水宝リベンジならず・・・
兵庫県家島
潮〜大潮:満潮〜7:30、23:22 干潮〜4:44、15:05
日出 4:49 日入19:19

降水量:0mm 最大日降水量:0mm
最大1時間降水量:0mm 平均気温:23.3℃
最高気温:27.7℃ 最低気温:20.1℃
平均風速:1.6m/s 最大風速:4m/s
最大風速の風向:北東 日照時間:9.5時間
(以上、気象庁の各地のデータより)


(以上、気象人より6月24日の気象)
先週の土曜日に修さんが声をかけてくださった、水宝リベンジツアーに参加してきた。参加されたのは、記憶によるとこんな感じだが、名前のわからない方や記憶があいまいで間違っていたらすみません。

今回の「水宝リベンジツアー」は、先月の水宝では皆が残念な結果に終わったので、そのリベンジをしようと言うもの。しかし結論から言うと私とYUKAはリベンジどころか、あきらかに返り討ちにあった。これで水宝は3回目なのだが、回を重ねるごとに釣れなくなってゆく。どういうわけか。
詳しい内容は、時間が経ってしまってすでに私の頭の記憶バンクから消去されてしまったが、厳しいものには違いなかった。
前回の爆笑会では、私とYUKAの釣りはというと、あのときは全体に厳しい中、不思議と我々は好調だった。今回はその逆だった。
釣りをする時にはだいたい自分の中でパターンができていて、やる事の優先順位が高い順番、過去によく結果が出ている順番に試して行くわけだが、調子が良いときはあまり考えなくても優先順位1番か2番、せいぜい3番目の引き出しを開けるくらいで反応が返ってくる。
しかし釣れないときは、それこそ家中のタンスの引き出しすべて開けて、畳の裏側までめくってみても答えが見つからないということになる。もうこの家には何も残っていない。もともとほとんどのタンスの引き出しが空っぽなのだから、そのタンスの引き出しの中に収納すべき何かを蓄積しなければならない。
ということで、釣れない時には色々考えるわけだが、私はそれほど忍耐力があるわけではないので、すぐ疲れてふてくされてしまう。
まだまだ、釣りそのものが好きというより、釣れることが好きということなのだろう。もう少し釣りの奥深さを知らなければならない。
さて、グチのような前置きが長くなってしまったが、この日は雨が心配されたものの、私の晴れ男パワーが炸裂して、梅雨の晴れ間となった。日焼けして腕が痛い。
家を出るのが少し遅れた気がしたのだが、明石SAでの集合時間を勘違いしていて、先にエサ屋についてしまった。ここで皆さんとご挨拶。
その後、5時出船の船がなかなか出船せず、30分ほど乗っていたら揺れで酔ってしまった。
到着してからのんびりと準備して、7時に鐘の音で一斉に釣り開始。一投目はいつものごとく偽あにじるし・・・と思ったが、今回は朝一から青物でも良いように、生ミックを二粒大きめにつけて仕掛けを投入。ハリス4号でさぐり釣りの3.9mを使用。先日話題になった竿だか、やはり手持ちでやるにはかなり重たい。
しばらくすると誰かが青物をかけたので、この作戦はうまく行きそうと思ったが、すぐバレたようだ。
ほどなくアタリがあって、まずはマダイを1匹確保。まわりでもぼつぼつとマダイがあがりはじめた。YUKAにはアタリなし。隣のtama-chanもアタリ無し。北西角だけ釣れていない。
同じ釣り方ですぐにマダイをもう一匹追加。そしてさらに3匹目・・・と思ったら、食いが浅いのか、早合わせしぎたようで、ガツンと衝撃だけあって、直後にすぐはずれてしまった。最悪のバラし方だ。
思った通りそれでアタリが完全に止まってしまった。水宝のマダイはアホみたいに食い込むと思いこんでいたようだが、この日はそうでもなかった。というか、実はこれ以後、ほとんどアタリを出すことは出来なかったのだが。
このあと、放流までの長い時間、どうにか1匹追加できたが、ようやく出たアタリをどうにかものに出来たという感じで、これ以後またぱったりアタリがなくなってしまった。全体に低調の様子。
わずかに南西角のただちゅーさんだけがマダイを連発している。
それにしてもここは放流がちょっと遅い。7時に釣り開始で11時半終了なのに、たぶん最初の放流が9時半くらいじゃなかっただろうか。そして青物の放流は10時を過ぎてから。放流された魚を狙う時間が2時間以下しかないのはちょっとどうか。まあ釣り時間が短いのだから仕方ないのかもしれないが、魚の活性そのものは低くないこの時期、放流された魚が順番に釣れてゆくように思うので、在庫があてにできないのだから、放流は早めにしていただきたい。
と、釣れないのを釣り堀のせいにしてもはじまらない。対面ではただちゅーさんが快調に釣っているのだから。自分が釣れないのは場所のせいなのかどうかをはっきりさせるためにも、最大限の努力をしなければならない。
ということで、使う予定のなかった西海8号まで出してきて色々やってみたが、マダイはアタリすら出すことができなかった。
9時過ぎに最初の放流でマダイやシマアジなどが入れられた。この後、YUKAにもようやくアタリが出て、どうにかマダイを1匹釣り上げることができた。
しかし私にはアタリもなし。ここらあたりから対面では釣れるがこちら側は全然釣れない時間がずっと続いた。
その後、しばらくして2回目の放流では青物が放流された。そこから青物狙いにかなり気合いを入れてやることにした。
まずはハタハタで誘ってみたが、ダメ。一度ワラサらしき魚が追いかけて来たので、魚そのものの活性はあるようだ。
そこでしらばく頑張ったが結局アタリは出なかった。イワシやキビナゴに切り替えて誘ってみたが、どうもダメ。誘い方が悪いのかもしれない。竿がかなり重たくて、手持ちで誘って釣るにはどうも使いにくい。
早く新しい青物竿を買いたい。ダイワの釣り堀用の竿ってのはいつでるんだろうか。早く出してほしい。昨日上島釣り具で聞いても「もう少し待ってください」としか言ってくれなかった。まあ次の釣行はいつになるかわからないしたぶん7月後半だろうから、それまでには出ておいて欲しいが。
イワシやキビナゴでもアタリを出せずに苦戦していると、誰かが生きアジで青物を釣り上げたということで、私も生きアジに切り替えてみた。
すると、なかなか良い感じでアジが暴れている。しばらくするとグイーンと穂先が入った。
しばらく待って、送り込んで、さあ合わせようか・・・と思ったら竿先がもとにもどって静かになった。
上げてみるとアジだけ取られていた(涙)。
気を取り直して再度チャレンジ。まだまだ気配はありそうだ。
またしばらくすると、穂先がはげしく動き、かなり深く海面へ沈んだので、思い切って合わせてみたが・・・これまたスカ。上げてみるとまたアジが取られていた(涙)。
対面ではただちゅーさんや中谷さん、南東角に入った人が次々にマダイやシマアジを連発させている。対してこちら側でそのような魚のアタリは一切なし。ただ、青物はこちらがわが良さそうだったから、マダイなどはYUKAにまかせて私はずっと青物を狙っていたのだが・・・
最後まで青物は来なかった。
前回の爆釣会では、何をやってもアタリが出る、そんな感じだったが、今回は何をやっても釣れない。ただ、青物の気配はあっただけに、自分の腕の未熟さが残念でならない。
今回の場合は、マダイをあきらめて青物を狙うという状況判断は確実に正しかったと思う。しかし青物を誘って食わせたり、青物にアピールする能力に欠けていたということだ。
その判断ができただけでも一歩前進と見ることにしよう。・・・と必死でポジティブなところを見つけだそうとする私。
いずれにしろ、青の活性があって、狙ったとしても、そこから実際に青物をかけて釣り上げるまでは、まだまだ今後の課題が山積みということだろう。具体的にどうすれば良いのかすら思いつかない。
今回ご一緒してくださった皆さん、どうもありがとうございました。修さん、幹事ありがとうございました。また私は私でただ黙々と釣って愛想なくてすみませんでした。またよろしくお願い致します。
(私)マダイ3匹
(YUKA)マダイ1匹、あとボーズ池で1匹、ボーズ保証の1匹の合計3匹
マチック
チヌマチック1000の細糸用を取り寄せてもらっていたんですが、やはり考え直してXTにしました。定価15,540円(税込み)が上島釣り具で4割引なので9,324円(税込み)でした。持っているリールで間違いなく一番高いものになります。

