2008-08

自死はなさそう!?

昨日帰ったら、アマゾンから金曜に届くはずだった本、昨日書いたある老人の本が届いていた。

本の紹介に「自死をも予感させる」なんて書いてあったから焦ったのだが、さっそく急いで3分の1ほどを読んだ。たしかに、昨日引用したようなこと、自死の思想みたいなことが書いてあった。

しかし、その後に、どうも自分の身内(つまり息子と娘)を納得させられそうもない、子供からしてみれば、親に自殺などされるのは大迷惑という反論を軽く考えていたと、身内を納得させられないならば、そういう行動をする意味がない、ということが書いてあった。

ということは、たぶん大丈夫ではないかと思うに至った。まだ最後まで読んでいないが。

妻に先立たれて後に自死した江藤淳とそっくりなタイトルの本まで出したから、てっきり同じことをするつもりかと思ったが、どうも江藤淳のほうは子供がいなかったようだ。

子供の有り無しというのはやはり大きいのかもしれない。

私はたぶん江藤淳のほうに近いような気がする。若い頃からなんとなく自分の人生は長くて65歳までと思っていたが、YUKAのことを考えるなら、もっと頑張って生きなければならないかもしれないと最近思うようにはなったので、多少健康にも気をつかうようになったが・・・。

それにしても、自分の老後について考えると全然楽しくない。だから最近よく届く社会保険庁からの「ねんきん特別便」とかも放置してある。

私の叔父のように70歳になっても「俺は年金保険料はずっとちゃんとおさめてきたが、年をとっても自分で仕事して食って行けているから国の世話になんかならない」と言って年金を貰わないで生きていけるような誇り高き老人になれる見込みが私にはまったく無いのだが・・・。

と、何か妙な話になってきたので、やめよう。

もったいない

ちょっと前に賞味期限の偽装というのがあったが、しかし、今は食品も大量生産・大量消費・大量投棄の時代である。

まだ安全に食べられる食料を「美味しく食べられる期限」を越えたにすぎないというだけで大量に投棄するのは、法的に合法であっても、道徳的にはどうなのか。

法律と社会のありかたそのものが歪んでいるのではないかと思ったが。

ところで、船場吉兆も、まだ食えるもの、客が手をつけずに残したものが「もったいない」から使い回していたというが・・・

あの女将がやらせていたのかどうかわからないが、彼女が「もったいない」と思ったのは、「食べもの」を捨ててしまうことではなく、「別の客に出せば金になるもの」を捨ててしまうことだったのは間違いないだろう。いや、顔で判断したら怒られるかな。

いずれにしろ、もったいないという気持にもいろいろあるということだろう。

いじめの原因は平和主義と民主主義

最近は、職場のいじめ、なんていうのも増えているようだ。昨日のNHKでやっていたが。

それにしてもマスコミの報道に関する飽きっぽさ、刺激性の強いできごとに次々に飛びついては、流れて忘れてゆく忘れっぽさにはおどろかされる。

一時さかんにやっていた、学校のいじめ問題はどうなったのか?

そんなに忘れっぽいから、かつては「自己責任」だの「小さな政府」だの言っていた小沢一郎が、「生活が第一」なんて調子の良い逆のことを言いだして、その都合良い変わりぶりが気にならないのかもしれない。

まあ、それはどうでも良い。

最近、いろんな人の話を聞いていて、いじめに関して私が一番面白いというか、説得力を感じた説が、「いじめの原因は民主主義と平和主義」というものだった。

もちろん、いじめというのは昔からあっただろうが、昔のいじめは、あきらかな「弱い者いじめ」とか「差別」のような、わかりやすいものが中心だったのでは?と思う。

そして、そういうわかりやすい「弱い者いじめ」とか「差別」みたいなことはしてはいけないという歯止めというか常識もあっただろう。

ところが、現代のいじめには、若干違ったところがある。

いじめられる対象が、かならずしも弱い者とは限らないということらしい。

みんなの空気が読めないやつとか、先生の評判が妙に良いやつ、なんか元気よくほがらかで頑張っているやつが、他の多数の生徒の嫉妬を買っていじめ(無視)にあう、ということも珍しくない。

一つはマスコミでやっているように、一生懸命頑張っている人への嫉妬心(ルサンチマン)を煽って凡人のひがみ根性を正当化するような報道が(ワイドショーを中心として)多数であるということの影響もあることだろう。

