2005-12

行く年来る年

今年も残りすくなくなりました。

来年は今年よりは釣りに行きたいと思っていますので、皆様よろしくお願いいたします。

今年をふりかえるのはとりあえずやめておきます。

皆様にとって、来年が良いとしになりますように。

来年の目標

今年一年を振り返って、人間的にはほとんど成長していないなあという感じがする。

まあ、この年になって、いまさらそう人格が磨かれるなんて事も無いんだろうが。

しかし、今年はちょっと偉そうな事を言う機会が増えたのだが、「言葉」と「行動・人格」がどんどん乖離してゆくのを強く感じていた。

あんまりそういう事をしていると、精神がおかしくなりそうなので、偉そうな事を言うからには、もっと自分を磨かないとだめだろうなあ(溜息)。

ということで、来年の目標は人格の向上のため努力することにしよう。

たぶん無理だと思うが・・・。

年賀状が・・・

年賀状が絶望的な状態にある。

今日中に出せるかどうかは、かなりきわどい(涙)。

毎年こうなるのはわかっているのだが・・・。

チルドレンというよりスノット(snot)

小泉チルドレンがテレビに出ているのを見ると、テレビをぶっこわしたくなるほどの怒りを感じる。

多くの政策に通じ、長年議員として多大な貢献をしてきた候補が、ただ一つの法案に反対しただけであっけなく落選し、運だけで当選した無能な若造が結党50周年の党大会で全面に出たりする。

本当の政策通の議員までも「族議員」「抵抗勢力」など乱暴にひとくくりにしてレッテルを貼り敵視する。

「政官財のトライアングル」などと言って、国会議員が官僚を呼んで説明を求めれば「職権濫用」、業界人と意見交換しようとすると「癒着」だと非難される。じゃあ、国会議員はどうやって情報を手に入れるんだ?「政官財」の構造を否定することで、国会議員を孤立させ情報を遮断している。

着実に無能な国会議員が増殖している。

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■snot {名-2} : 鼻くそ野郎、嫌な奴、げす、横柄な言いぐさ、生意気な奴、腕白な子供、ガキ

にんげんばとん

えー、別にどこからも回ってきていないのですが、YUKAからバトンが回ってきたと勝手に解釈して・・・

1)回してくれた人に対しての印象をどうぞ。

・お人好しである
・善良である
・明朗である
・正直である
・素直である
・頑固である
・小さなことに幸福を感じる


2)まわりから見た自分はどんな子だと思われてますか?

・とっつきにくい
・神経質なところがある
・ささくれ立っている
・気むずかしい
・一見常識がありそうだが実は非常識である
・一見まじめそうだが実はいいかげんである
・口では偉そうな事を言っておきながら中身がともなっていない

で問われているわけではないが、勝手に自分自身を分析、特に自分の内面の悪い部分に着目してピックアップしてみると、だいたい以下の通り。

・屈折した精神構造をしている
・物事に批判的である
・短気である
・軽率である
・底意地が悪い
・自分を卑下するくせに実は傲慢である
・内面に矛盾と葛藤が多い
・不平不満が多い

というところではないかと思う。自覚があってもなかなか治らないものである。


3)好きな人間性について

・きさくである       
・ユーモアがある
・明朗である
・敏捷である
・謙虚である
・誠実である
・勇気がある
・自己犠牲の精神がある



4)では、嫌いなタイプは?

・私に似ている人
・声の小さい人
・進歩主義者
・合理主義者
・個人主義者
・価値相対主義者
・「知識」人



5)理想の人は

私はこれを「理想の異性」という意味ではなく、自分がめざすべき理想の人物という意味に解釈したが、適当な人がみつからないので、生まれ変わったらどんな人物になりたいかを考えてみた。その結果、

明石家さんま
         
ということになった。



6)自分のことを慕ってくれる人に叫んでください
   
君がいなければ、今頃私は上司を殴って塀の中に入っていたか、殴らないまでも職を辞して野垂れ死にしていた事でしょう。

人は自分以外に何か守るべき基盤を持ってはじめて一人前の社会人であろうとする事を知りました。おかげで踏みとどまれました。心から感謝しています。

まだまだ一人前の社会人にはほど遠いですが、今後とも試行錯誤しつつも、共に人生を歩んで行きましょう。

さらば、松井よ・・・

松井秀WBC辞退決断 王監督に伝える

ああ、松井よ、君は日本のプロ野球よりも、ヤンキースのほうにより強い帰属意識を抱いているのか!?

ヤンキースに対する責任感のほうが、日本のプロ野球に対する責任感を上回っているというのか!?

