カーク船長の娯楽日記

周回軌道上から地球を眺めつつしたためた恒星日誌
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サンデルを読んでる

気象庁によれば、ようやく近畿地方も「梅雨明けしたとみられる」と言うことらしいですね。昔みたいに梅雨明け宣言などせずに、少しぼかして表現するようになったところは進歩だと思います。未来は確率的にしか予測できませんので、梅雨明けしたと断定するのはそもそも無理な話なのです。

さて、すっかり夏のようで蒸し暑くてイライラ。釣りに行けないのにタコやカツオが爆釣でイライラ。仕事でもイライラ。テレビを見てもイライラ。まあ、テレビはほとんど見ませんが。



さて、冷静に・・・頭を冷やすために考えましょう。

以下、長文かつ哲学的内容を含んでおります乱文ですので、超ヒマで忍耐力のある方だけどうぞ・・・
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経済学者と銀河帝国

読みたい本がたくさんありますが、なかなか読む時間がありません。なので、以前から以下の本をひさしぶりに読んでみたいと思っていつつも、なかなか買うことができずに迷っています。

アイザック・アシモフ「ファウンデーション」シリーズです。

     

 

アシモフと言えば「ロボット三原則」の考案者でロボットものが有名ですが、もう一つの代表作には、「銀河帝国興亡史」の別名でも有名なこの「ファウンデーション」シリーズがあります。

さて、以下のうちでアシモフはどれでしょう(笑)。

170408ishimovs.jpg

どうしてこれがまた読みたくなったかと言えば、きっかけは、経済学者のポール・クルーグマンです。

170408kuruguman.jpg
↑ちなみにこれは2009年5月の話です。

クルーグマンはSFマニアであり、スタートレックにも詳しいことで有名です。結構口もわるくて論敵をボコボコに批判する人ですが、その批判相手を、スタートレックに出てくる最大・最強の敵である「ボーグ」に例えたりしています。

170408borg.jpg
↑異星人・異文明を次々に「同化(assimilate)」することで強力・強大なパワーを持つボーグのドローンたち。

それはさておき、アシモフの銀河帝国興亡史の続編を最近になって現代のSF作家たちが書いたそうで、そのイントロ(解説)をクルーグマンが書いたと聞きましたので。内容はこちらで和訳されています。

面白いことに、クルーグマンが子供の頃になりたかった職業が、このファウンデーションシリーズの主人公ハリ・セルダンの「心理歴史学者」だそうです。そのことが解説で述べられていますので、抜粋します。


「僕は心理歴史学者ハリ・セルダンになりたいと思いながら大人になっていったんだ。人間行動についての数学を理解して文明を救いたいと思いながら。」

「このアイデアが物語全体の基礎となっている。ファウンデーションの中では小さな数学者の集団が、上で述べた社会についての厳格な科学である「心理歴史学」を生み出す。彼らが住む強大な銀河帝国にその科学を適用してみて、彼らは実は帝国が最終的な衰退の過程にあることを見出す。

そしてその崩壊のあとには、3万年にわたる野蛮の時代が続くことになる。しかし、彼らはまた慎重にデザインした誘導により、この道筋を変えることができるのを発見する。帝国を救うことはできないが、しかしやってくる暗黒時代をたった千年にまで短くすることはできる、ということ。」



Wikipediaより


心理歴史学(Psychohistory)は、アイザック・アシモフのSF小説ファウンデーションシリーズ(銀河帝国興亡史)に登場する架空の学問である科学分野。

膨大な数の人間集団の行動を予測する為の数学的手法。社会的、経済的な刺激への人間の感情や反応に一定の規則を見いだすことで、未来の人類の行動をも予測しうる。

ファウンデーションシリーズの根幹をなす小道具である。アシモフはこのシリーズで、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を参考にした宇宙未来史を描く事を構想したが、同時にSF的要素として、人類の未来を数学的に予測する手段を作品に導入する事を思い立ち、気体分子運動論において、個々の分子の運動は予測できないが、集団の気体ということなら平均の運動は計算できるという事のアナロジーとして、分子を人間に、気体を人間の集団に置き換える事で「心理歴史学」を考案した。

