カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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海上釣り堀

昨日が今年の初釣りであった。一日勘違いしていて、準備する時間も不十分だった上、何と前回から半年ぶりというブランク。しかも場所は兵庫県の「水宝」で、ここははじめて。などなど不安な要素がたくさんだが、ひさびさの釣りという事で、胸がときめいていた。

明石SAにAM4時集合。家からここまでは、1時間足らずで着いてしまった。その後、皆さん集合して、修さんの先導で出発。エサ屋などによってから船の出る姫路の飾磨港に到着。
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この港から船で40分ほどもかけて、離島の家島にある釣り堀まで、ちょっとした航海をしなければならない。こんな感じ↓
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釣りそのものの内容については、またボチボチ釣行記を書くことにして、結果だけ。

YUKA マダイ5匹
私  マダイ10匹、イサキ1匹、カンパチ1匹

朝のうちはものすごい勢いでアタリが連続して、この調子、この活性なら、一体どれくらい釣れるんだろうと期待したが、10時頃には急速にしぼんで、アタリのアの字もなくなった。

それでも私の周辺はアタリが多かったほうで、他のサイドは朝の30分ほどでパッタリアタリが止まり、それ以後はまるきに駄目だった様子なので、ラッキーだった。

帰りも2時間ほどで到着。釣った魚を捌く元気がなかったので、家に帰る前に近所のニッショーストアの鮮魚コーナーに持ちこんでさばいてもらうことにした。

1時間ほどでできあがると言われたので、一旦家に帰ってシャワーをあびてから、ふたたびニッショーに取りに行くと、綺麗にできあがっていた。全部で1000円でやってくれた。おまけに、売り物みたいにパックに詰めてくれて。

しかし、逆にこれはかさばるので痛し痒し。おかげで場所を取ってしまい冷蔵庫に入らない。おまけにクーラーの中の氷は捨てられてしまっていた。

ということで、急遽YUKAの実家からご両親に取りに来て頂いたのと、宅配便で私の田舎にも送る事にした。
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釣り | Comments(2) | Trackbacks(-)

引っ越しました!

楽天から、このFC2ブログへ引っ越しました・・・

一応、数日前から引っ越しのために、徐々に移植していたので。

こっちのほうが、色々と使いやすい面があるので。

しかし、引っ越しにあたって、せっかく皆様からいただいたコメントを持ってくることはできませんでした。申し訳ありません。
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三島由紀夫「春の雪」映画化!

 三島由紀夫の「春の雪」が映画化されつつあるとか。さっき売店で週刊新潮を立ち読みしていたら、書いてあった。私は高校時代だったか浪人時代だったか、その頃から三島由紀夫が大好きだった。特にこの「春の雪」からはじまる「豊饒の海」の4部作は、三島由紀夫の作品の中でももっとも好きなものであったし、今でも好きでたまに読み返したりすることもある。

 この4部作の中でも「春の雪」と「奔馬」が大好きで、「春の雪」の主人公、松枝清顕の心理が、当時の自分と非常に重なるところが多くて、のめり込んで何度も読んだ記憶がある。ちなみに、第4部「天人五衰」を書き上げたその日に三島が自決したのは有名な話。

 この作品自体のストーリーとしては、かなりメロドラマっぽいから、最近の「泣ける」ブームみたいなのに乗っかって、興行的にも成功するんじゃなかろうか。何たって「世界の中心で愛をさけぶ」の行定勲が監督らしいから。主演が妻夫木聡、竹内結子。竹内結子は地味で暗い感じであまり私好みではないが、和服も似合いそうだから綾倉聡子役にはピッタリかもしれない。

 物語の舞台が大正の初期だから、撮影はかなり難しいだろうが、綺麗に映像化されれば素晴らしい作品になること間違いないと思う。是非、4部作全部、とは言わないが、「春の雪」が成功したならば「奔馬」も映画化していただきたい。




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水宝ツアー

あれ、今気づいたが、明日からゴールデンウィークがはじまるじゃないか!

もしかして、水宝ツアーって明日!?あさってだと思っていた。

ヤバイヨ ヤバイヨ~(出川風)、全然準備できてないよー。

今日は早く退社して急いで準備しなければ!!!
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潮干狩り覚書

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○潮干狩りの注意点

・手を傷つける可能性があるので、手で掘ってさがす場合は軍手を着用。

・はだしにサンダル履きだと、足とサンダルの間に貝殻など挟まってケガをしたりする可能性があるので靴下をはいたほうが良い。

・アサリは海水に漬けたまま持ち帰るよりも、海水と別にわけて、クーラーで温度があがらないようにして持ち帰り、家で砂抜きをする。長時間海水に漬けておくと、水温が上昇したり海水が汚れたりする。そうすると急速に貝は弱る。水に漬けずにおくほうが、アサリは貝殻をしっかり閉じて、長期間(数日)元気で生きている。濡らした新聞紙につつんでクーラーに入れて冷やして持ち帰るのがベスト。

・バカ貝やシオフキなどは現地で綺麗な海水にしばらく漬けておくと砂抜きできるらしい。海の家には貝を漬けておく場所があるので、そこへ漬けて砂抜きしてから持ち帰るほうが良い。アサリと違って弱りやすく、家に持ち帰ってから海水に漬けても、弱ってほとんど砂を吐かない。



○春は潮干狩りの季節
 海水の満ち引きは月と太陽の重力によって引き起こされる。この重力の影響がもっとも大きい時が大潮となって、干満の差が一番大きくなる。月と地球と太陽が一直線に並ぶ時期である。

 月は地球の周りを29.5日で一周する。ので、一ヶ月に約2回、新月と満月の時期に大潮となる。地球は一日に一回転しているので、1日に干潮と満潮がそれぞれ2回ずつあり、この2回のうちの1回の干潮は特に潮が大きく引き、もういちどある干潮のほうはそれほど引かない。春の時期は大きく潮の引くほうの干潮が昼頃にあたるので潮干狩りに適している。