さらば、松井よ。

せいぜい、ヤンキーのために頑張ってくれ。

地震で崩れる

耐震偽装の問題がいまだに騒がしい。

震度5強に耐えられないとか。緊急に生命の危険があるからといって住民は避難しているようだ。

震度5強の地震というのは、日本中で約1年に1回の確率でおこるようだ。

日本全体で年に1回だから、自分の住んでいる地域にそんな大地震が起こる確率はかなり低い。

ただ、あれだけ偽装建築があれば、年1回の割合の地震がどこかにおこって、倒壊するかもしれないのは確かである。でも確率は、たぶん交通事故に遭う確率よりはるかに低いだろう。

そもそも、震度5強の地震が起こったら、かなりの建物は倒壊する。実は日本中には震度5強の地震で倒壊すると言われている住宅・建物は4軒に1軒の割合で存在するらしい。約1000万戸とか。

1981年の建築基準法改正以前に建てられた建物は、確実にもたないとのこと(昨日のテレビでやっていた)。

何か、騒ぐところを間違っているような気がする。

以前に、スマトラ沖の津波の時だったか、釣り堀屋に「地震がおきて津波が来たら救助体制は整っているのか?」などと糾弾調の書き込みがあったが、おそらく自分の家で寝ていて、建物が崩れて下敷きになる可能性のほうが高いだろう。

どう考えても、自分の家にいる時間が一番長いだろうし(職場という人もいるかな)、そしてそのうち寝ている時間が一番長いわけだから。

まあ立派な家に住んでいれば別だが。ああいう文句を釣り堀屋の掲示板に書き込んだ人は、きっと立派な耐震設計の家にすんでいるんだろう。うらやましいな〜。

男たちの大和/YAMATO

yamatoda.jpg

映画「男たちの大和/YAMATO」を観た。「頭文字D THE MOVIE」、「春の雪」につづいて、私が自発的に見に行った3本目の映画だ。

今年の私はどうかしてしまったようで、映画館嫌いの私にしては、ちょっと異常とも言えるほど、自分の意志で映画を見に行った。と言っても、1年で3本だけだが・・・。しかし、自分から行きたいと思って映画を観に行くことが希な私にしては、かなりの珍事と言って良い。だいたいはYUKAにせっつかれて観に行くばかりである。それにしても最近の映画館はずいぶん良くなった。

で、「男たちの大和/YAMATO」だが・・・まず、タイトルで軽くひっかかった。最後の「YAMATO」はいらんだろうと。まさか大和を「ダイワ」と読む奴がいると心配してのことか!?とちょっと思った。

前日の夜に映画館のホームページで予約状況を見ると、結構埋まっている。午前中の上映は売り切れ、午後一のもあと少し。夕方のはもろに夕食時間だったので、午後一の上映ぶんをあわてて前売りで購入。

で、当日行ってみると、もうレイトショー以外は全部売り切れだった。事前にネットで購入していた良かった。全席指定だからあわてる必要もないし。

一人、おじいさんが係りの人に「今日のはもうレイトショー意外は全部売り切れです」と言われて悲しそうにしていた。

さっそく入場してみると、いままで見に来たどの映画とも明らかに客層が違った。おじいさんばかり・・・というと言い過ぎだが、明らかに高齢者の割合が高い。若いカップルなどは、いないわけではなかったが、ごくまばらだった。場内には、あの「おじいさんの整髪料」みたいな独特の臭気がただよっていた。そのかわり、ポップコーンの異臭はなかったので、まあ良しとしよう。

全体として、とても強く感銘を受けた映画だった。今年見た映画(といってもたった3つだが)の中で一番インパクトがあったのは間違いない。長渕剛の歌う主題歌「CLOSE YOUR EYES」も素晴らしい。

ただし、違和感を感じた点は、いくつかあった。

その一つが、臼淵大尉(長嶋一茂)のことば
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進歩の無い者は決して勝たない。
負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじすぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
破れて目覚める。
それ以外にどうして日本は救われるか
今目覚めずしていつ救われるか。
俺達はその先導になるのだ。
日本の新生にさきがけて散る、
まさに本望じゃないか。
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この言葉の、前半部分に特に強い違和感を感じた。

他には、対米従属保守派の圧力というより製作サイドの自主規制なのか、はたまた映画として特別不必要という考えによるものなのかわからないが、あの映画を見て、大和は一体何と戦っていたのか、はっきり描かれていなかった点。

もちろんナレーションなんかで太平洋戦争の説明をしたりしていて、アメリカと戦争していることははっきり言っている。

しかし、大和に攻撃をしかけてくる戦闘機は、その機体がじっくり見えないし、米兵は一人も出てこない。主人公の母親が米軍機の機銃掃射で殺されるシーンなど、まるで空から降ってきた隕石にでもやられたかのような不思議な死に方に見える。機銃を撃ってきている米軍機が映っていない。ただ、空から降ってきた弾にやられるだけである。

大和への執拗な戦闘機の攻撃だって、何だか自然災害にやられているようにさえ感じることもあった。そうして次々と大和の乗組員たちはやられてゆき、最後に沈没する。
hell.jpg

もちろん、この映画のテーマがアメリカに対する敵意や恨みを燃え上がらせる事ではないから、という事もあるだろう。しかし、同じ太平洋戦争を扱った映画でも、やはりアメリカ人と日本人の表現のしかたは違うようだ。

数年前だったか、パールハーバーというハリウッド映画があり、日本軍による真珠湾攻撃を映画にしていたが、その中で、日本軍の攻撃機がハワイの民間の病院を銃撃しているというデタラメのシーンがあったそうで(私は見ていない)、きっちり日本=悪のイメージを刷り込んでいたが、あれとは対照的である。日本軍は軍事施設しか攻撃していない。あのデタラメなシーンに日本側は誰か抗議したのか?