デザインも悪くないとは思いますが、以前の白いやつのほうが良かった気がします。あとはもっと和風なデザインと名前でこの手のチヌリールを出して欲しいです。それなら少々高くても買います。私は車でも何でも、性能だけでなくデザインの好みも重視します。
説明書を読むとなかなか良さそうです。さわってみた感じもなめらかそうです。これで釣れなくてもバラしても道具のせいにはできません(汗)。
それにしてもチヌマチックって変な名前ですね。チヌチェイサーはまだわかりますが、チヌチェイサーHGの「HG」って最近ではイメージ悪いですよね。芸の無いゲイという感じで。
ところでマチックを逆引き広辞苑で調べてみたところ
・オートマチック〜自動的、自動拳銃、自動車の自動式の変速装置
・システマチック〜組織的、系統的、体系的
・ドグマチック〜独断的、教条主義的
・ドラマチック〜劇的、波乱に富むさま
の4つの単語がありました。私にあいそうなのはドグマチックかな。
閑話休題。チヌリールでよく使っていたのは、チヌチェイサーとチヌチェイサーHGとチヌマチック1000でしたが、このチヌマチック1000を先日水没させてしまったので、今回あらたに1000XTを買いました。今後の主戦力となる予定です。
しかし先日同じく買い直した西海8号とあわせてこのリールも当分は出番がなさそうです。というのも、まだしばらく釣り堀には行けないからです。7月13日までは気の重い仕事が残っています。といってもあと二週間の辛抱ですが。来週の土曜日か日曜日あたりに、近場で短時間の波止釣りくらいなら、もしかして行くかもしれませんが。
ということで、遅ければ次の釣りは7月末の夏の大会になりそうですが、その前に一度は行っておきたいなあと。
サッカーも悪くないかも
ところで私が購読している雑誌にめずらしくサッカーの話がのっていたので、転載します。日本のサッカーの歴史がわかって参考になりました。
私はてっきりサッカーは日本において「最近のパッと出」なのかと思っていましたが、実はそうではなく、以下に書かれているように、これまでにそれなりの歴史の積み重ねがあるようです。
そうであるなら、サッカーも悪くないかなと思い直しました。せいぜい「キャプテン翼」以降かと思っていましたが、日本において、もっと古い歴史があるようです。
一時のマンガがきっかけになってブームになったスポーツを最近になって騒いでいるだけのような気がしていたので敬遠していたというところがちょっとありました。たんなる私の無知でした。
物事、いろんな側面から見ることは大切ですね。
ところで、以下に引用した文章は、ワールドカップの開催前に書かれて発売された雑誌なので、まだ結果を知らないうちに書かれたものです。
マスコミの論調では、試合前にはたいして根拠もなしに「勝てる!勝てる!」的な解説ばかり目に付き、負けると今度は手のひらを返したように「誰々が悪い!」「あのやり方が悪い」みたいな感じで身内の中だけで戦犯と敗因さがしみたいな事がはじまり、まるきり先の戦争とそっくりな光景が再現されたわけですが、だから私は「無責任なマスコミとそれに簡単に乗せられる大衆」が大嫌いなのです。
それとは違って、以下の文章は試合前に書かれたものにしては、わりと冷静に日本チームを見ており、その上で日本代表に期待していることがわかります。
内容は、歴代の日本のサッカーチームを振り返って見ることで、日本のサッカーにおける「組織」と「個人」という側面について考察しているものです。
サッカーそのものは試合を見てもよくわかりませんが、このような側面から見るのであれば私にも色々考えられるので、なかなか面白いと思いました。
4年後のワールドカップよりも、マイナーな中でも頑張ってきた過去の日本サッカーの代表とその歴史に興味が出てきました。ドイツW杯への期待
本号が店頭に並ぶ頃、サッカー日本代表は豪州との緒戦を終え、第二戦のクロアチア戦に臨もうとしている事だろう。(中略)
そして今大会、日本代表は予選一時リーグを突破、悲願のベスト16入りを果たした前回を上回る活躍が期待されている。だが捕らぬ狸の皮算用をする前に、まず確認しておかなければならないのは、世界ランキング17位(参加チームの中では13位のランク)の日本が、サッカーに関してはなお発展途上国にすぎないという厳然たる事実である。
一方でそれは日本代表の急速な“進化”を物語ってもいる。例えば前回大会の時点で、欧州のプロチームに所属していたのは中田(英)ひとりであったが、今回の代表二十三人中、実に九人がこの四年間のうちに欧州で揉まれた経験を持つ。そこで代表チームは、国内組と海外組みとの融合という、これまでにない贅沢な悩みを味わうことにもなったのだ。
ジーコ監督の、組織よりも個人の判断とイマジネーションを重視するスタイルは、その点いかにもこの発展途上のチームにプラスに働いたように評価する向きもあるが、その浸透には実は意外に時間がかかった。ジーコ・ジャパン誕生直後のテストマッチで敗北を喫したとき、宮本主将は「このチームにはあまりにも決まり事が少なすぎる」と発言して物議を醸したものだ。取りも直さずそれは、代表チームが如何にそれまで、決まり事で雁字搦めにされていたかを物語ってもいた。
単にそれは前任のトルシエ監督時代の、組織重視のサッカーに限られはしなかった。韓国の厚い壁の前に、組織で守り抜こうとしたアマチュア時代の全日本が何度、お世辞にもシステマティックとは言えないあの怒濤の攻撃に砕け散っていったことか。
個人技や身体能力の劣性を補うために、組織プレーを重視し、決まり事の中でなお個性的な選手の「自己判断」も十分尊重するという理想が例外的に開花したのは、ドイツのD・クラマーコーチの薫陶を受けた、かのメキシコ五輪の銅メダルチームだった。
当時の八重樫主将は、往年の代表チームについて、「身体はアマチュアだったが精神的には完全にプロ集団だった」という名言を残している。確かに彼らは平常、新日鉄や古河電工、三菱重工などのサラリーマンだったのだ。
つまり決まり事で雁字搦めになること、組織の前に個性が潰されることの恐ろしさを、サッカー選手として以前に、高度経済成長期の企業戦士として十分に体得した上で這い上がってきた個性派のアマチュア集団だったのである。
現在では考えられないことだが、千葉県検見川の合宿では、朝は納豆飯にたくあん、みそ汁。夕食は透けて向こうが見えそうな薄い豚カツ一枚といった粗食に甘んじて、代表チームは銅メダルにたどり着いたのだ。今代代表チームの団長・釜本邦茂氏こそは、そのメキシコ五輪の得点王である。さらに日本サッカー協会の川淵三郎会長は、初めてベスト8入りした東京五輪の対アルゼンチン戦で、歴史的なダイビングヘッドを決めた名フォワードだった。W杯への道は、この苦しくも輝かしき伝統の上にあることを忘れるべきではない。
「組織」と「個人」、古くて新しいテーマだが、ジーコジャパンには、ぜひその新たな綜合を実現する心意気で、ドイツのピッチを踏みしめて欲しい。>
また、強烈な個性というのは、集団の厳しい縛りにもまれながらも、それで押しつぶされることなく生き抜くことができるくらいに個性的であってはじめて「強い確かな個性」と言えるのだと思います。安易に「個性」「個性」と叫ぶのではなく、組織で揉まれた上でどれだけの選手が本当の個性と身につけることができるのか、そういう面も見てみたいと思います。
それから、サッカーが日本人に向いているとかいないとか書きましたが、フィギュアスケートの荒川選手は、考えてみれば白人以外では史上はじめての金メダルだったわけです。「アジアで初の快挙」なんて言われてましたが、世界的には「白人以外ではじめて金」という印象だったと思います。
そう考えると、サッカーをあっさりあきらめるのも早いかなと思います。ただし荒川選手というのは人一倍「国を背負っている」という自覚の強い人でした。
その責任感を、サッカーの代表選手たちも持つ必要があるのではないかと思います。物事何でもモチベーションが大切でしょう。自分が楽しむためなんて、モチベーションとしては下等な部類にしか入らないと思います。
しかし「自分が楽しむことが大切」なんてのはマスコミがさんざん煽った文句なわけですから、スポーツ以外の面ではごく普通の青年なら、そんなマスコミの綺麗事に乗せられても、まあ仕方ないかなとは思います。誰かが目を覚まさせてやる必要があるでしょう。
今日を乗り切れば
その準備を全力でしなければならない。
と、そういうプレッシャーがあるほど、こんなひとりごとを書いて現実逃避する私。
まあまだ来週と再来週に体力仕事的なものが残っているし、大人数を相手にだから大変だなあー。
私は一人でコツコツやる仕事のほうが向いている気がする。というかそういうほうが好きということなのかもしれない。
回転寿司占い
結果は、何と二人とも「コハダ人間」でした。想像すると半魚人みたいでちょっと怖いですね。細かい部分ではYUKAと結構ちがいました。
まず私の結果から
うーん、当たっている部分もあるような・・・「コハダ人間」
器用でどんな作業もソツなくこなす才能のある人です。しかし、世渡りは下手で人間関係のストレスが多いため、その才能を生かしきるのに苦労することも。
「恋愛観」〜1皿目にイカを選んだあなたは、好きになるまでに時間がかかる人。相手のことをよく知ってからでないとつきあうことができません。その分、つきあい出すと長続きします。
