヨタか日産しか買わない」と言っているが、私は奥田会長とカルロス・ゴーンが大嫌いなのでどちらも買いたくないと言ってみたりもするが、まあこれは半分だけ冗談だが。でもカルロス・ゴーンが居座り続ける限り日産の未来は暗いと思うが・・。

いずれにしろ今の車によっぽどのガタが来ない限り、当分買い換えるつもりはないから関係ない。目標20万キロだが、この1年で約2万キロ走ったから、それだと10年乗り続ける計算になるが、そこまで耐久性があるのかしら、ちょっと気がかり。

スピリチュアル・・・?

エバラ焼き肉のタレ・・・じゃなくて、焼き肉を食べ過ぎみたいな風体でスピリチュアルとか言ってる人。

うーん、不思議だ。テレビに出てものすごく饒舌にしゃべっていたけれども。

誰も確かめられない、客観的に証明できないことを、「あたりまえの事」として堂々と話せる神経がわからない。

別に私は霊とかを否定しているわけではなく、あの世ではどうだとかこうだとか、よく聞いていると矛盾しそうな事までふくめてペラペラ喋る、それを「あたりまえの事だよ、君たちわかってないねえ」という調子で堂々と話せるというのは・・・

死者の魂は生者の心の中に生き続けるものだと私は思っているし、それで十分だと思う。

霊魂みたいのが存在するかどうかは、大槻教授みたいに頭ごなしに否定するのが科学的なのではなく、科学の対象外だという態度が一番客観的だということは、あまり知られていない。大槻教授は、インチキ現象を憎むあまり、かなり頭ごなしになりすぎている。もちろん、ああいうものの大半がデタラメだというのはその通りなのだけれども・・・。

いずれにしろ、「霊魂」みたいなものが存在するとしても、それはやっぱり実体のないもの、純粋に精神的なものなのだろうし、だとするなら、それが存在する場所というのは、生きている人間の心の中しかありえないと私は思うが。

多くの人はやっぱり実体のないものは理解できない傾向が強いので、どうしても目に見える何らかの物質として捉えたくなるのだろう。

皇位継承問題でも男系を維持したほうが良いと言っている人の中にも「神武天皇のY染色体が・・・。」などと言っている人がいたが、Y染色体という「実体」が大事なのではないはずなのに、そういうものを持ち出さないと理解できなくなっている。皇位継承問題を考えるなら、まずは神学論争をきっちりやるのが筋だろう。

実体のない「概念」は存在として認識できない、または軽視する、そんな即物的な傾向が強すぎるんだろう。そうした物事のとらえ方こそ、死者をうかばれなくさせている最大の要因だとと思うが・・・。

私は死ねばそれでおしまいだとは思っていない。ただし、他者とのつながりを持てずに死ねば、それで終わりだろうとは思う。

自分の死後に自分が生きていたことや、どう生きたかについて、多少でも知って心にとどめてくれる人がいるのならば、死んで終わりということにはならないだろう。

そうして自分の意志が少しでも未来に残ってくれるならば満足だろうし、そう思えばこそ、自分の死後にも評価されるように、生きているうちはせめて立派に生きてみようとか多少なりとも世の中の役に立とうとか思えるのではないか。

そういう考えに思いが至らないと、とにかく生きているうちは自分勝手好き勝手にやりたいほうだ生きてやろう、それが人生だ、などと思ってしまうのだろう。

そしてそういう生き方をすれば、自分の死後の評判について考えると怖くてしょうがない、だから死んだ瞬間にすべてが終わるのでなければ、恐ろしくて死ぬのが怖くなるだろう。今のところ私はまだその段階にいる。

自分の子供が一人前になるまで無事に育て上げるか、他者との関係を築いて何らかの貢献をして評価を残しておくか。人生において、せめてどちらかはやり遂げて自分が生きた足跡くらいは残しておきたい。

そして、早くその状態にならなくてはと思う。もう明らかに人生の半分以上がすぎてしまった。

占いとか・・・

占いは信じないと言いつつ、結構やってみたりはするほうです。職場では生年月日がバレているので、勝手に占われたりして迷惑です。頼んでもいないのに勝手にネットの無料占いとかで占って、わざわざ結果をプリントアウトしてくれたりします。仕事しろ!