イラク戦争を見ればわかる通り、アメリカという国は、ウソをついてでも自国の正義をふりかざす。この映画のように、それはもう民間レベルから徹底している。

最後に残念だったのは、一部勢力の圧力による、エンドロール後のメッセージの削除という事がある。

試写会を見に行った人の話だと、エンドロール後の最後には
「多くの方達が命を懸けて守った日本に、今私達は立っている」
という言葉が流れたそうだ。

しかし、残念なことに左翼団体の「戦争賛美映画だ」という抗議行動の結果、このメッセージに関する部分が、劇場公開版ではごっそりと削除されていたということ。これこそ映画の最も伝えたかった部分の一つのはずだ。

このように、3つほど大きな問題点を感じはしたが、全体としてはとても良い映画だと思った。
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映画では、下士官や特年兵を中心に、彼らの心情や過酷な戦争の実体が描かれているので、単なるきれいごとであったり、ありきたりの反戦メッセージとは違って、戦争の実体がリアリティーを持って描かれているとも言える。

おかしなイデオロギーに凝り固まっている人や、私のように余計な事をごちゃちゃと考える人間でなければ、素直に良い映画・・・というよりは、見る価値のある映画だと思う。

YUKAはいままで見た映画で一番泣いたと言っていた。これは決して良い意味だけで言っているのではない。彼女の感想は「悲しすぎる」ということだった。

私としては、単純な感動や悲しみとは違う複雑な感情の高まりを強く感じつつ見た。しかし、私はいろいろと小難しいところがあるので、そうした気持ちが一気に醒めるような場面がいくつかあったのも事実であり、それが上に書いたような部分である。

それはともかく、あの戦争では日本という国の強さと脆さの両方が極端なかたちで出たのだと思うが、その「脆さ」の部分を、この映画では徹底的に見ることができる。

ハリウッド映画のような「楽しさ」や「爽快さ」など一切ない。しかし、それ以外の「何か」は確実にそこにある。

たぶん。

ズッコケさせた

フランス料理のコースを食べた後、

「どれが一番美味しかったですか」と聞かれ

「生牡蠣」と答えたら、ズッコケていた。


いや、他の料理も美味しかったのだが・・・。

ただ、その生牡蠣にしても、ワインビネガーで出されたのだが、「これよりも旭ポン酢のほうが美味いのでは?」という考えが頭に浮かんで離れなかった。

どうもフランス料理は私にはもったいないようだ。

資本主義とキリスト教

徹底した自由・平等および市場原理主義というのは、宗教から出てきたものである。自由も平等も相反する要素をはらみ実際にはありえない絵空事である。それらを正当化するには神の存在を持ち出してくる必要がある。

また、経済活動を市場にゆだね、個人が利益をとことん追求すればそれでうまくゆくという思想は「神のみえざる手」の存在が前提である。

資本主義の精神は、キリスト教のプロテスタントの一派であるカルヴァン派が、「予定説」というものをぶちあげたことにはじまる。カルヴァン一派は、「人間がどんなに善行を重ねても、どんなに人格を磨いても、どんなに教会に寄進してお祈りをささげても、神によって救済されるかどうかには無関係であり、救済されるかどうかは神の意志によりすでに予定され、決まっているものである」と言い始めた。当時の教会の権威を破壊するためである。

いくら教会の権威を否定するためと言って、ここまで極端な考え方を、大多数のヨーロッパの人々はさすがに信じなかったようで、彼らは迫害されたりしたのだが、そのような人々(ピューリタン)が、自分たちの(ある種異常な)信仰の自由を守るために、新大陸に逃れてアメリカという国を作った。

で、彼らカルヴァン派の流れをくむ「改革派(ピューリタン)」らによれば、そもそも神の意志など知りようもないのだから、「自分はあくまで救われる側に入っていると確信し、神から義務として与えられている天職に励む」という考え方になり、そこからさらに、「利益のチャンスがあったらそれは神が意図し給うたものだから、積極的にそのチャンスを生かすべし」として、金儲けに倫理的栄光が与えられた。

こうして、それまでキリスト教のどの宗派も、どちらかと言うと金銭は不浄なモノと考えていたのとは違って、市場経済を積極的に押し進め、金銭至上主義、拝金主義ともよべるような一派が勢力を伸ばした。それがプロテスタントの中のカルヴァン派の流れをくむ人たちであり、大多数のアメリカ人である。

このようにカルヴァン主義が資本主義を進めたという見解は、マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という本で明らかにしているとのこと。

で、確かにこれら資本主義は共産主義に勝利し、経済的には成功した。しかしアメリカを筆頭に、いわゆる先進国とよばれる資本主義諸国が例外なく社会の荒廃という問題をかかえている点を考えてみても、資本主義が決して完全なシステムであるとは言えない。それはただ、共産主義よりましなものであるという程度である。アメリカが成功したと言っても、国内ではごく一部の人が極端に富を独占し、多くのアメリカ人は貧困にあえいでいる。

