2008-08

異常行動と異常報道

異常行動との関係否定的=タミフル疫学調査−「10代中止」妥当性判断へ・厚労省

7月10日23時45分配信 時事通信

 インフルエンザ治療薬「タミフル」について、疫学調査などを行い異常行動との因果関係を調べていた厚生労働省の2つの研究班は10日、「服用後に異常行動の発生率が高まるとのデータは得られなかった」などとする調査結果をまとめた。同省は今後開く安全対策調査会で、中止されている10代への投与を再開するかどうか決める。

 昨年2月に愛知と宮城で中学生が転落死する事故が発生して以降、厚労省は疫学調査と動物実験、臨床試験で異常行動との関連を分析。予定していた調査はこれで全結果が出そろった。 

この件は、テレビや新聞でちゃんと報道されたのだろうか?

以前には、異常行動がタミフルを飲んだせいであるかのようにかなり断定された報道がなされていたが、もちろん、タミフルで異常行動が誘発されたという可能性もあったのだろうし、そういう段階では警戒をよびかける報道が必要だったとは思うが、しかし、決定的なことは統計的な調査などが必要だったはず。

また、逆に、タミフルを飲んでいなくてもインフルエンザ(というか高熱)で異常行動を起こすという視点が意図的に無視されていたせいで、別の危険があったと思う。

つまり、親にしてみれば、タミフルさえ飲ませていなければ、異常行動はおこさないだろうというふうに思って油断してしまったかもしれない。

実際、タミフルを飲んでいなくても転落死がおこっていたのに、そういうものは都合良く切り捨てられて報道されなかった。

人間、弱いものだから、身内が亡くなったのは誰かのせい、何かのせいであると思いたい心理というのもあるだろうし、「薬害」を糾弾するとなれば、正義の味方にもなった気分に浸れて気持良いだろうし、「薬害」が本当なら手柄にもなる人がいるのだろう。

そういう、様々な「感情」や「利益」が人間の判断力を狂わせるというのは珍しいことではないので、私はこの件について、とりたてて批判する気もないのだが、間違った報道をしたり歪曲や捏造をしたりしてもマスコミだけは批判されもしない糾弾されもしない今の世の中というものには納得が行かない。

自分たちが間違った報道をしたことに関しては都合良く無視を決め込むその態度は大いに問題ありであって、こういう人たちが政治家や官僚の汚職だとか賞味期限の偽装問題について報道したり、偉そうに糾弾したりする資格が、そもそもあるとは思えないのである。

言葉遣いに気をつけろ!

私が尊敬するじいさんは、やたらと言葉の「本来」の意味とか語源とかにこだわる人なのでよく聞かされてきたことだが・・・

「エコ」という言葉には本来、環境だとか環境を守るとかそういうような意味は一切無い。

このエコは、おそらくエコロジーから来ているんだろうが、エコロジーという言葉だって「生態学」という意味である。

エコロジーという言葉には、まあ広く言えば「生態環境」という意味もあるようではあるが。

環境と言ったら英和辞書を引けばわかるが、普通はenvironmentだろう。
(地球環境は英語でglobal environment)

ちなみに、エコロジーのエコもエコノミーのエコも本来は同じ意味、「エコ」とはギリシャ語の「オイコス」が語源になっている言葉で、「家」とか「人の住む場所」という意味の言葉である(そうだ)。

オイコス(人の住む場所)のロゴス(理論)でエコロジー(生態学)

オイコス(人の住む場所)のノモス(秩序)でエコノミー(経済)

ということだそうである。なので、あまりトンチンカンにエコ・エコなんて言わないで欲しい。

環境対策の偽善については、今日は触れない。

・・・とこんな事を書いていたら、帰るのが遅くなった。忙しかったんだから、今日もブログを休めば良かった。さて、早く帰って美味しい晩ご飯を食べよう!

偏屈とは

「偏屈」とは広辞苑によると、こういう意味らしい。

偏屈:性質がかたよりねじけていること。かたくな。

ここでまた、意味がよくわからない言葉がでてきた。「ねじけている」とはどういう意味か?ねじれているということ?