ということで、四柱推命というので私の性格を占ってみました。こことか。

性格

感受性が強く、手先の器用さや特殊な才能はありますが、運気が長続きしないきらいがあり、人生ままならない星です。神経質に考えすぎたり、自分の考えが周囲と調和しなかったり、又は継続的な努力が出来ず、すぐに結果が出ないと嫌になってしまったりというケースで、失敗を招く事があります。この星の場合にはあれこれと手を出すよりも、才能や能力はあるのですから、謙遜さと根気と努力で、一つの事を成し遂げていく様に心がける事が、大成の道となります。


「運気が長続きしない」「人生ままならない」「神経質に考えすぎ」「自分の考えが周囲と調和しない」「継続的な努力が出来ず、すぐに結果が出ないと嫌になってしまう」

・・・どれも当てはまりすぎていて怖いです。

30代〜50代の運気というのもありました。

月柱〜傷官
影響する年代 30代〜50代
影響力 50%

感受性が強く人の心を見抜いてしまう所があります。人を裁いて傷つけてしまう事もありますが、自分も傷つきやすい人なのです。壁に突き当たると弱いので、子供の頃からスポーツなどをして精神面を鍛えておくと良いでしょう。直感力とインスピレーションの星でもあります。特殊才能が伸び、印星と並べば学問芸能関係の才能が伸び、財星と並ぶと商才があります。

傷官が悪く働くと怪我や事故運となり、或いは感情的でヒステリックとなり、果ては刃物沙汰となって刑傷刑罰や訴訟問題を招く人もあります。この星(傷官)を持つ人は、優しい目で人を見つめ、許しの心を持つことが出来れば、自分の心も平安なものとなるはずです。


うーん、やるんじゃなかった・・・。「優しい目で人を見つめ、許しの心を持つこと」ですか。たしかにこれは私に一番欠けているものですね。

50歳から65歳くらいまでは・・・

年柱〜食神

影響力 20%

影響する年代 50歳〜65歳ぐらい

衣食住を表す福禄の星です。財を生ずる星なので一生食べる事には困りません。”優しさ”と”包容力”と”愛嬌”を表す星なので「平和主義者」です。しかし、自分を表現することは下手で、鷹揚で何を考えているのか分からない所もありますが、人から愛される天性があります。 大体美食家が多いので、肥満に注意して下さい。特に男性の場合は色情という意味が強くなりますので、男女の道を過って家庭を壊さないように注意して下さい。この星(食神)が偏印と並んでいる場合には「倒食」となって福を壊してしまい、人生が万事にままならなくなりますが、その「倒食」も財星と天徳貴人によって解除する事が出来ます。


うーん、自分があまり愛嬌があるほうだとは思えないし、優しさに欠けているほうだと思うのですが、この歳になるとそういうふうになれるのでしょうか。あと、すでに太り始めているのでそれはヤバイかも・・・。

偏印と並んでいる場合には「人生が万事ままならなくなる」と書いてあるが、65歳以降(↓)を見ると「偏印」となっているから、まさに「偏印と並んでいる場合」にあてはまっているじゃん!

それ以後〜死ぬまで。

時柱〜偏印

影響力 30%

影響する年代 65歳くらい〜死ぬまで

偏印は学問・芸能を表す星で頭脳的な面が強く、内的精神的世界に関心を持つ傾向から思想性や宗教性の強い星です。偏印は数理という意味もあり数字を扱う仕事やコンピュータ等の技術職に携わっている人も多くいます。

人とは少し角度の違う見方をもっているのでアイデアマンであったり、人の気づかない事に気づく才能もあります。

又、偏印には「病気」という意味もあるので慢性病に注意が必要であり、特に食神と並ぶと「倒食」となり、食神の福禄を壊してしまい、人生ままならなくなります。歳を取ると口うるさくなる点と、終始一貫性に欠ける点が偏印の欠点です。


ここでもまた「人生ままならなくなる」とか書かれているし。あと、歳を取ると口うるさくなる・・・この歳にしてすでにその傾向ありかもしれない。

こんな占い、やるんじゃなかった・・・。

備忘録〜不完全性の哲学他

またまた新聞からの引用を備忘録として三つのせておこう。


【保守再考】西部邁(37)「不完全性の哲学」を知れ

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ロシアのプーチン政権が、反体制人士の暗殺(疑惑)をはじめとして、様々な形で「政府テロ」を敢行している。東欧および中欧にたいする資源外交においても、(パイプラインの経由地である)ベラルーシへの天然ガスや原油の供給を停止するというふうに、強権発動を厭わないでいる。それを指弾する声が世界の各地で上がっているようだが、しかし、そうした強権の発生因がどこにあるかについての指摘はあまり眼にしない。