もう一つは、昔ならば、あいつ、なんか気取りやがって、とか、こいつ何か気に入らないとなったら、たとえばぶん殴るとかけっとばすとか、まあ暴力まで行かなくても、口げんかするとか、男の世界ならば、そういうことがまず先にあったような気がする。

女子はそういうことができないから、その負のエネルギーが陰湿化し、昔から女子はいじめばかりしている、というイメージが私にはずっとあった。

ところが、現代では、男も暴力や争いごとを禁じられている。とにかく人と争ってはいけない、暴力はいけない、ケンカはいけない、平和主義で行けと、日本という国が周辺諸国からいかにボコボコに叩かれていじめられても、じっと我慢しているくらいだから(笑)、そういう考え方が完全に浸透したのだろう。

だから、暴力やケンカを封じられた男も、昔の悪い意味での女みたいになり、陰湿ないじめに走るのだろう。

もちろん、ひたすら殴り合いの暴力学級みたいのが良いとは言えないが、何か気に入らなかった時に、いきなり殴るんではなくても、口げんかであってもケンカのしかたがある、戦い方があるということを、わかっていないのではないか?

口げんかでも相手を泣かせるほどにダメージを与えることはいくらでもできるし、未熟な子供同士なら、そういうことをしながら、お互いに成長してゆくものだろう。しかし今はとにかく争ってはいけない、相手の心を傷つけてはいけないという教育しかされていない。だから、人の言動に免疫がなく、すぐ傷ついてしまうのだろう。

マスコミでも、やたらと「あの有名人や政治家は、私を傷つける発言をした、許せない!」みたいは発言ばかりであることからもよくわかる。

心があまりにナイーブな人間ばかりになってしまったようだ。

まあ、私もテレビ人の発言にいつもムカムカしっぱなしではあるが、しかし「傷つけられた」なんて女々しい(女性の皆さんすみません!)言い方はしない。

いずれにせよ、たとえ口げんか程度でもあらゆる争いごとの芽からすべてきれいに刈り取ってしまうような学校の環境とか、そういう平和主義がエネルギーをくすぶらせていじめを陰湿化させているのだと思う。

それから、もう一つ、いじめの原因は、民主主義とヒューマニズムの合体だという話。

民主主義というのは多数決である。多数者によって少数意見が排除されるしくみだが、少数意見だけでなく、少数者そのものが排除されることにもなっている。

また、そもそも多数意見が別に必ず正しいという根拠など何も無いわけである。そういうものを必要以上に素晴らしいかのように祭り上げる戦後の世の中もどうかしている。

多数意見が、多数者のその場の気分であったり単なる欲望であったり流行にすぎないものということが多くあり、そういう世論にもとづいて少数者を異端とみなし排除することにつながる。

学級でなされているのも、なんとなくそういう雰囲気だろう。あいつは何かちょっと違うんじゃないか?先生にひいきされている、なんか目立っている、KYだ、気に入らない、そういうたまたま多数者の側にいる者たちが気に入らない少数の人間が、偶然にいじめの対象となる。

そこにプラスされるのが、人間礼賛主義という意味でのヒューマニズムであり、このヒューマニズムというのは、人間性というものへの軽信にもとづいている。人間のやることは何であれ素晴らしい、人間の欲望を叶えることは素晴らしいのだ、という発想につながりやすい。

そして、多数決とヒューマニズムが結びつけば、少数者は人間ではない、人間に値しない、だから徹底的に排除していじめて良いという感覚になる。

まあ、一つの解釈として、なかなか面白いと思った。私は平和主義も民主主義もヒューマニズムももともと少々疑いの目で見ているので。


ところでここから、ちょっと話はそれるが、いじめられている者に身方したりすると、自分までいじめにあうということがある。

最近聴いた話だが、YUKAが子供の頃、同じクラスにみんなから無視されている子がいたらしい。

その子はどうも教師から気に入られて、その未熟な教師がその子をえこひいきしたために、みんなから無視されるようになった、ということらしい。

しかし、YUKAはそういういじめみたいなのがイヤで、自分だけはその子に積極的に話しかけたり、先生にたいして「先生がひいきするからあの子がいじめられている、やめてください」と言ったりしたらしい。