日本人は結果の平等を求めすぎる、あくまでチャンスの平等が大事だなどと言われる。そのために自由が大切であると。しかし、経済活動の自由をとことん保証すれば、競争の結果は当然不平等になる。そしてその結果の不平等が新たにチャンスの不平等を生むのはあたりまえの事である。そこで自由のまま野放しにしたのでは、チャンスの平等などは存在しなくなる。本当の意味でチャンスの平等を保証するためにはあるていど自由にたいする規制をもうけなければならない。

人間の能力というのは平等ではない。何か一つの能力について見た場合、能力に恵まれた人というのはごく一部であり、教育や訓練をうけなければ、その分布はほとんどの場合ピラミッド状になる。天賦の才能に恵まれた人はほんの一握りであり、圧倒的多数の人間は、ピラミッドの底辺に位置する。スポーツだって勉強だって何だってそうだろう。だからこそ、学校で教育され、訓練される必要があり、それによってピラミッド状の分布を、もう少しましな、楕円形に近いものにすることができるのだ。

経済活動においても同じである。今しきりに二極化と言われているが、はっきりいって二極化というより、ピラミッド化と言ったほうが良い。

政府が経済活動に介入してある程度規制もしつつ富の再分配をおこなわなず自由放任にすれば、所得構造というのは確実にピラミッド状の分布に近づくだろう。

これまでの日本は中間層がもっとも厚い、言ってみれば「ひし形」だった。それが日本の社会に安定と活力をもたらしてくれていた。それを破壊すれば日本もアメリカのような社会になる。貧困者はまともな教育もうけられず医者にもかかれず、そもそも成功するチャンスさえも得られず、永遠に貧困から抜け出せない。そのような貧困層の拡大は、着実に社会を荒廃させ、不安定なものにする。

アメリカで貧困層が成功する可能性は限りなくゼロに近い、というか、そもそも成功しようなどという発想すら浮かばない。もちろんごくまれに成功する人もいる。その宝くじより確率の低い成功例をアメリカンドリームなどと言ってもてはやしているにすぎない。

今アメリカは世界の市場経済にグローバルスタンダードなどと言いつつアメリカンスタンダードを押しつけて回っている。私は経済のくわしいしくみまではよくわからないが、「デリバティブ」なるものが投機目的でよく用いられるようになったらしいが、これによって実体のない経済がどんどんふくらんでいるようだ。

経済というのはそもそも共同幻想に基づくものである。その幻想を誰も信じなくなった時、巨大なバブルがはじける。市場で実体のない金がどんどんふくらんでいずれ時限爆弾のように爆発する可能性があると言う話も聞く。

資本主義や市場経済にたいする過信は危険である。資本主義は、ただ共産主義や社会主義より多少ましだっただけであって、完全な経済システムなどありえないわけだし。

アメリカ人は市場にゆだねれば「神のみえざる手」によってすべてがうまくゆくという宗教的な理由で「市場」というものを過信しているようなもので、実はかなり危なっかしいものだ。

何でもアメリカ流がすぐれているとか、日本式が遅れているなどという発想はいいかげんやめたらどうだろうか。

スケート興味ない

じょうずな人が年齢制限でオリンピックに出場できないとか!?

ルールなら仕方ないんじゃないかね。ここでまたコロコロ都合良くルールを変えたら、まるで節操のない欧米人と同じじゃないか。

彼らは日本が国際試合で強くなると、自分たちに都合の良いルールにさっと変えてしまう。

そんな卑怯な奴らと同じことをするのは、あまり好きではない。

というか、私がそもそもオリンピックとかワールドカップとかああいうのにほとんど興味が無いからそう思うだけかもしれないが。

ワールドカップと言えば、やっぱりカズを連れて行くべきじゃないのかね?

国富消尽

私が経済問題についていろいろ勉強させていただいている方の師匠である吉川元忠氏(経済評論家)が亡くなられたそうだ。その方の書かれた以下の本がすばらしいということで、読むように推薦された。まだ買っていないが・・・。


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目次

第1章 着々と進む日本企業買収の環境整備 ――二〇〇五年M&A狂騒曲の教訓

第2章 外貨によるM&Aの新時代――危機に立つ日本的経営

第3章 郵政民営化の真実――狙われる日本の個人金融資産

第4章 深く静かに進む米国の日本改造――司法・医療・教育まで米国化されるのか

第5章 アメリカの対日圧力を振り返る――アメリカ型システムの押しつけはこうして制度化した

第6章 二十一世紀の日米金融バトル――日本は「マネー敗戦」の構造から抜け出せるか

第7章 日本のポスト・グローバリズム戦略――アングロ・サクソン的価値観への対抗軸を求めて

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で、共著者の関岡氏が書いた部分の引用をネット上で見つけたので、そこを引用させていただく・・・。





 選挙直後に、城内氏がテレビで「自分は民営化法案の中身をきちんと勉強してしまった。もしまじめに勉強しなければ、こういう結果にはならなかったかもしれない」と語るのを聞いて胸が張り裂けそうな思いがしました。(中略)

