騎士たちの踊り
何とか言う外人(シュトレーゼマン?)の指揮者役の竹中直人が登場すると、テーマ曲みたいにしてプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」の中の「騎士たちの踊り」という曲がながれる。ソフトバンクのCMでも使われている曲だが、これはちょっと思い出があるので懐かしい。
この曲では途中にトロンボーンが演奏するパート(各楽器で持ち回りであらわれる音階を上下するようなフレーズ)があって、まあ学生時代にオケをやっていた頃、練習に疲れると、この曲を「俺のテーマ曲だ」と勝手に言って、一人でそのフレーズをよく吹き散らかしていていたというだけなのだが。
この「のだめカンタービレ」では音大生の中でも劣等生ばかり集めてオケをやっているのだが、それがまた、「みんなが楽しんで演奏すれば良い音楽になる」みたいな楽観主義があふれていて見ていて「そんなに気楽だったら良いよなあ」という感じなのだが、実際に私の学生時代のオケ生活というのは、とてもそんなものではなかったし。
というか、楽器の練習をしたことある人ならわかると思うが、大半が個人練習であり、みんなで楽しむ以前に、まずは孤独で単調な練習に耐える精神力が必要だと思うのだけれども。
まあ、そんなことに目くじらたてずに、気楽にぼーっと見るドラマというのも私には必要かもしれない。だいたい何でも思い詰めて考える傾向があるから。
アバド・ベルリンフィルの演奏はつまらないと思いつつ、買ってみようかとも思ったりして。
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楽しいですか?
たとえば、子供の頃の放課後に、ほとんど毎日草野球をやっていたが、あれなど、まさに好きだからやっている、楽しくてやっているという感じだった。楽しくなければいつでもやめれば良かった。今日は気がすすまないし、楽しめそうもないという時は休めばよかった。
中学に入ってブラスバンドに入ってトロンボーンをやるようになると、最初は個人練習で楽器からどんどん音が出るようになって、少しずつ思うように演奏できるようになると楽しくてしょうがない、その時はまさに楽しくてやっているという感じだった。
ところが、その先、コンクールに出場するための曲の練習というレベルになってきて、自分がメンバーに選ばれて一パートを負かされるようになると、それなりのプレッシャーもかかってきて、とても楽しいとかそれだけではやっていられない。
与えられた立場にたいする責任や義務と言ったものが発生し、そういうものを常に感じながら練習するというのは、単純に楽しいとかそういうものとは違う。
緊張感を抑え自分を制御して高いレベルのものを実現するときに、精神的余裕もうしなわずに、そうした状況を冷静に見ることを「楽しんでいる」と表現しているのかもしれないが、しかしそれが目的なのだろうか?
物事に取り組んでいる時に楽しいかどうかは別にして、もし何事かをやり遂げた後には、きっと大きな満足感や達成感が待っているに違いないことはわかる。それを楽しみに、一生懸命頑張るというならかろうじて理解できる。
ただ実際には満足感や達成感が毎回約束されているわけではなく、敗北感や屈辱感でつぶされそうになる事もある。それでも、ひたすら達成感と満足感を求めて「やり遂げようとする」。それが目的なんじゃないかと思うのだが。
人間が何か高いレベルのものを目指そうとすれば必ずそういうものであって、その場その場が楽しいとかどうとか言うことは二の次なんじゃないかと私は思っていたのだが、どうも最近は何事も「その場その場で楽しい事が大切」という風潮になっているような気がする。
スポーツでも何でも、その場その場で自分が楽しいかどうか、楽しめているかどうかを常に問題にして、終わった後には「楽しめた」なんて言っているが、そういうものなのだろうか?そこで敢えて「楽しむ」という言葉でそれを表現するのは適切なのだろうか?
美味しいハンバーグ屋さん

場所はここです。
このあたりは駐車監視員が取り締まりをしていますので、路上駐車は厳禁ですが、周辺道路にはパーキングメーターがあるので、お金さえ払えばちゃんと駐車できます。
この店は、YUKAの話によると、以前にはもうちょっと路地を入ってわかりにくいところにあった洋食屋さんだったようですが、駅前(駅上?)の目立つところに引っ越して、店もかなり狭くなったので(ただし二階席もあり)、ハンバーグに絞ってやることにしたようです。
前から行ってみたいと思っていたのですが、昨日のお昼にようやく行くことができました。昼時ということもあり、結構混んでいました。1階はカウンターのみで8席、2階にも席があるようですが、見てないのでどれくらいあるかわかりません。
行くと満席だったので、5分ほど待ち、カウンターに座ることができました。私はボストンハンバーグというのを、YUKAはチーズバーグを注文。
まずはサラダとスープから出てきましたが、ハンバーグはなかなかでてきません。

厨房がかなり狭く、また持ち帰り用も扱っているようなので、結構待たされましたが、まあ混雑時だしこれは仕方ないでしょう。許容範囲でした。

↑ボストンハンバーグランチ、たしか850円だったかな。かなり大きいハンバーグで、私でもお腹いっぱいになりましたが、さらに増量もできるようです。
何よりうれしい事に、ごはんをあの平べったい皿ではなく、ちゃんと茶碗に盛ってくれているところです。いやあ、わかってくれている。ご飯のおかわりオッケーだそうです。ちなみにご飯ではなくてパンも選べます。