それでもYUKAはみんなからいじめにあったりはしなかったそうだ。なかなか素晴らしいと思う。

おそらく私ならば、自分もあいつと一緒にいじめられてはかなわんから、まあとりあえず無視しておこう、という感じで行動したことだろう(笑)。

いや、私の反抗的な性格から考えて、その教師に徹底的に逆らった、敵意は教師にむけられたに違いない。そのために友人を扇動したりと、そっちのような気がする。

私は殴り合いのケンカは弱い(というかしたことが無い)が、実はかなり反抗精神のかたまりみたいな人間なのだ。だから、やられたらば必ず何か一撃くらわせないと気が済まない。しかし暴力は苦手なので、仕返しはけっこう陰湿な方法になる(笑)。

反抗心が強いので、「今の世の中で一番強い者」=「マスコミ世論」に一番反発してみせたい、という気持が強い。

いずれにせよ、YUKAは私よりも遙かに人格者であること、しかもそれが子供の頃からそうであることを知ったのであった。

電車で席を譲るということ

本当に人のためになることをするというのは難しい。自分にそういうことが本当にできるかといわれると、自信が無いとしか答えようがない。

余計なお世話ということもあるし、人のためと言って、実は善意を示す自分に酔いしれて気持ちよくなるだけの行為というのもある。

しかし人間誰しも、何か人の役に立ちたい、人から認められたいという素朴な欲求みたいものもあるのが普通だろう。

私は自分勝手な人間だが、こんな私でも人様の役に立ちたいと思うことがある。ただし、気まぐれだが・・・

私は混雑した電車に乗って、幸いにして座れたりすると、まずおばあさんを探す。

見つけたら席を譲ってやろうと思うからである。

座りたいアピールが強烈な大阪のおばちゃんみたいのには絶対に譲らない。しんどそうにしているおばあさんを車両の中で探して、ゆずってやりたいと思う。

土曜日に電車で京都に行ったが、行きの快速で、私が譲ってやりたい感じのおばあさんに席をゆずることができた。

釣りの後でしんどかったけれども、まあ私もまだ若いのだし、どうってことないし、譲った私が善い気分になれた。おばあさんのためになったかどうかはわからないが、自分のためになった。だから、善いことをしたなんて大層なことを言うつもりは毛頭ない。所詮は自分のためにやったことだから。

ただ、私は本当にしんどい時や気分が悪い時には、目の前にどんな高齢者がいたとしても、寝たふりを決め込むこともあるので、気まぐれと言えば気まぐれである。

本当なら席を譲るのにごちゃごちゃと考えているようなことではダメで、お年寄りを見た瞬間に反射的に立ち上がって譲るように小さい頃から教え込まなければならないのだと思う。

自分に子供がいたらそういう教育をしたいなあと思うが・・・まあいないから仕方ない。余所の子供に口出すのも私の性格上はできないことだし。せめて世間のお父さんお母さんがそういう教育をしてくれるよう望むばかりである。

あと、私は自分の気分が行動基準になってしまっている事が多いので、少しずつあらためなければならないなあとは思うが・・・

それにしても、私はあの「電車内の空間」というのが嫌でしょうがない。あれは人間の異常な集まり方だと思う。私には耐えられないものがある。

えが茶ん

ギョーザにぴったり?「えが茶ん」が人気
2月20日9時21分配信

 江頭2:50(42)をパッケージにした缶ウーロン茶「えが茶ん」が発売され「キモ面白い」と話題になっている。江頭と間接キスをするようなばかばかしさとホラー感覚がウケており、販売元のアプリスには「これほど清涼感のない清涼飲料も珍しい」「着払いで送ってほしい」などの声が多数寄せられている。

 「えが茶ん」は主に高速道路サービスエリアなどでマル珍みやげとして販売されている。同社では「大手メーカーのお茶キャラには起用されないであろう江頭さんのインパクトに逆に期待しました」。昨年発売した緑茶バージョンはひそかに10万本も売れた。「えが茶ん」と並び、出川哲朗の「パイオレジューちゅ」も人気。抱かれたくない男のそろい踏みで「飲む時に一瞬迷うという方も多いですが、中身は自信をもって作っています」。

 江頭は「毒をもって毒を制す。中国冷凍ギョーザにぴったりだ。すごーくいい気分になるか、すごーく嫌な気分になるか、2つに1つだぞ」と自信をみせている。


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私は、スポーツ選手のガッツポーズ程度のことに腹を立てるくせに、なぜ江頭みたいなのには好感を抱いてしまうのだろうか!?

自分でもよくわからない、人間とは不思議なものだ。

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釣りのサイト「いつもふたりは絶好釣」の管理人。 趣味は海釣りの他、音楽鑑賞、読書、海外SF・ミステリー鑑賞、ドライブ、ラーメン食べ歩きなど。