心理歴史学による未来予測が可能かどうかは、以下の3点が重要であるとされている(これらは気体分子運動論の基本原則に直接対応している)。

①個人ではなく、膨大な人数から構成される集団を扱うこと(気体分子単独で無く、膨大な数の分子を含む気体を扱うのと同じ)
②人々が心理歴史学による予測の内容について知らされず、その影響を受けずに自発的に行動していること(気体分子のようにランダムに行動すること)
③扱う集団が人類のみで構成されていること(気体分子以外の要因が存在しないこと)

過去の歴史の評価よりも、未来予測に主眼を置いている点で、むしろ「心理社会学(Psycosociology)」という名称の方がふさわしいのではないかとの意見があり、後年アシモフ自身もそれを認めながら「当時は『銀河系宇宙の歴史を描く』という考えに取り憑かれていたために『心理歴史学』という言葉しか考えつかなかった」と述べている。

また同時に「人間集団の行動と気体分子運動論の間にはやはりアナロジーは成立しないのでないか」と述べ、むしろ近年登場したカオス理論に言及している(『ゴールド -黄金』)。

これを反映してか、アシモフの死後に3人のSF作家により書かれた『新・銀河帝国興亡史』3部作では、人類社会の秩序を破壊しようとする「混沌(カオス)」と、心理歴史学により秩序を護ろうとするセルダン達との対決の構図が描かれている。



で、あたりまえですが、「心理歴史学」という学問は存在しませんので、クルーグマンは、それに一番近そうな経済学(マクロ経済学)を学ぶことにしたそうです。


世界三大SF作家であるアシモフ、クラーク、ハインラインの3人のうちで、若い頃の私は、クラークが一番好きでした。

クラークの作品は、ファーストコンタクトものが多く、そのコンタクトの相手となるエイリアンも、未知で神秘的で超越的な知性を持つおだやかで謎の存在であることが多かったです。そこらへんが好きでした。

一方、アシモフとハインラインはあくまで人間が主役です。ハインラインの場合は右翼っぽいと言うかファシスト的・好戦的な感じで当時の私には好きになれませんでした。アシモフは未知なるエイリアンがあまり出てこないのでもの足りなく感じました。しかし、今ならば逆にアシモフのほうが楽しめそうです。

銀河帝国興亡史は、あくまで人類の歴史、未来史です。今と同じ人類が宇宙に出て、帝国を築いて壮大な物語を展開すると言う内容です。SFに科学だけでなく人間の行う政治・経済・外交などの問題が取り入れられているわけです。

なので、思い切ってまた買おうか、はたまた、最近はマンガ化もされたようなので、とりあえずマンガ版を買ってみようか・・・悩んで迷っているうちに、買わずにいます。ゴールデンウィークにでも読もうかな!?

    



なかなか長い本を読む時間が無いので、たくさん本を買っても連休くらいにしか読めないでしょう。以前は、電車の中でスマホアプリ(kindleやhonto)で電子書籍を読んで喜んでましたが、目が崩壊しました・・・

仕事中も論文を読んだり資料を整理・作ったりでパソコン画面を見ている時間が長いために、電車の中では目を休めるようにしないと大変です。帰宅後も、あまり目を酷使すると翌日が大変です。

私は老後の趣味として、釣りにはあまり行かず、読書と映画・音楽鑑賞をメインにするつもりでいるので、目や耳がこれ以上に衰えると先が恐ろしいことになります。

釣りは肉体的ストレスが大きいので、いつまでやれるかわかりませんし、もともとアウトドア派ではありませんので。体力維持の努力は続けるつもりですが、老化速度を遅らせても止めることはできません。