「金銭感覚」〜2皿目に穴子を選んだあなたは、極めて常識的な金銭感覚。身分不相応だと思ったら、背伸びして何かを購入しようとすることはまずありません。
「出世願望」〜3皿目にアワビを選んだあなたは、大きな野心、夢をいつも持ち、超一流のものへの憧れが強い人。理想を実現するために一生懸命になります。人の言いなりになることはまずありません。
「家庭観」〜4皿目にイクラを選んだあなたは、とても家族思いの人。家庭的なものを大切にし、食べ物も外食より家庭料理が好き。家族揃って御飯を食べることで気持ちが落ち着きます。
「理想とする人間像」〜5皿目にコハダを選んだあなたは、今までの自分を大きく変えたい、これまで気付かなかった新しい魅力を探り出したい気持ちの強い人です。
YUKAの結果です。
うーん、こちらも当たっているところもあるような無いような・・・「コハダ人間」器用でどんな作業もソツなくこなす才能のある人です。しかし、世渡りは下手で人間関係のストレスが多いため、その才能を生かしきるのに苦労することも。
「恋愛観」〜1皿目にトロを選んだあなたは、いったん恋に落ちるとその人のことが忘れられない情熱家です。相手のことを考えて仕事も手につかない、という状況に陥ることがよくあるのでは?
「金銭感覚」〜2皿目に納豆巻きを選んだあなたは、人目につかなくても、自分自身が心地よくいられる空間やものにお金を注ぎ込む人。精神的なものを重視する人です。
「出世願望」〜3皿目にアワビを選んだあなたは、大きな野心、夢をいつも持ち、超一流のものへの憧れが強い人。理想を実現するために一生懸命になります。人の言いなりになることはまずありません。
「家庭観」〜4皿目に穴子を選んだあなたは、最終的に癒されるのは家庭という考え方の人。普段はあまり気にかけることはありませんが、辛いことがあると家族のことを思い出します。
「理想とする人間像」〜5皿目に玉子を選んだあなたは、もっと優しい思いやりのある人間になりたい、そしていろいろな人に好かれたい願望のある人です。実は寂しがり屋なあなたです。
しかし、YUKAは「サーモンが無い」とか色々と不満をもうしておりました。サーモンがあればサーモンから取るから結果は違ってくるとか言っておりました。いや遊びなんだからそんなに真剣にならなくても・・・
福井総裁にやめろと言う前にすべきこと
たぶん福井総裁はインサイダーみたい事したんだろうし、結論としては「やめろ」と言うのはたぶん正しいのだろうとは思う。
しかし、辞めさせる理由が「世論」というのはおかしい。インサイダーの証拠をつきつけて非難するならわかるが。
世論なんてマスコミが煽った結果だし、マッチポンプ的だから結局はマスコミが決めているだけにしか思えない。
福井総裁がどうしてああいう事をできるようになったのかをもっと考えたほうがよいし、どうしてこれほどバッシングされているのか、その裏も知ったほうが良い。
まず、どうしてああいう事ができるようになったのか。それは政府の政策だからだ。だから、ああいう金儲けの仕方がイカンと思うのなら、何故あの選挙を「郵政民営化選挙」であることを認めて熱狂したのか。たった一つの政策を争点とするあの選挙のあり方に少しでも悩んだのならまだわかるが。
あれより以前から政府は政策としてあのような金儲けのしかたを奨励していたのだから。福井総裁もそっち側の人で、自ら手本を示したというところだろう。今頃になって騒いで、そもそもマスコミも国民も、福井総裁を批判する資格があるのかと疑問に思う。
今は国内の話だけで騒いでいるが、来年からはもっと卑劣で狡猾な外資がわんさか入ってきて日本を徹底的に食い物にするだろう。そういう危険性を指摘したまともな政治家もいたのに、「郵政民営化に反対したから」というおかしな理由で徹底的にいじめられ落選した。
それから、ここまでマスコミが騒ぐ「裏の側面」については、別に証拠があるわけではないが、福井総裁はどうも「量的緩和解除」と「金利上げ」の姿勢があまりにも急激だったという事で裏で何かが暗躍してこんなにマスコミを煽っているんじゃないかとすら思う。
日銀が金利を上げれば「日本がドルを買い支えて、その資金が世界の経済を支えてきた。その資金を超低金利で供給してきたのが日銀だ。」「日銀が世界のバブルを崩壊させる」なんて事を言う人がいるが・・・日本の低金利はハゲタカ・ファンドに利用されてきただけなんだが・・・。
つまり、日本の超低金利(ほとんど0%)の円を借りて、それを担保に金利6%台のドル借りて、キャリートレードというのを行って、レバレッジ効かせて超ハイリスクハイリターンの金儲けをしている。
しかし、この金は日本発の金じゃないので別に日銀がこの世界のバブルを支えているわけではない。しかも、これが原油高騰の一因にもなっている。
「量的緩和解除」や「金利上げ」に反対している人たちはユダヤやヘッジファンド、ひいてはアメリカ様のために、日本は奴隷金融政策をしろと言っているわけだ。
経済には上部構造と下部構造とがあって「ものづくり」などの実態経済が下部構造で、銀行とか株とかの「金融」が上部構造となって下部構造を動かしている。
戦後、日本は「ものづくり」という下部構造でアメリカの脅威となった。そこでアメリカは「ものづくり」で日本と張り合っても勝てないことを悟り、それは日本にやらせて、上部構造である「金融」で日本の経済を上部構造から下部構造までひっくるめて支配しようと10年以上前から着々と狙ってきた。
そして、金融の分野でアメリカが日本を支配できるように、会社法の改正や商法の改正など数々の法案を通すことでアメリカに協力してきた結果、アメリカが日本を完全に金融という面から支配しつつある。これが完成すれば日本は第二の敗戦に匹敵するくらい、自分たちが知らないあいだに経済的植民地にされている事だろう。
日本国内にも無自覚にアメリカの手下となってそうした政策に荷担している人間が少なからずいるということだ。ヤワラちゃんみたいなのがウヨウヨと。
目先の事で福井総裁に「世論」という錦の御旗を掲げて「やめろやめろ」と叫ぶ前に、もっとその背後まで見てものを言わなければならないのではないか!?みのもんた君よ。
おすすめの本
まずこの本。何と30冊以上も売れました。世界の偉人から賛辞が送られているのは、現代の日本ではなく、「かつての日本」に対してです。かつての日本のことは日本人自身のほうが知らないようです。
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次がこの本。結構この本の内容をパクッてここで書いたこともあります。28冊売れました。100万部以上売れて、今やベストセラーですね。
![]() | 国家の品格 藤原 正彦 (2005/11) 新潮社 この商品の詳細を見る |
これは13冊売れました。
![]() | 拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる 関岡 英之 (2004/04/21) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
これは11冊売れました。
![]() | 世界がさばく東京裁判 佐藤 和男 (2005/08) 明成社 この商品の詳細を見る |
これは5冊。
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4冊。
| 国富消尽―対米隷従の果てに 吉川 元忠、関岡 英之 他 (2005/12) PHP研究所 この商品の詳細を見る |
2冊。この本なんか特におすすめなんですが、ちょっと内容が難しいのか私の紹介の仕方が悪かったのか、思ったより売れませんでした。
| 増税が日本を破壊する 菊池 英博 (2005/11/18) ダイヤモンド社 この商品の詳細を見る |
これも2冊。これもかつての日本がどのようだったか知るには、一番上で紹介した「日本賛辞の〜」よりも良いくらいです。
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あと、あまり売れませんでしたが、おすすめの2冊
![]() | 戦士の遺書―太平洋戦争に散った勇者たちの叫び 半藤 一利 (1997/08) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
![]() | 南十字星に抱かれて―凛として死んだBC級戦犯の「遺言」 福冨 健一 (2005/07) 講談社 この商品の詳細を見る |
それから、今読んでみたいと思うのはこの本↓です。ドイツ在住の女性がドイツ語で書いてドイツで出版された本の翻訳版らしいです。この本を書いてから、著者はドイツで普通に道を歩いていて突然張り手をあびせられたりするようになったそうです。
![]() | 驕れる白人と闘うための日本近代史 松原 久子 (2005/08/24) 文藝春秋 この商品の詳細を見る |
度胸のある人もいるものです。私は昨日のサッカーのところで欧米人が野蛮だみたいに書き、さぞかし私を差別的な人間と思われたかもしれませんが、しかしそれは一般論として歴史を見れば明らかな事で、たぶんそうした事もこの本にはちゃんと書かれているのだと思います。そして読んだ人の話によると、過去の歴史で「欧米は常に進んでいて日本は遅れていた」というのは大間違いだという事がわかるそうです。