 もうひとつ春が適している理由としては、春は潮の満ち引きが大きいということもある(秋も)。これは春と秋には太陽の引力が強くなるためである。地球は太陽のまわりを1年365日かけて回っているわけだが、この地球の軌道は円ではなく、楕円軌道になっている。それで、ちょうど春と秋に地球は太陽に一番近づくので、太陽の引力が強く作用して、潮の満ち引きが大きくなるというわけだ。

おでかけ | Comments(0) | Trackbacks(-)

潮干狩り

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ちょっと書くのが遅くなってしまったが、24日(日)は、三重県の御殿場海岸へ潮干狩りに出かけた。大潮で11時58分干潮。だいたい2時間前くらいから潮がひいていて、潮干狩りが楽しめる。

家を8時頃に出発。現地には10時すぎに到着すると、もう潮がかなりひいていた。海の家は二人ぶんの席代と車一台ぶんの駐車料金で1500円。それほど混んでいなかった。

さっそく潮干狩り開始!ところが全然アサリがいない。シオフキばかりである。シオフキならトラックいっぱい捕れそうなほどシオフキばかり。去年はバカ貝も結構捕れたのだが、バカ貝もいない。

潮の引き際まで(つまり沖のほうまで)行くと、シオフキさえいなくなった。しかしそのあたりまで行くと、マテ貝がいるようで、マテ貝名人らしきじいさんが、穴に塩を入れて飛び出してきたマテ貝を次々にゲットしていた。うーん、今後やってみよう。

周りの人たちのバケツを見てもアサリは全然捕れていない様子。ちょっと焦る。焦りながらさまよって、1匹のアサリも捕れずに1時間以上経過した。

少し岸のほうへ引き返しつつ、バケツをのぞき込むと、アサリを捕っている人がいたので、そのすぐ近くでやりはじめる。するとようやく最初のアサリをゲット。

それから、近くのポイントを丹念にさぐると、シオフキ100個につき、アサリ1-2個の割合で何とか見つける事ができた。宝探しのようで楽しめたが、ちょっと率がひくすぎる。場所が悪いとアサリは1個も捕れない。

今回は、50センチくらいの長さの柄のついた、小さめのカイマキを持っていったのだが、YUKAはこれで夢中になって野良仕事みたいにして、砂を耕していた。私もやった。あまりアサリは捕れなかったかわりに、たっぷり筋肉痛になってしまった。

やはり、軍手をして手で貝を掘り出して、ザルの上にのせてチェックするやり方が一番効率が良い、というか、私にはあっている。おかげで、ものすごい握力が鍛えられた。

結局2時くらいまで頑張って、二人で500g、たぶん1キロはなかったと思う。

私は子供の頃、海から遠い田舎でそだった。小学校までは外で遊ぶのが大好きで、山では色々遊んだが、海で遊んだことはほとんど無い。夏に家族で1度海へ行くか行かないか程度だった。だから大人になってから海ではじめて本格的に海で遊んでいるわけだが、年齢を忘れて夢中になってしまった。

しかし、ちょっとアサリが少ないというか、効率が悪いので、来年はもっとたくさんアサリのあるスポットを調べて、そちらへ行こうかとも思っている。

おでかけ | Comments(0) | Trackbacks(-)

ショスタコ 7番

 ショスタコーヴィチの音楽は、現代曲の部類にはいるのだろうか?1975年まで生きていたわけで、そういう点では現代かもしれない。作品の内容も、とてもロシア物とはいえず、もうソ連物というか、政治のニオイがプンプンするものも多い。

 彼の交響曲では第5番が有名で、この曲は以前「革命」という表題付きだったが、ショスタコ本人にそういう名前をつける意図がなかったとかで、最近では単に交響曲第5番としか言われない事のほうが多い。

 5番は、わりあいと古典的な形式に則った曲だし、わかりやすい。しかし彼の交響曲には複雑なもの、私には理解に苦しむようなものもある。そんな中でも交響曲第7番はわりとわかりやすいほうだろう。

 第一楽章は、昔シュワルツェネッガー(シュワちゃん)が出てくる何かのCMでそのメロディーを使われていたと記憶しているが、ともかく、何となくコミカルなマーチ調の音楽で、それがボレロのパロディーっぽく徐々に盛り上がって行く。第四楽章も迫力満点だ。

 この曲については2つCDを持っている。これは偶然なのだが、どちらもバーンスタインの演奏である。昔ロジェストヴェンスキー指揮の演奏も持っていたのだが、知らないうちにどこかへ消えてしまった。演奏もどんなだったか憶えていない。

 で、まずはバーンスタインの若い頃、当時常任指揮者を勤めていたニューヨークフィルとの演奏。

「バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック 1962.10.22-23 SONY」(写真下)
 この後で紹介するシカゴ響との新録音に比べるとだいぶ速いテンポをとっていて、情熱的。バーンスタインの演奏は、だいたい若い頃のはテンポが早くて、晩年は遅い。演奏のレベルはそれなりに高いが、そこほど心は動かされなかった。それよりもこの2枚組のCDは、交響曲5番と9番も入っていて非常にお得であった。

「バーンスタイン シカゴ交響楽団 1988.6/Live Deutsche Grammophon」(写真上)
 晩年のバーンスタインによく見られる傾向どおり、テンポが全体に遅めという事もあり、当然の事ながら1枚にはおさまりきらず、こちらも2枚組になっている。ついでに交響曲第1番もカップリングされている。

 バーンスタインがシカゴ響を37年ぶりに指揮した時のライヴ録音との事。数少ないシカゴとの競演のうちの一枚だろう。アメリカの5大オケではそれぞれの音楽監督を相互に客演に迎えないというのが暗黙の約束事であったので、長年シカゴを指揮する事がなかったらしい。

 それにしてもこの演奏はすごいド迫力である。まあ、シカゴ響はニューヨークフィルに負けないパワフルなオケだから、こういう曲を演奏するのは得意なのかもしれないが。シカゴ響の常任指揮者は当時ショルティで、彼の、アメリカ人でもないのにどこまでもサバサバした「竹を割ったような」演奏で古典的な曲を聴かされると、正直ガッカリするのだが、現代的な曲を演奏する場合、シカゴ響の機動性はとても有利に働く。