体力だけでなく脳だって老化するだろうと言われるかもしれませんし、アルツハイマーなどなれば終わりですが、そうでうなければ実は年を取ってからでも思索にふける脳領域は拡大することが脳科学で証明されているそうです。本当かどうか確かめてませんが、そう信じたいからとりあえず信じてます。それが本当なら若いころよりもむしろ色々考えるのには老後のほうが良いのではないかと思えますので。

最近また政治や経済に関心が出てきて、暇つぶしにそちら方面の読書をしているのは、きっかけはいくつかありましたが、老後の趣味の足場を作るためと言う目的も最近加わりました。

もともと、高校生の頃に「将来大人になったら何をしたいか?」の答えとして、「真・善・美」の追求である、と当時の日記に書いてありました(恥)。実際には「偽・悪・醜」まみれの大人になってしまいましたが(爆)。若い頃は恥ずかしいことを平気で言うものです。

真善美にかかわる職業と言えば、学者か芸術家です。芸術家は無理だとしても、勉強すれば学者になれるかと思ってめざしましたが、実際にはまともな学者にもなれませんでした。

なので、職業としてはもう無理ですから、老後の趣味でどれかを実現しようと言うわけです。結果は自己満足で良いのです。

「真」に関しては、対象が自然・宇宙ならば理論物理や宇宙論、量子力学など?、人間が相手ならば哲学あたりを学ばねばならないでしょう。

「善」に関しては哲学、倫理学、宗教学などでしょうか。

「美」に関しては音楽・美術などかな?

まあ、この中で、年を取ってからでも思索可能な分野と言うと、哲学あたりでしょう。

価値観にかかわる学問としては哲学の中に政治哲学と言うのもあり、宗教の教えもそうかもしれませんが、そういうものを勉強することで、何が善なのかと言うことを考えると言うのは老後も可能なのではないかと思います。

逆に、自然科学は思索によって真理にたどり着くことができる学問ではありません。仮説を立てる部分は思索が重要ですが、真実かどうかの判定は実験と観察に委ねられるわけですので、老後に一人では難しいでしょう。

価値観については何が正しいかなどいつまでたっても決まりませんので、逆に言うと、永遠に考えるネタが尽きないで結論に達しないから、死ぬまでやることがなくならなくて、かえって良いかもしれません。

なんか、またまとまりのないことをグダグダと書いてしまった・・・
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タチの悪いレトリック

それにしても、不思議なと言うか、おかしな言い回しが平然とマスコミによって行われているなあと思うことがしばしばあります。

その1つが、政府の予算執行(歳出)のことを「税金投入」と呼ぶことです。この言い方はミスリーディングな表現であり、悪質なレトリックです。

除染に数千億円の税金投入 来年度から復興予算使う方針

もっとひどいのになると、そのことを「国民負担」と言ってます。

国民負担、なぜ増加? =東電事故費用が2倍に

政府が予算を執行すること、もしくはお金を使うことは、「政府の負担」なのであって、「国民負担」ではありません。

マスコミは日頃から、政府のことをまるで国民の敵であるかのような言い方ばかりして、政府と国民はまるで別物のように言うくせに、この時だけは政府=国民と言う表現をしていますからダブルスタンダードですね。

政府の予算の財源には税金による歳入が充てられているのはその通りですが、税金は政府に納められた瞬間にはもう税金ではないです。意味わかりますか?

さらに言えば、政府の予算の財源は何も税金だけではありません。これは後で詳しく説明しますが、仮にすべて財源が税金だとしても、税金を払っているのは国民だけではありません。外国人だって日本国内で所得があれば所得税を払ってますし、消費すれば消費税を払っています。さらに言えば、法人税と言うのは法人が払っているわけです。法人は国民ですか?