もくじを引用
「西洋の技術と東洋の魅力」
世界の端で―「取るに足らない国」だった日本
劣等民族か超人か―「五百年の遅れと奇跡の近代化」という思い込み
草の根民主主義―江戸時代の農民は「農奴」ではなかった
税のかからない商売―商人は独自の発展を遂げていた
金と権力の分離―サムライは官僚だった
一人の紳士―初代イギリス駐日公使・オールコック見た日本
誰のものでもない農地―欧米式の「農地改革」が日本に大地主を生んだ
大砲とコークス―日本はなぜ「自発的に」近代化しなかったのか
高潔な動機―「白人奴隷」を商品にしたヨーロッパの海外進出
通商条約の恐ろしさ―日本はなぜ欧米との「通商関係」を恐れたか
茶の値段―アヘンは「中国古来の風習」だと信じている欧米人
ゴールドラッシュの外交官―不平等条約で日本は罠に陥った
狙った値上げ―関税自主権がなかったために
頬ひげとブーツ―欧米と対等になろうとした明治政府
猿の踊り―日本が欧米から学んだ「武力の政治」
たて糸とよこ糸―今なお生きる鎖国時代の心
化けの皮
ようやく彼の化けの皮がはがれつつある、そんな気がする。今やっている政府の「改革」とも共通しているが、ごく短期的な見通ししかない。<日産>「私を信じて」と強気のゴーン社長 株主総会
「『ゴーン・マジックが通用しなくなった』という否定的な報道がこれからも出るだろうが、どうか私を信じてほしい」。日産自動車のカルロス・ゴーン社長は27日の株主総会で、国内外で続く深刻な販売不振を問いただす株主に対し強気の弁明を繰り返した。
日産は昨年10月以降、国内販売が8カ月連続の前年割れで、北米も新車投入がなく苦戦が続いている。同9月までの大規模な販売促進活動の反動で、ゴーン社長は「年度前半の台数減は予想されたこと」と釈明。「08年度の世界販売420万台」という長期目標の達成を約束した。ただ、新車を投入する今秋までは厳しい状況が続くとし、84万6000台と設定した06年度の国内新車販売台数については「80万〜84万6000台になる」と、下ぶれする可能性に言及した。
05年度の事業報告では取締役11人に支払われた報酬総額が25億2700万円だったことを明らかにした。トヨタ自動車の9億4000万円(対象26人)などと比べ、一部株主からは「ダントツに高い」という声が出たが、ゴーン社長は「これまでの目標達成に見返りがなくてはならない」と話し、妥当な額との考えを強調した。
一方、2010年までに行うと表明していた東京・銀座から横浜市への本社移転について、ゴーン社長は09年の横浜開港150周年に合わせて実施することを明らかにした。【小川直樹】
(毎日新聞)
話は少しずれるが、最近の経済に関わる人間(経済学者も含む)の物事の見方がごくごく短いスパンでしか見られていないのが気になる。目先の儲けや黒字、歳出削減とかのために夢中になっているうちに、長期的にはジリ貧化しているではないか。まるでデイトレーダーみたいだ。
経営の収支や国の財政を「苦しいときは支出を減らして借金をなくす」なんてまるで家計と同レベルでしか捉えられていない。最近はやりの経済学ってなんて原始的で幼稚な学問なんだろうか。支出の減らし方によっては収入を致命的に失ってしまう可能性というのが国や会社の財政においては存在するだろう。そんな事もわからないで、「骨太の方針」なんて国を骨粗鬆症にするような政策を掲げて・・・。
価値
私もごく普通に、もし大金を手にしたら・・・と想像すると、まず車をもう1台買いたいたいとか、昔買えなかったレッチェのバストロンボーンを買いたいとか、あとは自分の住む家とか親に家を建ててやりたいとか、それくらいのことは思いつく。
これに必要な額はどれくらいか・・・まあ1億もあれば十分かな。しかし、私の場合はこの程度の事で金のためだけに仕事を選ぶというのは、正直かなりしんどいと思うし、その能力もないだろう。
それよりも、自分の興味ある仕事を一生細々とでも続けられるほうが幸せだと思うし、自分の能力でできる仕事で必要十分な収入を得てその範囲内で生活するので満足だ。あとは子供がいてその子供がまともに育ってくれればそれで十分なのだが。
ただ、まあそこそこ稼いで豊かな生活をしたいというのは、わからんでもないから、金をたくさん稼ごうとする事はまったく否定しない。人より稼がなければならない事情があるなら、金儲けのために頑張らないほうがどうかしているとすら思う。
しかし、世の中には、すでに何十億も手にして成功して、その上さらにインチキしてまで儲けようとする人もいるようで、一体彼らのその金儲けへの執着心の原動力は何なのだろうか?といつも不思議でならない。拝金主義なんだろうか。
別に金儲けは、それはそれで文句を言うつもりはないのだが、でも、何十億と金を儲けて一体何をするかと言えば、誰もが判で押したように同じパターン。運転がへたくそのくせしてフェラーリとかポルシェとかの高級外車を買ったり(車が可哀想だ)、モデルとか女優の歓心を買うために金品を貢いだり、何やらヒルズとか都心の超高級マンションの高層階に住んだり、その先は自家用ジェットとか宇宙旅行とか・・・
そんな金の使い道しか思いつかないのに金を儲けたいのか?そんな目的のためによく頑張れるなと不思議でしょうがない。
その点、松下幸之助とか昔の人は偉かったと思う。PHPとか松下政経塾とかを作って、それがうまく行ったかどうかは別にして、少なくとも彼はこれからの日本を背負う人材を育成するために金を使ったりしたのだから。
自分の意志の断片を多少なりとも自分の死後にも残せる生き方こそが理想的だと私は思っているので、普通に子供を育てた上にさらに人材を育成したこういう人の生き方というのはとてもうらやましく思う。そういう事ができるなら、金儲けも悪くないなあと。
しかし、そういう事をするわけでもなく、宇宙旅行とか自分だけの一時の楽しみのために金を使って、それで満足なのかと不思議でしょうがない。
まあ、実際はそういう目的のためだけというより、金儲けそのものが楽しくなってくるという事かもしれない。それなら、まあわからないでもないが。ゲームみたいもんだろう。
しかし金というのは手段としての価値、使われてこそ価値を発揮するものなのに。
まあ手段がいつのまにか目的になってしまうという倒錯は、現代においてはありがちな現象だと思うから珍しくもないが。
たとえば人間の命。私は命というのも手段としての価値だと思う。生きていて何をするか、何ができるかという事に価値があるのであって、無条件にただ生きているということまでが尊いのだという考えには強く違和感を感じる。
だから、もう意識もない回復の見込みもない老人の人工呼吸をはずすべきかどうかで大騒ぎになる世の中は何かおかしいのではないかと思う。
もうその命は手段として何もできない、しかもすでに手段としては十分に使い尽くされたものなのだからそれで十分ではないかと思うが。意識がないから本人の意思がわからないと言っても、年をとって植物状態になってでも、まだ機械によって延命されてまで生きていたいと思う人がいるものか。
「生命は尊い」と簡単に言うが、その生命はなぜ尊いのか、尊くあるためにはどうでなければならないのか、を考えてしまう。ただ「尊いものになりうる可能性もある」という事だと思う。
とにかく生きてさえいれば良い、それこそが目的だというのはニヒリズムにつながると思う。
生きるためにはどんな恥知らずな事をしても良いとか、自分が生きるためには人にどんな迷惑をかけようとかまわないとかいうニヒリズム。
「手段としての価値」を「目的そのもの」と捉えてしまう風潮には疑問を感じる。
どうせいずれ死ぬのならふしだらに生きようと考えるよりも、いずれ死ぬならせめて真面目に生きようと思うのが、手段としての命の価値をまともに理解した人間の出す結論だと思う。
どう生きるかによって、人の命は尊さを発揮することもあれば、醜悪でしかない場合もある。たいていの人はその両方入り交じりで、だからこそ少しでもまともに生きようと努力するのがまっとうな生き方なのではないかと思う。
と、思っていても全然実践はできちゃいない私・・・。
「勝敗」よりも大切なもの
したがって、先日サッカーを見ていて思ったことをちょっと書かせていただきます。
サッカー好きの方には申し訳ありませんが、以下の文章はサッカーを否定しているわけではありません。
しかしサッカーはそもそも日本人にはあまり向かないスポーツではないのかと以前から思っていました。
職人気質で農耕民族の日本人はサッカーに向かない、日本人がサッカーにのめり込めばのめり込むほど、そして勝負に勝とうとすればするほど、日本人の良さが失われてゆくとすら思っています。
あのスポーツは小柄で肉体的な攻撃力に劣る日本人には向かないでしょう。肉食の巨獣たちの狩猟型のスポーツと言えると思います。
日本人は持久力や耐久力はありますが、瞬発力はありません。これは遺伝的な問題であり訓練ではどうにもなりません。そこで日本人は、サッカーに限らずたいがいのスポーツではそれを持ち前の「技」で次々に克服してきましたが、そろそろ限界に近づいているでしょう。
日本が勝てば勝つほどルールがどんどん変更され、「技」で勝負する余地はなくなり、「基礎的運動能力のみ」が勝敗に影響するようになってゆきます。サッカーはもともと「技」が入り込む余地が少ないと思いますし、大人数で戦う割には個人個人の運動能力の差が直接勝敗に大きく結びつく競技だと思います。