↑こちらはチーズバーグ。YUKAにはちょっと多いくらいで、少し分けてもらいましたが、こちらもなかなか美味しかったです。
空白の4年間
私の場合はどうも「そんな曲、はやった?」とか「そんなドラマあった?」ということが結構あるので不思議に思っていたが
そういうのがどうも平成元年〜平成4年くらいの間のものに集中しているようで
そういえばあの頃はテレビもまったく見ずに、流行の音楽もまったく聴かず、ひたすら大学でオケの練習とクラッシックばかり聴いていたから、その頃の情報が完全に欠落しているようだ。
あれほど何かに打ち込んだ時期ということも人生で他になかったがほどだが、結局は非情にも後輩の急成長によって主要メンバーからはずされて4年の前半で強制引退という悲劇的な最後に終わってしまった。トロンボーンは3人いれば十分だから。
何をやっても中途半端な人生というのは、考えてみればあの頃からはじまっていたような気がする。このままでは終われないなあ。何か一つはやり遂げたいが、何をやりとげるべきか、それすらわからない、迷走する人生に入り始めたようだ。
期待できる次の世代がいれば(つまり子供ができれば)、こんな事で悩んだりもしないんだろうが。自分だけの人生ではないと思えれば、考え方も変わってくるだろう。
おなやみ相談
深刻に悩んでいるということは今のところ別にないのだが、いちおう、仕事の事、子供のこと、友人のことなど、日頃はあまり深刻に考えないようにしているものの、そうした事で悩みや不安が無いわけではない。
こういう事は相談してもどうにもならないような気がするし、結局やっぱり何も解決しなかったので、自分の力で頑張るしかないようだし、頑張ってもだめなら潔くあきらめるのが良いのかなあと思った。
頑張った人が報われる社会とは
どうも最近、「頑張った人が報われる社会」という言葉の誤用が目に付くような気がします。先日の補欠選挙でも、自民党の候補が「格差拡大」への反論としてこの言葉を言っていましたし、去年の郵政選挙の時も、武部・竹中といった人たちがホリエモンを持ち上げて、あたかもホリエモンが頑張って報われた人の代表であるかのようにして、同じ事を言っていました。
しかし、本当にそうでしょうか?少し抽象的で大雑把な話になりますが、ここらあたりをちょっと考えてみたいと思います。
どうも「自由」というものを過剰に信奉する人たちは、「頑張った人が報われる」ためには「自由な競争」が大切だと言いたいのだと思います。しかし私はそれは間違っていると思います。
「自由な競争」ではなく「公正な競争」が大切なのだろうと思うわけです。
完全に自由な競争では、強い者も弱い者も同じ土俵で闘わなければならず、また勝てば勝つほど、金も情報もどんどん集中してゆき、勝ったものは勝ち続け、負けたものはずーっと負け続けます。
その結果、ごく一握りの勝者と圧倒的多数の敗者に分かれることになるでしょう。そのあとは、恵まれた立場に立てた人とそうでない人にわかれてしまいます。ようするに二極化するわけです。
そこで再チャレンジなんて言っていますが、二極化した社会では、恵まれた立場にある者以外は、最初からハンデを背負っている、というか恵まれた立場に立った側が圧倒的に有利なのですから、いくら努力したところで、競争などそもそも成り立つわけが無く、再チャレンジする側には最初から勝ち目など無いという状態になっているわけです。
そこで「機会の平等」を考えようとすれば、圧倒的強者にたいしてはなんらかのハンデを加えたり(累進課税とか大規模店舗の出店規制とか)、あとはたとえば柔道やボクシングの階級制のように、一方的な弱肉強食の状態にならないような、公正な勝負ができるような配慮が必要になってくるわけです。
「自由な競争」では大人も子供も同じ土俵で戦わされるのです。これはフェア(公正)とは言えません。卑怯でしょう。
大人と子供が競争するようなアンフェアはやめて、競争するのなら、大人は大人同士で、そして子供は子供どうしで公正なルールに則ってそれぞれ別の土俵でやるのでなければ、単なる野獣の如き弱肉強食、優勝劣敗、酷薄な社会になってしまうわけです。
だいたい、なんでもかんでも無理矢理戦わせて勝敗を決める必要などそもそもなく、場合によっては、お互いがお互いのなわばりを守って共存するほうが良い場合だってあります。
競争がまったくないのも問題ですが、誰彼かまわずとにかく競争しろというのもおかしいのです。
競争については、今の教育では「自由な競争」とはちょうど対極のこれまた極端な「平等主義」が蔓延しています。これもおかしいことです。今の学校では運動会で子供達をみんな同時にゴールさせたりとか過剰な平等教育をやっているわけです。
学校でそんな極端な平等を子供達に仕込んでおいて、社会に出た瞬間に自由競争だと言って1年生が6年生とが競争させられ、負けても負けても再チャレンジだと尻を叩かれる極端な世の中になりつつあるわけです。
どっちもおかしいと思います。「自由」や「平等」というのは、わかりやすいイデオロギーですが、わかりやすいものには、不正確さや矛盾が多く含まれるのです。某首相のワンフレーズしかりです。
そもそも「自由」と「平等」は相反するイデオロギーです。このような「わかりやすい」イデオロギーに飛びつくから、その場その場で両極端のどちらかに偏ってしまうのでしょう。そこで競争に関して「自由」と「平等」の矛盾を調整可能な「公正」という価値が重要になってくるのだと思います。
それから、話をもどして、もう一つ「頑張った人が報われる社会」のための条件は何かと言うと、「安定した社会」でなければならないことでしょう。
むやみやたらと人々の価値観や制度や物価がコロコロと変動すると、頑張ったかどうかとは関係なく、価値観や制度の変化の抜け穴をうまく付いた奴とか、たまたまラッキーなだけのやつがトクをして、努力した人が報われない社会になってしまうのです。
価値観や制度が急激に変化すると、法律が追いつかなくなります。法律というのは制定されるまでに時間がかかりますから、どうしても社会の変化にたいして後追いになってしまい、そこに隙ができます。その隙をついて、要領が良いだけの奴が卑劣な手段で金儲けをすることができるということも出てくるのです。それがホリエモンとか村上ファンドなんじゃないかと。
また、バブル崩壊のように物価や経済が激変すると、それまでコツコツ頑張って貯めた金でようやく買ったマンションが暴落したり、逆にバブル崩壊直前にたまたま売ったマンションがその後に急落したから再度買い戻して差額で大もうけしたりなど、努力と何の関係もないところで報われたり報われなかったりすることになるわけです。
だから社会の制度と経済の両面で安定しているということが重要だと思います。
ところが今やっているのは、とにかく改革だ改革だと言って制度を急激に変化させ、またとにかく規制緩和だとやたらめったら自由化させることを急激に進めています。
制度の変化がはげしく規制が甘くなった社会はその穴をついた不法がはびこるわけです。ライブドアの偽装会計、村上ファンドや日銀総裁のインサイダー、姉歯やヒューザーの偽装設計などなど。
コツコツ頑張ってもルールが突然変わったり社会の価値観が急にかわったりしたのでは、とても報われないでしょう。
そのむくわれない社会を作っている張本人たちが、ヒルズ族のように結果的に成功しただけの人たちを持ち上げて、「頑張った人がむくわれる社会」などと言うのを聞くと、人をバカにするのにもほどがあるんじゃないかと言いたくなります。
高齢者の医学部入学は税金の無駄遣い
ほとんどの学校というのは文部科学省などの国から多額の補助金を受けていて、大学の医学部などは、たぶん厚生労働省あたりからも補助金を受けているんじゃなかったかな?なにしろ医学部は特に金額が多い。「高齢」で?群馬大医学部不合格、主婦の入学請求棄却
筆記試験で合格者平均点を上回りながら、面接で高齢を理由に不合格にされたとして、群馬大医学部を受験した東京都目黒区、主婦佐藤薫さん(56)が同大を相手取り、入学許可を求めた行政訴訟の判決が27日、前橋地裁であった。
松丸伸一郎裁判長は「年齢により差別されたことが明白とは認められない」などと述べ、原告の請求を棄却した。
同大が「医師には知力・体力・気力が必要」などと説明していたことについては、合理性があるとした。
訴えによると、佐藤さんは同大医学部医学科の05年度の入試で不合格となったが、大学に得点を開示請求したところ、筆記試験のセンター試験と2次試験の合計点は合格者平均より10点以上高かった。
(読売新聞) - 10月27日13時4分更新
私立大学の医学部は学費が高いが、それでもやっぱり医学教育には金がかかるので、学費だけでは全然足りないから、かなりの税金が投入されている事にはかわりない。公立より多少少ない程度だ。
いずれにしろ、医学部の教育というのには莫大な税金が投入されている。
つまり、一人の医者を育てるのに、(具体的な数字は調べてないのでわからないが)かなりの税金を投じてようやく一人前の医者ができるということになる。
それなのに、56歳の婆さんが医者になって、一体何年医者として働けると言うのか?せいぜい数年だろう。
数年しか医者として働けない老人を大学の医学部に入れてしまって、そのぶん若い学生を排除してしまったのでは、かなりの社会的損失になるということが、どうしてわからないんだろうか?
それに、ヨボヨボの老人なのに、まだなりたてホヤホヤの未熟な医者になんか、誰がみてもらいたいと思うだろうか?
この婆さんは、大学医学部に入るのも医者になるのも、「自己の実現」のためだと認識してしまっているのではないだろうか?
そうではない。医者には公的な側面、「社会のために役立つ人材になる」という側面があるからこそ、医学教育には莫大な税金が投入されているのだ。
そういう事をすこしは考えて、いい年こいて医者になろうなんて、社会の役に立つどころか、大迷惑でしかないわがままを言うのはやめて欲しいものだ。
まあ、「税金の無駄遣い」なんてことは実際には役所叩きに利用される言葉でしかなくて、実際はそんなに無駄使いなんてされていないと思うし、ある程度無駄に見える使い方というのをゼロにするなんて不可能だとも思っているが、これは未然に防げる税金の無駄遣いだと思ったので、ちょっと書いてみた。
のだめカンタービレ
ピアノ科の音大生が主役の話で、指揮者を目指す男前とかも出てきてヘボ・オーケストラをやりそうな感じなので興味あるが、ちょっとマンガチックすぎてひどい感じもある。
まあ原作がマンガだし、フジテレビだからしかたないか。
フジテレビがからむと映画でもスポーツでもどうもかなり低劣なものになってしまうが、まあ仕方ない。
「のだめ」というのは、「肥溜め」の一種かと思ったらそうではなくて、主人公の名前が野田恵(のだめぐみ)の最初の3文字を取って「のだめ」ということらしい。
主役の「のだめ」は「スィングガールズ」という映画で主役をやっていた上野樹里。昔ブラスバンドをやっていた私にはなかなか面白い映画だった。
この女優さんは、もともと音楽が得意でピアノがひけるらしく、この映画のときにはテナーサックスか何かを撮影期間中にマスターしたらしく、短期間のわりにはずいぶん上手に演奏していた。
話はもどって、カンタービレというのは音楽用語で「歌うように優美に」とか言う意味。
竹中直人の登場したときのテーマ音楽が、ソフトバンクの野口五郎の音楽と同じく、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」からのものなのだが、ああいう使い方はやめてほしい。
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昔このCDを買ったが、2枚組なのにずいぶん安くなったなあ。マゼールはあまり好きじゃないけど、この演奏はまあまあ良いと思う。クリーブランド管もこういう曲なら良い演奏をしてくれる。
西郷南洲
それとは逆の政治家や官僚ばかりでこの国が良くなるはずもない。まあ2〜3人はいるみたいだけど。命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。
「丈夫は玉砕するも甎全を愧づ」の部分の意味がよくわからないが、解説によると「玉として砕け散ることはあつても、瓦のやうなつまらぬ生涯をまつたうすることを愧づかしく思ふ」ということらしい。さすが、ラスト・サムライ。幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し
丈夫は玉砕するも甎全を愧づ
一家の遺事 人知るや否や
児孫の為に美田を買はず
![]() | 西郷南洲遺訓―附・手抄言志録及遺文 山田 済斎 (1939/01) 岩波書店 この商品の詳細を見る |
映画「ラスト・サムライ」は明治のはじめに各地で起こった士族の反乱を参考にあくまでフィクションとして描かれた映画だが、その中でも西郷隆盛の率いた西南戦争は、単なる薩摩士族の反乱というものではないと言っている人もいる。
![]() | 南洲残影 江藤 淳 (2001/03) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
明治維新をやりとげた西郷自身の言葉で「拙者の儀、今般政府に対して尋問の廉(かど)これあり」とあるように、みずからが作った明治政府にたいして、近代化優先の成功至上主義、優勝劣敗主義で本当によいのかを問い直す意味で、まさに「尋問」したいということを言った決起だった、こういう事ができた人物だからこそ、西郷は立派だったと評価されている。
スケールはだいぶ小さいが、郵政民営化法案に堂々と反対した議員の中には、この時の西郷さんと同じような思いで、つまり、「尋問の廉これあり」という態度で反対にまわった議員もいたと私は思っている。
まあ私は民営化するまともな理由は一つもないと思っていて郵政民営化にもともと反対なもので。というか、「改革」なんてものの大半については、今すぐにやめて見直さなければならないものばかりだと思う。
なんか怪しい話になってきたので、もうやめよう。グチっぽくなるし。
不思議な感情
ところが最近はまるで興味なし。
高校野球は昔からもっと興味なし。
それでも不思議とボーっと野球の試合をテレビでながめることもある。
そうすると、どちらのチームのファンでもなくとも、何となくその場の流れでどちらかのチームを無意識のうちに応援している自分がいることに気づく。
あの心理とは不思議なものだ。
ところで、昨日までやっていた日本シリーズ、中日と日ハムというまるで関心のない二チームの闘いだったので、なおさら無関心でテレビなども見なかったのだが、私の悪癖のせいで、昨日もひっきりなしにテレビのチャンネルを変えいると、たまたま日本シリーズをやっていた。
どっちのチームのファンでもないが、日ハムのフランチャイズは私の故郷の北海道ということに最近なったようで、もりあがっている。
いくら北海道のチームでも私は新庄みたいな選手は大嫌いだしヒルマンみたいな外国人を監督に雇うチームもアホとしか思えないから、到底応援する気などなかったのだが、しばらく試合を見ていると、どうもやっぱり無意識に日ハムを応援している自分がいることに気づいてしまった。
そこであわてて私はチャンネルを変えた。いかんいかん、応援などしちゃいかん!
私はかなり屈折しているのじゃなかろうか?
連釣は辨屋で
天気〜晴れ 風〜ほとんど無し
潮@五ヶ所 大潮
満潮〜5:36、17:19 干潮〜11:30 23:44
日出〜6:03 日入〜17:11