だから、政府の負担を「国民負担」と言うのは二重、三重の意味で不正確です。たしかに一部は国民が払ってますが、新たに追加して請求されるわけでもありません。煽り言葉、タチの悪いレトリック以外の何物でもない。マスコミが自分の価値観にあわない政府の予算執行を批判するために使う扇情的表現です。

仮に財源がすべて税金だとしても、政府が予算執行してお金を使うと言うことは、取られた税金が納税した側にもどってくると言う話ですから、そこらへんがあべこべになった表現で、この表現によって多くの国民は完全に騙されている、錯覚していると思います。

政府がお金を使うと、まるで自分の財布からお金が減って行く気がしているのではないでしょうか!?だとしたら重症です。いつのまにか完全に財務省の立場になって考えています。洗脳です。どっちかと言うと逆なのに。

政府の支出は、「政府がお金を使うことによって、納税した側に税金が戻ってくる」と言うほうがよほど正確な表現ですし、「国民負担」と言う表現は実際とはまるで逆の意味になっています。言葉の使い方によって完全に逆の意味に錯覚させることができるとは恐ろしいですね。国語力が低下しているのではないでしょうか。

ただ、いずれにしろ、厳密には政府の財源は税金だけではないので、政府の支出を「国民負担」と言うのも「取られた税金が国民にもどってくること」と言うのも、どっちも正確な表現ではありません。

国の借金は将来の増税で返さなければならないから、将来世代へツケを回すことになる・・・と言うのも間違いです。間違いの元は、「政府の財源は税収のみ」と言う勘違いによるものでしょう。

そもそも、政府が利用できる財源は税金だけではありません。3つあるのが本来の姿です。

1,税収
2,国債
3,通貨発行

この3つです。政府の予算は税収で100%まかなわれなければならないと言うのは間違った考え方で、その間違った考え方を具現化したものが、「プライマリーバランス」と言う発想です。

そもそも借金はいけないんだとか考えているなら、それは間違いです。マクロ経済を常識や道徳で考えるのがおかしいのです。政府は借金ゼロでやる必用などありませんし、それはむしろ有害です。

基本的には借金があっても、償還期限が来た時にそれを返済できれば何の問題もありません。ちゃんとまわっていれば良いわけです。政府には寿命がありませんので、個人の借金のように死ぬまでにすべて返済してゼロにしなければならないわけではありませんので、家計(個人)とは違います。そういう点では企業と似ているでしょう。

そして、政府が企業とも違う点は、場合によっては借金を半永久的に塩漬けにもできると言うことです。もちろん無制限にやればむちゃくちゃになりますが、必用な量の借金を必用な時期まで返済しないと言うことも可能なのです。具体的には日銀が国債を買い上げて、償還期限が来ても日銀が保有し続ければ良いだけです。

もう一つ、本来、政府と言うのは通貨発行もできたはずなのですが、インフレを悪化させると言う理由で現在ではできなくなっています。そのかわりに、国債の貨幣化(マネタイゼーション)と言う方法があります。

この「国債の貨幣化」のことを通俗的表現で「財政ファイナンス」と呼んで批判する人たちがいますが、おそらくデフレ利得者たちかと思いますが、デフレの時は普通にやるべき政策です。

政府が通貨発行してそれを予算にすると言うことですが、通貨発行は日銀にしかできないので、実際には「政府が発行した国債を日銀が直接に引き受けて、それを財源にすること」です。これをやらないからデフレから脱却できないのはもう明らかです。

日銀が反乱でも起こさない限り日本政府が財政破綻することはありませんので、「国の借金」の名目額が増え続けても名目GDPが増えれば何の問題もないのに、緊縮財政ばかりが進められる(結果としてGDPが増えない)のは、マスコミが愚かなせいだと思いますが、これは本当に深刻です。

政府の予算執行のことを「税金投入」と呼ぶのは、右派・左派に関係無くマスコミに共通しています。出所はマスコミに影響力の強い財務省あたりだと思いますが、この表現がいかに深刻な事態を招いているか、まったく理解されていないのが恐ろしいです。