 そのシカゴ響のパワーとテクニックに、マーラーを演奏する時のように曲に没入したバーンスタインの魂がこもった熱演。もう圧倒的音圧の度迫力によって興奮のるつぼにたたきこまれる。ライブ録音とは思えないほどのオケのアンサンブルは見事だ。サウンドがまたとても綺麗で美しい。3楽章から4楽章にかけては、もう音の洪水に飲み込まれてトランス状態になる。
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ショスタコーヴィチ:交響曲第7番&第9番ショスタコーヴィチ:交響曲第7番&第9番
(2005/11/16)
ショスタコーヴィチ、 他

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好きなマンガ

 小学校から中学にかけてマンガばかり読んでいて小遣いの大半をそれに費やしていた。部屋中一面がマンガだらけだったが・・・

 それが、徐々にSF小説とか活字の多いものを中心に読むようになり、最近ではあまりマンガを読まなくなった。

 それでも毎週欠かさず立ち読みしているマンガがある。毎週ではなく、隔週のものもあるが。

 職場の売店に雑誌が色々置いてあるので、よく立ち読みしている。店のおばちゃんに完全に顔を覚えられてしまっているが、あまり気にしない事にしている。

 このところ、継続的に読んでいる連載マンガは以下の通り。どれ一冊として、自分の金で買ったことがない。全部立ち読みですませている。

 立ち読みとは情報の窃盗行為に他ならないのだが。



○常務 島耕作・・・弘兼憲史(モーニング)
○美味しんぼ・・・作者の名前忘れた、ちょっと左巻きの原作者(スピリッツ)
○ラーメン発見伝・・・これも作者忘れた(スペリオール)
○新・味いちもんめ・・・これも忘れた(スペリオール)
○ニュースの牛・・・中川いさみ(スペリオール)
○ガラガラポン!日本政治・・・業田良家(SAPIO)


 中でも、「ニュースの牛」に注目!作者の中川いさみの作品では「クマのプー太郎」が有名だが、この「ニュースの牛」も負けてない。ただし、まだ単行本は発売されていない。かわりと言っては何だが、「大人袋」がこれまた面白いのでオススメ。

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 価格: ¥798 (税込)


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チェリビダッケの「展覧会の絵」

 私が最初にチェリビダッケという指揮者がいる事を知ったのは、まだ彼が生きていた頃の話で、たぶんもう15年くらい前になると思う。レコード芸術か何かの雑誌で、ものすごい毒舌指揮者がいるという話を、どこかの音楽評論家が書いていて、その文章を読んで知ったのが最初だったように記憶している。何せ当時クラッシック界の頂点に立つ二人の巨匠カラヤンやバーンスタインでさえもチェリビダッケはけちょんけちょんに腐していた。

 これ以外にもどの曲も演奏のテンポがものすごくて遅いとかいう話。これも何かの雑誌で評論家がチェリビダッケ指揮で「展覧会の絵」を聞いたら、「もうびっくりするくらいスローテンポで辟易した」などと書いていたのを見て、一体どれくらい遅いのか、どんな演奏なのかとても興味を持った。

 しかし、彼は「本物の音は生の空間でしか共感し体験することができない」との信念から、生涯レコード(CD)の発売を拒み続けた。(録音だけはしていたみたい)。CDには初期の録音が少しと海賊版があるのみだった(ただし、映像を伴った場合は例外と言って、レーザーディスクやビデオは少しだけあった。おそらくオケの経営面にかんする彼なりの妥協と配慮かと思われる)。

 こんな調子だったので、彼の演奏を聴くにはコンサートに行くしかない、という事で、ミュンヘンフィルを伴って来日したときに、ブルックナーの交響曲第4番の演奏を聴きに出かけた。

 私は今まで海外の有名オケも含めて色んなオケのコンサートに少なからず出かけていった事があるが、その中でも最高のものであった。

 その後、チェリビダッケが亡くなってしばらくすると、遺族の意向で彼の演奏のCDが続々と発売された。そして私がまっさきに買ったのは、大好きなブルックナーではなく、「展覧会の絵」であった。いったいどれくらいノロノロのテンポなのか、どうしても確かめてみたかったから。

 私が買ったこのCDにはカップリング曲としてチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」が収録されている(上の写真左)。

 ボレロがカップリングされている盤もあるみたいなので注意が必要(上の写真右)。

 ところで、このチャイコフスキーの「ロメ・ジュリ」だが、この曲、メロディーメーカーであるチャイコフスキーの魅力が存分に発揮された作品で、私はとても大好きなのだが、チェリビダッケによってまた新たな魅力を発見することができた。やはりこれもまたゆっくりしたテンポで演奏時間が27分以上になっている。

 中間から後半にかけてのサビ(?)の部分、甘くて美しい旋律とともに演奏が盛り上がる部分が素晴らしのは当然として、それいがいの、他の演奏ではスーっと流してしまっている部分も、ゆっくりとしたテンポで演奏される事によって一音一音がはっきりイメージできる。この点では、チェリビダッケの演奏は晩年のバーンスタインと共通するものがあるように、私は勝手に思っている。

 さて、「展覧会の絵」の演奏を聴いてみると、確かにテンポがすごく遅い。冒頭のトランペットソロではじまる「プロムナード」がもういきなりスローテンポである。展覧会で絵から次の絵の間までを、這うようにしてゆっくり歩くチェリビダッケの姿が目に浮かんだ。

 最後の「キエフの大門」も、やや遅めのテンポ。ここまでくると遅いテンポに慣れてしまって、もうどれくらい遅いのかよくわからなくなっている。この曲は中学の頃にブラスバンドをはじめていらい、私も何度も演奏した事があるが、金管楽器はついついバカ吹きして破壊的な音量と迫力で圧倒したがる傾向が強いが、ミュンヘンフィルはさすがにそんな事はするはずもなく、バランスの取れたアンサンブルで、美しい響きを聴かせてくれる。