さて、前日の傳八屋では延長によってどうにか爆釣にこぎつけることができたわけで、翌日は気楽に釣りができる。今回、つばき屋が満員だったので、さざなみに泊まったため、これまた私の財布を強烈に圧迫したのと、YUKAが体力的に連釣はしんどいというので、本人の意向もあって今日はイカダの上でのんびり見学してもらうことにした。
メンバーは、近藤さんの他、左回りによしさん、修さん、Wさんとお連れさん、太郎さん、タケシ君とkawamuraさん、ただちゅーさん。

何となく南側に人が多く乗っていて、しかも重そうな人が偏っているので、対面が沈んで深くなっていてこっちはダメかなあなどと思ったら、その通りになってしまい、マダイその他のアタリはほとんどなかった。が、青物の活性は高かった。
さて、前日の朝一は慣れない青狙いからはじめて完全にスカだったので、この日はその反省から、いつも通りにマダイ狙いからスタート。
しかしサッパリあたりが無い。イカダの上も静まりかえっている。どうしちゃったのかしら?そのうち、Wさんの周辺でパラパラとマダイがあがったが、活性はとうてい高いとは言えない。
それか、よしさんがカンパチを上げたのが先だったかな?忘れてしまったが。でも朝のうちはそんなに竿が曲がっていなかった。
私はと言えば、アタリすら無く、どうもこのところ調子が悪いなあと思っていたが、まああまり気にせずYUKAのサビキなどを手伝っていたが、昨日のようには釣れなかった。頑張って15センチくらいのアジが2匹のみ。
そのうち、最初の放流があり、さすが放流祭だけあって、結構な数の魚たちが放流された。
しかし相変わらず私にはサッパリアタリがない。アタリが出せない。Wさん周辺では順調にマダイが上がりだした。どうも二日連続で対角線上でよく釣れている。うーむ、何とかならんのかいなあ。
2回目の放流はブリ。他に何か2,3匹。3回目は青物中心でこれまたワラサやカンパチが結構な数放流されたようだった。
さて、もう日にちがたってしまっていつどういう順番で釣れたかサッパリ覚えていないのだが、最初の放流の後くらいに全体で一瞬だけマダイの活性があがった時があり、その時にようやく2匹釣り上げることができた。
それから、3回目の青物放流の後、誰かが最初に青物を釣った後、私も生きアジにワラサがヒット!無事釣り上げることができた。
その後、ひととおり皆さんが青物を釣った後、一端は落ち着いたが、しばらくしてまた誰かがカンパチを釣り上げると、他の青物もまた浮いてきて、渦を巻きだしたときに、ちょっとした青物ラッシュになった。
このとき、近藤さんがエビ団子の素の赤にワラサが食いついたのを見て、私もエビ団子の素の黄色を入れると、青物が寄ってくるのだが、食い込まない。エビ団子の素の赤は持っていなかったので、かわりに魚かしの赤い団子を5−6粒固めて大きめの団子にして放り込み、見えている青物の鼻先に持って行くと、今度は一発で食ってきた。これでワラサをゲット。
引き続き、もう一度赤い団子を放り込み、この時は青物の集団が目の前に見えなかったので、少し深めの5mほどまで落として竿を置くと、いきなり穂先が突き刺さった。これもワラサ。2匹連続でワラサをゲットできた。
その後、あいかわらずアタリを出せずにこれで打ち止め。ただ、ひさしぶりに青物ラッシュを満喫できた。
二日で青物5本も釣れるとは、私には珍しい。ダイワの青物竿も十分に使うことができた。ただ、ちょっともう少しコシが強いほうが良いかなあという印象だが、穂先の感度もなかなか良い感じで、竿も持ち重りせずに使いやすかった。リールシートの位置も竿じりから適度に離れていて使いやすいし。ただ、このため、長さがちょっと足りない感じがするので、あと30センチながくて3.9mだと文句ないのだが。
(結果)ワラサ3匹、マダイ2匹