そこが野球との大きな違いだと思います。野球においては個人のフィジカル面における能力の弱さをメンタルな部分や緻密さや集団としてまとまりでおぎなう事が可能です。
さらに、緻密さと手先の器用さで道具を使いこなして戦うという点でもやっぱり野球は日本人に向いています。ただ足でボールを蹴飛ばすとか、陸上競技(ただしマラソン以外)のように肉体の攻撃力のみで戦う単純な競技には向かないでしょう。
今後はこれらをほどほどにして、「道具を使いこなす」「緻密さが求められる」「精神的な闘争心が重要となる」「個人の力よりチームワークが問われる」ような競技に力を入れるべきです。もしくはフィギュアスケートのように「表現力」とか「芸術性」という要素の入るスポーツも良いと思います。こちらにシフトしたほうが良いでしょう。どんな競技でもすべてで世界のトップを目指そうとするのは「二兎を追うもの一兎をも得ず」ということです。
サッカーはジーコがやろうとしたように個人個人が自立して力を発揮して勝つスポーツです。だからジーコのやった指導は間違っていません。日本人がそれに向いていないだけです。
野球と違って日本流の集団運営法でサッカーをやっても、おそらくうまく行かないでしょうし、日本人としての強みをサッカーに生かすことは難しいでしょう。ということは、今くらいのレベルが世界のサッカー界における日本の力の限界という事です。
そもそも手先が器用で周囲との調和を重んじる農耕民族である日本人は、欧米型の個人プレーで単純攻撃的スポーツには不向きだと思います。
今後はこのような分野のスポーツにおける国際舞台での活躍を期待するよりも、別の道を模索したほうが良いでしょう。
私としては柔道や剣道、相撲に力をいれるべきと思います。
競技の勝ち負けを単純に争うのではなく、競技そのものと真剣に向き合い、最終的には自己の修練の場となるのが柔道や剣道でしょう。「スポーツ」とか「競争」とかよりも、こういうものを守ってこその日本です。
また、剣道や柔道は多くの日本人が油断しているあいだに大きな危機が訪れています。「柔道や剣道(注1)は日本が起源ではなく俺たちの国が発祥だ」とデタラメな言いがかりをつけ、世界中にふれ回っている国があるのです。そのことに一体どれだけの日本人が気づいて危機感を抱いているでしょうか。
相撲は修練の場というより、国技や神事としての側面を重視し、文化的な行事として大切に守って行くべきです。
陸上競技の短距離走でどんなに日本人が頑張ったところで黒人に勝てないのと同じように、いくらサッカーに力を入れても世界のトップに立つことはできないでしょう。今現在のレベルで十分満足すべきだと私は思いますし、以下の理由からサッカーを日本の「国民的スポーツ」にすべきではないと思っています。
日本人は基本的に温厚ですから、単純に力とスピードの優劣が勝敗に大きく影響する攻撃機的なスポーツにはむかないと思います。日本人が攻撃的になれるのは、自分の身をすてて自己犠牲の精神を発揮して相手にぶつかる、というような「精神面」においてだけであって、肉体そのものを攻撃的に使うということには向いていないと思います。しかもその精神面の強さも急速に失われています。
もしこれらを何とかしようと思えば日本人も完全な肉食獣型に改造するしかありません。すでに少しずつそうなりつつあるような気がします。これならば、総人口の多い分、外国とも互角に戦えるようになるかもしれません。しかし、その分、日本的な美徳や気質が完全に破壊されてしまいます。代償は少なくないはずです。
例えば今回の試合で目に付いた「得点力の無さ」の原因は、2600年の日本の歴史によって培われた穏やかな神道の気質が根底にあるのではないかと思います。戦後の日本人は、ひたすら怠惰に自己の楽しみばかり追い求める平安貴族の時代に逆戻りしたと言えます。
このような時代には「文芸面」で頑張るしかありません。いずれ平安貴族は滅びて鎌倉武士の時代がやってくるでしょう。「平安貴族」と「鎌倉武士」の二面性は、どちらも日本人の性質です。
したがって鎌倉武士的な戦闘力も日本人にはあるはずでが、武士は、むやみやたらと敵を作ってひたすら攻撃して侵略を繰り返すような欧米人の攻撃性とは別物です。サッカーではそのように単純な攻撃性が必要だと思います。武士道とは相容れないでしょうし、そもそも武士道は単純な勝敗や運動能力を争うような「スポーツ」や「競争」という概念とは相容れないものだと思います。
欧米人の戦闘力は敵を倒して侵略し、相手から奪い取る物質的な欲望が基本です。日本の武士は自分より弱い相手から奪い取ったりしません。そんな卑怯な事を武士はしません。
したがって、このように日本的な精神面の向上を重視する気質を、欧米人的な物質面を重視してひたすら勝敗にこだわる気質に改造すれば、結局のところ基礎的な肉体面での強さのみがすべてを決めてしまうことになり、ますます日本人は不利になってゆくだけでなく、日本は日本でなくなるでしょう。
日本人が獰猛な肉食獣になればその分、日本人の精神性が失われ、倫理が崩壊し、治安が低下し、物作りの能力を支えている緻密さや勤勉さも失われてしまいます。すでにそうなりつつあります。
これらが失われれば、日本人のコツコツ頑張る職人気質や叙情的な性格から来る「ソフト」が衰退してゆくでしょう。つまり日本が世界に誇れる工業技術や小説などの文学、最近ではアニメ・ゲーム等のキャラクターコンテンツなどのソフト分野での日本の国力が弱体化し、文化面で衰弱して行くということです。
肉食獣の得意分野で無理に勝負を続けても、日本人「らしさ」が失われて徐々に先細りになり、いずれその他の日本の優位性は全滅するだけです。
国勢の弱体化を防ぐには、国民の性質に合った得意分野で戦うべき、そのような分野を戦場に選ぶべきです。サッカーは日本人が国際舞台で戦う戦場にはふさわしくありません。わざわざ相手が得意で自分たちが苦手な分野で土俵に乗ることはないでしょう。
ついでに言うと経済における「金融」も同じです。グローバリズムに飲み込まれ日本がアメリカの真似をして金融で勝負しようと思えば、日本は徹底的に食い物にされ、いずれ破滅します。
そろそろ欧米の後追いばかりするのはやめにして、どうすれば日本が世界をリードできる分野で勝負の土俵に乗ることができるのかを考えるべきでしょう。
(注1)「剣道・空手道・合気道・柔道・相撲・居合・古流武術、武士道・侍・日本刀・天皇・茶道・寿司・刺身・盆栽・折り紙・扇子・漫画・アニメ・日本酒・・・」などを日本ではなく自分たちの国が起源だ!と言い張っている(しかも国定教科書や一部の大手新聞社などがそう言っていて国をあげてプロパガンダしている)。とくに剣道については国際的にプロパガンダをすすめ、それを信じる諸外国が増えつつある。(こちら参照)
量より質で・・・
釣り堀の場合は同じイカダに多数の人が乗っている。
そこで、自分は釣れなくても、他の人はバンバン釣っているという状況がしばしばあり得る。
その時にどれだけ動揺せずに自分の釣りを続けられるか。これは私には結構難しい。B型がマイペースだなんて大ウソだ。血液型占いは当たらない。
自分が釣れない時に、イカダの上の誰も釣れていないのなら、まだ私の場合は動揺しないで自分の釣りを続けられる。
しかし、自分が無い知恵を必死でしぼって頑張ってもアタリすら無いという時に、対面でガンガン釣られたりすると、さすがに焦燥に駆られる。
「俺の釣り方は何がイカンのか?」「こっちがダメで向こうが良い理由は何か?」
この疑問が頭をグルグルと駆けめぐる。
しかしこれが、バンバン釣れているのが隣のイカダなら全然気にならないのは一体何故なのだろうか?
無意識のうちに「魚とのかけひき・勝負」というより、同じイカダの「他の釣り人との競争・魚の奪い合い」と思ってしまっているのか?だとしたらそれは深刻だ。
というよりも、置いてきぼりを食ったという焦燥かもしれない。または、こちらは努力が報われないのに向こうは楽して入れ食い(と見える)という不公平感なのか?だったら隣のイカダでも気になるはず。
こんな時には移動すれば話は簡単だが、しかし私にも意地があるし迷惑な場合もあるだろう。そこまでして魚が欲しいわけではないし、魚が欲しかったらたくさん釣れた人にちょうだいと言えばだいたいは分けてくれるだろうから、「魚を持って帰らなければならない」というのは移動の言い訳にはならない。
そう思って自分の場所でひたすら頑張ったが、状況はかわらず。結果が出なくてもやるだけの事はやったから満足だと言えるほど大人ではなく、この欲求不満のエネルギーが、次の釣行の原動力となるようだ。
しかしこんな精神状態で釣りに行きたいと思うのは、ギャンブルにのめりこむ心理に似ていて実に危険だ。もっと余裕を持って釣りを楽しみたい。
釣り堀は、同じイカダに他の人と乗り合わせるわけだから、そこを「魚の奪いあいの場」にするのではなく、「楽しさを分かちあう場」にできるような、そんな釣りなら楽しいだろうし、これは釣り堀でしかできない事だと思う。そして釣る時はまじめに気持ちよく釣りたいものだ。
釣りも、いろんな意味で「量より質」なのかもしれないが、その質を高めるには、自分自身が精神的に成熟していなければならないし、釣りにおいても努力しなければならない。
