カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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去年はどうしていたのか!?

最近、どうにも気分が低調なので、去年の今頃、俺は一体何を考えていたんだろうかと思って、旧ひとりごとを見てみると、こんな事を書いていた。

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速度自動取り締まり装置のことを一般にオービスという。

私のマイカー通勤路、国道43号線にはそれこそうじゃうじゃオービスがある。

GPS付きレーダー探知機をつけていると、しじゅう警告音が鳴るのでうるさくて大変だ。

「オービス」とはラテン語で「目」という意味だそうな。もともと30年以上前にアメリカで速度取締り用に開発された商品名が『オービス』という名前だったらしい。

しかし笑える話だが、アメリカでは、ドライバーの銃の標的となって次々に破壊された為に、普及しなかったそうな。

日本のヤクザも高速道路の看板なんか拳銃で撃ったりしているが、しかしオービスが撃たれたなんて話は聞かない。

やっぱり看板のほうがでかいから当てやすいんだろうか。

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あれから、1年たってみて、ヤクザが看板を撃つどころか、チンピラが走っている車をエアガンで撃つような時代になっていた。

どうせ撃つなら、オービスを撃て!
怒り | Comments(0) | Trackbacks(-)

勘弁してほしい

紅白の司会が「みのもんた」になったそうな。

年末まで「みのもんた」なんか見たくないなあ。あ、どうせ紅白は見ないけど。

それにしても、なんか最近は朝早くからずいぶん正義の味方みたいに偉そうな事言っているけど、何様のつもりなんだろうか。

だいたい、ファイナルアンサーとか、ああやってじらすのが気に入らない。もうすぐチャンネルを変える。
哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

大阪モーターショー

大阪モーターショーに行って来ました。

なんだかいつも学会をやっているような会場で、不思議な感じがした。

パンフレットを売っているのは、まだわかるが、紙袋で100円取るのは、チョットどうか。

スバルと BMWは出展しておらず。(追記:スバルとボルボとシトロエンのブースを見逃していたのに帰ってから気づいた!!・・・涙)

レクサスも見てみたが(下のアルバムに写真あり)、車を外から見ただけだと、車そのものは、そんなにたいしたことないなあという感じ。まあ、内装とかよく見えなかったし、細かいところまでは見ていない。

きっと豪華なショールームで高級感を演出し、VIP待遇で客をむかえつつ売るんだろう。それなら一部の層には着実に売れるかもしれない。我が家には何の関係もないが。

半裸の女性(コンパニオン?)は、あまりいなかった。三菱のラリーカーの前で一人頑張っていた。あとはエクリプスが、あまり美人ではなかったが露出だけは頑張っていた。

気になる車の写真は、けっこう撮ってきた。こちらにアルバムを作りました。ちょっと重たいかもしれません。

会場で入場券を買うと1500円なのだが事前にローソン買うと1200円であるということで、手前のローソンで買おうと思ったら、機械(ロッピー)が壊れていて買えなかった。ちょっと腹が立った。駐車場は一日800円。かなり歩く。

朝一(といっても9時半から)に行って昼前にはほぼ全部見終えた。昼頃になるとかなり混雑してきた。あんまり長時間ああいうところにいると疲れる。
おでかけ | Comments(0) | Trackbacks(-)

勤労感謝の日って?

今日は「勤労感謝の日」。勤労感謝って、一体誰が誰(何)に感謝するのか良く分からない。

「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日のようだが、これもよくわからない。

英語で言うとLabor Day(労働者の日)なのかなと思ったが、英語のカレンダーにはThanksgiving day(感謝の日)とある。

ということはつまり、日本の歴史を考えてみれば、11月23日の祝日は「新嘗祭(にいなめのまつり・しんじょうさい)」を意識して定められたものだという事だろう。

「新嘗」とはその年収穫された新しい穀物のことを意味し、「新嘗祭」とは、天皇(皇極天皇の時代・642~644)が国民を代表して、農作物の恵みに感謝する式典を起源とする神事の一種であり、日本の古くからの重要な国家行事である。

これをわざわざ「勤労感謝の日」と言わねばならないところに、戦後の日本のおかしさがあるのかもしれない。
自然と科学 | Comments(2) | Trackbacks(-)