日本は、国の借金では滅びませんが、デフレや経済成長の停滞によって間違い無く発展途上国に逆戻りです。国の借金が増えても誰も死にませんが、景気悪化や経済の停滞ではたくさんの人が死にます。

現役世代が苦しめば、そもそも将来世代は生まれてこないので、存在しなくなります。政府がお金を使うことを悪いことのように言うのは、もういい加減にしたほうが良いです。緊縮財政をやるくらいなら、無駄使いのほうがまだマシだと知りましょう。もちろん、一番良いのは有効な財政出動ですが。
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信じる者は救われる!?

世の中の人を、「信じやすい人」と「疑り深い人」との二つに分けると、自分はどっちかなあなどと考えることがあります。私は意外にお人好しで結構騙されやすいから、「信じやすい人」のほうなのかなとも思いますが、どうでしょう!?まあ、昔は疑り深かったですが、でも、「疑り深い人」が騙されないかと言うと、かならずしもそうではなく、同じかもしれません。

と言うか、一般的に「疑り深い性格」と言われているものは、他人にたいする猜疑心の強い人のことで、そういう人でも自分の判断は信じていれば、それは本当に疑り深いことにはならないでしょう。

他人を信じず自分は信じるなら、それは疑り深いのではなく、自信過剰もしくは自己中心的な人、と言うだけです。本当に疑り深ければ、自分自身の判断能力ももそう簡単には信じないはずだからです。

他人を信じないが、自分の断定を安易に信じるならば、その人は「信じやすい人」のほうに分類されるでしょう。だから、これはこれで間違いやすかったり騙されやすいと思います。

人間関係のトラブルの大半は相手の言動に対する誤解が原因だそうです。いちおうそういう調査があるらしいです。これは信じるのか!?と言う話になりますが(笑)。でも、自分の判断や認識が正しいと言う保証もないでしょう。

あと、猜疑心の強い人に対して、その「他人を信じない性質」を利用して何かを信じさせて騙すと言うことが可能だそうです。たとえば、「既得権ガー」が良い例でしょう。最近の政治家は自分たちに支持を集めるために、壊してはいけないしくみまでもを「既得権」と言って批判します。社会全般に対する猜疑心の強い人は、そういう政治家を改革者と勘違いして支持し騙される訳です。小泉改革が良い例です。

自分は疑り深いと思っている人のほうが騙されやすいと心理学的に証明されている、と言う話もどこかで聞いたことがあります。またまた、その話は信じるのか!?と言う話ですが。

本当の意味で「疑り深い人」で思い出すのはやっぱり哲学者のデカルトでしょうか。高校時代に習った「倫理・政治経済」と言う科目の中でデカルトについての説明がありました。



このデカルトと言う人は方法序説と言う著書の中で「一切を疑うべし」と言ってました。こいつは本当に疑り深いやつだなと思った記憶があります。まあ学問ですから。疑うことが学問の出発点になると言うのはよくあることです。

「一切を疑う」思考方法のことを「方法的懐疑」と言うらしいですが、wikipedeiaを要約しますと以下のようになります。

自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識しているところの我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。

“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。



高校時代にこれを習って、最初はなるほどと思いましたが、しかし自分の意識と言うものが一体何かと考えると、「自分はなぜここにあるのか」と考えることがどうして存在の証明になるのか、またまたわからなくなります。少し飛躍があるようにも思います。

と言うふうに、本当にすべてを疑うと何も信じられなくなり、かえって思考停止してしまいます。

信じると言うことは決断して先へ進むために必用なことで、何も信じない=他人だけでなく自分すらも信じないのでは生きて行けません。

まあ、でも一般に「疑り深い性格」と言えば、他人の言うことを信じない性格、他人を疑う性格と言う意味でしょうから、ここでは、本当に疑り深い性格=他人も自分も信じない性格と定義しておきます。