他人と乗り合わせる釣り堀では自分が楽しむことばかり考えていては他人に迷惑をかける場合がある(二本竿など)。
ただ自分だけが遊んで楽しむことを考えるなら釣り堀はやめたほうが良いだろう。相手は魚だけではなく同じイカダに乗り合わせた人の事も考えなければならない。それができなければ一人でパチンコでもやっていろという話だろう。
そう考えると、釣り堀では、お互い気持ちよく釣りができるように、お互いが努力し気をつかわなければならない部分が少なからずある。
私はまだまだ努力が足りないようだ。
水宝討伐隊、返り討ちにあう
明日は忙しいので今その準備で家で仕事をしていますから、今日明日は釣行記を書けません。ということで、とりあえず簡単に報告だけ。
私・・・マダイ3匹
YUKA・・・マダイ1匹(+2匹)
(ただしボーズ池で釣った1匹と、スタッフからボーズ保証としてもらったもう1匹とあわせて合計3匹は最終的にスカリに入っていた。)
あと、牧野さんから良い型のカンパチ1匹とマダイ3匹いただきました。どうもありがとうございます。
釣れない時こそ釣行記を書いて何がいけなかったのか分析する必要があるので、木曜以降になればちょっと時間があるだろうから、遅くなっても一応書く予定。
まあ反省反省と言って結果が得られなかった時にすべて自分の側に原因があるかのようにして自分を責めるのは、日本人の欠点の一つであるし、「かならず成功する方法はあるはず」とか「どこかに正しい答えがかならずあるはず」などと考えるのも人間の傲慢さの一種であると思いはする。
あらゆる事に答えがあり、かならず成功する方法があると構えれば、いずれ大失敗をやらかすだろう。人間は決して全知全能ではなく、この世には人間の力の及ばぬ状況がいくらでも存在する。そう考えれば釣り堀のせいにしたり自分のウデの未熟さに焦燥を感じて身を滅ぼすこともないだろう。
しかし、それを認める前に最低限の努力と試行錯誤は必要だとは思う。本当にやるべきことをすべてやった上での結果か、その上でもだめだったのかどうか。問われるべきはその点なのだろう。
そうであるなら、「あの状況ではどうにもならなかった」と胸をはって言えるだろう。私はもちろん、今回そう言う自信はありますよ。負け惜しみでなく。誰が何と言おうとも・・・。少なくともマダイに関してはどうにもならなかった。あと他の考えられる方法は場所移動という最後の手段しかなかっただろう。
ただし、青物に関しては、反応が無いわけではなかったので、もう少し何かできる可能性があったかもしれない。
マダイがダメな時に状況判断を正確にして、見切りをつけるならつけるで、そこから自分の場所で釣れる魚を見極めるのも、一つの腕なのかもしれない。
そういう点ではまだまだ努力の余地があり、という感じだった。
ガビーン!
いやー、昨日牧野さんに電話して、魚かしを送ってもらうおうと思っていたのに、バタバタしていて忘れてしまった・・・ガビーン(涙)
キビナゴサンドイッチで青物爆釣の予定だったのに・・・
まあこうなったら仕方ない、ハタハタで誘いまくって食わせるしかないか。
まあでも天気も曇りでちょうど良さそうだ。
しかし、今日の夕方まで結構体力仕事なので、余力が残っているかどうか不安。
バタバタしていて忘れたと言えば、昨日はブラジル戦だったようで、これまた負けてガビーンってとこだろうか。
どうりで今朝はずいぶん道が空いていたと思った。皆さん真夜中まで起きていてサッカーの応援をしていたんだろうか。
いやー、お疲れさまでした(誰とはなしに・・・)。
そしてさらばジーコよ!たぶんクビだろう。いや私はジーコの責任ではないと思うよ。私はジーコは好きだし。彼の「個」を重視するサッカーが日本に向いてないとかそんなの関係ないんじゃないかなあと。
つい先日までジーコを含む日本代表をさんざん持ち上げておいて、負けたら手のひらを返したようにバッシング・・・となるのかどうか。クロアチアだかオーストラリアだかに負けた後のマスコミの騒ぎようはひどかった。
負けてから騒ぐくらいだったら、負ける前に何とかしておけよ、という話だろうし。任せて応援してきた責任というのもあるだろうに。
もう、お疲れさま、でいいんじゃないのかね?あと来年以降の事は専門家にまかせて。
薬害なのかな?
血液製剤からC型肝炎ウイルスに感染した問題で裁判しているみたいだが・・・、どうなんだろうか。
たしかに、アメリカでは同じ血液製剤を1976年だかに認可を取り消したりしていて、それよりずいぶん日本は遅れたし、こっそり加熱製剤に変えて在庫処理みたいな事したり、加熱製剤からも感染が出た疑いもあるから、企業や認可を出していた当時の厚生省にはこの部分に関しては間違いなくそれなりの責任があるのは確かだ。
しかしC型肝炎ウイルスが同定されたのは、1989年になってからで、それ以前は輸血された血液から感染血液を同定できなかったから輸血でC型肝炎に感染するのは避けられなかった。私の身内でもおそらく輸血で感染したと思われるのが三人いる。一人は父ですでに亡くなっているが。
私の父の死因は肝炎が原因で肝硬変となり食道静脈瘤が破裂して、その手術の予後が悪くて腸閉塞で亡くなったから、C型肝炎が原因と言える。だから多少発言する権利はあるかと思って書いている。
輸血でC型肝炎の感染が避けられるようになったのは90年代に入ってからなのだか、それ以前は、なるべく輸血しないくらいしか、どうしようもなかった。で、なるべく輸血せずにすむように、ということで出血を止めるために血液を固める血液製剤が使われたりしたのだろうが、血液製剤の材料は人の血液なんだから、結局同じというわけ。でも加熱製剤ができて、多少良くなったようだが。
それからもう一つ気になるのが、別の記事で以下のような文章を読んだのだが
出産で大量出血したと書いてあるが、もしこの時輸血していれば、このC型肝炎の感染は輸血による可能性が高い。滋賀県東近江市の女性(45)が、C型肝炎ウイルス(HCV)感染を知ったのは、2002年4月だった。「肝がんになるかも」。言いようのない恐怖に襲われた。
半年後、薬害C型肝炎訴訟が起こされたことを知った。「もしや自分も」。フィブリノゲン製剤の投与と感染の因果関係を証明できるカルテがあるはず。1979年12月、長女の出産で大量出血した後に、急性肝炎と診断された京都市内の病院に電話した。「もうありません」。素っ気ない返事だった。
輸血なしで血液製剤だけの投与なら血液製剤が原因の可能性が高いが、そこらあたりの因果関係をはっきりさせるのは難しいと思う。
この当時、輸血でC型肝炎に感染するのはごくありふれた事だったのだから。
この場合議論されなければならないのは、当時はフィブリノゲンの他に安全な血液製剤があったのかどうかという事だが、調べてみてもそういう事を書いている記事はなかった。マスコミは必要な情報を報道していない。いつもの事だが。
もし、他に安全な血液製剤がなければ、もう輸血するしかないわけだが、輸血こそC型肝炎に感染する危険性が高い。だったら、どうしようもないし、仕方ないということになる。
しかも、今でこそC型肝炎は放置すると肝硬変から肝癌へ以降するということが常識として知られるようになっていたが、当時は輸血した後に急性肝炎になるのはざらだったので、輸血で肝炎に感染するのは半ば「しかたない事」という感覚だったはず。
一般の常識的な感覚が時代とともに変わっている時に、現代の常識で過去の出来事を裁くというのにはやはり無理があると思う。戦争の評価でも同じだが。
当時の状況の中で血液製剤の危険性を見過ごした国や製薬会社の責任が全くないとまでは私は思わないし、気づいて隠そうとでもしたのなら大罪だが、そうでないのなら、裁判でこの問題を争うのは正しいやり方ではないように思う。
弱者救済は裁判とは別の次元で政治が取り上げるべき事であり、この問題を政治問題にするために裁判を利用しているとするなら、裁判そのものの信頼性を損ねかねない。
国はC型肝炎の治療にはすでにそれなりの補助を出している(特定疾患とか何とか言うやつで補助金が出る)。私の身内(というかはっきり書くと私の妹といとこ)も補助をうけて治療して、幸いインターフェロンが効くタイプだったので二人とも治った。
やみくもにこの裁判で国の責任を認めるのでは、輸血で感染した人はあきらめるしかないが、血液製剤で感染したのならラッキーという不公平を生みかねない。
最初に引用した記事では「勝訴の陰で残酷な線引き」なんて見出しだが、しかし、どこからどこまでが薬害にあたるのか、この問題ではきっちりと線引きがなされなければならないと思う。
なんでもかんでも同情してかわいそうだからなんて原告の主張を丸飲みでは、それこそ不公平だ。
負けたのかよ!?
て・・・撤退!? 自衛隊は負けたのか!?
と思ったけど、別にただ引き上げるという意味で使われているんだろうなあ。
でもなんとなく「撤退」と言うと負けて退去するようなイメージがあったもんで。
ちなみに新聞ではどう書かれていたかちょっと見てみたら
朝日・毎日 〜 撤退
読売・産経 〜 撤収
となっていた。偶然かなあー。
田舎の山菜料理
まずは、いとこが山で採ってくれた「ウド」と「根曲がり竹」、翌日は母の知人が採った「フキ」です。どれも私の大好物です。
まずは、ウドですが、子供の頃は苦手でしたが、高校の頃くらいから大好きになりました。
だいたいは茎の部分を酢みそあえにして食べるくらいでした。