  はじめて「展覧会の絵」を聴く人にはお勧めできないが、何度も聞いてこの曲には少々飽きてきたというくらいの人ならば、聴いてみて非常に面白いのではないかと思う。
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私のクセ

 私にはどうしてもやめられないクセがある。テレビを見ながら鼻の穴をほじくるのがクセになっている。

 鼻の穴をほじくるとか言うと私の事をキタナイ奴だと、人は言うかも知れない。しかし、それは違う。鼻の穴をほじくらずに、鼻の穴の中をハナクソだらけのまま放置している人のほうがキタナイのであって、私の鼻の穴は綺麗になっている。

 では、鼻の穴をほじくった指がきたないかと言えば、それも違う。すぐに指からハナクソをはじき飛ばすので、指も綺麗になる。どこがキタナイかと言えば、ハナクソが飛んだ先の床の上か地面か、何かわからないが地球上が一時的に多少汚れるという程度である。

 それも微生物によりすみやかに分解され、じきに土に帰る。地球そのものの一部にもどるわけである。

 したがって、この私のクセをやめる必要性はまるで無いという事になる。
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美女とストーカー

結局、放流の多い釣り堀=たくさん釣れる=たくさん釣りたい人が行く

まあ、同じ値段なら釣果が多いほど良いと思うというのは、原始的な「欲」から来ているわけで、そういう面は私にもある。

でも、人気が高いと客が殺到して、釣りにくかったりするかもしれない。

各種のサービスを充実させるより何より、魚の質・量ということにしぼって力をいれているのかもしれない。(実際はそれだけではなく、色々と充実しているが)

それがその釣り堀の個性であると言えるかもしれない。細かな気配りだとか手厚い歓迎とか、何でもかんでも求めるのはちょっと無茶な要求かもしれない。


ところで、こういう釣り堀を、「派手な美女」に例えてみると面白い。

男は綺麗な女性に、自分の欲望から、言い寄る。しかし相手は言い寄ってくる男がいくらでもいるわけで、男の側からしてみれば、自分のエゴで彼女を思い通りに動かそうと思っても、なかなかそうはならない。

男の側が、もっとああしてくれ、こうしてくれと言ってみたところで、そんなめんどくさい事を言う男など相手にしなくても、いくらでも他に男はいるのであるから。

そして、ふられた男の側は、ストーカーになったり、逆恨みから嫌がらせの復讐をしたりする。

相手が魅力的な女性であればあるほど、男の側も執拗に執着し、迷惑行為もエスカレートする。


某釣り堀屋の掲示板が荒れているみたいだが、この騒動を見ていて、ふとそんな事を思った。

(この物語はフィクションです。決して、いつまでもしつこく苦情の書き込みを続けているのをいやがらせだとかストーカーみたいだとか言っているわけではありません。悪しからず。)
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オマケ

先日、昼間にちょっと仕事を抜け出し、近くの公園へ散歩がてら花見に行った。

その時、近くの屋台でタコヤキを売っていたので近づいてみた。

昼飯を食った後で、さほど腹は減っていなかったのだが、美味そうだったから、一つ買うことにした。

店のおっちゃん「にいちゃん、これ1個オマケ入りのやつにしといたるわ」

・・・確かに他のよりも一つ多くて9個入っていた。それにしても36歳のおやじをつかまえて、にいちゃんもないと思うのだが・・・。

それはともかく、オマケしてもらってラッキーと思って食べていったら、何の事はない、9個のうちの一つが、タコが入っていないハズレのタコヤキだった。

粉だけのタコヤキともいえないコナヤキを、たいして腹も減っていないのに食わされた。

いや参った。

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まだこ

今朝、通勤のため、国道を走っていると、トラックに

まだこ

と書いてあった。しかしよくみると

「便まだこ交産」

とかいてある。つまりこれは車体の右側の側面に書いてあったので、車の前から後ろに向かって、つまり右から左に向かって読むのが正しいようだ。

「産交こだま便」という事らしい。しかしこだまの部分だけ赤字で書いてあるもんだから、「まだこ」が真っ先に目に入ってくる。
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タイガーマスクの叫び

戦後60年をあらためて振り返ってみると、日中、日韓、日朝の関係では、どれを見ても、日本はずっとタイガーマスク役を演じようと頑張ってきたように思う。

しかし、もう限界だよ、伊達直人は!

最終回が近い・・・そんな予感のする今日この頃。tiger.jpg


怒り | Comments(0) | Trackbacks(-)

シードマスター

 昨日の夜に「奇跡体験!アンビリバボー」とか言う番組を見ていて、仰天させられた。まさに「アンビリバボー」だった。

 なんでもSARSやAIDS、百日咳などの病原体が宇宙から定期的に飛来して地球にやってくることが証明された!みたいに言っていた。もう大笑いである。番組のサイトに詳しくのっていたので、さっそく拝見。番組HP参照(シードマスターの謎)。

 2004年7月、イスラエルのサファリパークで飼育されていた猿のナターシャが、突然人間のように二足歩行を始めた!
 2003年3月、恐怖の感染症としてアジアを発端に世界中を震撼させたSARS!
 この一見関係がないように思える二つのニュース、実は原因に共通点があったのだ。突然の二足歩行、そして突然現れたウィルス。その原因は二つとも宇宙からやってきたのだ。超常現象研究家の南山宏氏によると、「シードマスター」が関係しているという。その正体とは一体何だろうか?