YUKAは見学でさぞ退屈で申し訳ないと思ったが、私や周りの皆さんのタモ入れなどで結構忙しかったようで、また他の人のアタリを今か今かと見ているのも結構楽しかったと言ってくれた。
前日は、ほとんどがはじめての方々とご一緒させていただいたが、この日は今までに何度もご一緒させていただいてよく知っている方々と釣らせて頂いた。二日間で多くの皆さんとご一緒させていただき、貴重な時間を過ごすことができました。皆様どうもありがとうございました。
延長で爆釣
天気〜晴れ 風〜北西の風、やや強し
潮@五ヶ所〜大潮
満潮〜4:58、16:55 干潮〜10:59、23:13
日出〜6:02 日入〜17:12

私は傳八屋と辨屋と半々くらいの割合で釣行したいと思っているので、10月には傳八屋に一度行きたいと思っていたら、ちょうどイケチャンが貸し切り予約でメンツ募集をされていたので、YUKAともどもご一緒させていただくことにした。
翌日は、近藤水産さんが辨屋の放流祭で予約されているということで、こちらもご一緒させていただくことにした。またまた連釣。
私は連釣のほうが交通費やえさ代などを考えるとお得かと思ったのだが、YUKAは逆に連釣というのは、もったいないと思うようだ。何がもったいないかと言うと、楽しいことは分けたほうが良いという発想らしい。
たしかに、月に1回まとめて行くよりも、2回に分けたほうが、準備する楽しみや期待感・ワクワク感を2度楽しむことができる。
しかし、我が家のレジャー費は私のバイト代から捻出することになっていて、今年はバイトが少なく、また波止釣りに行き過ぎたり、特選券を買ったりしてこのところの出費がかさんだため、ちょっと苦しくなっている。
ところで、翌日の辨屋も含めてどちらも貸し切りではあるが、大会とは違うので、釣り堀代以外の参加費がないのはそういう点でありがたい。
大会はいろいろあるが、私の個人的な希望としては、近藤さんの大爆笑会のように賞品が一つの大きな目玉というかイベントになっている大会以外では、特に賞品など用意せずに参加費も徴収せず、ただ皆が気楽に集まってワイワイやる感じにしていただけるほうが幹事さんも楽だろうし良いと思うのだが、しかしこれはあくまで個人的な意見なのであまりおおっぴらに言うつもりもない。
さて、桟橋に移動して出船を待つ。以前は出船時間をすぎても桟橋で少々待たされることが多かったが、牧野さんの話によると最近は混雑している土日でもそういう事はなくなったようだ。この日もきっちり7時に出船の運びとなった。

さて、今回ご一緒させていただいたのは、イケチャンとモックンとオバタクン、なべちゃんさん、神舘さん、木村名人&迷人に、魚かしの牧野さん。

はじめてご一緒する方が多いので、最初はちょっと私は遠慮気味におとなしくして、皆さんの様子をうかがうことにした。
あと、翌日も釣りなので、この日は宿に泊まることになっていて帰りの心配をしなくて良い。これは絶好のチャンス!ということで、はじめから延長するつもりでいた。傳八屋では3000円で2時間延長できる。
そこで、朝のうちは余裕をかまして外でサビキなんかしてみた。するとすると!25センチ以上もあるビッグなアジが釣れてちょっと興奮!イカダ上の皆さんからも歓声があがった。長さだけなら放流されたイサキの小ぶりなものと、そうかわらなかった(もちろん体高はイサキのほうがずいぶんあるが)。

ちょっと写真ではわかりにくいて、でかいやつはかなりでかかった。
さて、イカダの外ではなく、中のほうはどうかと言うと、皆さん順調に釣られていて、青物もマダイも結構活性があるようだが、しかし私の竿にアタリはまったくない。
まあ放流まではのんびりやろうと思っていたので、そんなに焦りはなかったのだが、しかし最初の放流後から真剣にやりはじめるも、まったくアタリは出せない。放流は、さすが傳八屋、かなり多かった。
活性は結構高いようで、まわりではかなり釣れている。YUKAもようやくマダイを1匹ゲット。私は南東角ではまったくアタリが出ないので、YUKAと場所を変わってもらったら、ようやくアタリが出てマダイらしき魚がヒットしたが、途中でハリスが切れてしまいバラし。YUKAまで釣れなくしてしまった。
2回目の放流後もかなりの魚が放り込まれたが、私にアタリは出ない。まわりではかなり活発にアタリが出ている。YUKAも青物狙いの生きアジ仕掛けにカンパチがヒット!途中でギブアップして私に交代したが、どうにか無事釣り上げることに成功。
それにしても、その後も私はまったくアタリがだせず、1アタリ1バラしのみ。北西風がかなり強いからか、足下では釣りにくく、また北西角を中心に、ほとんど入れ食いに近い状態でマダイがあがっている。人口密度とウキ密度もそれに比例して高まっている。
とにかく、青物狙いの金魚の頭だけかじり取られ、その頭をかじりとられた金魚を入れてもマダイが釣れるくらい活性が高かった。
11時半になってもまだボーズでアタリも出せない。YUKAには移動して釣ってこいと言われたが、しかしどうせ延長するつもりだったし、また人間が密集している中で釣るのはいやなので、自分の場所で粘っていたが、さすがにボーズは厳しいので、隙をうかがって移動しようかなとも考え初めていた。
実は今年はずーっと好調だったので、移動しようなどと思ったことがなかったのと、あと一応、私はみだりに場所移動したりウキを飛ばしたりするのはマナー違反だという認識を抱いているのだが、まったくそういう事をやっていはいけないとも思っていない。ある限られた状況においては許される場合もある、くらいには思っている。
ということで、自分が移動しなけりゃならない状況がさしせまったきたので、急遽、自分を納得し移動を正当化するための理由を考えなければならなくなったので、私の屁理屈頭脳が計算をはじめた。
それなりに釣っているのにもっと数をのばすために移動するわけじゃないから、まあ良いだろうとは思っていたが、まあもうすこしはっきり決めたほうが良いと思って考えた。
その結果、移動して良い状況だと思えるのは、「見ず知らずの人の場所には移動しない」、「すでに放流が終わっていて終盤になっている」、「イカダの中で自分が一番か二番めくらいに釣れていない」ことのいずれもが当てはまる場合に限る。ただし石鯛に関しては例外とし、マナーもへったくれもなく移動して良いとすることにした。
このような私なりの移動のガイドラインを急遽作成。今はまさにその状況にあてはまっている、ということで、躊躇なく移動することにした。
ということだが、結局のところはこれだけ活性の高い日にボーズを食らうのはあまりに辛いから、意地もプライドも棄てて昔にもどって泣く泣く移動することにした。くせになりそう。
まあここは一つ、マダイの1匹でも釣らせてもらおうという事で、北西コーナーが空いた隙に、出張してみた。
この日のマダイは、えび団子素の赤かボケが良いという話だったが、見ていると何でも釣れるみたいだったので、生ミックをつけて投入。しかし、6−7mくらいから下にエサが落ちてゆかない。
ネットかな?と思ってリールを少し巻いたら、何と落下途中で食っていたようだ!自分の場所ではあれだけアタリがでなかったのに、ここではこんなに簡単なのかと少々あきれながらも、やりとりすると、ちょいと走る。何とシマアジだった。これを釣り上げ、ようやくボーズを脱出。
安心して自分の場所にもどって釣り始めると、しばらくして今度は自分の場所でもアタリが出て、これまたシマアジをゲット。なんだ、これなら移動しなくても良かったなあと思ったが、これで完全に打ち止め。以後はまったくアタリを出せず。
北西角周辺ではあいかわらず終了間際までアタリが頻発して釣れ続けていた。そうして2時になり、みなさんが引き上げて行ったあと、マダイ狙いでアオイソメをつけていたウキ釣り仕掛けを巻き上げた瞬間に、何かが食ってきた。
それは何とカンパチだった。ハリス3号なので、やや慎重にやりとりすて浮かせて、無事YUKAのタモにおさまった。
これだけでも延長した価値はあった。
その後、向かい風で釣りにくい自分たちの場所を放棄して、釣りやすいテント前に移動。するとすぐにアタリがでて、難なくマダイをゲット。私もYUKAも連続ヒット。
傳八屋のスタッフの方がやってきて、隣のイカダもやって下さいということだったので、1番イカダもやってみたが、こちらはアタリがない。まあこちらには青物用の竿を、ドラグをゆるゆるにして入れっぱなしにしておいた。
その間に、2番イカダのテント前ではマダイが順調に上がる。私とYUKAとでかわりばんこに釣る。結構忙しい。少しするとアタリも落ち着いてきたので、ウキ釣りで真ん中の底を狙うと、シマアジが釣れた。