なので、本当に疑り深い人と言うのは、表面上見えるものをそのまま信じず、だからと言って証拠が不十分なうちは何の判断しない人だろうと思います。でも、そんなのは不可能に近いでしょう。何かしら判断しないとどうにもならない場合もありますし、判断せず保留しつづける、わからないままにしておく、と言うのは結構なストレスです。

判断しないと生きて行けないだけでなく、判断せず保留にしておくことそのものがストレスになるわけです。

人間と言うのは、何かわからないことがあって、それをわからないまま考え続ける、判断材料を探し続ける、と言うことが苦手なものだと思います。人間の脳はエネルギーを節約しようとしますから、あれこれ考え続けるより、適当に判断してしまうものでしょう。だから、疑り深い人も、人と違った解釈をするだけで、結局その結論が正しいかどうかはわからない。断定の仕方が雑だとかえって間違った結論にとびついているかもしれない、だから間違えやすい、騙されやすいと言うことなのかなと思います。

簡単に結論に飛びつかづに考え続けると言うこともかなりエネルギーのいる作業なのだろうと思います。そういう時は、他人か自分かのどっちかをさっさと信じてしまうほうが楽でしょう。信じる者は救われる、と言うのは本当なのかもしれません。

実を言うと私は、自分自身もあまり信じていません。あてになりません。だから思考がフリーズしてしまうことがよくあります。考えないようにすることもあります。これは、場合によっては良い方法です。昔はこれができなかったから苦労しました。

日常生活で何を信じるかについては、まあ適当で良いでしょう。昔は科学や医学の分野ですらデタラメがまかり通っていましたから。政治学は価値観ですから真偽とは別の要素があるかと思いますが、経済学なんかはいまだにデタラメが主流派をしめていて、社会に害悪をまきちらしていますが。



ちょっと前まではデタラメが結構あった医学の分野では、最近はそういうのはかなり排除されて急速にマシになっています。

最近の医学では「エビデンス」と言う言葉がよく使われていて、もともと「根拠」とか「証拠」とか言う意味の単語ですが、医学の分野では「科学的根拠」のことです。正しい方法で行われた実験や観察と統計的手法により導き出された根拠があるかどうかです。

でも、もちろん、まだそうでなないものも残っていますが。



この方が巧妙だなと思うのは、こういう本も出しているんですよね。



そして、インフォームドコンセントで、最終的には患者自身、あなた自身が判断してくださいと言う方法に持って行くわけです。それでひどい目にあっても、信じた自分(患者)が悪い、信じてしまった以上は訴えることもはばかられると言うわけです。インフォームドコンセントと言うのは、医師の責任を軽くして、そのぶん患者自身に負わせる責任を増やすと言う側面もあります。

そして、この先生も、お得意のフレーズは「医学会の既得権」です。だから、何かと言うと「既得権ガ−」な話をすぐ信じる方々は要注意です。マスコミ関係者は、なんでもすぐ「既得権ガー」な話に持って行きたがりますし、「既得権ガー」と言えばみんな信じて買いますから、売れるわけですね。「B層」を信じさせるのには一番手っ取り早い言説なのです。

民営化と小さな政府で責任を切り離して自己責任の社会。既得権を批判することで騙して支持を集める・・・まるで新自由主義の政治家と同じですね(笑)。

いずれにせよ、この方の理論はエビデンスが無い言説、もしくはエビデンスをゆがめて引用しれていると批判されている治療法です。信者の方々から突っ込まれると面倒なので、こちら参照。



どちらがまともな思考にもとづいているかは、私ならば下の本と答えます。

あと、エビデンスが無い、一部の医師の説にすぎないものと言って良いレベルのものに、こういうのもありますね。



まあ、カロリー摂取も減るから痩せるのは間違い無いでしょうが、特に、安全性に関するエビデンスはないでしょうし、糖質が本当に不要だと言うことのエビデンスも無いと思います。だからこれは一医師が言っている「仮説」にすぎないと思われます。それを信じるのは、ちょっと「信じやすい人」でしょう。いや、ちゃんとしたエビデンスがあると言う方がおられましたら、その論文を教えて下さい。