ヨッシーさんのご冥福をお祈り申し上げます

ヨッシーさんの事を何か書こうと思っていたが、なかなか書けない。悲しまないでくれとのヨッシーさんの意志を少しでも反映させようと思っても、それはそれで難しい。

逆に、覚悟を決めてからのヨッシーさんには、私のほうが教えられることばかりだった。回復の見込みがないと知らされてからは、さしさわりの無いことをメールするのが私には精一杯であった。おそるおそるメールした私を、逆に気遣うような返事を下さった。もちろんヨッシーさんも苦悩された事はまちがいないだろうが、それにしても、これがもし逆だったとして、私ならば正気を保っていられるかどうか、その自信すらない。

私には無理だったが、爆釣団の方々の中には、そんなつらい状況にあっても、過度にしめっぽくなったり腫れ物にさわるような対応をすることなく、それまでと極力かわらず接する事で逆にヨッシーさんやご家族の心の支えになった方もおられたようだ。

私はただ、遠くからオロオロしながら眺めているばかりであったが、そのような弱さを越えた信頼関係を持ち、きびしい状況にあっても心が通じ合える友人の存在というのは、きっとヨッシーさんにとってもご家族にとっても貴重なものだったのではないかと思う。ヨッシーさんもきっと喜ばれていることだろう。

息子さんむすめさんらも、ヨッシーさんがいかに家族のために闘われたか、そして、いかに友人たちから慕われていたかを心にきざまれたことだろう。今すぐにはピンとこなかったとしても、いずれ気が付く時が必ず来るだろう。そうであるなら、時に迷うことはあっても、きっと立派に生きて行かれるに違いない。

ヨッシーさん、どうかやすらかに眠ってください。そして、ありがとうございました。
哀愁 | Comments(0) | Trackbacks(-)

楽器よりも良い音が出る

このあいだの日曜だったか、テレビで SWING GIRLSを見た。なかなか面白かった。

出来の悪い女子高生集団が、ちょっとしたきっかけから楽器を手にしてビッグバンドジャズをはじめるという話。

私はビッグバンドは未経験で、吹奏楽→オケというパターンだが、最初に楽器を手にして、音が出る喜びからみんなで演奏するよろこびを感じる過程を思い出して、何ともなつかしい感じがした。

ただ、まともな指導者がいないと、ただ何かでっかい音が鳴っていてうれしいみたいなレベルですぐにあきてしまう。

練習時間の大半は、一人でロングトーンやスケールしたりなど基礎練習が中心だった。あれは瞑想のような効果があるのと、あれのおかげでずいぶん孤独に強くなった気がする。

で、なつかしくなって、トロンボーンを引っ張り出してきてちょっと吹いてみたら、ろくな音が出ない。

今の私の場合、屁のほうが、よほどスカっと響き渡る良い音が出る。
喜び・楽しみ | Comments(0) | Trackbacks(-)

DNAが遺伝子とは限らない

遺伝子=DNAではありません。

遺伝子の本体はDNAですが、DNAすべてが遺伝子として機能しているわけではありません。

遺伝子とは、DNAのうち、タンパク質の合成を指定するなど細胞の機能を担う情報を持っている部分のことを言います。

人間の場合、全DNAのうち遺伝子として働いている部分は、0.003%以下だと言われています。

それ以外のDNAは、俗にジャンクDNA(くずDNA)と呼ばれています。ただ、このDNAが本当に無意味なものかどうかは、まだわかりません。

でも、遺伝子として機能はしていません。

だからDNAを遺伝子という意味で使うのは、本当はかなり不正確なのです。
自然と科学 | Comments(0) | Trackbacks(-)

怖ッ!

いやー、正直、昆虫のたぐいだけは、食いたくない・・・

や、他人様が何を食べようが、口出しするような事じゃないんだろうけど・・・。

怖ッ!!!
迷い・不可解 | Comments(8) | Trackbacks(-)

たまには映画もよい

昨日は、三島由紀夫原作、行定勲監督の映画「春の雪」を、YUKAとともに見に行ってきた。ヨン様主演の「4月の雪」ではない。「春の雪」は三島由紀夫の小説の中でも、個人的に思い入れのある作品だったので、見る前の不安はいくつかあったが、結論から言うと、とても良い出来ばえの映画だった。見に行って良かったと思う。

なるべくネタバレにならない範囲で内容を簡単に説明するため、文庫本にある説明をパクると・・・維新の功臣を祖父にもつ侯爵家の若き嫡子・松枝清昭(まつがえ きよあき)と、伯爵家の美貌の令嬢・綾倉聡子のついに結ばれることのない恋。矜り高い青年が、「禁じられた恋」に生命を賭して求めたものは何であったか?