ふと気づくと、終了間際、午後3時40分を過ぎていた。そろそろ片づけはじめようと思い、1番イカダに出していた青物竿をしまおうとして近づくと、その瞬間に竿先が海面に突き刺さった。
すぐにドラグを調整してやりとり開始。これがまた、ものすごい元気な青物だった。ちょっと苦労してあげてきたのは、先ほど釣ったカンパチよりさらに一回り太い立派なカンパチだった。
しばらくすると和士さんの操縦する迎えの船がやってきたので、YUKAとともにひきあげた。
結局、私は延長前まではシマアジ2匹のみ、YUKAはマダイ1匹、カンパチ1匹のこれまた2匹だったのが、2時間の延長中に、私はカンパチ2匹、マダイ6匹、シマアジ1匹の9匹をゲット、YUKAもマダイ6匹をゲットできた。
魚かし牧野さんの話だと延長したってそう釣れるものではないという事なので、これはラッキーだった。延長の2時間だけで普通の釣り時間並の釣果を得ることができた。それくらいこの日の魚の活性は高かったということなのだろう。
何より、途中で1番イカダもやってみたが、マダイのアタリも全然でずに、こちらはあまり活性は高くなかったから。ホント不思議なものだ。
実は、以前に一度だけ延長したことがあったのだが、その時はたしかカンパチ1とマダイ1しか釣れなかったように記憶している。まあこれだけでも釣れれば3000円のもとはとっているだろうが。
しかし、この時、たった一人でイカダの上に残されて、静まりかえったイカダの上で不気味な鳥たちに囲まれて釣るというのは、必ずしも気持ちよいものではなかった。アタリもほとんどなかったし。
今回はYUKAがいてくれて、あと、なぜか傳八屋のスタッフもイカダの掃除などで結構頻繁に行き来していたので、鳥に囲まれたり孤独感におそわれたりすることもなく、またアタリも頻発したので、実に充実した延長だった。
まあいつもこうは行かないだろうが、しかしその日に泊まりでゆっくりできる時は、延長も良いものだ。
(私の釣果)カンパチ2匹、マダイ6匹、シマアジ3匹


(YUKAの釣果)カンパチ1匹、マダイ7匹

さて、釣行記は翌日の辨屋へ続く・・・
ごはんは茶碗に・・・
洋食屋さんなんかへ行くと、ごはんを平べったい皿に盛りつけて出てくる事が結構ありますが、あれはやめてほしいなと思います。
平べったい皿にごはんを平らに盛ると、あっという間に冷めてしかも水分も飛んでしまうと思うのですが。
まあ私はものすごい早食で、一瞬にして食べ終わってしまうから実際にはたいした事ないのですが(笑)。
あと、皿に盛られると何となく食べにくいですし。最悪なのは箸ではなくナイフとフォークしか出さない店です。
洋食にごはんを出している時点で、すでに完全な洋食ではなくなっているのですから、ごはんはやっぱり茶碗に盛って箸で食べるのが一番美味しいわけですから。
ステーキなんかだとナイフとフォークと箸の三つが必要になります。ナイフとフォークで肉を好みの大きさに自分で切ってから、あとは箸で肉もごはんも食べるというのが一番良いように思います。
ステーキ以外に、箸で食べられるおかずなら、ナイフもフォークも不要です。
洋食屋さんでは、見た目が洋食っぽいから皿にごはんを盛る事が多いかわかりませんが、とにかくごはんはやっぱりお茶碗に盛って、それを箸で食べさせて欲しいです。
特に、みそ汁を出してくれているところでは、どっちみちみそ汁がお椀に盛られているわけですから、なおさらごはんは茶碗に盛って出して欲しいところです。
美味しいエビフライ
ところで、今回は夕食を「珈琲塔 FIVE」ということろで食べました。
ここは修さんに教えてもらった軽食と喫茶の店なのですが、ジャンボエビフライが名物らしく、実際にかなり美味しかったです。
しかも外観も店内も、かなりおしゃれな感じでした。大阪にあったら絶対にはやりまくっていると思いますが、夕方6時頃ですが、結構空いていました。
特性エビフライのハーフ(エビフライ2本)1200円です。エビフライ4本だと1800円です。