まあでも世の中を飛び交う言説において、エビデンスのあるものはむしろ稀です。テレビ番組で、よく、事実かどうか科学的に検証・・・などとやっていますが、ほとんどが正しい方法で行われていません。論文審査ならreject(却下)です。

それなりのサンプル数と対照と実験回数が必用で、最終的に目的のサンプルと対照との間に統計的に有意な差があるかどうかを判定しなければなりません。そういう実験を一種類だけではなく色んな角度から検証してはじめて、科学的根拠にもとづいた結論が導き出されるわけです。

釣りで釣れるかどうかも、エビデンスを重視したほうが良いでしょう。

こうやれば釣れる!みたいなことを1回や2回試しただけでは証明されたことにはならないと言うことですね。その点、船頭さんは毎日出船していろんな状況を見て経験が蓄積していますから、色々試してもいるしサンプルも豊富だから統計的に意味のある結論を導き出せるわけで、従って、経験豊富な船頭さんの言うことはエビデンスに基づいていると言って良いかと思います。
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「こち亀」終了

こち亀が連載開始から40年の単行本200巻で最終回を迎えるとか・・・

第1巻と第199巻の表紙


絵がずいぶん変わっているようですね。キャラクターも?199巻の表紙のツリ目の女は何者でしょうか!?

それにしても、連載がいまだに続いていたのがびっくりですし、40年間で1度も休載がなかったとか。思わず、昔の広島カープの衣笠を思い出しました(笑)。

小〜中学生の頃は大のマンガ好きでしたし、特にギャグマンガが大好きだったのでもちろん読んでました。ジャンプを読んでいたのは高校生くらいまでかな!?1980年代中頃あたりで、当時連載されていた主要なマンガ(北斗の拳、キン肉マン、聖闘士星矢、ドラゴンボール、等)がひたすらバトルばかり繰り返しているので嫌気がさしてジャンプそのものをあまり読まなくなりましたが、「こち亀」は単行本が出たら買わないまでもどこかで読んでました。たぶん大学生くらいまで。

でも30代になるとごく一部を除いてマンガを読まなくなったので、たぶん最後に「こち亀」を読んだのは、もう20年くらい昔と言うことになるでしょう。でも、記憶があるだけでも100巻まで達していなかったので、もっと昔かも!?

ちなみにこちらが「こち亀」の200巻の表紙のようです。

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左側の制服を着た女と小さい子供2人が誰かわかりません。あと、大原部長がいませんが、どこへ消えたのでしょうか!?いつのまにか主要キャラからはずされたのでしょうかね。

個人的には、バイクに乗ると人格が変わる本田とか、改造パトカーを爆走させる前田とか、オリンピックの年だけ目覚めて事件を解決する変な警官などが懐かしいですね。

ごく初期の頃、このマンガをはじめて目にしたのは、私が小学校の頃にラーメン屋に置いてあった単行本の1巻だったと思います。その頃はまだ作者が本名の「秋本治」ではなく、「がきデカ」の作者「山上たつひこ」をもじって「山止たつひこ」と名乗っていた頃でした。

160905yamadome.jpg

ところが、私ははじめ「山止(やまどめ)」であることに気づかず「山上(やまがみ)」と思って、つまり、「がきデカ」の作者の別の作品かと思って読んでました。どっちも警察ものですし(笑)。当時は「がきデカ」連載中の少年チャンピオンが全盛期で毎週読んでおり、少年ジャンプは読んでませんでしたし。