 いやー、南山宏!何ともなつかしい。この人まだ現役だったんだ!たしかこの人は昔、ロシア・ツングースカに落下した巨大隕石は木星人による地球攻撃だとか言う説を本にしていた。子供の頃、半分くらい信じてしまったよ・・・。(もしかして南山宏じゃなくて、五島勉だったかな?まあどっちもどっち)

 番組のサイトではダーウィンの進化論との関係やキリンの首の話とか出てきていたが、もうムリヤリこじつけもいいところの説明ばかり。最近マスコミでも時々出てくるは医学博士の中原英臣氏も自説を展開しているが、キリンの首が急にのびた事をムリヤリにウイルスで説明しようとしているが、既存の進化論でも十分説明できる。

 事実、二足歩行を始めた猿のナターシャは、ウィルス性の腸炎に感染し、生死の境をさまよった後に二足歩行を始めた。

などと言っているが、腸炎のウイルスは腸でしか増えることができず、従って生殖細胞に感染する事がないので、子供にその形質は伝わらない。生物学のごく初歩をしっていればそんな事は中学生でもわかるはずである。今のところ動物の生殖細胞に感染して増えるウィルスなど見つかっていない。そもそもウィルスによって遺伝子がゲノムに組み込まれたならば、その証拠が遺伝子に残っているはずである。

 でも、まあここまでは良い。たしかに今後、生殖細胞に感染して遺伝子を改変するようなウイルスが見つかる可能性もあるし、だとすればこの説には説得力も生まれるかもしれない。ひどいのはその先、「ウイルスと宇宙の関係」についてである。

 イギリス・ウェールズに、驚くべき説を唱えて実証した人物がいる。カーディフ大学宇宙生物学センター所長のチャンドラ・ウィクラマシンゲ教授だ。ウィルスやバクテリアなどの病原体は、間違いなく宇宙からやってくるという。
 2001年にウィクラマシンゲ教授はインドで興味深い実験を行った。完璧に殺菌したカプセルを気球で成層圏まで上げ大気を採取して分析したところ、バクテリアの細胞の一部が見つかったというのだ。風で運ばれたと言う人もいるというが、そんなに小さなものが成層圏まで吹き上げられるのは不可能だという。宇宙からやってきたとしか考えられないというのだ。


オイオイ、実証したとまで言い切っちゃってるよ。こんなの実験の不備に決まっているだろう。だいたい、この実験で細菌が宇宙から飛来した考えるとよりも、地上の細菌が成層圏まで吹き上げられたと考えるほうがよっぽどまともである。

 この後、彗星接近の周期と百日咳という病気の流行周期が3年半で一致しているから、百日咳菌は彗星から飛来している・・・などと一気に飛躍した結論に到達している。

 たしかに彗星は氷の固まりで、生命の元となるような有機化合物が含まれている事が知られており、太陽に近づくとそれが溶かされる。そして溶け出して気化した彗星の物質が太陽風で押し流されたものが地球から「彗星の尾」として観察される。

 彗星によってまき散らされた物質の中には砂粒のような物質も含まれており、それが地球の引力に引き寄せられて飛来するというのも事実である。

 しかし、ちょっと考えてみればわかるように、宇宙空間というのは猛烈な電離放射線や紫外線の嵐で、おまけに超低温と超高温がとなりあわせの世界である。そんな空間ではどんなバクテリアも生存できない。宇宙空間は最高の殺菌装置のようなものである。

 仮に大きな石ころのようなものに囲われて守られながら地球に引き寄せられたとしても、落ちる時には大気との摩擦熱で燃え上がって流星となり消えていく。地上に落下したとしても超高温である。バクテリアだろうがウイルスだろうが、完全に死滅している。

 ただし、確かに一部にはそうした過酷な環境でも生き残れるバクテリアがいることはいる。 アポロ12号が月面から持ち帰ったカメラから、1年半前に地球から付着してきたバクテリアが検出されたという事もあったらしい。

 でも宇宙空間で1-2年生存可能なバクテリアがいたからといって、その事から彗星の中にいろんなバクテリアがいるとまで言ってしまうのはこれまた論理の飛躍である。彗星の中にバクテリアが生きて増殖できる環境があるとは考えられない。何を栄養にして生きているのか?温度や気圧など、地球上の環境とはあまりに違いすぎる。まあ、中で保存されて貯蔵されているだけならわかるが、自然にそんな事はおこらないだろう。宇宙人がそうしたとでも言うつもりだろうか。

 またウィクラマシンゲ教授は、百日咳だけでなくSARSやAIDSなど、近年人間をおびやかした病原体も宇宙からやってきたのだという。SARSは中国のハクビシン、AIDSはアフリカのミドリザルがルーツとされているが、未だにその確固たる証拠は見つかっていない。

ここに至ってはもうムチャクチャである。ウイルスというのは、動物の細胞の中でしか生きて増える事ができない不完全な生命体、生命体と物質の境界の存在である。

 エイズウイルスはヒトやサルの免疫細胞T細胞の中でしか生きられないし、SARSだって呼吸器系の細胞の中でしか増えることができない。そんなウイルスが彗星のなかに多量に存在するはずがない。

もうこのウィクラマシンゲ教授、昆虫の卵のようなものまで彗星から送り込まれたと予測している。

・・・ここで、再び南山宏氏登場

 シードマスターの真の目的とは何であるか、南山さんは二つの興味深い説を唱える。
 一つは共生説。人類を進化させ、宇宙文明に参加させるという考え方。二つ目は植民地説。地球を彼らの都合の良いように改良して、人類を支配するという考え方。


どうやら、結局は宇宙人が彗星を使って、地球上の生物を改変しているという話らしい。たしかに、この説を説明するには、宇宙人の力を借りなければ不可能である。

 あー、アホらしい。こういうのをSFとしてやるなら大いに結構で私も大好きなのだが、科学っぽく見せて真実であるかのようにやるのはやめてほしいな。

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マーラー交響曲第3番

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 あれは高校時代だったか、テレビでマーラーの映画をやるというので、ビデオに録画しておいて後から見た。当時マーラーの名前は聞いたことがあったが、曲を聴いた事もほとんどないし、CDやレコードなど一枚も持っていなかった。ちょうどレコードからCDに切り替わりつつある頃だったと思う。