とても美味しかったです。また行きたいと思いました。
金曜日はエビフライデーということで、エビフライのメニューが安くなっているようです(どれくらい安いか忘れた!)。金曜日(フライデー)がエビ「フライデー」とは、シャレでしょうか(汗)。
たしかラストオーダーが午後8時すぎだったように思います。早めに前日入りすることがありましたら、一度行かれてみてはいかがでしょうか。
260号線(つばき屋の前の道)沿いに東へ5〜10分ほど走り、釣りエサのサニー園のちょっと手前です。駐車場も広々しています。
金儲けは善か悪か
金儲けというのは手段である。手段の善し悪しは状況によってかわる。
「包丁で切る」という行為は料理のために魚や野菜に対して用いられるのであれば、それは善であるが、人を刺すために使われれば悪にもなる。
金儲けだって、家族や社員たちをやしなうため、とか社会人として自立した生活をするためとか、納税の義務を果たすためとかいう目的のために、まじめに働いてまっとうな手段で金を稼ぐというなら善に決まっている。
そしてたとえば暴力団が活動資金を得るための金儲けなら合法的な手段であってもその金儲けは善とは言えないし、またいくら家族をやしなうためと言っても詐欺的行為や非道徳的手段によって金儲けをするなら、それは悪にもなる。
このように、善か悪かは目的と方法、つまり状況によって変わってくるものなのに、そうした状況設定を一切抜きにしていきなり「金儲けは善か悪か」と問うのは、じつに馬鹿げたことだ。
それはおそらく、金銭を得る行為というのが本来は「他の目的のための手段」にすぎないという事が忘れられ、金儲けそのものが目的となってしまう、つまり手段をいつのまにか目的にしてしまう事から生じているのだろう。「目的」ならば前提なしに善悪の判断が可能であるから。
何が言いたいかと言うと、本来手段であるものを目的としてしまう事でさまざまな歪みがあらわれるという事で、別の手段と目的の話をしたいのだが、これ以上書くと無神経な人間と思われかねないので、もうやめよう。
テレビで見たバカ女
その理由が、たとえば「自分は料理が苦手だから一緒に手伝って欲しい」とか言うならまだわかるが、そうじゃなくて、「相手とは何事もフィフティ・フィフティでいたいから」、つまり「自分が作って相手が食べるのではなく、一緒に作って一緒に食べるんでなけりゃ、対等じゃない」みたいな意味のことを平然と言ってのけた。
何とドライで打算的で気色の悪いことを言う女だろうか。
別に料理は作ってあげても他の事でお返ししてもらえば良いじゃないか。
というか、そもそも相手とはフィフティ・フィフティというのは、ようするに、自分がしてあげたのと同じくらいの事が相手から返ってこないと気が済まない、自分は相手がしてくれたこと以上のことを相手に対してするつもりは無い、そんなのはバカらしいということだろう。
もちろん人間にはそういう打算があって当然だが、ビジネスの相手じゃない、恋愛関係にある相手との話なのに、まるで契約関係のようにフィフティ・フィフティでいたいなどと平然と言ってのける女がいるとはびっくりだ。それは果たして恋愛関係と言えるのか?
愛している相手には自分がしてもらった以上のことをしてあげたいと、私自身はぜんぜん実行出来ていないが、気持ちとしてはそれくらいの心構えでお互いが行動すればこそ、結果としてフィフティー・フィフティーになるんじゃないか。
自分がこれだけして、さあ相手から同じくらいの事が返ってくるかなあとか考えたり、相手がこれくらいの事しかしてくれないから自分はそれ以上の事はしないのだ、などと考えていたのだったら、その関係はどんどんとしぼんで行くに決まっているだろう。
だから、最初から「フィフティー・フィフティー」を目指すというのは、打算的で計算高いように思うが、よく考えると計算能力すら無い、ただのバカだとわかる。
まあそういうのをカッコイイと勘違いしているのかもしれないが。何か「自分は外国育ちだからそういうのがイイ」みたいな事も言っていたが、それが外国人の基準だと思っているんならバカ丸出しだし外国人対して失礼だろう。そんな打算的な外国人など、むしろ例外のはずだ。
狂気とは理性以外のすべてを失うこと
これは100年前にチェスタートンという人が言った言葉らしいですが、現代においてはなるほどと思えます。
猟奇的な事件が異様なまでに合理的な振る舞いである場合が少なくないのです。
たとえば、どこかで聞いたような話ですが、離婚して子供をひきとって育てている母親が邪魔者扱いして子供を殺した事件がありました。
子供のための食事の支度など面倒だと感じ、収入不足を補うために出会い系サイトで男を漁って金を得ているような母親は、邪魔者は消せとばかりに我が子を殺したわけです。
それはこの女にとってはきわめて合理的な行動なのです。
合理的な精神のはたらきというのは、「理念」に従って「与えられた状況」のもとで展開されます。
「苦労をしないで暮らしたい」という「理念」があるのに「苦労を強いられる」という「状況」があれば、その理念を実現するために与えられた状況を変えようとするのが合理的精神なわけであり、その合理的精神に従えば、苦労の原因である我が子を殺さなければいられなくなるのです。
そこで、彼女に欠けていたのが、親に求められる養育、教育、社交、貯蓄などにかんする役割を引き受けようとする「常識」と、母親ならば当然持っているはずの子供への愛という「感情」であったことに気が付きます。
このような「常識」と「感情」を失った合理主義はどこから来るか。
個人性の肥大、つまり「自分自身の安全な生存」と「自己の実現」への強い欲求に由来するということです。
人間は本来、個人性だけでなく社会性も併有しており、「集団への帰属」と「他者からの敬意」への欲求も持っているわけです。
それが、現代社会においては個人性のみが肥大し、皆が個人主義に嵌っているため、「集団への帰属」を「自分自身の安全な生存」のための原因と捉えたり、「他者からの敬意」を「自己の実現」の結果とみなしたりするという形で、人間の欲望体型において社会性が矮小化しているのです。
つまり、「集団への帰属」や「他者からの敬意」をそれ自体として望ましいことと捉える感覚が失われている、そのような個人主義が蔓延し、家族や地域社会の崩壊に拍車をかけているということがあります。
そこから、理性以外のすべてを失った狂人が沸いて出つつあるようです。
ピクルスという謎の食い物
が、実は私はピクルスが、大嫌いとまでは行かないが、かなり苦手なのだ。
出されたのを見てみると、ニンジンやらキュウリやら大根などの酢漬けだった。
「あれ?ピクルスが入ってないじゃないか」
と言った私に、野菜の酢漬け料理の一種のことをピクルスと言うのだとYUKAは教えてくれた。
今まで私はピクルスという外国野菜が存在しているのかと思っていた。なんかキュウリの出来損ないみたいな奴。
色んな意味で大嫌いなマクドナルドのハンバーガーに入っているあのマズさの原因になっている腐ったキュウリかズッキーニみたいのがピクルスという野菜だと思っていた。
いやー、知らなかった。ピクルスって野菜の名前じゃなくて、料理法の事だったのね・・・
どっちにしろピクルスはあまり好きではないが、YUKAの作ったものなら、美味しくいただけた。
曽爾(そに)高原
9月下旬〜10月上旬くらいまで一面がススキで覆われてとても綺麗なところです(10/16 訂正;今月後半から11月上旬が最盛期らしいです)。ほぼ毎年来ています。今年はちょっと遅めでした。
シーズンにはものすごく混みます。駐車場はまあまああるのですが、最盛期には朝10時くらいまでに行かないと延々待たされることになります。
今回も10時到着を目指して家を朝8時過ぎに出発。ちょうど10時くらいに着きました。ちょっとシーズン後半だったのでそれほど混んでいませんでしたが、帰り(昼12時頃)にはもう駐車場が満車になって、入庫待ちの車の列が伸びつつありました。
ヘタな写真ですが、何枚かをご紹介。クリックすると多少拡大されます。







帰りは山道をのんびりドライブ。
天気も良くて空気も爽やかで、ひさしぶりにのんびり過ごせました。
大型マルアジ釣れず・・・
飛ばしサビキ
晴れ、北寄りの風少々

潮@尼崎港〜小潮
満潮〜18:30、干潮〜5:09
日出〜6:01、日入〜17:27
前日(10月12日、木曜日)の釣果情報では、30センチ級のマルアジが好調だったという事なので、急遽スクランブルで早朝の仕事前のみに出撃することにした。
渡船乗り場から職場まで車で10分もかからないのでこういう事ができて便利だ。ただ、その日の仕事は多少しんどいので、翌日休みの金曜日ならなんとか頑張れる。
早朝の4時半に起床、5時半の2番船で武庫川一文字へ渡る。夜が明けだした6時頃から外向きのやや遠投で4〜6ヒロを狙うと釣れるという話だったのが・・・サッパリ釣れず。
内向きの土砂運搬船周辺へ飛ばしサビキしているおっちゃんは、20センチ近いマアジを良いペースで釣っているので、たまらず私も内向きに転向。パラパラと17センチほどのマアジが釣れ始める。
隣で外向きで釣っていた人が30センチ級のマルアジを1匹あげたが、あとは時々小アジがかかるくらいで、この日の大型マルアジはいまひとつのようだった。
私はあいかわらず内向きでマアジを狙う。パラパラと釣れるが時間とともにイワシのほうが多くなり、7時半くらいからはマアジはごく希にしか釣れず、8時をすぎると入れ食いでイワシ(ウルメ&カタクチ)ばかりになってしまった。
ウルメの一夜干しがとても美味しく、またカタクチのオイルサーディンもかなりのものだったので、今回はどちらもほとんど持ち帰ることにした。9時前にはもう充分たくさんイワシも釣れたし、そろそろ出勤しないといけないので、9時の船でひきあげた。
職場はすぐ近くなので9時半頃に出勤。ちょっと遅刻だが、いつも残業代など一切出ないので、たまにこれくらいの時間に出勤しても許される。いつもだとまずいが。
(結果)マアジ16〜18センチ17匹、マルアジ15センチ前後10匹、ウルメイワシ50匹、カタクチイワシ41匹