見る前に不安に思っていたことの一つは、行定勲監督の有名作品「世界の中心で、愛をさけぶ」が、私には(たしかに感動的ではあったが)一部どうしても納得行かない設定(柴崎コウが演じた女性の存在)があり、これは原作にはなかったと聞いたので(未確認)、もしかして、原作を改悪する可能性があるのでは?と思ったこと。もう一つは、主題歌が宇多田ヒカルの「Be My Last」という曲だという事。この曲そのものは悪いと言わないが、しかし、もし劇中で使われるような事があれば、猛烈に違和感を感じるだろうと思われた。もうひとつは、大正時代や当時の華族社会を綺麗に映像化できるかどうか。あと、基本的には悲しい恋の話ではあるものの、一般ウケするような劇的な泣かせどころみたいのは特になかったと思うので、ストーリーをそのまま映画にしたところで話題作にまでなるかどうかというあたり。で、実際見に行ってたしかめてみた。

まず音楽について。宇多田ヒカルの主題歌は、劇中では出てこず、エンドロールの時に流れるだけであった。最近の映画の主題歌は、だいたいこういう扱いのようだ。主題歌をモチーフにした音楽が使われることはあっても、主題歌そのものは、エンディングで流れるだけのようだ。ここでまず、一安心。

ところで、洞院宮治典王が聡子を部屋に招いた時に、レコードをかけるシーンがあるが、この時に流れてくる曲が、マーラーの交響曲第5番の第4楽章(アダージェット)であった。これは、二つの点で問題がありそうだ。一つは、この時代というのはマーラーの死後数年といった時期にあたるが、当時マーラーはおそらくほとんど聴かれていないから、たぶんレコードにはなっていないのではないかと思われる点(未確認)。当時マーラーの音楽はほとんど評価されていなかった。

もう一つは、この曲があまりに有名すぎるし、私は見たことないが、たしか「ベニスに死す」で使われて有名になった曲だったと思う。洞院宮治典王のシーンから引き続いて、その後の手紙を燃やすシーンまでずっと曲が流れていて、本来ならば破滅へ向かう事を決定づけるような状況なのだから、そこでこの官能的な曲を流すというのは、ちょっとどうかと思いはしたが、実際に見ていてそんなに違和感を感じたわけではないので、まあ気にしすぎかもしれない。

あとは、映像。これはもうかなり美しかった。全体に、じっくりと間をとって各シーンを見せる感じで、とても良かった。絵が美しいので間延びして感じることはなかった。あと、当時の世の中がどんなふうか見たことがないので正確かどうかわからないが、しかし何の違和感も無いどころか映像としてかなり素晴らしいと思った。私は映画館が苦手なので、あまり劇場でみることがないから、その影響もあるかもしれないが、やはり映画はでっかいスクリーンでみるべきだと思った。しかし、スクリーンというか、上映方式があまり最新式ではないのかわからないが、カメラが早めに動くと絵がぼやけてしまうのが残念であった。

二人が逢瀬を重ねるシーンも、卑猥になることなく、綺麗に映像化されていた。まあ、親子で見るのはちょっと厳しいかもしれないが、夫婦やカップルで見る分には問題ないだろう。美人ではあるが色気のほとんど無い竹内結子をキャスティングしたのは正解だったかもしれない。このシーンに過剰な生臭さは不要であるから。

一番心配だった点は原作にどこまで忠実かというところ。原作をただ完全になぞるだけでは、映画としてなかなか成り立たないと思うので、おそらく一部ストーリーは変えてくるだろうと思っていた。それを、どうかえるか、そのままやるのか、そのあたりが心配だったのだが、そこは見事にこなされていた。私は文句ない。

「春の雪」は、豊饒の海ー全4巻のうちの第一巻なわけだが、三島由紀夫の作品としてこれをそのまま映画化するのは、かなり難しいだろう。作る以上は多くの人に見て貰える内容でなければならない。独立した映画の作品としてなりたったものでなければならない。そう考えると、どこまで三島由紀夫らしさを残し、どれだけ変えるのか。そこが見所だったと思う。春の雪だけ取り出せば、清顕と聡子の物語だが、全編で中心となるのは、あくまで清顕と本多の二人である。そこをどうするのかなどなど。