                  ◇

指摘さるべきは、かの「ペレストロイカ」つまり社会主義の「建て直し」(実質としてはその「破壊」)こそがプーチン(準)独裁を登場させた原因だ、ということではなかろうか。自慢でいうのではないものの、私は、十六年前に、ロシアに独裁体制が出現すると予告しておいた。しかし当時、その方面の専門家を筆頭にして、ペレストロイカや「グラスノスチ」(情報公開)を礼賛する声ばかりがかまびすしかった。

ペレストロイカの問題性、それは急進主義の危険に配慮するところがあまりに少なかったという点にある。

ロシアは、二十世紀の初めと終わりに、二度の大間違いを犯したのだ。つまり、社会主義への突入とそれからの脱出を、それぞれ過度に急進的にやってしまったということである。

急進的変革は、ほぼ例外なく、混乱、混迷、混沌、混濁に至る。

無秩序は独裁制よりも恐ろしい。だから近代の「自由」を求める革命は、つまり(古き良き秩序の「再巡(リヴオルーシヨン)」ではなく)急進的な大変革(リヴオルーシヨン)は、独裁制へと逆転せざるをえない。

アクトン卿(十九世紀英国の歴史家)が「革命がその子らを食(は)む」といったのはその意味合においてである。ちなみに、平成大改革とやらを始めた細川護熙氏の、「自分は革命家だ」という豪語のことが思い起こされる。

                  ◇

保守思想はラディカル(急進的)であることを嫌う。人間と社会をラディカル(根本的)にとらえたら、次の三つのことに着目するほかないとわきまえているからである。


第一に人間の知識(理念と認識と方針)は「不完全」で、第二に社会の構成諸要素は「有機体」のように入り組みつながり合っており、第三に、それゆえ、人間・社会の変化はグラデュアル(漸進的)に進歩していくのが好ましい。

これが「不完全性の哲学」といわれるものであり、この哲学をわきまえている者は「構造改革」などを叫びはしない。物事の「構造」を変えうるには人間は不完全すぎると知っているからだ。


旧自由主義圏に訪れているのは、独裁制ではなくて人気主義の政治にすぎない。だが人気主義とは「世論(という名の大衆的な気分)の支配」のことであり、「多数派(という名の自分らの不完全性を懐疑しえない大衆)の専制」のことである。そんな擬似独裁に安んじている者たちに、ロシアにふたたび登場しつつある独裁制を批判する資格があろうはずはない。

西部邁(にしべ・すすむ=評論家、秀明大学学頭)


たしかに、世の中、「不完全性の哲学」がわきまえられているとは思えません。そして何か「変えれば良くなる、新しくすれば良くなる」という思いこみが多すぎるのも異常です。

何かしら変えなければならないとしても、どう変えれば良くなるのか十分に議論されておらず、ただ既存の体制をぶちこわすことしか考えていない、それを過激にやればやるほどもてはやされるのは異常だと思います。

改革しなければならない部分があるとしても、何をどう変えるのかしっかり見据えた上で、少しずつ変えてゆかなければ、変えてしまったことによる混乱のほうが大きくなってしまうのは当然のことです。


【保守再考】西部邁(38)男女の言語機械が故障した

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人口統計というかなりに生物学的な話の脈絡で、人類の雌を「子供を産む機械」と形容し、世間から叩かれている大臣がいる。

たしかに人間は精神的動物なのだから、雄であれ雌であれ、機械のように決まり切った動きを繰り返すわけではない。しかし私のような齢になると−−もうじき六十八歳−−男女の精神の動き方があまりにも異なったパターンにあることを心底から思い知らされ、そしてその精神構造の抜き差しならぬ隔たりにたいして、機械的との形容を与えたくなってしまう。

                  ◇

女の言葉は、本来、メトニミー(換喩(かんゆ))に傾いている。換喩とは、わかりやすくいうと、ある事物をその部分(および諸部分のつながり方)で比喩(ひゆ)することで、一例を示せば、美女を「明眸皓歯(めいぼうこうし)」とよぶのがそれである。換喩は、一応の生活体験(およびその記憶)があれば、ひねり出すのに大して苦労は要らない。だから、体験の諸断片を報告し合う「女のクッチャベリ」には終止がなかなか訪れない。