YUKAの実家のほうでもアジとイワシが好評で、すぐに無くなるほど。
しかしさすがに次は違う釣り物にしたいなあ、と思ったら、次の週末はひさしぶりの釣り堀だった。
うさうさ脳
が、単純に右脳型、左脳型と二つに別れるわけではなく、情報の入力と出力のそれぞれにおいて右脳型・左脳型があり、全部で4通りあるらしい。
つまり、「入力・出力」が「右・右」、「左・左」、「右・左」、「左・右」の4つ。
自分がこれらのどれに当てはまるか判断する方法があるらしい。指の組み方と腕の組み方を見ればわかるそうだ。さっき見たテレビでやっていた。
人間!これでいいのだ
要するに手の指の上下は、大脳の情報入力部分の右脳か左脳かを示していて、腕組の上下は情報出力が右脳か左脳かを表しているそうな。(1)右脳左脳〜手と腕の組み方で本当の性格が分かる
・手の指を組んだとき、親指が下にくるのは右、左?
・腕組みしたとき、手首が下にくるのは右?左?
実はこの手と腕の組み方には、「脳のクセ」があらわれるという。それによって、人の性格は4つのタイプに分けられることが判明。
「親指・腕」でそれぞれ下になるのが
「左・左」なら「ささ脳」
「右・右」なら「うう脳」
「左・右」なら「さう脳」
「右・左」なら「うさ脳」
という分類になります。
「ささ脳」は、まじめで几帳面。
「うう脳」は、楽天的なマイペースタイプ。
「さう脳」は、世話好きなおおらかタイプ。
「うさ脳」は、個性豊かな負けず嫌いタイプ。
その組み合わせによって、上のような性格分類の傾向があるようだ。4種類の性格分類と言えば血液型占いを連想するが、4つくらいの大ざっぱな分類がいちばんわかりやすいから何となく当てはまるものがあるような気がするのかもしれない。
でもこれは一応それなりの根拠もあるし、性格との関連についてはかなりのデータを集めて統計をとってやっているので、血液型よりは信用できそう。
ちなみに私は「うさ脳」だった。
これは入力が右脳、出力が左脳ということ、つまり、物事を直感的に捉えてそれを論理的に表現する思考パターンということらしい。直感で理解して言葉で表現するというか、イメージで捉えて理屈で行動するという思考パターン。
ちなみにYUKAは「ささ脳」で、これは入出力ともに左脳、つまり、物事を論理的に捉えて論理的に表現する、言葉で理解して言葉で表現するっというか、理屈で捉えて理屈通り行動しようとする思考パターンのようだ。
ちなみに上の性格分類で、YUKAの「ささ脳」は、まじめで几帳面というのは当たっている。テレビ番組内で「料理もきっちりレシピ通りにやる」と言っていたときには笑ってしまった。
私の「うさ脳」は、個性豊かで負けず嫌いタイプということのようで、負けず嫌いは認めるが、個性豊かかどうかはわからない。ごく平凡だと思うので。
事実のみを告げて全くの虚偽を伝える
アメリカで14歳の中学生が同級生50人に上の文章を読ませ、"DHMO"規制に賛成するかどうかをアンケートしたところ、50人中49人が「DHMO"規制に賛成」と答えたそうです。一酸化二水素(Dihydrogen Monoxide:DHMO)の規制を!
DHMO は無色、無臭、無味であるが、毎年無数の人々を死に至らしめている。殆どの死亡例は偶然DHMOを吸い込んだことによるが、危険はそれだけではない。 DHMOの固体型に長期間さらされると身体組織の激しい損傷を来たす。DHMOを吸入すると多量の発汗、多尿、腹部膨満感、嘔気、嘔吐、電解質異常が出現する可能性がある。DHMO依存症者にとって、禁断症状はすなわち死を意味する。
DHMOは水酸の一種で、酸性雨の主要成分である。地球温暖化の原因となる「温室効果」にも関係している。また重度の熱傷の原因ともなり、地表の侵蝕の原因でもある。多くの金属を腐食させ、自動車の電気系統の異常やブレーキ機能低下を来す。また切除された末期癌組織には必ずこの物質が含まれている。
汚染は生態系に及んでいる。多量のDHMOが米国内の多くの河川、湖沼、貯水池で発見されている。汚染は全地球的で、南極の氷の中にも発見されており、中西部とカリフォルニアだけでも数百万ドルに上る被害をもたらしている。
この危険にも関わらず、DHMOは溶解や冷却の目的で企業利用されており、原子力施設や発泡スチロール製造、消火剤、動物実験に使われている。農薬散布にも使われ、汚染は洗浄後も残る。また、ある種の「ジャンクフード」にも大量に含まれている。
企業は使用済みのDHMOを大量に河川、海洋に投棄しており、それはまだ違法ともされていない。自然生物への影響は限りないが、我々は今のところ何も出来ないで居る。
アメリカ政府はこの物質の製造、頒布に関する規制を「経済的理由から」拒んでいる。海軍などの軍機関はDHMOにかんする研究を巨額の費用を投じて実施している。目的は軍事行動時にDHMOを効果的に利用するためである。多くの軍事施設には、地下に近代的な施設が造られ、後の使用に備えて大量のDHMOが備蓄されている。
もうお気づきかと思いますが、一酸化二水素(Dihydrogen Monoxide:DHMO)とは、H2O、つまりただの水のことです。
まあ小学生だからと笑ってすましてしまいますが、案外こうふうなものに騙されてしまうのは、少なくないと思います。
(参考:一酸化二水素汚染の恐怖 )
スタートレック名言集
●映画「ST5:新たなる未知へ」より
「誰にでも悪の面はあって、それは必要なんだ。それで生きていけるんだよ。醜いことはない。それが人間じゃないか」(マッコイ)
●TOS#7「2人のカーク」より。
「私は、単なる多数意見には興味はない。問題はその内容だ」(スポック)
●TOS#10「ゴリラの惑星」より。不時着した惑星で原人に襲われるクルー。先手を打って攻撃をしかけようという意見の者が多いことに対して
釣りに行きたいが・・・
しかも、釣り堀というより、かなり波止釣りに行きたい。
もちろん釣り堀にも行きたいのだが、私の場合は根がまじめというか勤勉だから、釣り堀だとけっこう精神的に消耗することが多いので。
波止釣りだと気楽に楽しめる。釣り堀はそう単純ではない。
釣り堀は、まあ距離が遠いから肉体的に疲れるということもあるが、私の場合はかなり集中してしまうので、精神的にも結構疲労感が残ることがある。
もちろん、満足行く釣りができた時には、それが心地よい疲労感となって充実した気分になる。しかし、トンチンカンな釣りをしてサッパリだったとか、マナーの悪い客と乗り合わせて気づかれしたとかなると、その疲労はずしりと重く肩にのしかかったまま、翌日まで引きずってしまう。
だから、あんまり気楽な娯楽という感じではない。が、もちろん好きでやっている事なので、イヤなわけはなく、そこらへんを説明するのが難しいのだが・・・
釣り堀だと、なるべく肉体的にも精神的にも良いコンディションで釣りをしたいと思うし、事前に色々と考えたりするから、そんなに簡単な娯楽ではない。
釣りのベテランの方は釣り堀というと結構なめきっているようだが、なかなかどうして。もちろん誰でも簡単に釣れる高活性の日もあるにはあるが、そこそこの活性で良い場所に入ることができたとしても、うかうかしているとサッパリという事だってあるし、それなりに集中していないと釣れない。
だから釣り堀は単純な娯楽とは違うと思っていたわけだが、しかし最近ちょっと思うのは、物事にあまりに集中しすぎて、周囲の人々との交流や配慮をおろそかにしてしまうのはどうなのだろうかという事がある。
釣り堀の楽しみ方は人それぞれとは言っても、かならず誰かと乗り合わせるのが釣り堀なわけで、それが貸し切りであっても、やっぱりお互いの人間的な交流を気にかけずに、ただひたすら自分の釣りだけに没頭するという私の釣り方が、本当に良いのかどうか。
釣りのことしか考えないならそれで良いかもしれないが、世の中釣りより大切なことはいくらでもあるわけだし、釣り堀は、やっぱりもっと肩の力を抜いて望んだほうが良いのでは・・・などと、自分のためにもちょっと思う今日この頃。
私って根がまじめだから、ついつい釣りでも何でも勤勉になりすぎてしまう(笑)。
そこで、今日のひとこと!
精神科医ホルスト・ガイヤー博士曰く
勤勉は馬鹿の埋め合わせにはならない。
勤勉な馬鹿ほど、はた迷惑なものはない
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一節を引用しますと・・・
「『人生の目的』とは何ぞや」という問いを簡単に発するのは、それへの答えが存在しているという当て込みがあってのことでしょう。
その当て込みは間違っています。
言い換えれば、こんな厄介至極な問いにおいそれと答えられるほど、自分の知性も感性も立派なものではないという「自己認識」こそが何より必要なのです。
しかしそういう自己認識に欠けた人間が、往々にして簡単にこの問いを出し、簡単に答えてみせてしまうのです。
世の中には金なんかなくてもいい、名誉なんかなくてもいい、地位なんかなくてもいい、俺は勝手に生きるのだという人がいますが、人間はそんなことができるはずがないのです。
なぜならば、名誉といい、地位といい、金といい、それらは価値の矛盾に平衡を取ろうとする多くの人々の長い経験と思索との中から分泌された産物である可能性がおおいにあるからです。
そういう産物を頼りにせず、金や名誉や地位がなくても自分勝手に生きるというのは、自分をほとんどオールマイティーと見なすことです。
そんな全能な人間は、かつていたためしがないのです。
「成功」とは何を手にいれたときか
成功の根元には、モラル感覚において自分が納得し、自分が納得できるだけでなく、周囲もそれ相応に納得してくれるというところまで深まらないと、成功の確認は何人たりともできないということになります。
他人に迷惑をかけて金をもうけて、私はこの金を自由に使えるのだと言っても、それは成功ではないということを、モラル感覚が少しでもある人間は、知らざるを得ないのです。
ちょっとした手違いで、2冊買ってしまったので、もし欲しい方がおられましたら、1冊プレゼントいたします。先着順です(笑)。
七度尋ねて・・・
そのとき、ついつい口癖というか習慣で、「あれ?どこへやった?」と人のせいにしてしまう。
しかし実際はほぼ100%、まあ99.9%くらいは自分でどこかへ置き忘れたり整理が悪くてまぎれてしまったりということなのだが。
さっき「ことわざ辞典」をパラパラめくっていたら、こんなことわざが載っていた。
「七度(ななたび)尋ねて人を疑え」
(意味)物がなくなったときには、自分で丹念に探してみることが先決で、軽々しく人を疑ってはいけないということ
いや〜勉強になるなぁ。
ちなみに同じことわざ辞典には
「人を見たら泥棒と思え」
ということわざもある。どっちやねん!
大にぎわいの武庫一
飛ばしサビキ
天気 晴れ、時々強めの風
潮@尼崎港
潮〜大潮 満潮〜7:28、19:28 干潮〜1:11、13:28
日出〜5:57 日入〜17:34