 国民の代表として真剣に審議に取り組み、誠実に責務を果たそうとした国会議員が報われるどころか、理不尽にも粛清されてしまうところに、いまの政治とマスメディアの底知れない病理があります。こんな異常な状況では、まともな国会議員が日本からいなくなってしまいます。(関岡氏)

 「官から民へ」は俗耳に入りやすいスローガンですが、忘れてはならないのは、民営化論者が呪文のように繰り返す「民」という言葉は、決して国民の「民」でも民主主義の「民」でもなく、民間会社や民間金融業者の「民」を意味しているに過ぎないということです。

 「改革」推進派が「官」と言っているものは本来「公」と言うべきもので、「民」と自称しているものは本来「私」なんです。民営化とは、「公から私へ」、すなわち「公共の仕事を、営利を追及する外資を含む私企業にやらせろ」ということに尽きるのです。「公と私」という言葉を「官と民」にすり替えることで、官尊民卑に反発する世論の支持を取り込もうとしているわけです。


 民営化論者が「公私」という言葉を使いたがらない理由は、それだけではありません。民営化にまつわる最も重要な論点、すなわち公共の福祉と私企業の利潤、公共心とカネ儲けのどちらの価値観を優先していくのかという、本来避けられない本質的な議論から国民の目をそらそうとしてきたわけです。そしていまや、刑務所までもが大まじめに民営化議論の俎上に上げられつつあるのです。(中略)

 郵政民営化議論では、本当は日本人の価値観が問われていたのです。
(関岡氏)

この関岡氏、以下の本を書いていて、こちらは最近私も買って読んだ。

中国や韓国にばかり威勢の良い事は言っているが、日本の首根っこを握っているのは、アメリカなのに、どこまでもアメリカに言われるがまま、されるがままの日本。惨めすぎる。

小学校からのパソコン授業という愚行

小学生に学校でわざわざパソコンなどさわらせる必要はない。

小学校からパソコンの操作を覚えれば、パソコンを使いこなせるようにはなるだろう。
しかし、それが何になるのか?

子供の頃からパソコンの操作に時間を費やせば費やすほど、間違いなく、パソコンそのものを作れる人間は将来的に減ることになるだろう。

パソコンの操作なんかできたって、パソコンソフトやパソコンそのものを作ることはできない。

重要なのは中身を作れる人を増やすことだろう。

パソコンのソフトに関してはインド人がすばらしい能力を発揮している。未だにインドは非常に貧しい国である。子供の頃にパソコンをさわったことのある人間など、ほとんどいない。

にもかかわらず、パソコンソフトを制作できるすばらしい人材が多く育っている。

何故か?

子供の頃からパソコンをいじるような無駄な時間を費やさず、しっかりと算数の基礎を学校で徹底的に教えているからである。

子供の頃からパソコンをいじっても、ただ将来のパソコンの消費者が増えるだけである。

このまま行けば、日本はいずれ、世界に通用するモノを制作する能力の無い、たんにモノを消費するだけの能力しかない無能な人間ばかりの社会になってしまうだろう。

感謝

昨日はれがーさんに、カンパチとシマアジとツバスをいただいた。

今晩、刺身などで食べる予定。ひさびさのシマアジとカンパチで、楽しみだ。

れがーさん、ありがとうございます。

いむらという釣り堀ができていたとは知らなかった。

昨日の釣果欄もなんだか見たことのある名前が・・・。

小学生からの英語教育という愚行

最近は、小学校でも英語を教えているとか・・・

バカじゃなかろうか。そんなもの教える暇があったら、国語を教えるべきだ。古典まで読めるくらいしっかりと国語をみにつけさせるべき。

英語というのは手段にすぎない。中身があってはじめてそれを伝える手段が有効に機能するのに。

表現する手段より、表現する内容をまず身につけなければ、空っぽの人間になってしまう。

日本人にとって国語は単なる手段ではない。しっかりした国語力をみにつけて本を読み、知識を吸収しつつ、思考力を身につける。

そうしてはじめて表現すべき内容が身に付くのである。

小学校のような初等教育で英語についやす時間など、本来ないはずだ。とにかく本を読ませ、日本の歴史や伝統・文化を教え込み、日本人としてのアイデンティティーを確立させつつ、しっかりとした基礎知識と思考力をもった人間をそだてるべきだ。

英語の勉強なんか中学からで十分である。

アマチュアリズムが国を滅ぼす

最近は子供がターゲットになった犯罪が増えている。自分より力であきらかに劣っている相手に手を出すというのが私には理解できない。

塾というのを教育機関と勘違いしている人が多すぎるんじゃなかろうか。塾なんて民間の中小企業にすぎない。

「ゆとり教育」という愚かな教育改革が行われたわけだが、そうなると普通の親なら学校の授業だけでは不安に思うのは当然のこと。自然のながれとして塾で勉強する比重が増す。塾の役割が大きくなってしまった。