 そもそもマーラーやブルックナーのように演奏時間が長い曲、CDでさえ2枚組になってしまう音楽は、片面に二十数分しか録音できないレコードの時代にはあまり商売としてなりたちにくいから、まともに評価されなかったのは仕方がないかもしれない。一つの楽章が30分以上あってレコードの片面に入りきらず、途中でひっくりかえさなければならないのだから。

 ちょうどあの頃はCDが徐々に増え始め、マーラーやブルックナーなどの交響曲も、途中の楽章をぶったぎらなくとも聴けるようになりはじめた。そしてその数年後に空前のマーラーブームも到来した。

 映画の話にもどると、その映画についてはここに紹介がある。全編、ハイティンク&コンセルトヘボウ管の演奏によるマーラーの楽曲があふれていて、なかなかの出来映え。

 実は、この映画でマーラーの音楽の聞いて、最初からその音楽そのものの魅力に惹きつけられたというわけでもなかった。何に興味をもったかと言うと、トロンボーンのソロである。

 私は中学からブラスバンドでトロンボーンをやっていた。この映画を見ていて、マーラーが階段をゆっくり歩くシーンで、長い長いトロンボーンのソロが流れていた。葬送行進曲調のゆっくりとしたテンポの曲であった。こんなに延々とトロンボーンがソロで演奏しているクラッシック音楽を私はそれまで知らなかったので、「お!?これは何という曲だろう。しかも、長いわりにそんなに難しくなさそうなフレーズで、俺でも吹けるんじゃないか」そう思った。

 今から考えれば、これは交響曲第3番の第一楽章の事なのだが、その時はマーラーの曲ということしかわからなかった。おまけに、田舎のレコード店にはマーラーのCDなどほとんど置いていなかったので、簡単に入手できなかった。

 何かの機会に札幌まで行った時に、今がチャンスとばかりに大きなレコード店へ行き、少しでも値段の安い輸入盤のコーナーで、マーラーのCDを探した。すると何と交響曲だけで9曲もあり、多くが2枚組であった。他にチャイコフスキーとかブラームスの交響曲のCDも買いたかったので、所持金からマーラーのCDは一枚しか買えない。そこで選んでしまったのが、何と交響曲第4番だった。この曲はマーラーの交響曲の中では例外的にオケの編成も小さく、そもそもトロンボーンが無い曲だった。家に帰ってものすごくがっかりしたのを憶えている。

 その後、徐々にマーラーの交響曲のCDを買いそろえていって、何枚目かにようやく交響曲第3番の目当てのトロンボーンソロを発見できたが。そこにあたるまでに買ったどの交響曲もすばらしくて、その頃にはすっかりマーラーのファンになっていた。そんな事を思い出して懐かしくなり、マーラーの3番をひさびさに聞いた。

 バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの演奏。もう最高傑作だろう。最終楽章の弦楽器の美しさ。管楽器のパワー。すばらしい。2番「復活」にも共通しているが、最終楽章の盛り上がりにかけて、まず金管楽器の静かなコラールからはじまって、徐々に波が大きくなるようにして盛り上がっていく。ニューヨークフィルのトロンボーン奏者はものすごいでかいマウスピースを使っており、音が野太くてパワフルである。圧倒的な音圧で最後は迫ってくる。ブラボー!思わずそう叫びたくなってしまう。
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カメラ付き自販機

 なんでもアダルト雑誌の自販機で監視カメラ付きで青少年が買えないようにしたものがあるらしい。
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ファーストコンタクト

 ファーストコンタクトとは、宇宙人と人類との最初の遭遇の事である。そもそも宇宙人など存在しているのか?彼らと人類との交信さらには遭遇といったものが可能なのか・・・。

 銀河系の中に存在する高等技術文明の数はドレイクの式から予想できる。松井孝典という地球物理学者が書いた1万年目の「人間圏」という本に、ドレイクの式を使った彼の説が書いてあり、興味深い。ここではドレイクの式は書かないが、松井氏の見積もりによると、


銀河系の中で生命が存在できる惑星の数は、約100億個


 という事らしい。そして、彼の説によると、そこで誕生した生命がやがて人間のような高等生物になるのはほぼ必然、すなわち


銀河系の中の約100億の惑星には高等生命が存在しうる、悲観的にみても1億はくだらないだろう


 と予測している。

 これは銀河系中の1億~100億の惑星で「今現在」高等生物が存在しているわけではない点に注意が必要。宇宙150億年の歴史のなかでそれだけの数だと言っている。そこで重要になってくるのが、高等技術文明の持続時間である。

 この本に限らず、科学者や文明論者の間では、人類のような高等文明は長続きしないというのが定説らしい。ホーキング博士も、現在の人類のような高度に発達した文明は非常に不安定で一瞬にして消滅してしまうと言っている。一瞬といってももちろん数年単位ではなく、数百年単位、だいたい100年から1000年と言われている。

 これらを考慮して、かなり楽観的に見積もっても


この銀河系中に「今現在」存在している人類と同じような高等科学技術文明を持つ惑星は約1000個程度


 ということになるらしい。これはすごく多いように思うが、実は銀河系の大きさをもとにして、この1000個の文明をもつ惑星のそれぞれの距離を計算してみると、数百光年以上はなれている事になるらしい。したがって、これらの惑星の間で交信しようとしても、数百年かかるわけなので、文明が100年から1000年しか存続できない限りはお互いに交信不能というのが結論だ。したがって、


宇宙人と人類とのファーストコンタクトは、ほぼ不可能


という事になるらしい。

 最近の報告だと、光速を越えるワープ航法というのは理論的に不可能だと証明されたという事だし、そう考えると、私の好きなスタートレックのような未来は不可能だろうし、UFOは宇宙人の乗り物という事にもならないようで、一抹の寂しさを感じる。

迷い・不可解 | Comments(0) | Trackbacks(-)