また広辞苑で調べてみる。

ねじける(拗ける):(1)まがりくねる(2)すなおでない。普通とちがってまともでない。ひねくれる。

うーん、知らなかった。「ねじける」なんて「ねじれる」の方言かと思っていた。ひねくれる、という意味かあ。

ひねくれる:性質・考え方・状態が素直でなくなる。ねじける。

またねじけるに逆戻りである。では素直とは?

素直:(1)飾り気無くありのままなこと。曲がったり癖があったりしないさま。(2)心の正しいこと。正直。(3)おだやかで人にさからわないこと。従順。柔和。

うーん、こうして見ると私には(2)があてはまっているので、私は「素直」な性格なんじゃないかな!?

という感じで、辞書があると退屈しない。しかも最近は電子辞書なので引くのも早くてラクチンである。

伝統の精神こそ人間の条件

チンパンジーとヒトは遺伝子のレベルでは1%ちょっとしか違っていないのに、どうしてこんなに違うのか、という話の続き。

まず、遺伝子レベルと言っても、DNAのすべてが意味を持っているわけではなく、無意味な領域というのがものすごく多い。意味を持つ場所に限ると、遺伝子の情報はヒトとチンパンジーでもっと違いは大きいということになる。

それから、ヒトの場合は他の生物と大きく違って、遺伝子がすべてではない。生まれつき(遺伝)で決まる要素が50%、育て方(環境)で決まる要素も約50%と言われている。これは人間だけである。

ヒトは遺伝子に刻まれた本能だけで行動しているわけでもなく、文字を使った言葉として体の外に蓄えられた情報によって高度な文明を維持している。その恩恵が大きいということだ。

そもそも、人類がいまとほぼそっくり同じ状態にまで進化したのは、約7万5千年前あたりらしいが、その頃の人類と現代の人類では、遺伝情報としては今と同じ、つまり遺伝子としてはもう現代人と同じだったわけで、即ち、その時点で身体能力や知能は現代人と同じレベルに達していたことになる。

しかし、7万5千年前の人類は、知的な能力を決める遺伝子は現代人と同じであっても、知性のレベルは現代人とは桁違いであった。それは何故か。

ニュートンの言葉がその答えのヒントになる。

「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに私が巨人の肩に乗っていたからです。」

ここでニュートンが言っている「巨人の肩」とは、人類が言語を生み出してから続いてきた歴史が生み出した知識の集積のことである。

過去から引き継がれ、少しずつ蓄積してきた知識が「巨人の肩」である。現代の我々を支えているのは、過去の歴史を共有できるという点である。その蓄積の恩恵を受けられるから現代の我々がいるのである。

だからこそ、まずはその歴史の蓄積を大切にしなければならないのに、やみくもに最先端を追いかけてばかりである。もちろん特に科学の分野においては最先端を追いかけることも重要かもしれないが、現代人が最先端を進むことができるのは、あくまで過去の歴史の蓄積があり、「巨人の肩」に乗せてもらうことができるからだということを忘れてはいけない。

人類は遺伝子の支配から逃れ、言語によって知識を「外」に持ち、歴史を経て蓄積させることを可能とした。という点で他の動物とは異なっているということである。

つまり、「人類だけが歴史を持っている」のである。歴史の叡智を大切にするという「伝統の精神」こそがヒトをヒトたらしめていると言って良いのではないかな?

スチュワーデス

スチュワーデスと聞いて何を思い浮かべるか・・・

想像を裏切ってもうしわけないが、そういう系の話ではない。ちなみに最近はスチュワーデスと言わず、キャビン・アテンダントだのそのイニシャルを取ってCAだの言うみたいで気にくわない。

どうして言い換えるようになったのか知らないが、スチュワーデスという言葉のもともとの意味が面白いことを知った。

スチュワーデスとはもともと「ブタ小屋の女番人」という意味だったらしい。

古代では家畜を管理するは大変重要な仕事で、そこから世話をする者という意味になり、その後現在のように使われるようになったそうな・・・。

しかしスチュワーデスが豚小屋の番人なら、飛行機の乗客はブタということか・・・

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カーク船長

釣りのサイト「いつもふたりは絶好釣」の管理人。 趣味は海釣りの他、音楽鑑賞、読書、海外SF・ミステリー鑑賞、ドライブ、ラーメン食べ歩きなど。