これだって、「官から民へ」という流れとおんなじだ。偽装設計にしたって、ただ民間に丸投げするからああいうことになる。建築設計の検査は、もともと行政がやっていて、それがあまりに効率が悪すぎるから、民間がやるようにしたわけだが、民間にまかせるなら性悪説でやらなければ、あのように暴走するのは当然な事。

「官から民へ」と金科玉条のごとくかかげて何でもうまく行くかのような馬鹿の一つ覚えでは、社会の秩序は崩壊する。

行政改革をやったアメリカ・イギリス・ニュージーランド、いずれも今日本がやっている改革みたいな事をすでにやって、大失敗している。特に破壊されつくしたのが「教育」と「医療」だ。悲惨なことになっている。特に「教育」と「医療」には税金を投入して国が責任を持ってやるべきだ。社会がすさむ。「教育」と「医療」に市場原理など持ち込めるはずがないのである。

まあ、国の財政はちょっとばかりましにはなったようだが、そのぶん社会が大きく荒廃してしまった。財政再建ばかりに目が行くと、同じ事をくりかえしかねない。やるなら慎重にやるべきだ。特に「医療」と「教育」は慎重にしなければならない。

日本の医療制度はWHOの報告によれば、世界一なのである。国がほとんど何もしていないアメリカより医療にかかるコストは安く、しかも質が高い。医療に市場原理を持ち込むと、無意味に薬や治療が高騰し、結局割高になるのである。そのぶん民間の製薬会社と保険会社が儲かるというしくみになっている。

「教育」も日本では特に重要だ。日本みたいに資源のない国の財産は「人材」しかないのだから、人間の育成がほかの国よりも重要なのだ。だから「教育」にはもっと金をかけるべきだ。

・・・話を塾にもどすと、結局、今の塾は個別指導とか少人数指導を取り入れて、「きめ細やか」な指導を売り物にしているが、そうなれば、講師の数がたくさん必要になってくる。

その一方で専任講師はごくわずかで、ほとんどが大学生のアルバイトである。そうでなければ、一民間企業である塾などの経営が成り立つはずもない。普通の教育機関なら行政から何らかの補助を受けているわけだが、塾は文部科学省の所轄の教育機関ではない。

塾講師の時給は、ほかのバイトに比べれば、たしかに高いほうだが、しかし、実際のところはそうでもない。

私も学生時代に塾でバイトをしていて、時給3000円ほどもらっていたが、1時間の授業をするために1時間は事前の予習が必要である。その他雑用などあるので、本当のところの時給は、千数百円程度だ。

だいたい、今の世の中、素人やアマチュアがでかい顔しすぎなのである。素人がでしゃばるとろくな事がない。法案のなかみなど読む能力もない大衆にむかって、一法案の是非を問うような選挙をやったり、政治が大衆に媚びている。

もうすぐ裁判に陪審員制度が取り入れられるらしい。やる事が逆だろう。しっかりしたプロを養成することを考えるべきだ。素人が裁判に介入するなんておそろしいことだ。アメリカみたいな弁護士の口のうまさだけで判決がかわったりするような裁判制度がよいと言うのか?

これ以上大衆を増長させてはいけない。素人がでしゃばるのではなく、しっかりしたプロを養成してゆかなければならない。そして、プロにまかせることだ。

しろうとが出しゃばる社会など、ろくなものではない。

期待の映画

今週末から劇場公開予定の映画、「男たちの大和」を見に行こうと思っている。

いや、私はべつにミリタリーマニアとかではない。ただ、大和は、子供の頃私がはじめてプラモデルを完成させた思い出がある。あの形の美しさに一目惚れして、夢中で作ったものだ。

しかし、私というのはもともと非常に根気のない人間である。子供の頃は特にひどかった。もっと簡単な空母みたいやつのプラモデルでさえも、完成させることができずにいつも途中で投げ出していた。

それが、大和だけは完成させることができたのだ。1m近いかなりでかい奴だった(50センチくらいかな?子供には大きく見えたが)

絵も戦艦大和とか零戦やらそんなのばかり書いていた。結構リアルに書いていた。皆捨ててしまったが・・・。

私が小学校低学年の頃に夢中になっていた本といえば、宇宙・地球・昆虫図鑑と、旧日本軍の戦艦やら巡洋艦などの本だった。それらを見て、その絵ばかり描いていた。図鑑を買うので金を使い果たしてしまっていたので、紙に絵を描くくらいしか楽しみがなかった。

というわけで、この映画では実物大のセットを作ったそうだから、なおさら楽しみだ。まあそれよりも、込められたメッセージがどのようなものか、そちらのほうが気がかりだが。

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試写会を見に行った人の話を聞いたところ、特撮などはちょっとチャチい部分があるらしいが、話そのものは感動的とのことだった。それを聞いて、まあ見に行ってみようかと思うようになった。年内には見に行きたい。