なんでもバトル

昔、少年ジャンプを読んでいた頃、連載されているマンガで長期間続くものは、どれもほとんど例外なく、延々とバトルを繰り返すタイプのものだった。

最初はそうでなくても、次第にそうなっていく。例えばキン肉マンなんかも、最初はただのギャクマンガだったのが、途中から「何やらマン」が続々と出てきて延々戦っていた。

ドラゴンボールも同じパターンだった。

聖闘志星矢や北斗の拳なんかは、もう最初からずっとバトル・バトル・・・である。

少年誌・青年誌に連載されているマンガって、毎週アンケートの人気投票があり、それで上位をキープしないといけないらしい。下位が続くと連載打ち切りという事になる。

そのためにも、毎週勝負・勝負で引っ張って、それで関心を引きつけつつ人気を維持するというのが常套的な手段になるらしい。

ところでちょっと話は別かもしれないが、「美味しんぼ」も、あれも結局料理に勝負を持ち込んでいる。人間の舌があんなに敏感とも思えないし、何でも食い物で解決できるなんてありえないと思うが、そういうナンセンスさとは関係なく、いまだに連載が続いている。

私は最近ではほとんどマンガを見なくなったが、いまだに買っているのが「ラーメン発見伝」というビックコミック・スペリオールに連載されているマンガ。

一部に美味しんぼをパクっているような設定があったり、これまたラーメンでバトルしたりと滑稽なところもあるが、結構おもしろいので、単行本が出ると必ず買っている。

ラーメン業界の裏事情なんかもわかったりして。まあわかってもしょうがないか。でも実は知り合いの知り合いがまさに脱サラしてラーメン屋をやろうとしているらしい。

でも脱サラしてラーメン屋を開業する人が結構いるらしいが、正直言ってリスクが高すぎる、というか、元手がかかりすぎるし割にあわない商売だと思うが。まあ、それほどラーメンが好きなら別だが。話を聞いてみるとそれほどラーメンが好きというわけでもないらしい。

ラーメン屋を開業するくらい資金があるなら、もうちょっと何か他に割の良いこともあるんじゃなかろうか。少なくとも借金までしてはじめるのは絶対やめたほうが良いと思うのだが・・・。一応私も意見を聞かれたので「借金をせずにはじめられる他の可能性をもっと考えてから決めたら?」とだけ答えておいた。
喜び・楽しみ | Comments(0) | Trackbacks(-)

単なる昨日の日記

昨日は、犬鳴山に花見&ハイキング、その後温泉、そして佐野漁港の青空市場により、2階にある店で食事をした。

アナゴ天丼がうまかった。
七輪でサンマを焼くのは問題ある。煙と炎で大変な事になった。

おまけに昨日は暑くて、閉めきっていたもんだから、汗がボタボタ滴って困った。

それにしても、桜の写真を撮り忘れた。不覚。

家に帰ってから、録画しておいた「たかじんのそこまで言って委員会」と「エンタの神様」を見る。

なかなか面白かった。

今週はラーメンを食えなかった。

以上。
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小澤のマーラー9番

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このところ、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラのCDを立て続けに何枚か買った。そのうち、マーラーの交響曲第9番について。なかなかの名演であった。

私は最近ブルックナーばかり聴いていたが、マーラーもやっぱり良い事を再認識した。学生時代はマーラーも大好きで良く聴いていたから。

マーラーもブルックナーも、どちらも彼らの生存中はほとんど評価されなかったのだが、20世紀の後半になってようやく評価されるようになったという点で共通している。しかし、その音楽の中身や、彼らの背景にはかなり違いがある。ブルックナーは敬虔なクリスチャンで、彼の音楽はその強い信仰心(+ワグナーへの敬愛)から生まれたと言ってよかろう。一方のマーラーはユダヤ人である。彼は有名オケの指揮者のポストを得るためにキリスト教に改宗したりと、現実社会で苦労している。

ブルックナーの音楽を「神」や「宇宙」に例えるなら、マーラーの音楽はまさにそれとは対照的に、「人間」や「世俗」のニオイがプンプン漂っている。このところの私は、そうした世俗的な人間くささの悪い側面に少々敏感になっていて、そうした事からもマーラーの音楽を遠ざけていたのかもしれない。

しかし、ひさびさにマーラーを聴いて、やはりマーラーも良いなーとあらためて感じた。この小澤&サイトウ・キネンのマーラーの交響曲9番のCDは、廉価版として再販売されたもので、かなりお買い得である。

マーラーの楽譜を見ると、あるパートがクレッシェンドしているのに、別のパートはデクレッシェンドしていたり、ffのパートがあるかと思えば同時にppのパートもあったりして、正直、これって意味あるのか?と不審に思ってしまう所がある。

小澤の演奏ではそうした一見その通りに演奏する事が不条理であるかのようなところも忠実に守られているという話だ。よりオリジナルのマーラーの音楽に近いものであるかもしれない。

まあ、マーラーの演奏と言えば、バーンスタインが有名で、やはり名演が多い。中でも最も印象的だったのが、ユダヤ人であり、カラヤンとの確執が囁かれていたバーンスタインが、ただ一度だけベルリンフィルを指揮して録音したマーラーの9番が、緊張感溢れる名演だと思う。
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問題な日本語

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【楽天ブックス】問題な日本語 どこがおかしい?何がおかしい?

 自分自身がどれだけきちんと言葉を話せているかどうかは置いといて、日頃からコンビニやファミレスの店員が使う独特の表現がいつも気になっていた。そいういう私の不満・疑問にたいする答えがわかる本が出ていた。この本、ベストセラーらしいが、たしかに結構面白かった。

「こちら和風セットになります」

・・・え?これから和風セットになるの?

「ご注文は以上でよろしかったでしょうか?」

・・・え?よろしかった?さあ、どうだったかなー。

「コーヒーのほうをお持ちしました」

・・・え?コーヒーしか頼んでないけど、コーヒーじゃない「ほう」があるの?