で、映画では原作の4部作としての連続的な要素はほとんどカットされ、ほぼ純粋に清顕と聡子の恋愛物語になっている。飯沼も登場しなかったし、第二部が続編として映画化される事はないだろう。豊饒の海の第二部以降における清顕の転生の証明となる3つのほくろについては、絵としては出てきたが説明はなかった。最後のセリフ「また会うぜ。きっと会う。滝の下で」はそのままであったが、最後のシーンは二匹の蝶がたわむれており、この世では二人は会えなくても、来世でむすばれるかのような印象を抱かせるものであった。これは原作とはまるで違う。原作では、聡子は第四部である「天人五衰」の最後に登場するが、これは別の意味で劇的な終わり方である。初めて読んだ時、私はこの最後にひっくりかえった。

原作でもうひとつ重要だったポイントである清顕と本多との友情については、映画の最後のほうのシーンで何とか描かれていたので、これは良かった。本多役の若い俳優さんは、ぴったりの人だった。一番はまっていたのは洞院宮治典王役の及川光博だろう。あまりにぴったりすぎて笑ってしまった。本多役の俳優さんは、その次にはまっていた。もちろん、どのキャストもまったく違和感がなかった。

原作をどう変えたかについては、冒頭の百人一首の歌留多が最大のポイントだろうか。これは原作になかった。それを、後半のシーンで、ああいうふうに使うとは、びっくりした。冒頭でも後半でも、いずれも原作にない創作だが、「春の雪」を一話完結の恋愛ものとして見所をつくるという意味では、なかなかうまいと思う。

冒頭では、セリフの言い回しが昔っぽい感じがしてちょっと不自然に感じたが、それはすぐなれた。全体として、ミスキャストもなく、俳優陣の演技もよく、演出も過剰になるギリギリ手前の許容範囲だったので、良かった。

ただし、清顕が聡子にプライドを傷つけられる出来事の順番が違っていて(原作では「清様は子供よ!」→「実は手紙を読んで内容がウソだった事を知っているとわかる」の順だが、これが映画では逆転していた)、これは原作のほうが良かったと思う。このあたりは映画だとどうしても説明不足になりやすく、清顕が意地になった心理があまり描けていない。見る人が見れば、最終的な破局は清顕の自業自得と思われかねない。まあこれでも、私のようにかつてひねくれた恋愛観を持ち、自分の未熟さをたなにあげてプライドだけは一人前というような人間には違和感無く入り込めるが。

で、結論としては、劇場で見るならとても良い作品にしあがっていると思う。レンタルビデオで借りてきて見た場合には、ちょっとわからない。

後半では、客が鼻をすする音がちらほら聞こえてきたが、ラストサムライを見に行った時ほどではなかった気がする。YUKAは、だいたいどんな映画を見ても少々感動的もしくは悲劇的ならあっけなく泣くほうなので、今回も泣いていたようだが、それよりも、私のほうが泣いてしまったのは不覚だった。テレビドラマや映画を見てもあんまり泣かないタチなのだが。普通の人とは違ってひねくれているのかもしれない。

昨日は、天王寺アポロシネマ8へ行き、一番客の入りそうな夕方の上映を見に行ったが、席の埋まり具合は6割強という程度だろうか。若いアベック(死語?)が多かった。帰りに近くの書店に寄ったら、映画の後で原作を手にとって買って行く若い女性を見たが、ヤンキーみたいななりをしていた。そして「え?これ4巻まであるの?」などと言っていた。彼女には、なぜ聡子が宮家に嫁がねばらななかったのかや、二人の逢い引きが「法律違反」であり「重大な犯罪」である事など、理解できるんだろうか。

私も、持っていた古い文庫本がヨレヨレになって紙も変色して読みにくくなってしまっていたので、新しく1冊買い求めた。古いのと比べると文字が大きくなってそのぶんページが増えていた。まあ、このほうが読みやすいから結構だが。
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チャンネルを変えるタイミング

私は、KABA.ちゃんがテレビ画面に映ると、必ずチャンネルを変える。

たとえコマーシャルであろうとも。
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