先日のカワハギが不完全燃焼だったので、また和田防にカワハギを釣りに行こうかと思っていたが、YUKAもひさしぶりに波止釣りに行きたいと言ったので、足場も良く、しょっちゅう渡船が来てトイレが利用できる武庫川一文字に渡ることにした。
午後からタチウオ狙いの釣行も考えたが、タチウオが好調なこの時期の休日の午後など恐ろしい人で、とても釣るスペースなどないだろうと思われたので、朝からサビキにした。
午前4時に家を出て、5時の一番船で渡ることにした。乗船場近くには4時半すぎくらいについたのだが、車がいっぱいである。乗船申し込みをすると、もう一番船が出た後だった。番号は82番と83番。これがそのまま正確に人数を示しているわけではないが、この数字が大きいほど渡っている人は多い。実際、1番船は満員で出船したらしい。
何と二隻の船でピストンしてくれて、私らの乗った2番船も4時40分頃に出船した。
一文字に着いてもまだ真っ暗。というか、中秋の名月二日遅れだが、なかなか綺麗な月明かりだった。

ちなみに、暗いのでYUKAはちゃんと救命胴衣を着用している。

最近のカメラはすごいですね。夜景と人物と両方撮影できるんだから。そんなに高いデジカメじゃないのに。
早い時間に渡してくれることがわかっていたら、タチウオの仕掛けも持ってくるんだったと思ったが、まあのんびりおにぎりでも食べながら夜明けを待つことに。
周囲ではタチウオ狙いの人が多かったが、上がるのは見られなかった。
そのうち、夜が明けてきて、飛ばしサビキ開始。ソーダガツオが好調と聞いていたが、あまりたくさん釣れても困るから持ち帰りは5匹くらいにしておこうなどと捕らぬ狸の皮算用をしていると、完全にしてやられた。
朝から外向きのサビキではさっぱりアタリも無い。しかたないので私は内向きで土砂運搬船の近くまで飛ばしサビキでかなり深めのタナを狙ってみると、15センチ以上ある結構グッドサイズなマアジが釣れた。

↑そこはかとなく哀愁を漂わせる30代後半の後ろ姿。
細長いマルアジのほうではなく、少し体高があって、肉厚のほうだ。パラパラ釣れるのでYUKAも一緒に内向きでしばらく竿を出して、マアジを釣る。
そのうち隣の人が外向きでソーダガツオを釣ったので、私はもうカツオはいらないからYUKAにやってもらうが、こちらは釣れず。隣も続かず。後の情報で知ったが、残念ねがらこの日のソーダガツオの回遊はあまり多くなかったようだ。
かわりにかなり肉厚でぶっといウルメイワシが回ってきた。一時は入れ食いで釣れた。あまり持ち帰っても困るので、適度にセーブしながらクーラーに入れる。
私は内向きで少し飛ばしてマアジを狙っていたが、だんだんと深いタナでもイワシに邪魔されるようになり、イワシしか釣れなくなってきた。
6ヒロでやっているのに、内向きは何故かウルメではなくカタクチイワシがかかる。しかも6つの針すべてパーフェクト。
はじめはいらないので竿をブルブル振り回して落としていたのだが、そのうちYUKAが「オイルサーディンを作るからカタクチイワシも少し持ち帰って」と言ったので、それじゃあと思い、キープを始めて2−3回釣ったら何故かすぐに釣れなくなった。
どうも内向きにソーダガツオが回ってきたようだ。タナを少し浅めにすると、ヒット!かなり走り回る。残念ねがら抜き上げた瞬間にバレてしまった。
これからソーダガツオが上向きかとも思ったが、時間はもう11時くらいになって、アミエビも残り少なく、腹も減ってきたし、ふと遠くを見ると渡船がやってきたので、あわてて片づけて帰ることにした。
それにしても、この日は連休の中休みだからか、ふと見ると一文字はものすごい人出だった。

↓帰り際の渡船内から撮影。

少々風があったが、釣りがしにくいほどではなく、また風もそれほど冷たくなかったので、なかなかの釣り日よりであった。
マアジをもう少し釣りたかったのと、カタクチイワシもYUKAがオイルサーディンにしてくれて、それでスパゲティーを作って食べたらとても美味しかったので、もっと持ってくるんだった。
オイルサーディン。

(結果)マアジ15匹、マルアジ11匹、ウルメイワシ57匹、カタクチイワシ14匹
左側の一列がマルアジ、残り右側がマアジ。長さは同じくらいだが、マアジのほうがプリプリしていた。(真ん中上は比較対照のためのカタクチイワシ)

右側の一列だけカタクチイワシ。他はウルメイワシ。釣ろうと思えばいくらでも釣れた。後のことを考えてほどほどにした。

ウルメイワシはかなり極太で、丸干しにしてみた。これもなかなか美味しかった。
ナゾの建造物と青キップ
昨日は、大阪南港をブラブラとしてきました。フードアウトレット内のパン屋で軽くパンを食べた後、周辺を散策。
陽射しがきつくてかなり暑かったです。
ふと見ると、なにわ海の時空館という不思議な建造物を発見!

有料だったので中には入りませんでした。それにしても、これを見て私は思わずマゾーンのペナントを思い出しました。
何の事やらわからないと思いますが、昔「宇宙海賊キャプテンハーロック」というアニメでマゾーンという宇宙人が地球侵