 これら以外にも、無数にきになる表現があり、それらについて解説してある。

 そもそも、この本のタイトル「問題な日本語」の「な」の使い方も問題のある使い方、ということらしく、これまた面白い。

 最近、新聞なんかを見ているとアホらしくなって頭痛がしてくるので、たまにはこういう気軽に読めて多少の実用性もあって、なおかつ話題のネタにもなるような本を読んで気晴らししている。

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小澤征爾のチャイコフスキー

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【音楽CD】チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74《悲愴》

小澤&サイトウ・キネン・オーケストラによるチャイコフスキー交響曲第6番ロ短調「悲愴」を購入。

1995年の松本でのサイトウ・キネン・フェスティバルのライブ録音。私の大好きな曲である。

まず、カップリングで入っている「白鳥の湖」からの抜粋には、フィナーレが入っていないので、がっかり。どうしてフィナーレを入れないのか?白鳥たちの踊りでのバイオリンソロはすばらしい。

肝心の「悲愴」のほうだが、やっぱりイマイチである。サイトウ・キネン・オーケストラは日本国内の名手ばかりからなるオーケストラなので腕前はピカイチのはずなのだが・・・。ライブ録音だからか、アンサンブルがいまいちだし。聞いていてどうにも盛り上がりに欠ける。

まあ、バーンスタイン&ニューヨークフィルによるこの曲の演奏を聴いて以来、どの演奏もそれを上回る感激を受けたことがないから、しかたがないのかもしれないが。

やはりバーンスタインは偉大だ。

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掲示板 荒らし

「私は泥棒じゃありませんよ」、と言ってモノを盗んだらどうだろうか?

それでも泥棒である。

では、「お金がなくて食うに困ってしかたなくモノは盗んだけど、私は泥棒じゃない」、と言ったらどうか?

それでもやっぱり泥棒である。

では、「あいつは汚いことをして金をもうけているから、あいつからなら金を盗んでも良いんだ、これは泥棒ではなく正義である」、と言ったらどうか?

何と言おうが泥棒である。

いくら自分でそうじゃない、自分は正しいことをしている、正義なんだ、とか、仕方のないことをしているんだ、などと言ってみても、泥棒である事にかわりはない。


掲示板で、私は「荒らし」ではありませんといって、多くの人が不愉快になる「意見」や「苦情」を書いて、掲示板が荒れた。

本人はいくら、私は「荒らし」でない、と言ってみたところで、また仮に実名を出してちゃちな勇気を示してみたところで、掲示板が「荒れた」事にはかわりはない。

名前を出すことは水戸黄門の印籠ではない。名前を出したからと言って、その書き込みが無条件に正当化されるはずもなければ、その人物を批判してはいけない事にもならないはずだ。

掲示板に居丈高に苦情なり意見を書くと、賛同する人もいるかわりに、その一方的なものいい、配慮のなさに憤慨して不愉快になる人もたくさんいる。その結果、掲示板が荒れる。もう過去に何度も見て、これは証明されているだろう。荒れるのはわかっているはずだ。

本来、苦情や個人的な意見などは、面と向かって言うか、メールですれば良い事である。

それを、不特定多数の人が見る掲示板に、自分の思いこみで書き込みをするというのは、多くの人を不快にさせる。

私も過去に同様の失敗を経験して、それから色々考えたが、掲示板に苦情や意見を全く書くなという事ではなく、書く場合は最大限配慮して書くべきだと言っているのだ。

私的な恨みを垂れ流すような書き込みは自制すべきである。

今まで見てきて、掲示板に苦情・「意見」を配慮の足りない文章で書いた場合には、その内容が正しかろうが、かならず掲示板は荒れる。

掲示板に不満をぶつければ、自分はすっきりするのかもしれないが、その一方的な態度を見せられた本来無関係である多くの人たちは非常に不快に思う。

マスターベーションなど、人の見ていないところでやるものである。

文句を言うなら直接相手に言って、ケンカするならケンカする、怒るなら怒ったら良いだろう。しかし、そんなあなたがたの個人的な争いごとに、我々を巻き込まないでほしい。

巻き込むならば、私怨をぶちまけるような書き込みをせずに、多くの人が理性的に討論できるように、最大限配慮すべきだ。

いくら「荒らし」ではないと断っても、掲示板が荒れているから、もう「荒らし」なのだ。荒らしかどうかは自己申告ではなく、世間が判断する事だ。

モノを盗んで置いて、「いや盗んだんじゃない、借りていただけだ」と言うのに等しい行為と言わざるを得ない。
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いきなりポエム(幼稚園レベル)

やさしさとは何ですか?

やさしさは正しさですか?

やさしさは美しさですか?

やさしさとは愛ですか?

あらゆるやさしさが善ですか?

やさしさという名の自己陶酔、自己欺瞞、おしつけ、おせっかい。

善人でいたいですか?悪人はどうですか?

やさしくなれるとチョー、キモチイイですか?

やさしさを胸に抱くこととひきかえに、甘やかされ、スポイルされ、堕落して廃人になる者がいたとしても

それでもまだ、やさしさという名の快楽に酔いしれるつもりですか!?
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人それぞれ

いろんな人がいて色んな意見がある、というのは正しい。100人いれば100人の考えがあるというのももっともだ。

しかし、私はそれではイヤなんだよなー。100人いて100の意見があって、それが全部正しいとは到底思えないタイプの人間なのだ。

100の意見があるのなら、議論してどの意見が最も正しいかを徹底的に争いたいタチなのだ。しかし実際にそんな事するのは、非常に非生産的な事だからやめたほうが良い事もわかっている。

議論したって人の意見はかわなない。「バカの壁」と言う本を読んでわかったが、根本的に意見が違う相手を説得するなんて事は不可能だ。

だからそもそも私は理系に進んだというところもあって、少なくとも数学や理科は正い答えがあるわけだ。しかし、それにしたって実は高校で習うレベルまでの話であって、実際にはもっと難しくて重要な事になると、簡単に一つの答えなんてないわけだが。

色んな意見があるから、それを全部尊重しなければならない、という事にはならないだろう。おかしな意見を持っている相手を説得できなくても、議論することによって淘汰する事ならできるかもしれない。

そうか、淘汰すれば良いんだ!でも時間がかかるなー。

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