これがうまいんです。
それで、ウドの葉のついた部分、上のほうは今までは食べずに捨てていました。

ところが、ここを天ぷらで食べると美味しいと聞いたので、さっそくやってみました。

めちゃめちゃ美味しかったです。なんか高級な味でした。
マダイの天ぷら(写真なし)と一緒に食べましたが、一瞬、料亭で食っているのかと勘違いしてしまいました。
あと、根曲がり竹、笹竹とも言うみたいですが、北海道のタケノコと言ったらだいたいこれの事です。本当のタケノコとしがって、アクは一切ありませんので、食べ過ぎても吹き出物が出たりすることもありません。
まず軽く茹でて

こいつの皮をむいて・・・

このまま、例えばマヨネーズでもつけて、それだけでも美味しく食べられます。が、普通は色々料理します。炒め物とか何でも使えます。タケノコご飯も美味しいです。
あとはフキですが、これもたぶんこっちのフキとはちょっと違って、少し太いです。

これも茹でて少し水につけておいてアクを抜いて皮をむいてから料理に使います。大好きなのはシーチキンと一緒に醤油味で炒めたものです。

ごはんにも良くあいます。
あとは、おまけでイカの塩辛を送ってくれました。

市販のものでなく家で作った塩とワタだけで作ったやつが私の好みなのですが、これも結構美味しかったです。良いイカを使って、しかも大きめに切ってあり、美味しくてご飯がすすみました。
西海に再会
ちなみに以前は路駐しかなかったのですが、最近では駐車場も借りてるそうで、店の向かいの「粉浜パーキング」という月極駐車場のうち、「上島」と表示されているところに停められます。全部で4台ぶん借りてるそうですが(場所はバラバラ)、店の車も停まっているようで、客が置けるのは2台ぶんかと思います。
それはそうと、これでようやく礫浦の海で先日永遠の眠りについた初代西海にかわって、ニュー西海がやってきたわけです。