偽装設計

ほとんどつきあいの無いいとこの話しだが、そこの旦那が一級建築士で建築設計事務所をやっていたらしい。それが1−2年前に倒産したそうな。

もしかして、偽装設計に応じなかったから仕事がこなくなったのでは?とか思ったりして。

そう考えると、偽装設計のほうが普通だったりして・・・。

まあ、あんまり安いものは食い物でもなんでも毒があると思ったほうが良い。

妙に相場より安いマンションというのも、やっぱりうさんくさいと思わなければ。何だって適正価格というものがあるだろう。

ただ、逆に、値段が高いとそれだけで良い品物と勘違いしてしまう事がある。
トヨタのレクサスはそのセンを狙っていると思われる。まあこの場合はいい物が普通に高いというごくあたりまえの事にすぎないという可能性もあるかもしれないが。

アパレル業の知人にむかし聞いた話では、流行遅れの服が売れ残って、いくら値引きしても売れないときには、逆に定価よりもはるかに高い値段をつけたりすると、一瞬で売れてしまうことがあるそうだ。

人間の心理の盲点を見事についた商売のしかただと思った。

値段が高いから良いかというと、そうでもないという話しだろう。

良い品物で適正な価格の品物を、いかに売り手にだまされずに買うか。

これからは消費者は賢くならなければならない。買い手は売り主に「信用」などというものを期待してはいけない。

いやー、住みにくい世の中になりましたなあ。


と、こんなふうに猜疑心の強い私のような人間が詐欺にあわないかと言うとそんな事はなく、疑り深い人間ほど、その疑いがクリヤされた時には一気に信じ込みやすいという習性があり、騙される時にはもうどっぷりはまりこんでしまっているというパターンではないかと思う。

今まで詐欺にあって金をだまし取られたことは特に思い当たらないが、まあ経済的にリスクの伴う行為はなるべくやるまいと思っている。

しかし、銀行の利子に20%の税金がかかるのに、株で儲けたバブリーな金には10%しか課税されないなんて、国が率先してハイリスクハイリターンの生き方を国民に奨励している変な国になりつつある。

いやー、住みにくい世の中になりましたなあ。

レシピ一覧

YUKAの美味しいレシピで、土曜日に完成させたレシピ一覧について、YUKAが「ほとんど手伝ってもらった」と書いているが、これは、「すべて私(カーク船長)が一人でやった」というのが正確な表現である。もう、100%私がやった。アップするところまで私がやった。

と偉そうに言っても、実際はたいした手間ではなかったが・・・。で、YUKAはその間、洗濯したり家を掃除したりしていたので、どちらが偉いかとかそういう話はしないほうが良い。私は家の掃除など全くしたことが無いし、洗濯にしても、ごく希に洗濯物を干したり取り込んだりするのを手伝うくらいである。料理も一切しない。私は「社会的性別による役割分担を推奨する会」の会長である。会員は私1名だが。


で、それはそうと、一覧を作るのがたいした手間ではなかったというのは本当である。

ブログの管理画面でカテゴリー別の一覧が表示でき、その画面を表示したまま、I.Eの表示メニューにある「ソース」を選べば、管理画面をHTML表示することができる。

それをコピーペーストしてから、あとは、不要な部分を削除するだけで、完成!

ものの30分ほどでできあがりである。

しかし、この作業をした後から体調が悪くなり、寝込んだ。

(実際にはインフルエンザだったと思われる。日・月とまる二日寝込んだらすっかり良くなったが・・・)

似ている・・・

横浜、中田市長は、レギュラーの西川君に似ている・・・

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ハイ! ハイ! ハイ ハイ ハイ!

関市長ととりかえてくれ!あいつじゃ、笑いにすらならない。

科学は万能ではない

科学は人々に知的な充足感と発見・理解の喜びを与え、暮らしを豊かにし、文明を進歩させうる可能性があるし、科学的根拠にはそれなりの客観性があって、宇宙的な規模で通用する普遍性のようなものを備えている。

しかし、科学で何でも説明できると思うのは科学者のおごりであるし、科学者でない者がそう思うならば、それは科学への過信・盲信である。

科学に関してまるきり無知なくせに、科学的な事実でなければ信じないという人間は、私から見て正直うさんくさい。

「では、あたなは科学を一体どこまで理解した上で信じているのですか」と聞いてみたい。

現代の科学は高度に細分化・専門化が進んでおり、普通の人間に理解できるような生やさしいものではない。

結局、誰もが科学の「権威」に押されて、自分で確認したり理解したりせずに、ただ「信じている」にすぎない。

そういう信じ方は宗教にたいする信じ方と、一体なにが違うのですか!?と聞いてみたくなる。

そういう人にかぎって、宗教心みたいなものをバカにしている。

いや、私だって、キリスト教やイスラム教のような一神教の排他性なんかを見て、ありゃダメだと思ったりするし、自分自身が別に何か宗教を信仰しているわけではなく仏教徒とすら言えないが、しかし人間の存在を越えた何かに対して敬虔な気持ちになる事くらいある。

目に見えないもの、合理的にその価値を説明できないもの、過去からうけつがれてきたものなど、そうしたものの中にこそ、何か人が生きて行く上で重要なもの、大切にすべきものがあるのではないかと思う。

今日は何の日?