ところが近年、生活のなかに機械が次々と押し入ってくるもので、女の得意とする換喩にも変調が生じている。で、不得意なはずのメタファー(隠喩(いんゆ))への移行が試みられている。

隠喩とは、ある事物(の全体)をほかの事物(の全体)によって比喩することで、たとえば美人を「白百合の君」とよぶのがその見本である。近年の女たちは、日常生活における様々の事物およびそれらの諸部分をつなげる作業が機械によって代行されているものだから、男勝りに隠喩の方面に身を投じようとしている。で、人気の芸人や政治家の「追っかけ」をやり、その挙げ句に、文字通りの「献身」によって自分らの本気ぶりを隠喩しようとすらしている。

                  ◇

それにたいし男の言葉は、元来、隠喩に傾いている。そして隠喩を最も紡ぎやすいのは、社会的価値や政治的イデオロギーが健在なときで、そういう場合には、ある事物への評価をその価値や観念に照らし合わせて簡単に隠喩することができる。たとえば、「あっぱれ、武士の鏡」などといった隠喩で他人を褒(ほ)めそやすことができた。

現代の価値の多様化−−というより空無化−−にあっては、男の得意とする隠喩も出番に恵まれない。で、若い男たちは、おずおずと女の真似をしながら、不得意なはずの換喩にのめり込んでいる。

つまり彼らの日常において結構の時間を占めている「オンライン・ゲーム」の登場人物や競技規則について、クッチャベリを逞しくしている。女たちと違って暮らし向きの現場から遠のいている彼らとしては、換喩の材料をヴァーチャル・リアリティ(仮想現実)の世界に求めざるをえないのであろう。

ここで私の示唆したいのは、人類にあって雌雄それぞれの言語機械が壊れつつあり、それぞれの精神に狂いが生じているのではないかということだ。そうなったら雌雄の結合も病理的になるほかないわけで、そのことを無視した人口論はたぶん無効であろう。

西部邁(にしべ・すすむ=評論家、秀明大学学頭)


世の中、うるさい機械が多すぎます。


【保守再考】西部邁(39)保守思想のぶざまな昏睡

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一九三〇年代、欧州の保守思想は、ロシアやドイツで台頭してきた全体主義に激しく抵抗した。というより、抵抗の余り、「個人の自由」を褒め称える思想なら、どんなものであれ、歓迎してかかるという政治主義的な態度をとった。

F・フォン・ハイエク(オーストリア生まれの社会哲学者)もまたその一人であって、彼の学術書では、共同体から切り離されたような個人の自由は(有機体としての)社会に有害だとみなされているが、その政治文書では、アメリカ流の個人主義や自由主義にも支持が表明されている。少なくともそれらへの批判は微弱にとどまっている。

加えて、第二次大戦後の(社会主義と個人主義あるいは統制主義と自由主義のあいだの)冷戦構造のなかで、保守思想はいっそう方向感覚を狂わせた。保守思想は、反社会主義と同一視されてしまった結果、アメリカ流儀にさらに深く添い寝する始末となった。

−−とくに我が国の「いわゆる」保守派は、その添い寝の挙げ句に、思想的な昏睡状態に陥っている−−。

だからハイエク自身、のちにアメリカに滞在した折、保守思想の意味が(大西洋の両岸で)180度近く異なっていることを指摘せざるをえなくなったのである。

                  ■□■

少なくとも経済論にあって、いわゆる保守派は、個人的自由へのひたすらなる礼賛を続けている。そういう思潮は欧州の保守思想のむしろ対極にある。

それもそのはず、フランス革命と対峙する形で誕生した近代欧州の保守思想にあっては、自由主義者はリベルティン(放蕩者)と忌み嫌われたのであった。

なるほど保守思想は、政府による秩序の設計を、「理性の傲慢」として峻拒する。しかしその思想の神髄はあくまで秩序保守の姿勢にこそあるのであって、それが保守せんとするのは、スポンテニュアス・オーダーつまり(歴史の長い経緯を通じて醸成され来たる)「自生的秩序」なのである。

この簡明な真実が戦後日本の「いわゆる」保守派にあって看過されたのはなぜか。

GH