ちなみにチヌマチック1000も買おうと思ったのですが、太糸用しか無かったので今回は買わず、細糸用を取り寄せてもらうことにしました。24日には間に合わないかも。まあ青狙い中心でやるから西海も使わない予定ですが、一応持って行くだけ持って行こうかとか思ったりして。
あと、青物用にがまかつの「ブリスペシャル」の4mを買おうと思って値段を聞いたら2割引とのことで「取り寄せてくれ」と言ってしまったのですが、「もうすぐダイワから似たような新製品が出る」と言われたので、それを見てから決めることにしました。
でも上島の店長が「似たような竿」と言って、本当に似ていた試しがないんですが・・・。
店長曰く「先日ダイワの人が見本を持ってきて、釣り堀用の3.6mで穂先がグラスの竿で、ブリスペより安くて良い」と言ってましたが、果たしてどうなのか、まあ一度見てみたいとは思います。
ブリスペにするかその竿にするか、はたまた他のにするか、結論は先送りとなりました。
ということで、24日にブリスペを使うということにはなりませんでした。
さて、水宝のブリやカンパチ、ヒラマサたちを、何でどうやって釣ろうか。
ガンバレ、ムネオ
以前マスコミは鈴木宗男のあること無いこと書きまくってバッシングしまくっていたが、そのせめてもの罪滅ぼしのつもりかな?
ガンバレ、ムネオ!
♪きぃみは〜 砕けちぃったぁ〜 夢のかけら〜 ひとつ ひとつぅううう〜
ちいさなー その手でぇー 集ぁつめ〜〜〜〜
♪いいさぁ〜 やり直すと〜 笑あっていた君の頬にぃいい〜
こぉぼれるゥ〜 涙を〜 見ぃたよぉおおお〜〜〜ん
♪どおして、生きているの? 君はぼくに訪ねたけどぉ〜おおおお
答えを〜〜 急ぐことはぁ 無ぁぃいいいい〜〜〜〜
やがてわかるぅうう〜 か〜ら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪
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不撓不屈(ふとうふくつ)
不撓不屈(ふとうふくつ)

エリートキャリア官僚が会計士を逆恨みして、その会計士にさまざまな陰謀をめぐらし陥れようとし、会計士は家族を守るために権力の弾圧と戦うという話。
「権力による弾圧」と言っても戦前の話ではありません。戦後の話です。
私は基本的に、政府や官僚を国民と対立する敵であるかのように単純に捉えて、常に弱者の側に正義があるかのような判官贔屓は嫌いですが、この作品にはとても興味を持っています。それはなぜかと言うと、公式サイトの紹介文にある以下の部分です。
我が国の未来のため、愛する者たちのため、信念を胸に闘い始めた男。彼はその前に立ちはだかる者がどのような権力を振りかざそうと、決して己の信念を曲げることはなかった・・・。男の支えとなっていたのは強い絆で結ばれた家族と多くの理解者たち。
ここですね。安易に反権力を叫ぶのはどうかしていますが、本当にどうしようもない権力ならばやはり戦わなければならないということだと思いますし、何より人間の未熟さをもっと自覚すべきであるという事だと思います。いかに優れた理念、法律であろうとそれを運用するのは人間次第。人間が成熟しなければ税務の成熟も、国家の成熟もありえない。飯塚は長い闘いの果てにそれを訴える・・・その真実が、飯塚事件を映画化したこの物語の中で、見るものすべての心をうち、胸を激しく揺さぶるのだ。
あと、この作品のモデルとなった飯塚氏ですが(株)TKCの創業者でかつ(財)飯塚育英会の創立者でもあり、なかなか尊敬に値する人物です。
TKCの基本理念は「自利とは利他をいう」だそうで、なかなか立派な人だと思います。すでに他界されていますが。
原作は新潮文庫から出ています。
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ちなみに、ネット上の知り合いに教えていただいて時々読んでいる「山根治Blog」にもこの話が書かれています。このブログは他の点でもかなり参考になります。ちょっとあらすじを。
実際の映画では「安井誠」氏などの名前は変えられているそうですが。しかしこのような事をしておいて、天下りをしてと、どうなんだろうと思います。だから官僚という制度が悪いというより、私としてはやはり人間の問題だと思うわけですが。飯塚事件について −その4
飯塚さんが面倒な事件に巻き込まれた原因の一つは、高杉良さんによれば安井誠という公務員の逆恨みであったそうです。
安井誠なる人物は、東大法学部卒のキャリア官僚であり、飯塚さんと初めて出会ったのは、安井氏が大蔵主税局の課長補佐のときでした。
飯塚さんが不当な課税処分を指示した安井氏と大蔵省で議論した挙句、安井氏の上司の判断により課税処分が取り消され、面子がつぶされたと考えた安井氏は、飯塚さんに強い恨みを抱くようになったそうです。
その安井氏が、飯塚会計事務所の所在地をエリアとする関東信越国税局の直税部長に赴任するや、逆恨みを晴らすために、飯塚さんを潰すための陰謀が開始されたということです。
安井誠氏は、その後日銀政策委員になったりして、大蔵省証券局長まで昇りつめて退官しています。退官後は、安田火災に行ったり、東邦生命の会長になったりしました。
この安井誠という公務員は、外見的にはエリートコースを順調に歩み、退官後も大企業に天下りするという、人も羨む人生を送っているように見えます。
しかし、本当に妬ましくなるほど素晴らしい人生なのでしょうか。
高杉良さんは一流の作家であり、そのような方が安井誠氏を実名で公表されている以上、読者としては記述されている内容が事実に即したものであると考えざるをえません。
そうであるとすれば、安井誠氏は、ひとり飯塚さんだけでなく、長い官僚生活の中でその他にも数多くの他言がはばかられるような行為をなしてきた可能性があります。
私は安井誠という人物を論評する立場にはありません。ただ私は二人の息子に対して、このような生き方だけはして欲しくないと願っています。
ちなみにこの「山根治Blog」は他にも読み所が満載です。私が一番参考になったのは「ホリエモンの錬金術」というカテゴリーです。
他、「凛にして毅なる碩学、北野弘久先生 −1」で紹介されている北野弘久氏はなかなか注目です。
この「北野先生」という方はなかなか見識のある方です(たぶん)。実は詳しくは全然知らないのですが。
以前フライデーが竹中大臣の住民税脱税疑惑を報じて裁判になたった話がありましたが、この裁判に関して、竹中大臣の一連の行為は税法学的には「住民税脱税犯における偽計行為」という明白な脱税行為であるとする鑑定所見書を書かれたのがこの北野氏です。
「竹中大臣の一連の行為」とは何か知らない方のために一応書いておきますと、住民税を「節税」するために日本とアメリカの間で短期間にせわしなく住民票の移動を繰り返した行為のことです。(くわしくはこちら)
これが脱税になるのかどうか、実際は微妙なところなのでしょう。法律の穴を突いた行為なのかもしれません。これぞ、まさにホリエモンや村上ファンドに通じるところがあると思います。だいたい彼らは今の政府のお墨付きを得て、勢力を伸ばしてきたわけですから。このように法律的に微妙な勢力を増大させた方だけのことはあると思います。
上の話にもどりますと、法律を運用するのは結局人間なわけです。また法律というのは完全なものではないからこそ、そのバックアップ(注1)のためにも道徳や倫理というものが重要になるのだと思います。それを忘れ「改革」を騙ってモラルハザードを招いてしまったヤワラちゃんの罪はかなり重いのではないかと思います。
(注1) より正確には、法律の下部構造として徳律があるということ。つまり、道徳や人々がルールを求める共通の感覚があってそれが法律の元になっている。しかし人々がルールを求めてからそれが法律になるまでは時間差があるし、逆に人々がもう不要と思う法律もすぐには無くせないので、法律的には合法でも徳律に反する行為というのがあるし、逆に法には違反していても徳律には反しない行為というものもある。
潮干狩り@御殿場海岸
2006年6月9日(土)三重県津市御殿場海岸
潮〜大潮
満潮 5:05 18:45 干潮 11:53
日出 4:39 日入 19:07
天気〜曇り引用文

今回はご要望(?)に応えて、YUKAの姉夫婦と甥っ子とYUKAの両親を引き連れてです。残念ながら義兄、つまりYUKAの姉上の旦那は出張のため不参加となりましたが。

アサリはほとんど捕れませんでしたが(ちょっと遠くまで歩けばザクザク捕れる場所があるのですが、そこまでアサリにはこだわりません)、マテ貝獲りや残酷焼きなどを結構楽しんでもらえたようでした。


あと、いままでは持ち帰ることのなかったドンビとか言われるシオフキという貝ですが、これはほんとにそれこそいくらでも捕れるのですが、いつもは持ち帰りません。
この貝です。

しかし今回甥っ子がこの貝を「アサリだ」と言い張るのでしぶしぶ持ち帰ったのですが、これがちょっとオドロキの新事実を発見しました。
いや、アサリなわけなく、ドンビはドンビ、シオフキという貝に変わりはないのですが、この貝はまずいわけではなく、砂が抜けないからあまり人気がないのですが、何と砂が完全に抜けるということがわかりました。
クーラーの中に保冷剤を入れて温度が上がらないようにして、時々海水をこしてやって、ブクブクでエアーをい

