次は負けないぞー。

と私一人が言ってみただけでどうにもならない。

武器を取って戦うことだけが戦争ではない。戦後もずっとアメリカには負けっぱなしの日本。

ああ、悲しい・・・。

すもうとプロレス

相撲もプロレスも、今はあんまり好きじゃないが、小学校の頃までは結構好きでよく見ていた。

でも、どうも本気でやってないんじゃないかという気がしてきて、見なくなった。いや、本当のところはどうか知らないので偏見かもしれないが。

だって、どう見ても空中元彌チョップなんかで鈴木何某かが倒れるなんておかしすぎるじゃないか。しかも別に「空中」じゃなかったし。鈴木君にしっかりだっこされてチョップしていたじゃないか。

たぶん鈴木君はちゃちな元彌チョップで倒れたんじゃなくて、元彌の股間の悪臭に耐えかねてダウンしたに違いない。それか、元彌が屁でもこいたんだろう。八百長でないなら、そうとしか考えられない。
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この試合では、元彌が廃人にされる事を期待していたのに、完全にうらぎられた。あ、あれはプロレスじゃなかったのかな?

まあ、ほんと、プロレスというより、まさに「狂言」という感じだった。


で、相撲は、八百長臭いこともあるが、太った男の裸を見るのにうんざりして嫌いになったということもある。

しかし最近、朝青龍がなんとなく気になってきている。力士というか横綱らしくないとか言われるが、なんか本気でやっているという気がして、私としてはずっと好感を抱いている。

素行の悪さも落ち着いてきて、ただ強いだけのモンゴル人が日本の相撲から何かを学んで人間的にも成長したんなら、なんとなくうれしいじゃないか。

琴欧州だって、いまどき日本人でもやらないチョンマゲを白人が結って、いまどきの日本人にはとれも耐えられないような日本的な古いしきたりだらけの世界で頑張っているというのも、なんか愉快じゃないか。

秋の京都を満喫

この日は京都へ行って来た。もともと用事があったのだが、それは1時間くらいで済むものなので、どうせ京都まで行くなら紅葉を見に行こうということで、朝早く出ることにした。

時々、仕事というかバイト関係で週末にちょっとだけ京都に来ることがあるのだが、いつもは用件だけすましてさっさと帰っている。たまには観光もして行こうかと。昔京都に住んでいたので、私はどうもイマイチありがたみを忘れてしまっているところがあるようだ。

実は11月の初旬も同じように京都に用事があって、ついでに京都見物と思ったのだが、どこも人や車であふれかえっており、断念した。

今回は気合いをいれて朝6時半に起きて、現地に8時過ぎに着くように出発することにした。

で、そこまでして行ったのだが、雨だったからか、空いていた。寒かった。

永観堂と南禅寺を見てきた。紅葉もかなり終盤だったし天気も悪かったが、それでも綺麗だった。その後、用事をすませて昼過ぎには帰ってきた。

学生時代にも来たことがあったが、京都に住んでいたからほとんどありがたみを感じなかった。ひさびさに来た京都らしい風景がなんとも懐かしく感じた。

学生時代には、このあたりなら自転車でも見に来ることができたのだが、同じ景色でもこうやって大阪からわざわざ見に行くほうがありがたみがある。

残念なのはカメラを忘れてしまったこと。三脚だけカバンにいれて、カメラを忘れた。

と思ったら、家に帰ってかばんの中身をよく見ると、ちゃんとカメラが入っていた!

俺は一体何をやっているんだ!?

ということでどんな感じかはこちら参照。

カニ星雲

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http://uchukan.satsumasendai.jp/data/gallery/ippan/sae-m1.html

超新星残骸 M1星雲

おうし座にある超新星残骸M1星雲です。超新星とは、太陽の8倍以上の質量を持った恒星が、その寿命を終えるときに 大爆発を起こす現象です。M1星雲は有名な超新星残骸で、小型の望遠鏡でもその姿を見ることが出来ます。 中心部には、正確な周期で電波を発するパルサーと呼ばれる中性子星の存在が確認されています。
この星雲は、容貌がカニに似ているとして、「カニ星雲」の愛称で親しまれています。


http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/

NASAのハッブル宇宙望遠鏡が撮影したカニ星雲(上の写真)。超新星爆発によってできたもので、1054年に地球上で肉眼でもよく見えたことが、歌人藤原定家の日記、明月記にあり、中国や北米先住民の記録にもある(1日)
(AFP=時事)14時36分更新

腰痛・・・

私は肩こりとか腰痛とかとは無縁だと思っていたのだが・・・。

まあ、あいかわらず肩こりはほとんどないが、少しまえから時々腰に違和感を感じる事が増えてきた。

で、昨日あたりから、腰の右側が、足をまげたり動いたりすると痛い、というか突っ張る感じがする。

腰の右側から右足にかけて、何かがおかしい。

立っているのが一番楽で、イスに座っているのがしんどい。

一体どうしてしまったのだろうか。

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釣りのサイト「いつもふたりは絶好釣」の管理人。 趣味は海釣りの他、音楽鑑賞、読書、海外SF・ミステリー鑑賞、ドライブ、ラーメン食べ歩きなど。