しかし、それにしては絵も作風もまるで違うし、これはおかしいなと。しばらくしてから、山上ではなく山止となっているので、なんだ別の作者か、それにしても紛らわしい、偶然だろうかと不思議に思っていましたがそのまま忘れており、中学生になりジャンプを毎週読むようになってふたたび「こち亀」をひさびさに見かけたら、いつのまにか作者の名前が「秋本治」にかわっていたので混乱したものです。

wikipediaにその経緯がのっており、当初は、「山止」を名乗るのは「こち亀」だけにして、次の作品から別の名前に変えるつもりだったようですが、予想外に長く続いたようですね。

母の死をきっかけに、1976年(昭和51年)、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(以下『こち亀』)を新人賞に応募する。月例ヤングジャンプ賞入選作品(4月期)に選ばれ、山上たつひこの名前をもじった「山止たつひこ」名義で、『週刊少年ジャンプ』26号(6月22日発売)に読切として掲載される。賞へ応募した際のペンネームは、さらに石ノ森章太郎のもじりも加えた「岩森章太郎改め山止たつひこ」(岩森章太郎での活動はない)であった。長いタイトルとペンネームは自分の投稿が編集者の目に止まるようにという理由からであった。

『週刊少年ジャンプ』1976年42号(9月21日発売)より『こち亀』の連載を開始。編集部からは「この漫画ではこの名前で、終わったら本名にしてもいいよ」と言われており、本人も短期で連載終了するとばかり思っていたものの、予想以上に人気が出て連載が続き、さらには「本家」の山上たつひこからクレームが出たこともあり、100話目を機に現在のペンネーム(本名)に改めることになった。それまで山止名義で刊行されていた単行本第1巻 - 第6巻は増刷の際に秋本治に改められた。秋本は後年に「山上たつひこ先生に本当に申し訳ないことをした」「若気の至りとはこのためにあるような言葉です」「なんて大それたことをしたんだ!と思う」など反省の弁を述べている。


なんと、デビュー作だったんですねー。知りませんでした。それが40年も続いたとは驚きですし、と言うことは、この作者には他に代表作が無いと言うのも驚きです。

そんなこち亀もようやく最終回と言うことで、最近はまったく読んでませんでしたが、9月23日までkindleで一部の巻が無料で読めるようなので、ひさびさに読んでみたいと思い、ダウンロードしました。

無料で読めるのは1巻、10巻、20巻、30巻、40巻、50巻、60巻、70巻、80巻、90巻、100巻、110巻、120巻のKindle版です。

さっそく昨晩に、Amazonで順番にワンクリック購入していたら、70巻と80巻だけ間違えて有料のほうを購入してしまい課金されてしまいました。ガビーン。

ちなみに、Kindleの電子書籍も返品できますが、紙の本の場合と違って購入してすぐでも返品手続きがちょっとめんどくさいです。

紙の本の場合は、発送前ならワンクリックでキャンセルできますが、電子書籍の場合はAmazonのホームページの一番右下にある「カスタマーサービスに連絡」の部分から入って手続きをしなければなりません。そこからカスタマーサービスにEメールで返品をフォームに従ってお願いすれば、数日中に返金されます。ちなみに、返金されるまでの間は読むことができます。

以前に返品した場合は返金までに2,3日かかりましたが、今回は半日で返金されました。あらためて期間限定無料版をダウンロードする予定。

それにしても、こち亀を読むのはもう何十年ぶりです。しばらくは無料で読めるぶんだけ「こち亀」を読んでみようと思います。

昨晩には1巻と10巻だけとりあえず読みましたが、今読んでもそれほど面白くはないですね。ただ懐かしいだけで。これも老化現象かなあ。まあ通勤電車の中での暇つぶしくらいには十分なりますが。

(追記)20巻、30巻、40巻、50巻・・・と読んだらなかなか面白かった。これは、200巻ぜんぶを買うのはお金がもったいないし、やはり暇な時にでもマンガの置いてあるネットカフェへ読みに行くかな・・・
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